十月の脇役 その一
世間には「にっぱち」という俗語がある。二月八月は景気が悪い、の意味で、残念ながら賃貸業も例外ではないらしい。八月なんて内覧の申し込みさえ3件しか来なかったんだから!
そりゃ、八月というのは一番暑い月だから、お部屋探しに駆けずり回るには向いてないかもしれないけどさ。空き部屋があると大家業ってのは心中穏やかではいられないので、できればがんばって探しに来ていただきたいんです、はい。お茶くらい出しますから。何なら、冷房つけて冷やしとくんで。
で、まぁ、八月がそんな調子だったものだから、九月に入って2件の入居申し込みが来たのはほんとーに嬉しかった。
そう、2件。これを持ちまして、全8部屋、入居者6名だったこのマンションが、とうとうめでたく満室になりました~。わー!(ぱちぱちぱちぱち~)
両方とも社宅契約で、私でさえ聞いたことのあるような大手企業さんだったから、多少の引っ掛かりはスルーしちゃう事にした。
いいよもう、世間に迷惑を掛けず、問題を起こさず、静かに暮らして、滞納さえしないでくれればいいよ。どうせもう、色々取り返しのつかない人が住んでるんだしさ……。誰とは言わんが。
102号室に入居する事になったのは那須野さんという男性で、顔の下半分を黒い覆面で覆ったナイスガイだった。
……うん。き、きっとアレだよ、ほら、重度の花粉症か何かでマスクだけじゃ足りないとか、そんな感じの理由に違いないよ。話してみれば気さくでいい感じの人だったし、お引越しの挨拶に虎屋の羊羹くれたし、少なくとも悪い人じゃないと思うんだ!
105号室に入った佐藤さんときたら、姿も見せないどころか「連絡先は教えられません。必要以上の接触はご遠慮願います。何かありましたら会社へ」なんて妙な条件付いてるんだからね?
まぁ、どっちにしろ借主は会社なわけだし、住むのは確実に彼だけ、という約束だからいいんだけどさ……。
えー(こほん)、とゆーわけで、気を取り直してささやかながら「満室お祝いパーティー」を開きます。幸い十月にはハロウィンという口実があるから、31日に魔女っ娘あたりを招いて盛大に!
メニューはもちろんカボチャのクッキー、カボチャのプリン、カボチャのパイ、カボチャのサラダ、カボチャのグラタン、カボチャの煮つけにパンプキンスープなどなど。カボチャのランタンを手作りした時にできる副産物を有効利用しようと思います。
子供の頃シマリスを飼っていたものだから、カボチャ料理は結構得意なんだよねぇ。彼女達がカボチャ嫌いじゃないといいんだけど。
いやぁ、ハロウィンなんて、子供の頃は一部のお洒落さん地域だけが楽しむ行事なんだと思っていたものだけど、今や街を歩けばカボチャとコウモリで溢れかえってるんだから、日本人のお祭り大好き気質ってすごいよね。
うん、キライじゃないよ? むしろスキ。この、宗教も由来も気にせず、自己流の解釈で取り入れちゃうのが日本の正しい姿なんだから。踊らにゃ損だよ、ホント。
家の中はカボチャとコウモリと魔女と黒猫で出来る限り飾り付けたし、あとは玄関にリースを飾るだけかなぁ。うふふ、最近お気に入りの雑貨屋さんで一目ぼれして、ついつい買っちゃったんだよねぇ。カボチャ型の枠の中に、箒に乗った魔女のシルエット。ぶらさがってるコウモリも愛嬌があってすっごくかわいい。いやー、世の中には素敵なものがありすぎて怖い怖い。
るんらるんらと足取り軽く、鼻歌を歌いながら玄関扉を開けると、108号室のドアが開いて、お部屋からでてきた倉石さんと目が合った。
「こんにちはぁ」
うわぁめずらしい、普通の服着てる! いつもの「占い師の衣装」はどうしたんだろう。この人が普通の服で出歩くところなんて、初めて見たんだけど。
せっかくハロウィンシーズンなんだから、こういう時こそあの衣装を着るべきだと思うんだけどな! 今の季節なら「少し気が早い仮装なのね」で誤魔化せると思うし。は。待てよ、彼女にとっては普通の格好こそが仮装という事も……。
「あら、こんにちは」
倉石さんはいつもより爽やかさ3割り増しの笑顔で挨拶を返してくれた。いやほんと、どうしちゃったのこの人。
「ご旅行ですか?」
右手の大きなトランクに視線をやりながら、ほぼ確信に近い質問をすれば、倉石さんは「そうなの」と頷いた。
「ちょうどよかった。しばらく留守にするのでよろしくお願いします」
「あ、はい。わかりました。お留守になるのはいつぐらいまでですか?」
あ、これは私生活を暴こうとして聞いてるわけじゃないんだよ? 一応留守を預かる者として、空き巣の用心くらいはしとこうと思って。留守のはずのおうちに電気が点いてたりしたら、すぐ怪しいってわかるじゃん?
まぁ、そう簡単に空き巣に入ってこられるような構造ではないと信じてはいるんだけど、用心に越した事はないし。
それに、あんまり長期の不在になるようだったら電気とか水道とか止める手続きして行ってほしいし……。あ、特に新聞! とても新聞取ってるようには見えないけど、もしも取ってるようだったらぜひ止める手続きを! でないと郵便受けがパンクしてしまう。
「そうね、多分来月のはじめくらいには、戻れるといいんだけど」
どうやら期間さえはっきりとは決まっていないらしい。ますますわけがわからん。そんなに忙しいのかなぁ。売れっ子占い師さんとは聞いてはいるけれど。
「あぁ、もういかないとまずいわ。あ、そうだ」
倉石さんは、エントランスの扉に手をかけたところで振り返った。
「そのリース、家の外には掛けない方が……。いえ、なんでもないわ。いいハロウィンを」
「……い、行ってらっしゃいマセ」
ぱたん。
扉が閉まったあとには、新聞について聞きそびれた挙句にせっかくの気分をへこまされた私が取り残されたのだった。
……釈然としにゃい!(地団駄)
結局、リースはハロウィン当日に引っ掛けることにして部屋に持ち帰った。
だってだって、あんな事言われたら気になっちゃうじゃん! 仮にも売れっ子の占い師さんなんだから、あの発言にも何か根拠があるのかもしれないし。あぁでも、浮かれてる気分に水を差されたようで悔しい!(きいぃ!)
むすっとしながらストレス発散を兼ねてポタージュスープの裏ごしをしていると、携帯が鳴った。ええい、こんな大事な時にだれだっ? 倉石さんだっ! 私は嫌々通話ボタンを押した。
「はい、盛沢です」
「もしもし。オーナー、悪いんだけどちょっとお願いがあるの」
彼女の声は、なんだか切羽詰っていた。ほんの1時間前に挨拶した時はそんな事なかったのに、どうしたことだ。
彼女は私に、「忘れ物を届けてほしい」と懇願した。
「寝室のクローゼットの中にチェストが入ってるの。2番目の引き出しを開ければすぐわかるはずだから」
「私がお部屋に入っちゃっていいんですか?」
「お願い。ソレがないと、私死んじゃうかも」
それはちょっと穏やかじゃないなぁ。常備薬か何かなんだろーか。
待ち合わせの駅名を聞いてから、私はスープ作りを中断して108号室へ向かった。
倉石さんのお部屋はキツイお香の香りに満たされていた。
竜胆君のおうちとは違うタイプのお香で、多分外国のものだと思う。私はちょっとこういうの苦手だなぁ。むせ返るような香りに、思わず顔をしかめる。
ドア開けるまではわからなかったから、この香りのせいで隣人さんとトラブルなんて事にはならないと思うけど……。
「お邪魔しま~す……」
無人とはわかっていても、思わず小さな声でご挨拶してしまうのは小心者ゆえです。合鍵で他人のおうちに入るのって、なんか勇気がいるよね?
部屋の中は、意図的に真っ暗になるようにアレンジされているようだ。魔方陣らしきものが描かれた布をかき分けながら手探りで明かりを点ける。
むぅ、この布は一体どうやって吊り下げてるんだろう。天井に穴でも開けてんのかなぁ。困ったなぁ、退去時の原状回復費、足りるだろうか……。
ようやくクローゼットにたどり着き、指示された通りの引き出しを開けると、そこには布に包まれた丸いものが大切そうにしまわれていた。なんだろう、これ。占いに使う水晶玉とか?
あぁなるほど、大事な商売道具を忘れたら、そりゃ焦るよねぇ。これがなきゃただの怪しげなおねーさん……げふげふ、えー、色々不詳の女性だもんね。
純粋な水晶玉というのはかなりお高いと聞いていたので、私は慎重にそれを持ち上げた。傷でもつけたら大変だもん。
元々あった布だけじゃ心許なかったので、引き出しの上に積まれていた布も一枚拝借して丁寧に包む。あーこれ、いつも彼女が身体に巻きつけてる布だ。思いのほかおっきい。持ってきたバッグに、わざときつめに押し込んで固定して、さて行こうか、と顔を上げた途端。
「それを渡してもらおうか」
私は見知らぬ男から、銃を突きつけられていた。
……アレ、デジャヴ?