十一月の脇役 その四
借りている本の返却に行かなきゃ、と言い訳して、私は佐々木さんと別れた。
ふふふ、今回はがんばった、がんばったよ私! 結局最後まで頷かずに「考えとく」「できれば」「用事が入らなければ」「具合が悪くならなければ」で乗り切ったよ。
特に最後の一つなんて、昨日顔を真っ青にして帰った私の姿を知っている彼女には有効だったんじゃないかと思うんだけどどうかな!
あとは、明日はなるべく元気なさそうに振舞いつつ、「ごめんね、やっぱりまだ本調子じゃなくて」とかなんとか適当なこと言って逃げるだけ。完璧な計画だね!
まぁ、悩める佐々木さんにはちょ~っと悪い気もするけど、スランプとやらは一人で乗り切ってこそだよ、ガンバレ。とりあえず気分転換に、台本とは全く無関係なことでガス抜きするといいと思うよ。
例えば甘い物食べに行くとか遊園地に行くとか。そういうのだったら喜んで付き合っちゃうんだけどな~?
さて。うちの大学の図書館は、敷地の端の方に建っていて、正反対のA棟をメインに利用する学部の学生にとってはひじょーに評判が悪い。なんでも後から買い足した土地に建設したとかで、結果として不便極まりない配置になったわけだ。
その代わり、大きくて立派で、何より蔵書が充実してるのが魅力。だから私は、軽いお散歩だと思うことにしてめげずに通うことにしている。
でも真っ当なルートで大回りすると片道だけで疲れ果ててしまうので、ショートカットを駆使してます。生活の知恵です。ってゆーか、案内板の通りに行こうとしたら何度も迷子になって、その副産物として獲得した知恵なんだけど、センパイに聞いたところ学生の間じゃ割とメジャーなルートだったそうな。先に知ってればあんなに心細くて情けない思いをすることもなかっただろうに、きぃ、悔しい!
えーと、まず、いったん外に出て中庭から斜め向かいの建物の渡り廊下に入るでしょ~。そこからてくてく歩いて学食を突っ切って外に出て、あとはカフェテリアの花壇の横を通って研究棟にお邪魔して~。自転車置き場が見えてきたら……ってアレ、待てよ?
今気が付いたんだけど、このルートってここ最近の事件現場辿ってるようなものじゃなかろーか。確か、私が最初に吉田君の奇行に気が付いた、ベンチが落ちてきた事件。あれの現場は中庭だし、翌日ガラスが割れたのは渡り廊下の先だったよね? オーニングが倒れたのはカフェ、ドミノ倒しがあったのは自転車置き場で……。
気付いた途端、全身にぞわりと鳥肌が立った。
えっ、なにこれ気味が悪い。だってだって、まるで、何かが誰かを(多分桃井先輩を)追っかけて、追いつめてるみたいな。日頃から、こんな考え方は非科学的だ、なんて笑ってられない人生を送っている身としてはとても偶然と笑い飛ばせないよ?
うぅ、やばい、考えれば考えるほど怖くなってきちゃった。
今日はまだ何かが起こったっていう話は聞かないけど、もしかしたらこの先でこれから起こったりするのかなぁ? 本の返却は諦めて、引き返すべきだろうか。
それとも今すぐ図書館に行って、もしも途中で桃井先輩を見かけたら警告して……って、いやいや、でもそれ難しいよね。カフェで一回声かけたくらいの相手にどうやって伝えろって話だよね。
例えば私がよく知らない人から「あなたは何者かに狙われています、ここにいたら危険です」なんていきなり言われたら、引く。間違いなくどん引く。
少なくとも、一昨年、まだ超常現象と無関係だった頃なら絶対引いてた。吉田君が何とかしてくれると信じて戻る、ってーのが一番魅力的な選択肢なのは間違いないんだけどなぁ。
うぅむ、行くべきか戻るべきか、それが問題だ。と、半分パニック状態でうだうだ悩んでいると、いきなり例の眩暈を感じた。あの、時間が後ろ向きに跳んだ感じ。……アレ、もしかしてもう、何かが起こっちゃった?
続いて何度も連続して、しつこいくらい眩暈が襲ってくる。うぐぐ、これはキモチワルイ。思わず座り込んでも次の瞬間強制的に立たされている、というのもまたすごく、三半規管に悪そう。おねがい早く終わって!
20回くらい、それが続いただろうか。気が付くと私はA棟の廊下、佐々木さんの目の前に立っていた。
シチュエーションなど気にせず口元を押さえてうずくまる私。佐々木さんがビックリしたように、私の名を呼んだ。う、心配してくれるのはありがたいけど揺すらないで、ヤメテ。
「も、盛沢さん、どしたん? 具合悪いん?」
「ごめっ……」
いやもうほんとごめんなさい。さっき安易に時間よ戻れなんて願ってごめんなさい、くるしいです。
「そういえば昨日も真っ青やったし。家まで送るわ」
それとも保健室行っとく? という申し出に首をふることさえもできない。ど、どうしようこの状況。ってゆーか、今ってどこまで話が進んだところ?
や、それよりもこんなに戻すなんて、何があったのかが気になる。
とりあえず冷たい水を飲みたい、でも動きたくない。そんなグダグダな状態の私の頭の中に突如、間抜けで場違いな音が響いた。
ぷっきゅるぅ~!
……え。
ぷっきゅる~!
え。なにこの、懐かしいような、腹立たしいような音。
ぷっきゅる~!
ぷっきゅる~!
あぁもううるさいっ、勘弁してよっ! ただでさえ具合悪いんだからっ。
原因を突き止めるべく顔をあげる。こみあげてくる気持ち悪さは気合でカバーだ!
「あの、ささき、さん」
今の音、聞こえた? と尋ねようと彼女に視線をやって、私は息をのんだ。彼女はこちらに手を伸ばした状態で固まっていた。口も半開きで、今にも何かしゃべりだしそうな様子のまま。
「ささき、さん?」
掠れ気味な声でもう一度、恐る恐る呼びかけてみるが彼女はぴくりとも動かない。うん、文字通り固まってるね。……リアルな彫像みたい。もしくはアレだ、蝋人形?
佐々木さんの護衛である二人も少し首をかしげたまま固まっているし、これはもしかしなくても時間が停止しているという事なんだろうか。
しつこく鳴り続ける「あの音」。具合は一向によくならないし、助けは来そうにないし、なんか泣きたくなってきた。
もういいや、と廊下にお尻をつけて座り、壁にもたれかかる。とりあえず自力で移動できるようになるまでこうしていよう。原因究明はそのあとでいーや。
ずるずると、お行儀悪く体勢を崩してなんとか楽な姿勢を探り当てた。はぁ、壁のひんやり感が今は気持ちいい……。あとで後悔しそうだけど。
ぼんやりと天井を見上げる。光に透ける埃さえも動きを止めているのって、なんかすごい光景だよね。唯一チラチラと動いてる緑の光がやたら気になるけど……。なんだあれ。
【予期せぬエラーが発生しました。強制終了しますか? Yes/No】
それは、たまに根岸さんやらケセラン様が使っている緑のディスプレイに似ていた。緑色の蛍光色で、ものすごく目に優しくない文字が高速でエラー、エラーと繰り返す。
【No……
エラーが発生しました。強制終了しますか? Yes/No】
【No……
エラーが発生しました。このプログラムは実行できません。強制終了しますか? Yes/No】
【No……
エラーが発生しました。その命令は受理されません。強制終了しますか? Yes/No】
えーっと、とりあえず語尾を変えてるけど、言ってることは結局「諦めて強制終了しろや!」だよね。それなのにNoを選び続けているあたり、操作してる人は諦めが悪いっちゅーか。
これってやっぱり吉田君だよなぁ。あれだけ巻き戻したのに、まだ足りなかったのか。ってゆーか吉田君って何者? あの懐かしいエラー音からして、高校の保健室の先生……タヌキ型宇宙人の関係者っぽいんだけど。でも、タヌキは捕まってるはずだよなぁ、戦隊に。
【No……
エラーが発生しました。最終コマンドを実行しますか? Yes/No】
あ、なんか変わった。最終コマンドってなんだろう。嫌な予感がする単語なんだけど。まさか世界のリセットとかそういうやつじゃないよね?
【Yes……
セーブ地点まで戻します。
エラー。バグが確認されました。バグを排除しますか? Yes/No】
ちょっとまって、もしもあのタヌキの関係者ならバグって私の事じゃないかと思うんだけどまってええええええ!
【Yes……
エラー。バグを排除できませんでした。このまま実行します】
……排除できなかったらしい。よかった。
ほっとしたのも束の間、世界が突然緑の蛍光色に変わった。あまりの出来事とまぶしさに悲鳴が漏れる。
「ひゃぁっ」
壁、廊下、天井だけではなく、外の景色も佐々木さんも、全てが緑の線で構成された何かになってしまった。こ、こんなのSF映画の世界じゃん! ちょ、ケセラン様! 戦隊はどこ行った!
さすがにへたってる場合じゃない、と立ちあがろうとしたんだけど……腰が抜けてました。(てへ)
「……やっぱり、盛沢だったんだな」
声の方を振り向くと、怖い顔をして息を切らせた吉田君が、グリッド線の向こうに立っていた。
「よしだ、く……」
しゃらしゃらと音を立てながら、グリッド線が崩れていく。崩れて、0と1の記号になって空中へ溶ける。溶けた先は黒い空間になって、その侵食はどんどん迫ってきた。
「あの人が言ってた『盛沢久実に気をつけろ』って、このことだったんだな」
あの人って誰、と聞く前に私の真下が崩れたので、私は襲い来るだろう落下の衝撃に備えてぎゅっと目を閉じた。