八月の脇役 その十二
「バカバカしい!」
助監督がもう一度、いかにも嘆かわしいという風に繰り返した。お蔭で私の頭の中で響いていた鐘の幻聴も治まる。
危ない危ない、雰囲気に飲まれるところだった。まだこれが本物のホラーだって確定したわけじゃないんだから、しっかりしなきゃ。
「あなたのような方がそんな迷信のような話を真に受けて、理性的に考えられなくなっているとは。いいですか、振り子がなくても鐘の音を鳴らす方法などいくらでもあるんですよ。スピーカーで流したのかもしれないし……」
そうして彼は執事さんの手からあの写真を取り上げ、忌々しげにその中の珠緒さんを指で弾いた。ひぃ、なんとゆー怖いもの知らず。今の話が本当だったら、次の犠牲者になりかねない行動だよ、こわいなぁ。
アレだね、この人の役回りは「みんなで一緒にいよう」という提案に「殺人犯と一緒の部屋になどいられるか!」とか言って単独行動を取った挙句に……というポジションだね。そうに違いない。
「とにかく、俺にはそんな怪談じみた話は信じられない。どこかに共犯者が潜んでいるはずだ。しかし暗い中で闇雲に探し回っても仕方ないな。……明日、明るくなったら人手を寄越してもらえますか?」
あ、でもさすがに「今から手分けして捜索だ~」とまでは言わないのね。良かった……。
いや、メイドさんのこと、もちろん心配だよ? 心配なんだけど、二次、三次被害が出ちゃ意味がないからね。ってゆーかほら、まだこれが壮大な悪ふざけっていう可能性だって残ってるんだし?(と、思いたい)
執事さんは、まだ何か言いたりないのを飲み込むようにして「はい」と答えた。
「それで、申し訳ないのですが明日の朝、私は一度本土に戻らせていただきたく存じます。お嬢様を病院にお連れしなくては」
「あぁ、それはもちろん。むしろ、今からでも構いませんよ?」
「いえ、本日は海も空もコンディションがよくないようなので……。明日の朝一番に、ヘリでお連れしようと」
「なるほど。では、もし席に余裕があるならパティシエも連れて行ってあげてください。やはり妊婦さんにこの状況は……」
「お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
他者の意見などま~ったく聞かずに、明日の予定について執事さんと助監督が話をまとめてゆく。ヘリに乗れる人数は何人だろうか。この際容疑者としてでもいいから私も連れ帰ってもらえないだろーか。
……ダメだろうなぁ、奥さん一人帰すわけにもいかないから旦那さん付き添う事になるだろうし。4人乗りのヘリならそれでちょうどだよなぁ。
助監督は一通りの打ち合わせに満足すると、コガネ先輩に、くれぐれも私から目を離さないようにと言い聞かせ、光山君を連れて部屋に引き上げていった。
去り際、光山君はちらりと視線をこちらに寄越し、優しく微笑むと口だけで「おやすみ」と言った。……だから、その態度はなんなんだよ!
きぃぃ、ともどかしさに地団太踏みたい気持ちで見送る。彼をとっ捕まえて吐かせれば全てが解決しそうなものなのに。例えこれがホラーだろうがミステリーだろうが、仕組まれたお芝居だろうが。
くそぅ、なんとか助監督から引き離さないと。は、まてよ? そこまでしなくてもメールで聞いてみるという手が……。
いいこと思いついた~、と少し気分が上向きになったのも束の間。何を察したのか、戻ってきた助監督が、コガネ先輩に「携帯は預かっておくように」と入れ知恵して去っていった。
なにあのひと、エスパー?
「大丈夫なのか、コガネ?」
「あぁもう、るっさいわね! へーきだって言ってるじゃないの!」
「でもコガネは本当は怖がりで泣き虫だから、やはり私がそばにいないと……」
「アンタは一体なんの夢みてんのよっ! バカじゃないの? いいかげんにしないと蹴り出すわよっ!」
部屋に引き上げて来てかれこれ30分、このような押し問答が続いている。きっかけは、怯えきっているコガネ先輩を私と二人きりにするのは忍びないので自分も部屋の中で寝ようか、と監督が言い出したことだ。確か。
で、私が「それはちょっとご遠慮いただきたいです」とお願いしたところ、監督が更にコガネ先輩を心配し始めたものだから、コガネ先輩の負けん気に火がついたのだと思われる。
ち、さっきまであんなにぷるぷるしていたのに。すっかり元気になっちゃったじゃないか。いや、まぁいいことなんだろうけどさぁ。(ぶつぶつ)
「夢なんかじゃない! あの時だって、コガネ、泣いてたじゃないか!」
「おだまりっ!」
コガネ先輩はとうとう真っ赤になって、本当に監督を廊下に蹴り出してしまった。
まぁこの建物は室内に限らず温度が快適に調整されているし、そもそもゴトウ先輩とヒワダ先輩も廊下で見張り役をしてくれてるわけだから、一人だけ可哀想、というわけではない。
一仕事終えて清々した、という笑顔で、コガネ先輩は「ふんっ」と鼻を鳴らした。調子が戻ったらしい。
「ふぅ。じゃ、私先にバスルーム使うから。あなたはソファで寝る準備をしておくといいわ」
「は?」
え、ちょっと待ってよ。百歩譲って(ここが私に割り当てられた部屋であり、コガネ先輩は押しかけて来たに過ぎない、という事情を鑑みれば相当な譲歩だ)、コガネ先輩が先にお風呂を使うことまでは、まぁ許そう。
でもソファで寝ろってどゆこと?
「私、腰が弱いの。ベッドじゃなきゃすぐ傷めちゃうでしょ?」
何当たり前のこと言ってんの、みたいな態度でそんな事言われても!
「え、だってこのベッド、ダブルですよ? 一緒に寝ればいいじゃないですか」
「私、繊細だから隣に人がいると安眠できないの」
おとなしくしてなさいよ、と言い残して、抜け目なく私の携帯を持ったまま(ちっ)バスルームに消えてゆく背中を呆然と見送った。
え、なにあの立ち直りの早さ。ってゆーかさ、仮にあの、執事さんのお話が本当だったとしたら、もうちょっと私のこと大事にしたほうがいいと思うんだけどな! あんまり邪険にしてるとお屋敷の意思とやらにお仕置きされちゃうぞ? ただでさえ、バスルームなんてのはホラー映画の定番の恐怖スポットで、スタイルのいいおねーさんが標的になりやすい場所なんだしさ。
……と忠告してやりたくなったけど、そんなことしたらまた怯えだして、やっぱり監督を部屋の中に入れるとか言い出しかねないからやめとこ。
我慢だ、我慢。明日にはきっと迎えが来るんだし、一晩だけの我慢よ、私!
翌朝。お屋敷の裏手にあるヘリポートに、私達は全員集まっていた。
ヘリはやっぱり4人乗りだった。操縦するのは執事さんで、意識の戻らない佐々木さんとパティシエが後部座席に、もう一つの席にはシェフが乗っている。
せめて朝食のお支度だけでも、と申し訳なさそうに言いつつも彼はほっとした様子だった。まぁ、気持ちはわかる。身重の奥さん一人にするのも心配だし、そうじゃなくてもこのお屋敷は「佐々木家の関係者」を排除するらしいからな。少なくともその可能性がある以上、長く留まりたい場所じゃなかろうて。
「朝食くらいは我々でなんとかしますから。気にしないでください」
助監督がそう言って、ドアを閉めた。
私達が離れると、プロペラが回りだして地面から吹き上げるような風が起こった。ひぃ、スカート、スカートがあああ!
必死で押さえたものの、とても間に合わない。とゆーわけで、私とコガネ先輩、そしてはっちゃん先輩はたまらず室内に避難した。飛び立つ様を見送る事はできなかったのは残念だけど、仕方ないさ。
幸い物騒な音などは聞こえてこないまま、他のみんなが部屋に戻ってきたので、次は「朝食どうするよ」という大変平和な話し合いに突入した。
「基本的な食材は揃ってるみたいですよ。ハムエッグとサラダなんてどうですか?」
いかにもプロらしい仕様の冷蔵庫を開けて、私が適当に食材を見繕って出してゆくのを、誰も手伝ってくれないのはどうしてだろう。嫌な予感がするよ?
「……お料理できるひと~?」
自分でもちっちゃく手を挙げながら試しに問いかけてみると、誰一人挙げようとしなかった。
って、ちょっとまて。昨夜は昨夜でソファで寝かされ(いや、快適だったけど! ソファの性能か、それともせっせとクッション積み上げたお蔭か熟睡しちゃったけど!)、今度は全員分の食事一人で用意しろってか?
「お手伝いならできますよぅ?」
ツグ先輩がにこ~っと笑って名乗り出たのをはっちゃん先輩が止める。
「ダメダメ、ツグ台所と相性悪いんだから。あ、私は食器くらいなら運ぶよ」
コガネ先輩、に期待しても無駄だな。胸張って「できるわけないでしょ」とか言いかねない。あ、そうだ!
「えっと、光山君? 包丁、使えたよね?」
去年、お好み焼きを作るときにキャベツ刻んでたの見たよ、と言うと、彼は「まぁね」と頷いた。……素直に名乗り出ろよ。