八月の脇役 その二十二
「きゃあああああああああああ」
下の部屋からすさまじい悲鳴が聞こえてきた。モニターには、光山君にナイフを何度も突き立てられた阿刀先輩がぐらりとよろけてドアに凭れ掛かるように倒れてゆく姿が映っている。
「っし。いい角度だ」
ゴトウ先輩はそれを満足そうに見ながら頷いた。もう一つのモニターには、返り血を浴びた光山君の薄ら笑いがアップで映っている。コワイヨ。
「あー、ズームしてぇなぁ」
「まぁまぁ。それやるとバレちゃうかもしれないからさぁ。あとで別撮りってことで」
俺なんかコレだよ? と、ヒワダ先輩は滑車につながれた例の糸をくいくいとひっぱった。
とたんに肩やら腰やら肘やら太ももやら膝やら……とにかくあらゆるところが私の意思を無視してかくん、と動く。あっぶなぁ! 転んでドレス汚しちゃったらどうするのさ。
……えぇそうなんです。私、ドレス着てます。しかもウェディングドレスもどきです。どうしてこうなった。
いや、物語上「ウェディングドレスを着た幽霊」なわけだし、あとは、糸を固定する都合上色々装飾されてて丈が長い方が都合がいいって理由なんだけどね?
幅広のリボンとドレープで一見優雅に見えるように誤魔化されてはいるけれど、この中身はとても人様にお見せできるような状態ではありません。糸を固定するためのベルトだらけで、もう、何がなんだか。『made by KZR』(KZRってやっぱアレだよね、九頭竜、だよね)なだけあって、無駄にSFちっくとゆーか? こういうのは背が高くてスラっとした体型のおねーさんにこそ似合うと思うんだ!
上で糸を支えるのはもちろんヒワダ先輩だけというわけではなくて、隠れていたサークルメンバーの男性陣が3名ほど付いてくれてはいるのだけれど……不安だ。昨日も散々吊り上げられて、練習して、打ち合わせもしたけれど不安なものは不安なのだ。
モニターの向こうでは監督がコガネ先輩を抱きしめて窓際に避難している。それを光山君がことさらゆっくりした動きで、何やら言いながら追い詰めてゆく。
台本によれば、この時の彼は既に悠之輔さんに意識を乗っ取られ、過去の皆殺し事件の再現をしているのだ。
「じゃー、そろそろだし、いこか」
佐々木さんが私の手を引いて、ベランダに設置された階段を上がる。手すりと同じ高さまで上がると、なんだか眩暈がした。ここは4階。今から降ろされるのは3階ベランダの手すり。少し3階のほうが張り出した構造なので、「計算上」丁度よく着地できるようになっているらしい、けど。
「う、うん……。私、大丈夫かな」
「だ~いじょうぶ! 盛沢さんならいけるって! 目指せ、明日の大女優!」
佐々木さんは私の不安を「ちゃんと演技できるかしら」の意味に取ったようだ。確かにそっちも不安っちゃ不安なんだけどね。特にラストのシーン。はたして私はうまく……。
「はい、時間ですよ~ぅ」
未だ覚悟が定まらない私に、ヘッドフォンであちらの会話を聴いていたツグ先輩が無情にも時間切れを告げた。ヒワダ先輩達「ぶら下げ係」は配置について、はっちゃん先輩が私に手をふる。
やるしかないらしい。ええい、女は度胸!
足をそっと手すりからずらして、リード用の糸に導かれるまま、私は下の階のベランダへと降り立った。一瞬バランス崩しそうになったけど根性で無表情を貫く。ここで「おっとっと」なんて言っちゃったりしたら全て台無しだもんね。
「いやああああああ! あなた、死んだはずじゃっ」
暗闇の中、白いドレスを翻して降りてきた私の姿に、コガネ先輩が再び悲鳴をあげる。
私は祈るような形に手を組んで、悲しそうに微笑んだ。
『もうやめてくださいませ、悠之輔さま』
室内に設置されたスピーカーから、私ではない誰かの声が光山君に語りかける。
四方八方からタイミングをずらして聞こえるそのか細い声は、この世のものではない感満載だった。仕掛けを知らなかったら私だって怯えるような出来だった。すごいな、ツグ先輩!
『わたくしたちの恋の終わりが悲劇だったからといって、未来あるお二人の恋を壊してはいけません』
「珠緒、今までどこにいたんだい? 父上に閉じ込められていた? 可哀想に。大丈夫、私達の邪魔をするものは全て消してしまうからね」
『いいえ、そんなことをしてはいけませんわ』
何もせず立ってればいいという指示だったけれど、私はこの「いいえ」に合わせて首を振ってみた。だってほら、ヒマだし。アドリブ?
「あと二人。二人で終わりなんだ。珠緒、もう少し待っていて」
幽霊と狂人の会話はまるでかみ合わない。なんと不毛な。そんな状態にジレたように、光山君は再び私から監督達へ視線を移した。
「や、やめろっ! せめて、せめてコガネだけは見逃してやってくれっ!」
「な、何言ってるのよソウ! あなたがいなくなったら私、わたしっ!」
なるほど、釣り橋効果なんだか、もともとツンデレだったのかは知らんがコガネ先輩がちゃんとデレてる! セリフもほぼ台本通りだよ、すごいよ。
「コガネ! 私が合図したらドアに向かって走るんだ。いいね?」
「バカな事言わないでっ! あなた、私と結婚して『金持想』になるんでしょ! だったら私を残して死のうとしないでよぉ!」
おぉっと、言ったぁ! とうとう取り返しのつかない事言っちゃったよ。泣きじゃくってしがみついてるコガネ先輩からは見えないかもしれないけど、その人今「やってやった」みたいな顔でニヤニヤしてるから。あーぁ、ご愁傷様。
『悠之輔さま、そんな事をなさらなくても、わたくしたちはもうずっと一緒ですわ』
「珠緒……?」
『さぁ、悠之輔さま』
私が招くように手を広げると、光山君がナイフをぽとりと落としてこちらへ近付いて来た。そしてふらりと手すりによじ登る。
彼には糸なんてついてないはずだけど、ほんとに大丈夫なんだろーか。
「ソウ、いくわよっ」
絶好のチャンスとばかりにコガネ先輩が監督の手を引いてドアへ走り寄る。そして、ドアノブに手をかけた。そこに転がってたはずの阿刀先輩が消えているという不審さにも気付かずに。
コガネ先輩がガチャリとドアノブをまわした瞬間……。
「「「「「「婚約おめでと~~~~!」」」」」」
シャンパンが抜かれる音、響くクラッカー、舞い散る花びら、紙ふぶき、テープ。内開きのドアに思いっきり頭をごっつんこしてひっくり返るコガネ先輩。そして。
「あーっ!」
真上の部屋で大きな叫び声と共にがっちゃ~ん、と音がして、私を支えていた糸の緊張が緩んだ。
私は微笑んだまま後ろに倒れ、ベランダから落ちる。
「盛沢さんっ」
光山君が目を見開いて私に向かって手を伸ばしたけれど、私はそれに掴まることなく宙に身を投げ出した。そのまま彼は、迷わず私を追って飛び降りる。
…………うん。
空中で私を抱き寄せて、自分が下になるようにしようとしたみたいだけど私の背中に手を触れた途端、彼は「それ」に気付いた。
「……よかった」
彼はほっと息を吐き出して、私から離れる。なぜなら私はまだ、ちゃんとぶら下げられたままだったから。このまま彼の体重が掛かると、かえって負担になるのだ。
ばふぅっ、と音がして、光山君が地面に敷かれていたマットレス(当然これも『made by KZR』で、多分中身は例の緩衝材だろうよ)に沈む。私は軟着陸よろしく倒れた彼のすぐそばに降ろされた。
4階を見上げれば、佐々木さんとツグ先輩、はっちゃん先輩が笑いながら手を振っている。彼女達はこのまま、3階の婚約パーティーに移動するはずだ。
……コガネ先輩がブチ切れてパーティーどころじゃなさそうな気がするけどな!
光山君はマットレスに寝そべったまま、私を見上げている。
珍しく疲れきったような顔だけど、そんなにショックだったんだろうか。しかしこんな弱りきった彼を見るのは初めてだ。せっかくだからしゃがんで覗き込んでやりたいんだけど、いかんせん、身体中に巻かれたベルトのせいで動きに制限があってなぁ。残念だけど、下手にしゃがもうとしたらそのままコケる。絶対。
「心臓が止まるかと思った……」
やがてポツリともらされた言葉を、私は鼻で笑ってやった。
「そりゃよかった」
私なんか去年の図書館の一件以来、何度心臓止めそうになったことか!
「佐々木さんのアイデアかな?」
「そう。あんな悪趣味な試験したんだから、やりかえす権利はあるでしょ?」
昨夜の練習で、私が吊り下げられるのにだいぶ慣れた頃、彼女が思いついてしまったのだ。
私が不慮の事故で落ちたとなれば、光山君がどんな反応をするのか見てやろう、と。その反応次第では許してあげて、というのが主旨だったんだけど、まぁこれは言わないでいいよね。
「本当に、ごめん。でも……」
光山君が上体を起こす。途端にぐらっと揺れて、私はコテンとすっころんだ。おおぅ、ちっとも痛くない。しかし起き上がりにくい。沈みすぎ!
じたばたともがく私の腕を光山君が引っ張りあげる。そのままぎゅーっと抱きしめられた。うひいいいいいいい!(じたばたじたばた)
「オレ、自分が思ってたよりキミのこと大事みたいだから……だからもう、あんなのはやめてくれる? 殴られたほうがずっとマシだ」
「は、はな、はなっ」
放して。
「キミが思い描いてるような王子様にはなれないけど、努力するから」
反省するから、だから嫌わないで、と弱弱しい声が耳元で聞こえてきて、私はぱたりと身体の力を抜いてしまった。
くそぅ、反則だ。こういう殊勝な態度を見せられると突き放せないのって、ちょっと問題だよね。いつか直そう。
「……私が一番大事、じゃないんだ」
「大事なものは他にもあるから、キミだけが大事だなんて言えない」
「知ってる」
「でも、キミが好きだよ」
「めんどくさいひと」
ごめんね、と光山君は笑った。
幸い、私の予想通りコガネ先輩がブチ切れて大騒ぎになったおかげで、私達のこの、こっぱずかしい姿は誰にも見られることはなかったのだが……。
私は夏休みいっぱい、その記憶に悶え苦しんだのである。