十月の脇役 その六
彼の不幸は生まれたときから始まった。それも全て、成績がよくてスポーツもできて大人達に取り入ることに長けていた姉のせいである。
……まぁ、身近になんでもできちゃう人がいて、その相手に自分とどこか共通するものがあったりするとモヤモヤするよね。相手のほうが出来がよければなおさら。身に覚えがあるし、気持ちはわかる。
で、まぁ、そんなお姉さんのせいで幼い頃からさんざんな目に遭ってきたのだ、と彼は主張した。たとえば小学校時代は忘れ物癖が直らなくてよく怒られた、とか猫に引っかかれた、とか。
「中学生の頃です。当時私は、沸き起こる形のない不安のはけ口としてノートに歌詞を綴っていました。思えばあの頃から姉の異常さに気付いていたんです……」
そんなある日、そのノートを机の上に置き忘れて家に帰ってしまったそうな。あー、その後の展開は聞かなくてもわかるわ~。読まれちゃったんだね。
いやぁ、思春期の頃の過ちって取り返しつかなかったりするよね。
もちろん、人さまのノート勝手に見るほうが絶対に悪いんだけど、やっぱり自衛を怠っちゃいかんねぇ。
「そのせいで私は『部屋の片隅で微笑みながら世界の終わりを待つ男』という長いあだ名を付けられました。だんだん略されて『マツオ』になりました」
「ま、マツオっていい名前だと思うよ、うん」
う、うわぁ、「センパイ」がフォローぶんなげた。
その後、高校受験当日に高熱を出したり、部活動で一度もレギュラーになれなかったり、大学の希望学部が募集をやめてしまったりと色々あって、いくらなんでもおかしいと思っていた矢先にお姉さんが悪魔を召還している場面を目撃したらしい。
「私は確信しました。姉が優れて見えるのは、全ては悪魔に魂を売った代償として与えられたまやかしに過ぎなかったのだ、と。そして、私に降りかかる数々の災難は姉を従える悪魔が振りまく呪いによるものだったのだ、と」
曲解しすぎ! お姉さん悪くないよ! あれ、でも悪魔召還って悪いことなのかな、あれ? 最近オカルト系への抵抗が少なくなってよくわかんなくなってきたぞ……。
「それでこの世界のことを知ったんだな?」
「はい。文献をあさり、インターネットを駆使してあらゆる情報を集め……。そのせいで就職活動が疎かになり、気が付いたら……」
……うん。それはもう、人を呪わば穴二つの典型例だと思うんだ。それで、そこから魔女退治する謎の聖職者(口調ウザい)に転身したんですね。なんでこうなった。
「私は、家族を悪魔の洗脳から解き放ちたいのです。そのために、姉と刺し違えることになっても」
「あ、あぁ、頑張れ。でもほどほどにしとけ。少なくとも一般人攫ったりするな、頼むから。この子はもう、元の場所に帰して来いよ」
「しかしそれでは魂が救われません」
「いーんだって。うちは来るもの拒まず去る者追わず。わかる? 悪魔を祓ってくれ、って頼まれない限り手を出さない方針なの!」
「私は、救えるはずの魂を見捨てることはしたくないっ!」
だむっ、と拳を叩きつける音。
耳元でソレやめて、こわいから。ビクってしちゃうから!
なんだかなぁ。動機はともかく目的とか覚悟とか、そういうのはシリアスなんだよなぁ。突っ込みにくい。
「一人でも多くの魂に救済を! それこそが正しい道でしょうっ!」
彼は、何も知らない人にとっては崇高に聞こえるだろうセリフを絶叫した。志はご立派なんだよねぇ。でも余計なお世話なんだよねぇ。
「イマドキそーゆー考えだから、煙たがられるのよ」
そうそう、そうなんだよねー。
「しつこい男は嫌われるっておねーちゃん教えたでしょー?」
そーそー。そーなんだよねー、って、アレ?
私はぱちりと目を開けた。今の声、倉石さんだ。助けに来てくれたんだ! しんじてた、信じてたよ!
倉石さんは、ドアのところに堂々と立っていた。その横で門番役の男の子があわあわしている。ほんと、つっかえね~……。いや、今回に限ってはありがたいんだけど。
「現れたな、邪悪なる魔女めっ!」
「大きな問題になる前にうちのオーナー返してちょうだい。あのマンション気に入ってるの。もう、方向も形もこれ以上ないってくらい理想的なのよ」
「やはりあの不自然な形、悪魔召還の儀式のためか! では、この娘の家族も悪魔崇拝者なのだな!」
「いや、風水的になんだけどね」
……会話から察するに、この二人、姉弟だったんだなぁ。似てないけど。
ってことは出来のよすぎるお姉さんって倉石さんのことなんだ? な、なんかイメージと違う。
「それにしてもあいっかわらずうじうじと、細かい事ひきずってんのねぇ」
倉石さんは、いかにも見下すような笑顔を弟に向けた。あぁもう、そんな顔するから弟さんが逆恨みするんだよ。やっぱりお姉さんにも責任あるかもしれないね、こりゃ。
「あんたってほ~んと、かわんないのね。何か起こると自分以外に原因を求めたがるの。ウンザリしちゃう」
「そうやって惑わせようとしても無駄だっ!」
「姉弟喧嘩は外でやってくれー、組織を巻き込まないでくれ~。頼むから~」
実のない罵り合い(一部懇願)が繰り広げられる中、私の視界に何か気になるものが過った。一番大きい窓のところに、何か、影が……。
しかもなんか、あのシルエットには見覚えあるような。
「はいはいわかりました。まぁいいわ。あんたの不幸はぜ~んぶおねーちゃんのせい。だから……」
倉石さんがすっとドアの向こう側に身体を引っ込めた。
その途端、未だに横たわったままだというのにくらりと眩暈がして、私は目を閉じた。あぁ、迎えがきたんだ。「思い出した」。
「せいぜい恨みをバネに強く生きなさいな」
ぱりりりりりりり、かしゃーん! しゃりしゃりしゃり……。
『はぁい。おまたせぇ』
ガラスの飛び散る音をバックに、男女の声がぴたりと重なって、建物中に響きわたる。
「私のお気に入りにヒドイことしてくれちゃったわねぇ」
くすくすくす、と女性の声。
「相応の償いをしてもらおうか」
と男性の声。
「きゃー菖蒲さま~! かっこい~!」
ドアの向こうで倉石さんがはしゃいでいる。そう、これは貫井さんだ。さっき私を無理やり夢に引きずり込んで救出作戦を私に伝えたのは間違いなく彼女だった。
そっかそっか、そうだよね。あのへんな眠気はやっぱりおかしかったもんね。
しかし、夢に入り込めるのは便利だけど、相手が忘れちゃう仕様はいまいち使い勝手が悪いと思うんだ!
「そのまま目をとじてなさい。起きたらすべてが終わってるから」
いつの間にか近くに来ていた貫井さんの手が顔をそっと撫でる。私は目を閉じたままこくりと頷く。
そして、またあの眠気がやってきた。
……くすくす
…………ね。
あ。これはさっきの夢の再現かな?
私の目の前に貫井さんが立っている。
彼女はくすくす笑いながら「元気そうね」と言った。夢なのに、私はこの貫井さんが本人だと確信している。説明するのはちょっと難しい。とにかく、そういうものなのです。考えちゃいけません。感じるのです。
「お久しぶり。向原君の吸血鬼化は順調?」
彼は4月以降、身体を作り替えるためのふかぁい眠りについていて、貫井さんはずっとそれに付き添っていたはずだよね?
「ええ、お蔭さまですっかり定着したの。ハロウィンにお披露目パーティーがあるんだけど、くぅちゃんもどう?」
「あー、ハロウィンはちょっと、予定があって」
やっべー、ヤブヘビだったか。最近「一口ちょーだい」もなくなって、これで一つ人外の案件からフェードアウトできちゃうかなって思ってたのに、ここにきてハロウィンの吸血鬼パーティーとかないわー。
いや、ほんとはちょっと楽しそうだなって思うけど、でもわが身がかわいいなら不参加だよね!
「そぉ? 残念ねぇ」
ちっとも残念そうに見えないのがまた……。変わんないなぁ。
「ところでくぅちゃん、今、捕まっちゃってるんですって?」
「えっ?」
「ファンの子がねぇ、駆け込んできたの。魔女狩りの組織に女の子が攫われたって。話を聞いてみたら攫われたっていうのがくぅちゃんで、ビックリよ。お姫様の一大事にナイト達は何してるの?」
え、えーと、ええと。ファンって何? と突っ込むべきか、お姫様とかナイトって何だと聞くべきか、恥を忍んで私と光山君と竜胆君の事だと認めて彼らは立派に私を守ってくれたと弁護するのが先か!
私が葛藤している横で、貫井さんはふんふんと頷いて「にやぁ」と笑った。う、もしかしなくても筒抜けか。
「へ~、そっかそっかぁ。あの二人ってばそこまで……。よかったわねぇくぅちゃん。女の子冥利に尽きるじゃないの」
「えぇ、まぁ、その」
もごもご。
「ファンっていうのはね。私、『月刊witchcr@ft』っていう雑誌でモデルしてるの。結構人気なのよ?」
「いかにも一般人の目には触れなそうな雑誌ですね。……購買層は主に魔女さんですか?」
「そうそう。月1でモデルの誰かが直接お届けに行くっていうのが売りなの。お代はもちろん血液で」
つまり体のいいエサ集め雑誌じゃないか。吸血鬼こわ~。
「共存するための知恵と言って。それに、本人達も望んでるんだからいいのよ」
そういうもんなのかなぁ。
貫井さんはその雑誌のハロウィンイベントの前夜祭(ってゆーかファンクラブ会員ナンバー1ケタ台の人達へのサービスイベント)の準備でたまたま事務所にいて、駆け込んできた倉石さんとはち合わせたらしい。
「これも何かの縁ってことで、私が助けてア・ゲ・ル。だから久々に……ね」
くすくすくす、と笑う貫井さん。
ぼやける視界。
浮上する意識。
にやぁ、と嗤う口元でぬたりと光る牙。
がばっ!
私は、今度こそ跳ね起きた。こ、こわあああああああ!