7.
目を開ける。
ホームから列車が出て行くところだ。
俺は、泣きわめきながら、走り寄って、手を伸ばす。
何もつかめなかった手を広げたまま、白い二両列車が遠くなっていくのを、見ている。
ふとした拍子に頭に浮かんでくるイメージ。
この映像と音は、妙に生々しくて、鉄がこすれあう甲高い音や、広げた手に当たる雪の冷たさ、頬を伝い落ちる涙の熱さ、そのた諸々が、やけに生々しく感じられる。
「なあ、チョコル。おやつの時間は終わったのか?」
気にすることはない。
いつかテレビで見た映像か、小さな頃の記憶が誇張されているか。
心理学者にでも聞いてみるか? 馬鹿馬鹿しい。
「チョコル?」
俺の呼びかけに反応しながらも、チョコルの様子がどこかおかしい。まとった布から、飛び出た尻尾も丸まっている。
「なんでもないよお、何か用う? あ、ハニーのお出ましい。チョコルいないことにして、キスでもすればあ?」
「誰がするか、ハニーじゃない、ハニーじゃ」
きょろきょろとあたりを見回していた明日香が俺を見つけた。目があった途端に、可愛くない仕草で怒りを表す。
これがハニー?
確かに。見てくれだけは悪くはないのだろうが、煮ても焼いても食えない金魚みたいな性格、竹を割ったような男じみた頭の中の構造からして、この俺には不釣合いだ。
「京介! 探してたんだけど。校内放送で、越智が呼び出してたよ」
「面倒くさい」
俺は屋上を後にしようとしたが、すれ違い様に明日香が、足をひっかけてきた。不意をつかれ、どうしようもない俺は、明日香の腕をつかみ、そのまま倒れてしまった。
俺の上に、明日香が乗っかる体勢になり、あまりの顔と顔の距離のなさに、沈黙と気まずさが流れる。
「青春~、京介~。そして大胆~」
「黙れ、この役立たずめが」
役立たず、という表現が気に障ったのだろう。
チョコルは頬を膨らまして、その小ささでどうして、そんな量が出てくるんだ、といいたくなるほどの量のチョコレートを、脇に抱えたボックスから豪雨にように投げつける。
その間に、何事もなかったように明日香は、スカートについた土ぼこりを払って立ち上がり、俺の太ももを蹴り上げた。
「痛いでしょ! こけるなら一人でこけてよ!」
どういう言い草だ。
「とりあえず、私は伝えたからね」
「わかったよ、行く行く」
俺は階段を下りて、体育館へ続く廊下を、ぶらぶらと歩き出した。その時、視界が真っ暗になり暗闇に電流が走る。
「京介? 職員室に行くんじゃなかったの。そっちは体育館よねえ?」
「遠回りしただけだよ、健康のために」
「なるほど、じゃあ、私もダイエットのために歩こうなか」
結局、明日香に監視される形で、職員室の前まで歩くはめになり、その間中、くすくすと、チョコルは笑うわで、最悪の昼休みになってしまった。
職員室のドアを開ける時は、心構えが必要だ。
あの独特の空気を吸うと、息苦しくなる。
「これを教室まで運んでいてほしいんだが、不思議。腰が痛くてな」
「わかりました、やっておきます」
越智は今日も肌につやというものがない。
明日香に手伝ってもらおうと思ったが、どこにもいない。いっつもだ。必要なときには、傍にいた試しがない。
頼まれた資料にうんざりしながら、階段を上る。
「チョコルにはバレバレですよお」
「俺は、明日香が、好きじゃないといってるだろう」
休み時間を謳歌する同級生の笑い声を聞きながら、頼まれものを運んでやるのは楽しい訳がない。ましてや、うざったい、このチョコルの相手をしながらじゃなおさらだ。
「誰も、伊ちゃんのこと言ってないですう」
墓穴を掘ってしまったか。
「あの、さっき屋上にいたしょうもない親父、腰が痛いって嘘ですよお」
「どういうことだ?」
「さあ? 自分で運ぶのが面倒くさいだけでしょお」
しょうもないオヤジ、俺とチョコルは声をそろえて舌打ちをした。
まあ、いい。
俺は教卓の上に、資料の山を乗せ、窓の外を見る。まだ高い冬の日は、景色の輪郭を鮮明にして、冷えた地面に降り注ぐ。
今日の夕日が沈むのと一緒に、あのしょうもない越智という人間は、心から壊れる。




