二月の脇役 その二
101号室の状況を説明すると、母は電話越しにくすくすと笑いながら言った。
『あらあら、困ったわねぇ』
大して困ったように聞こえませんお母様!
「どうしたらいいかな? 契約違反って抗議するのも、ちょっと違うような……」
『そうねぇ。その執事さんも、住んでいるわけじゃないのね?』
「そうなの。お世話をしに通って来てるだけだって。でもあんなちっちゃい子を夜一人にできるわけがないし、毎晩泊まってると思う。それって住んでないって事になるの?」
おそらくこの屁理屈は、「お坊ちゃまが一人で家出中である」という体面を保つための苦肉の策と思われる。
『うぅ~ん。難しいわね。ペットも、実在するかどうか分からないのよね?』
「う、うん。執事さんも、こっちにきてからは姿を見たことも鳴き声を聞いたこともないんだって」
『それじゃ、今のところはっきりと契約違反とは言えないわね』
限りなくクロに近いグレイですがね!
『まさか部屋に踏み込むわけにもいかないし。久実ちゃんだって、嫌でしょ?』
うん。嫌。それは本当の本当に最終手段としてとっておきたいです。なにせ、住人さんの部屋に入るたびにひどい目に遭ってるからな! 秘密基地に拉致されたり、怪しい悪魔祓い団体の本拠地に拉致されたり!(あれ、私拉致される率高すぎないか?)
「じゃぁ、聞かなかったことにしてこのまま様子見?」
『一応私から、神宮司さんにお手紙を出してみるわ。必要なら契約内容をちょっと見直しましょう、って。でも久実ちゃん、あなたもその拓馬君のこと気にかけてあげなさいね。きっとその子、寂しいのよ』
へっ、ヤなこった、とはさすがに言えず、私は「はぁい」と返事をして通話を切った。
寂しい、ねえ。
GW中に一回だけ出くわしたあのおちびは、とてもそんなかわいい感情を持っているようには見えなかったけどなぁ。
神宮司さんのおうちは裕福で、それはもうと~っても広いお屋敷に住んでいるらしい。そんな広いお屋敷のこれまた広いお部屋の真ん中に、一人でぽつんと立っているおちび、もとい、拓馬坊ちゃまを想像してみる。うん、確かに広い空間の中に配置すると、寂しく見えるかもしれない。
広い広いお屋敷の中で、忙しい家族は自分に構ってくれないからひとりぼっち。唯一心を許せると思った親友とも引き離されて。お父様もお母様も、ボクの事なんかどうでもいいんだ! ……な~んて、極論に走ってもおかしくないお年頃だしなぁ。
しかし実際は、息子のために忙しいスケジュールの間を縫って家出先の部屋を下見したり(まぁこの時点でおかしいわけだが!)、様子を見に来たりしてるんだから愛情がないわけではなかろうが、とりあえず甘える相手も子供らしく振る舞える(いや、クソガキの要素だけはしっかり発揮しちゃいるが)相手も、傍にいないのはわかった。
そう考えると、匂いと鳴き声とご近所迷惑の関係さえクリアすれば、見逃してやってもいいような気がしてきたなぁ。
あぁ、それにしてもいったい何を飼っているんだろう。執事さんさえ姿を見かけないってことは少なくとも、コンパクトで、鳴かなくて、あまり動かずにいられる生き物に違いないんだけど。む、虫じゃないといいなぁ。(びくびく)
たとえば、そう、爬虫類とか。爬虫類系なら匂いも少なそうだし、いいかもしれない。ちっちゃなトカゲなんかつぶらな瞳がかわいいし、悪くないよね。亀でも可。
よし、精神衛生のために、101号室には珍しい亀が居る、ということにしておこう。じゃぁこの話はこれで、おしまい!
……と、そういうわけでこの建物におけるペット問題は、ひとまず終了した。
その後、数日間は平和に過ぎた。『月刊WITCHCR@FT』の強制配布にやってきた向原君にいじめられたり、九頭竜さんが考案した光学迷彩自転車に突っ込みを入れたり(だって、見えない自転車が一般道走ってたらあぶないじゃん!)するくらいで、うん、概ね平和。
あ、いいの、何も言わないで。これが標準仕様だから、私。
ところが、珍しく「屋上のトップライトのガラスでも拭こうかな~」なんて思いついたのがいけなかった。
雑巾とガラス用洗剤を持って外に出ると、空は清々しいほど晴れていた。冬らしい、肺がツキンとするような空気に身体を震わせつつ、私はしゃがんで拭き掃除を始めた。このトップライトのお蔭で、夕方まで電気を付けずに過ごせるんだもんね~。感謝しなきゃ。
二つ目のトップライトを拭き終わりかけたころ、それは唐突に襲ってきた。
背後から、何者かが私を引きずり倒したのである。
「ひやあああああっ」
いやもうびっくりした。ちょーびっくりした。
だって自分ちの屋上だからね? 誰もいないはずの屋上でいきなり攻撃を喰らうなんて、普通思わないから。常在戦場の心得なんてないから、私! 戦いに身を置く戦士とかじゃないから! ふつーの大学生だからぁっ!
不意打ちを喰らって倒れた私に、その何かは遠慮なくのしかかってきた。ぎゃーほんとなに、何が起こってるのっ!
私は手足をばたつかせ、押しのけ、ひっかき、蹴飛ばしてなんとか払いのけようとしたけれど、ダメだった。だって固いんだもん。重いんだもん!
……でも取り敢えずコレ、人間じゃなさそうだな。
強盗や痴漢の類じゃなさそうだし、ちょっと落ち着いた私は相手を観察してみることにした。
いや、決して危機感が足りないわけじゃないよ。戦うにはまず敵を知らんと。意外なところに弱点が見つかるかもしれないじゃん? いきなり目つぶし喰らわせるほど思い切りよくないからさ、私。
えーとね。
まず、青いね。青くって、サイズは中型犬くらい? 見える範囲には鱗があって、頭には鹿みたいな角が生えてて、おめめは案外つぶらだった。……ダメだ、こんな目、潰せそうにないや。
そんでもって……まぁおばあさんおおきなおくち。それはね、お前を食べるためさー、きゃー、みたいな?
私はごくりと唾を飲み込んだ。こ、これはやっぱり危ないかもしれない。恐怖に固まる私を前にして、その生き物はかぱりと口を開いた。ぎゃー、やめてえ、たべないでえええ!
「きゅるるるるぅ」
「ひぅ?」
やられるっ、と目を閉じたのと、頬にぬるりと生暖かい湿ったものを感じたのは同時だった。もしかしなくてもこれは、舐め……舐められてるっ? なんか、すっごいざらざらしてるけどこれって舌だよね、きっと!
「きゅるるるぅ、ぐるぅぅ」
青い生き物は満足そうに喉を鳴らし、べろべろと私を舐めまわし始めた。うひぃぃ、食べられるのも嫌だけどこれも嫌だっ!
「い、痛い痛い、イタイってば!」
私はさっきの倍くらい必死に暴れた。だけどやっぱり、逃げることは叶わず。携帯も持っていないので助けを呼ぶこともできず。寒空の下、変身した戦隊が駆け付けるまで、30分ほど舐められ続けていた。
救出された頃には着込んでいた服もはだけて色々悲惨な状態になっていた訳だけど……。うぅ、この記憶を海の底に沈めてしまいたい。
「困ったことになったわね」
毛布にくるまってガタガタと震える私と、私の膝に乗って、ついでにちょうどいい高さにあるとばかりに胸に両手を置いて、頬を舐めては嬉しそうに鳴く生き物を見つめながら、根岸さんは深刻な顔で考え込んだ。
困ってる困ってる。こないだの母の時と違って今度は本当に困ってる感が出てる。ってゆーか私も困ってる!
「きゅる!」
膝の上の生き物は、こてん、と首をかしげた。さっきよりも大分小さくなっていて、今は小型犬くらいのサイズになっている。うぅむ、こうしてみると、可愛いような、そうでもないような?
「あの時の盛沢の匂いを覚えてたんだなぁ」
福島君がホットココアを作って私に差し出してくれた。
「あ、ありがとう」
うぅ、冷え切った身体に染みるわ~。マグカップを受け取るべく手をのばすと、青い生き物はバランスを崩してころん、と膝から転げ落ちた。が、床には落ちない。宙に浮いている。
どう見ても地球外生物です本当にありがとうございます。
「この子、特別保護対象生物なんだよ、ねぇ?」
水橋さんは、それの額をちょん、とつついた。
そう。この青いのは、かつてケセラン様が戦隊のプロモーションビデオを作るために利用した子竜だったのです。
どうやら好物の実の匂いに混じった私の匂いを覚えていて、何故か訪ねて来ちゃったみたいで……。
中山君を見てパニックに陥ったところを見ると、あの時の事をちゃ~んと覚えているらしい。案外知能が高いのかもしれない。あ、中山君は動物に脅えられた事にショックを受けて、現在部屋の隅で体育座りしてます。繊細だねっ!
「飼うのか?」
竜胆君が眉間にしわを寄せて子竜を睨む。子竜は「あぁん、やんのか?」とばかりに牙を剥き、低くうなった。
……爬虫類ならいいかな、なんて簡単に考えてほんとすみませんでしたっ!(ダレカタスケテ)
子竜エピソードは「脇役の分際 ぷらす。」
http://ncode.syosetu.com/n3420r/25/
の、「戦隊のおしごと」をどうぞ。