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8.

 珍しく、チョコルは長居した。


「なあ、ルコラは会議だろう? お前はいかなくていいのか」


「チョコルのことならお気遣いなくう。後でルコラから、要点だけ聞いておくのでえ」


「そりゃ、ご苦労なこった」

 

「でしょお」


 まあ、待ち伏せの間の暇つぶしにはなったので、一概には悪い時間だとは言いきれいないが。


 

 クラブ活動も終わり、ほぼ全員の生徒が下校した。

 

 俺は、誰もいなくなった教室の一番後ろの机の影に座り込み。越智が来るのを待っていた。


 いつ来るのかは分からない。


 ただ、チョコルが教室にいれば、必ず虫をつぶせる、とのたまったから、いるだけだ。


 


 その間やりとりのくだらなさったら、寿命の無駄遣い以外の何者でもない。


「チョコルはあ、オレンジジュースが飲みたいですう」


「天国に行って買ってこいよ」


「地上のオレンジジュースがいいのでえす。京介、自動販売機があるじゃないですか、あそこに」


 たしかに。あるのはある。だが。


「どうして俺が、チョコルの使いっ走りをする必要がある?」


 そういい終わるか、終わらないかのタイミングで、空が光り、すさまじい音と共に、夕暮れのに雲が立ち込めた。


「いいんですかあ? チョコルを悲しませると、雷が落ちて、地球がストップしちゃうかもしれませんよお? 」


 子供がいじけたように、目を潤ませてチョコルは、半ば脅迫じみた物言いをした。


「知るか。地球がストップしても、俺はお前の言うことは聞かない」


「チョコルのせいで雷が子供に落ちちゃって死んでもいいんですねえ? チョコルが人殺しになってもいいということですかあ?」


「人殺しどころか、お前は悪魔だろう」


 チョコルの目から、ぽろ、ぽろ、と涙がこぼれた。暗雲たちこめた空から、連続して雷が落ちる。

 

 どこまで本気か分からない。



「ありがとうですう。覚えておいてくださあい? チョコルが地上のオレンジジュースを飲んでいる間は、世界は穏やかな天気なのです」


 ご機嫌な笑顔を浮かべて、チョコルはペットボトルのオレンジジュースを、ちびちびと飲んでいる。


 さっきまでの雷が嘘のように、外は晴れ渡り、虹もかかっている。


「いいことを聞いたよ。これからはずっとジュースを飲んでいてくれると嬉しいんだけどな」


「それは京介? チョコルといるのがいやということですか?」


 チョコルが目を細めて、ふてくされかけた。その通りだ。


「いやいや、そのかわいい笑顔をずっと見ていたい、ってことだよ」


 チョコルは、頬を膨らませて、すこし俺から離れて、落ち込んだそぶりでしゃがみこみ、床の上の木目を指でなぞる。


「嘘です。チョコルに嘘は通じません。ルコラと違って、チョコルは嘘は分かるんですよお」


「嘘をついたわけじゃないよ。ただ冗談を言っただけだ」


「なーんだ。……って一緒のことですう」


 嘘を付けない、というのは意外と困るものだ。ましてや、チョコルみたいなのが相手なら。


 オレンジジュースを飲み終わると、またチョコルはチョコレートを食べ始めた。



 この悪魔は、自称では大悪魔らしいが、嘘を見破ることができるらしい。ルコラとは違って。


 じゃあ、ルコラはいったい何ができる。ルコラにできてチョコルにできないことはなんだ。


 ルコラに聞いてみようと思ったが、俺にも学習能力ぐらいある。


 チョコルがチョコレートを食べている間は、何を話しかけても無駄だ。



 誰もいなくなった学校は、すこし不気味だ。


 こうしてずっと、電気を消した教室の後ろの席の下に隠れていると、幽霊から逃げ回っているような錯覚に陥る。


「きたな」


 チョコルの返事はない。どうやらチョコレートを食べ終えて、腹がいっぱいになったのか、居眠りをしている。


 

 廊下の足音が、この教室の前でいったん、止まった。

 

 越智がドアを開けて、教室に入ってきた。


 俺は息を静める。が、チョコルのいびきが気になって仕方ない。


 俺がチョコルを起こそうと四苦八苦している中、越智は教壇に向かい、チョークを手に、綺麗に掃除された黒板に数式を書き始めた。


 しばらく俺はその動きを見ていた。というよりも呆気に取られていたというほうが正確かもしれない。


 授業では見せたことのない機敏な動きで、三色のチョークを使って、黒板を文字と図形で埋めていく。


 

 黒板が完全に数字と式で埋まると、越智は振り返った。

 

 その越智の瞳の色と、それから始まった授業を俺は忘れはしないだろう。

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