八月の脇役 その十
「では……」
執事さんはさっきまで助監督が立っていたところに進み出ると、私をまっすぐ見つめた。
そんな風に少し悲しげに眼を細められると、どんな顔したらいいのか困ります、やめてください。ちょっとどきどきします。
「佐々木家の執事には、いわゆるマニュアルとは別に、代々申し送られている事項がございます。……全て、このお屋敷に関するものです」
特別な申し送り事項が必要な屋敷に客を招待するってのはどうなんだ、と突っ込みたいけど、雰囲気がシリアスっぽいので我慢だ。私は空気を読める子!
「あの写真……。その存在については聞かされておりましたが、私も見るのは初めてでございます。あれはとうの昔に失われたはずであり、そうでなくてはならなかった。けれども再び私の代で出てきたということは、私には語る義務がある、という事なのかもしれません」
彼はここで言葉を切って、一旦下に視線を落とし、深呼吸をした。そして顔を上げた時には、先ほどの悲しげな眼ではなく、いつもの表情の読めない彼の顔に戻っていた。
「この島は、もともとは佐々木家の所有ではありませんでした。家名は伏せさせていただきますが、ある名家が佐々木家に譲渡したのです。その家は、後に没落してしまいましたが……」
それは明治の初め頃の事。
明治維新のごたごたに紛れて身を起こした一人の男がいた。西南戦争やらなにやらの陰で武器商人としてのし上がり、一代で巨万の富を築いたという。
さて、男には双子の息子がいた。彼は思った。この二人に自分の寵を競わせることで、我が家はますます発展するのではないか? と。
「彼の目論見は当たりました。兄弟は自分の方がより優秀であることを示そうと、父親のために随分励んだようです。お蔭で事業は拡大し、いわゆる『財閥』と言われるまでに成長したのです」
やり手っちゃぁやり手なのかもしれないけど、お父さんひどいと思うよ? 親が自ら兄弟間に火種を投げ込むような事、しちゃいけないと思うんだ。まぁ武器商人ってのは火種を売るのも商売のうちってことなのかもしれないが。
いがみ合いながらも父親を挟むことでなんとか表面的には取り繕っていた兄弟。しかし父親が心臓の発作で急逝したことで、関係は一気に悪化した。
というのも、島の北半分を弟に譲る、との遺言状が発見されたためである。すべての遺産は長子相続が当然の世であったにもかかわらず、なんでまた、しかも島の北半分だけなんて半端な事を。
で、長男としては「なんで仲がいいわけでもない弟とこの小さな島を分け合わなきゃいけないんだ。せめて同じ価値の、別なものに変えろ」と主張し、二男は意地になって「どうしてもここがいい」と言い張り……。
結果、本来であれば保養地というか、つまり別荘地程度のこの島に、それぞれが住み着くことになったらしい。「相手が自分の留守中に入り込んで来ないように見張る」という名目で。なんとまぁ大人げない。仕事にも不便だったろうになぁ。
そんな仲の悪い兄弟は生涯仲直りすることはなくて、更にそれぞれの子供が屋敷を相続した後も、両家はいがみ合ったままだった。
以降、両家とも意地になったのか館の増改築合戦が始まった。こちらが教会を建てればあちらも。あちらが茶室をつくればこちらも、というように。
……ケタはずれのお金持ちって、わからんにゃ~。まぁ、なるほど、それでこんなちぐはぐでねじくれた建物ができあがっちゃったわけね。
「時は流れ、大正半ばの事でございます。奇しくも同年同月同日に、それぞれの家にお子様が誕生なさいました。両家とも、この時も競い合って殊更豪華にお祝いをなさったそうです。お祝いの品で船が転覆しかけた、という逸話も残っているほどです」
お祝いの席の余興として、長男筋の家では遠方から高名な占い師を招いて、子供の名前をつけてもらうことにした。無論、そんな話を聞いて二男筋とて黙っているはずもなく、やはり当世一番ともてはやされる占い師を見つけてきて子供に名前をつけてもらった。
「長男筋のお嬢様は珠緒様、二男筋のご子息は悠之輔様、とそれぞれ名付けられました。ところが、占い師達は名前とともに奇妙な予言を残していったのです。珠緒様には『この子の代でこの家は終わるだろう』。悠之輔様には『恋のために身を滅ぼすだろう』と。ご当主達は所詮占いではないかと笑い飛ばし、努めて気にしないことになさったそうです」
ところがこの二人、なんのいたずらか出会って、ふかぁく思い合う仲となった。
「お二人は、両家の仲が今のままでは決して結ばれることはないとも理解しておいででした。ですから懸命に双方のお父上を説得なさったそうです。しかし……」
おそらくその時、父親達の頭には占い師の残した言葉が過ったに違いない。頑なに二人を引き裂こうとして、全く別の相手との縁談話を持ってくる始末。
とうとう嫌がる珠緒さんの縁談を無理やりまとめて、祝言の日取りまで決めてしまった。そこで、思い余った悠之輔さんが珠緒さんの家に乗り込んできて……。
「あ、その先はもういいわ! 佐々木さんから聞かされたし」
コガネ先輩が顔を青ざめさせて、話を遮った。
「さようでございますか?」
なぜか若干残念そうな執事さん。そんなに話したかったのか、あんな血生臭そうな話。つまりあれでしょ、屋敷の者を巻き込んでの無理心中的な、残念な結果に終わったんでしょ? まったく、物騒な事だ。
「そこでだ。盛沢君。君はその一族の血を引いていて、佐々木君の家を逆恨みしているのではないかと、オレは推測したんだが……どうかな?」
「えええっ?」
え、そこ? 今の話聞かされた結果、行きついた結論がそこなの?
「譲渡されたと言えば聞こえはいいが、要は借金の形に取り上げられたということだ。君達の一族が恨みに思うのも、まぁ理解はできる。しかし、それが世間の道理というものなんだ」
「え、ええっ?」
なにその決めつけ! 完全に私がその、何とかという武器商人の子孫だと断定して話すのやめてよ。うちの一族はそんな、戦争を食い物にするようなふと~い神経は持ち合わせていませんよっ!
「キノエさんがまだ無事なら、早く解放したまえ。今なら傷害罪と監禁罪ですませられるかもしれないぞ?」
あるいは佐々木家の温情で、なかったことにしてもらえるかもしれない、と本格的に説得に入ろうとする助監督。
見事な飴と鞭作戦だ。うっかり自白しちゃいそうになるじゃぁないか。……私が犯人ならな!
「……阿刀様、どうか笑わずに聞いてください」
いい加減にしてよ~、誰か助けてよ~、と途方に暮れて黙っていると(だってこういう人を前にすると言葉が出てこないんだもん)、静かに押し殺したような声で、執事さんが助監督(阿刀さんってゆーんだ?)を止めてくれた。
「この仕事を長くしておりますと、わかるのです。『屋敷』にも、心がある、と」
執事さんは、先ほどまでの語りの滑らかさが嘘のように、やや歯切れ悪く言葉を続ける。
「佐々木家はいくつも屋敷を所有しています。いずれも、『主人』、つまり佐々木家の皆様が訪れると、喜ぶのです。……なんとも説明しがたいのですが、まるで花が綻ぶように、生き生きと輝きだすのです」
あれかな、人の住まない家は荒れる、の反対みたいな?
「盛沢様がこの屋敷に足を踏み入れた瞬間、私は確かにこの屋敷が息を吹き返すのを感じました。今まで、どこかよそよそしかったこの屋敷が、喜んだのです」
……そんなに大歓迎されていたとは気付かなんだ。ごめんね、「変な建物~。悪趣味~」とか思ったりして。
「実は、この屋敷にはもう一つ、佐々木家の皆様も正確にはご存じでない、秘密があるのです」
私の手から写真を抜き取って、再び悲しそうに微笑んだ執事さんに、「これ以上知りたくないからやめてください」とは言えなかった。