八月の脇役 その二十一
「なぁなぁ盛沢さんって、高いとこ平気?」
「高いとこ?」
昼食を抜いて、あげくに寝起き、っていうか寝てるところをいきなりコルセットで締め上げられたものだから、食欲なんか沸きそうにないなぁ、もったいないなぁと心配していたのだけれど、綺麗に盛り付けられたサラダを一口食べたらそんな気持ちは吹き飛んだ。
だってドレッシングが好みだったんだもん! 酸味が利いてて、すごく食欲をそそる。
というわけで、現在エスカルゴをもぐもぐしています。とってもおいしいです。
ヒワダ先輩は、エスカルゴ=カタツムリだと聞いた途端に青ざめてパスしちゃったけど、食わず嫌いはもったいないと思うな! こういう味付けって絶対お酒にも合うのに。
残念ながら私はまだお酒飲めないんだけど、せっかく飲める年齢のヒワダ先輩がこのおいしさを知らないなんて、もったいない。
そもそも私は「お酒のおつまみによさそうな食べ物」が好きだ。どうしてかっていうと、子供の頃祖父に連れられて参加するパーティーや宴会の席で随分ご相伴に預かったから。いやぁ、齢3歳にして芸者さん遊び(この場合、芸者さんに遊んでもらう事)も覚えたからね、おかげで!
ああいう席でちっちゃな子供はたいそうちやほやされる。祖父だけでなく色んなおじさま達から餌付けのようにお酒のおつまみを口に放り込まれ続けた結果、味覚がおつまみ系に特化して育ってしまったとゆー……。
ある意味、これもまたヒロインから遠のく要因の一つだったのではなかろうか。まぁいいけど。
で、ええと、なんだっけ。高いとこ? 多分平気だけど、何でそんな事聞くんだろ。こりゃ、何か裏があるに違いない。
私は時間稼ぎのために、もう一個エスカルゴを口に放り込んだ。いいよねぇ、この独特のぐにぐにっとした食感とニンニクとバターの香り。これが食べられないなんて人生損してると思うんだけどなぁ。(もぐもぐもぐ)
佐々木さんはそわそわと、何かを期待するような、心配するような目で私を見つめている。
ヒワダ先輩の分までエスカルゴを食べるゴトウ先輩は、この件については無関心のようだ。むむぅ、映像こだわり派の彼がこんなにどうでもよさそうってことは、撮影関係じゃないのかな? 一体なんなんだろう。
高い場所が苦手か否かといえば、まぁ、大丈夫な方だ。さっき連行された時だって、窓から下を見て、ちゃっかり「捕われのお姫様気分~」なんて現実逃避できたくらいなんだから。
しかし、ここはやはり慎重に答えておかないとなぁ。
なにせこの世の中には人をドラム缶に詰め込んで上空に飛ばすような連中だっているんだから、迂闊に「へーき」なんて安請け合いなんかしてはいけないのだ。何させられるかわかったもんじゃないもん。ボタン押し間違えたら自爆するロボとか、ほんと物騒極まりないよ、二度と乗るもんか!
だから私は、用心深く答えた。
「まぁ、安全が保証されてれば、大丈夫かな」
「するする。絶対保証するから!」
佐々木さんは見るからにほっとした様子で頷く。
え、なにそのかる~い答え。かえって不安になるんだけど! いやほら、除菌スプレーの効果だって100%って言われるより98%って言われた方が真実味が増すじゃん? アレと同じで「絶対」って言われるとかえって胡散臭く感じるっていうかね?
「え、ええと、いったい高いところで何を……」
「うん。台本の終わりのすご~く大事なシーンで、盛沢さんには高いとこから登場してもらう予定だったんよ。あぁ、よかったぁ」
ただでさえコガネ先輩のせいで大急ぎで書き換えしているものだから、私の登場シーンまで変更するのは避けたかったのだそうだ。あぁ、そうか。まぁ、そういう理由なら、うん。……うん。(やっぱり不安)
「桃のポタージュでございます」
そこに絶妙のタイミングで冷たいスープが運ばれてきて、この話題は打ち切りとなった。
舌平目のムニエル、レモンのシャーベット、鴨のコンフィ(鴨だいすき!)をお腹に詰め込んで、デザートはさすがに無理そう、と言ったのに「一口だけでも!」と押し切られ、夏蜜柑のムースとチーズケーキを根性で完食!
本日も大変結構なお食事でございました。
お昼寝しちゃったし、あんまりお腹いっぱい過ぎて眠れそうもないなぁ。どうせこういうお屋敷の事だ、書斎もあるだろうし、本でも借りようかな。でもはたして、私好みの本は見つかるかなぁ。
なーんて心配は無用だった。なぜなら私の予定は佐々木さんによって既に決められていたから!
「じゃ、盛沢さん。リハーサルな!」
「え、今から?」
「うん。明日の本番もこのくらいの時間やし」
「こちらが台本でございます」
執事さんがどこからともなく『ねじくれ館の亡霊:パターンA』と書いてある台本を取り出して、私に押し付けた。
えええぇ、ほんとに今から~? そんな、突然台本渡されても困るよ。うぅ、セリフ覚えられるかなぁ。
「盛沢さんにはセリフがないから安心してな」
「あ、そうなんだ?」
そりゃよかった。ラブストーリーの締めなんて、きっと甘ったるいだろうから下手すると笑っちゃうと思うんだよ。セリフなしでいいなら、それに越した事はない。
とりあえず最後のシーンというからには最後なんだろう、と一番おしまいのページからぺらぺらとめくる。んーと、このへんからかな?
えーっと、光山君演じるところの真犯人が阿刀先輩を監督とコガネ先輩の目の前で刺殺するのね。返り血を浴びて、血まみれのナイフを持ったまま二人ににっこり微笑む、か。……うわぁ、光山君がやったら怖そ~。あのお綺麗な顔に血糊つけて微笑まれた日にゃ、私なら気絶するね。ってゆーか、気絶するのが一番楽だと思う。
そこで監督がコガネ先輩をかばって逃がそうとする、けれどもドア付近で阿刀先輩が倒れているのでコガネ先輩はビビって逃げられない「予定」と。まぁ、あの混乱っぷりから、腰が抜けて立てなくなりそうだし、これはうまく行くだろうなぁ。コガネ先輩がそれでも根性で逃走を図ろうとした場合、虫の息状態の阿刀先輩が彼女の足首を掴んで文字通り足をひっぱり、光山君が廻りこむのか。
いやいや、そこまでせんでも。監督見捨てて逃げるようだったら、もうプロポーズなんてあきらめたほうがいいんじゃん? どう考えても絶望的じゃないか。
でもこれは佐々木さんの台本なんだから、私が口を出す事じゃないよね。彼女としてはなんとしてもあの二人をくっつけるつもりなんだろうし、その為には多少強引な手段も辞さないって事なんだろう、きっと。
ふむふむ、光山君を説得するために監督ったらこんな事言うんだ……。は、はずかしー。なにこの「君も本当はわかっているはずだ。真実の愛とは奪う事ではなく与える事だと」って。どっかで使われていそうなセリフだけど大丈夫か? 版権とかに引っ掛かったりしないか?
しっかし、監督が真実の愛とやらについて語るシーンだけで結構あるなぁ。コガネ先輩がこんなんで感動するのかなぁ。そして一体いつになったら私の出番になるんだ? と思ってたらやっと見つけた。「令嬢の亡霊、バルコニーに着地」のト書き。
バルコニーに着地。ばるこにーに。
……着地ってなんだああああああああ!
「着地って、どこからっ?」
「あ、そうそう。それのこと」
佐々木さんはまったく悪びれずに頷いた。
「一階上のベランダから、盛沢さんを吊るしてその部屋のバルコニーに降りてもらおうと思って仕掛け作ってもらったん」
「つ、吊るすって」
「大丈夫、計算上200キロまで支えられるって言ってたし!」
おい、まて。
「計算上?」
「うん。あ、時間の都合で実験はしてないらしいんやけど、信頼できる人の設計だから! その人、アメリカで三つも学位とっててん! 『日本の頭脳』って言われてるすごい人だから、絶対大丈夫!」
三つの学位。『計算上』という言葉。あ、アレ、おかしいな。デ・ジャ・ヴュ? なんか先月あたりに聞かされたような。
「その人が開発した特殊な糸で、盛沢さんは空を飛ぶんよ!」
そう言って彼女が取り出した巨大な糸巻きには、大きく『made by KZR』のタグが付いていた。
……やばい、全然安心できない。