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雪華遼遠  作者: Shellie May
3/18

6月(1)

ずっと、名前を呼ばれている気がした。

優しい声…。

お父さん?

帰って来てくれたの?

でも、多分それは無理…いいんだ…わかってる。

ミサオ…ミサオ…。

甘く優しい囁き…くすぐったい様な、心地よい響き。

誰?誰なの?

………。



……頭が…ボーっとする。

何処だろう、此処は?

瞼が重い…。

視界に、霞が掛かった様に滲んで見える。

ホテルの一室みたいだけと…私の腕に、点滴やコードが繋がれ、頭の上には機械がある。

規則正しい音…この機械知ってる…病院?

起き上がろうとして、全身に鉛を溶かした様な重さと、身体のあちこちから起こる痛みに呻く。

何なの?一体、何があったの?

入口から誰かが入って来た気配がする。

白い服の…看護婦さん。

駆け寄って、手を握ってくれる。

「気付いたか?良かった…今、医者を呼ぶから。」

あ…男の人だ…。

私の頬に手を当てて…笑ってる?

顔がよく判らない。

ナースコールをしているんだろうか、声が聞こえる…優しい声…貴方は誰?

私は、再び微睡みの中に堕ちた。



私の名前は、神崎操。

私立聖麟学園1年生。

昼休みに、学校の階段から落ちたらしい。

左腕、肋骨2本の骨折、全身打撲、脳震盪…等々で、1ヶ月以上意識が戻らなかったと説明された時には、流石に驚いた。

病院側は、親と連絡が取れない事に驚いた様だったが、そこは理事長が上手く説明してくれたらしい。

私自身、父がどんな仕事をしているか、よく分からない。

ただ、個人よりも優先される仕事なんだと、理解する様になった。

母や祖母が亡くなった時も、父はなかなか帰って来なかったから。

といって、父との関係が悪い訳ではない。

週に一度は、必ずメールを送ってくれる。

例えそれが、一方通行のメールであっても。



「神崎さん、調子は如何ですか?」

「大丈夫です。少し頭痛はしますが…身体の痛みも、我慢出来ない程ではありません。」

「…やはり、聞いていた通りだな。」

そう言って、先生はため息をついた。どういう事?

「あのね、神崎さん。此処は病院なんだから、我慢する必要は無いんだよ。」

「あ…はい。先生、左腕の事なんですが、小指と薬指の感覚が無いんですが…。」

「貴女の場合、左腕は複雑骨折だったからね。神経もかなり損傷していたんだ。リハビリも始まったばかりだし、もう少し様子を見ましょう。」

「…神経が、戻らないという事も…あるんですか?」

「…残念ながら。」

「…そうですか…。」

「神崎さん?」

「あ…大丈夫です、先生。リハビリ頑張ります。」

「…そうですね。戻ると信じて、頑張っていきましょう。」

身体の血が、急に冷たくなった気がした。



どんよりと曇った空。遠くで雷の音がする。

今にも雨が落ちて来そうだ。

屋上のベンチに座り、私は雷の光る遠くの雲を見ていた。

覚悟は、していたつもりだった。

左手の小指と薬指が、利かない…それは、剣道をする者にとっては、致命傷だ。

人差し指と中指は、痺れていた。

しかし、小指と薬指の感覚は、全く無いのだ。

私は…生きる目標を見失った。

大袈裟かもしれない。

でも、家族とも離れて、寂しさを打ち払う為に、自分自身を強く生きていく為に、私が打ち込んで来た物は、剣道しか無かった。

高見に登る為に、精進だってしてきたつもりだ。

今更逆手に替えた所で、今以上の強さになるとは思えない。

あと一歩、あと一歩だったのに…!

とうとう、空から大粒の雨が落ちて来た。

雨脚が早くなり、髪を頬を、雨が伝う。

雨音が、私の声を殺してくれた。

「…神崎!」

突然、背後から呼ぶ声がする。

聖麟学園の制服…夏服になったんだ。

その人は、息を弾ませ此方を見ていたが、ゆっくりと近づくと、いきなり私の腕を思い切り掴んだ。

痛い、何?

「お前…。」

と彼の口から出るのと、

「あの…。」

と私の口から出るのは、同時だった。

黙ったのは、彼の方。

私は、再び口を開いた。

「あの…どちら様でしょう?」

瞬間、彼が腕を放した。

何だろう?

この人、私の事を知っている?

彼は、下を向いて動かない。

既に豪雨となった中、彼の長い髪が濡れて、雫が滴り落ちる。

「あの…。」


「…濡れると身体に障る。戻るぞ…。」

そう言うと、再び私の腕を取り、半ば強引に引っ張られる。

怒ってる?

何故だろう?

廊下を歩くびしょ濡れの2人を、人々が振り返った。

彼は、私を病室まで送り届けると、

「濡れたままでは、風邪をひく。着替えろよ…。」

そう言って、私を部屋に入れ扉を閉めた。

気遣ってくれたんだ…と思った瞬間、『ドンッ!』と外から扉を殴る音がした。

何っ!?

遠ざかる足音。

やっぱり怒ってる?

何なの!もうっ!

個室だとシャワーも付いていて、本当に快適。

こんなホテルみたいな部屋、一体一泊幾らするんだろう?

只でさえ、長期入院なのに。

請求書が怖い。それにしても、さっきの人。

明らかに、私に怒ってたと考えるべきだよね?

聖麟学園の制服着てたけど、会った覚えは無かった。

とはいえ、あれだけの男子生徒の数、覚えきれたものでは無い。

何故、あんなに怒っていたのだろう?

何か、失礼な事したのかな?

私は、自分の左手の事も忘れて、あれこれと考えていた。



退院が決まり、寮に戻った私を、寮生達は暖かく迎えてくれた。

「大変だったなぁ、寮官さん。」

「困った事があったら、いつでも言ってくれよ、寮官さん。」

皆そう、気遣ってくれる。

静かな病室と違い、此処には活気が溢れていた。

夕食の時間になっても、全く食欲が湧かない。

とりあえず、トレーにスープとヨーグルトだけを取り、席へ運ぼうとした。

しかし、左手に力が入らず、揺れてスープが零れる。

あぁ、こんな事すら出来ないのか…と思った瞬間、隣からスッとトレーを持つ手が伸びた。

「あ…大丈夫…。」

「大丈夫だと判断したなら、手は貸さない。」

そう言った人は、先日の屋上で会った彼だった。

寮生だったんだ…。

「席は?」

私は、被りを振った。

その人は、スタスタと窓際の席に自分のトレーと私のトレーを置いて座った。

「…ありがとうございます。」

そういう私を無視して、彼は黙々と食事を始めた。

…気まずい。

そう思いながら、スープを啜る。

その時、

「お待たせ。」

と言って、トレーに山の様に食事を乗せた生徒が、彼の隣に座った。

瞬間、席を立とうとした私に、

「立たなくていい。」

と言う、彼の声。

私は、渋々腰を下ろした。

「寮官さん、それしか食わないのか?俺の、分けてやろうか?」

後から来た人が空気を破ってくれたので、ホッとする。

「あまり、食欲無くて。」

「ちゃんと食わないと、身体治んねえぞ。」

この人も、私が入院したのを知ってるんだ。

「あの、私…。」

「知ってるよ、寮官さん。神崎操さんだろ?」

気持ち良い程ガツガツと食べながら、その人は言った。

「俺は、1年7組、赤井大和。宜しくな。」

「宜しくお願いします。同じ学年なんですか?年上かと思いました。」

「あぁ、上だよ。俺達は、特別。留年組だからな。」

そう言って、豪快に笑った。

「じゃあ、其方の方も?」

「其方の方って…お前、名前も名乗らず人助けしてたのか?」

「…うるせぇ。」

「済まないなぁ。こいつ、最近機嫌悪くて…こいつの名前は、鷹栖小次郎。1年9組だ。」

「…宜しくお願いします。」

「あ、俺の事は、大和って呼んでくれて構わない。」

「いえ、それは流石に…じゃあ、大和先輩で。」

「あぁ、いいぜ。で、こいつは、何て呼ぶ?」

「じゃあ…小次郎。」

「ぶっ!」

お茶を飲んでいた彼は、目を剥いて吹いた。

「そりゃあいい!俺は先輩で、お前は呼び捨て!」

大和先輩の豪快な笑い声が、食堂に響き、つられて私も笑った。

「嘘ですょ。鷹栖先輩。」

クスクスと笑いながら私は言った。

「…やっと、笑ったな…。」

「え?」

「そうそう、女の子は、笑顔が一番!」

そう言うと、大和先輩は私の頭をわしわしと撫でた。

「何か、お父さんみたい…。」

「おいおい、幾ら何でも、そりゃあ気付くぞ!」

そう言って、また笑った。

鷹栖先輩を見ると、静かに此方を見ていたが、私と視線が合うとプイと逸らす。

嫌われてるのかな…。

「私、そろそろ失礼します。」

「おぅ、そうか?じゃあ、また明日な!」

「はい、お休みなさい。」

そう言って立ち上がり、トレーを持とうとすると、鷹栖先輩の手がトレーを押さえる。

「いい…これは、俺が持っていく。」

「でも…。」

「何故、素直に聞けない!」

突然声を荒げられ、食堂の全員に注目されてしまい、いたたまれない。

「小次郎!」

「…済みません。」

そうお辞儀した時、不意に涙が溢れた。

マズい!

そのままバタバタと自室に戻って、鍵を閉めた。

そのままベッドに潜り込む。

何だか、無性にに悲しかった。



ここの所、嫌な事ばかりが続く。

最初は、気のせいだと思っていたのだが、誰かが部屋の中に入って居る様だった。

最近は、わざわざ入った痕跡を残す様になって来た。

寮長に相談して、鍵を増やしても一向に収まらない。

食欲は益々落ち、夜も寝れない日が続いた。

そんなある日の下校時、寮への道をふらふら帰る私に、いきなり後ろから袋を被せられ、羽交い締めにされた。

そのままズルズルと引きずらて、押し倒される。

相手は…多分2人。

暴れて抵抗する私に、馬乗りになり首を絞める。

もう1人は、足を押さえる。

意識が朦朧とする、息が苦しい…。

ブラウスに手が掛かり、ボタンが一気に引きちぎられた。

もう駄目!そう思った時、ワアワアいう声と共に、私を押さえる力がフッと消えた。

今だ!

私は、顔の袋をかなぐり捨て、周りも見ずに寮に向かって一目散に走った。

後ろから、誰かが追って来る気配がした。

慌てて自室に戻り、震える手で鍵を掛け、カーテンを閉める。

程なく、ドンドンと扉を叩く音。

「イヤーーッ!!」

もう、何も聞きたく無い!

しばらく叩かれていたドアは、その内ピタリと静かになった。



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