12月(2)
「君って子は、全く…。」
先生は、溜め息をついた。
「楓とは、面識があったよね?」
「…はい、夏に…。」
「もしかして、操ちゃんが言いたくないって言ってた事って、今日楓が叫んでたアレ?」
「…。」
「あれは、喜久子叔母の所で勝手に言っている話だよ。まぁ、今迄は、我が家も取り立てて何も言って来なかったが、親父も僕も、小次郎の好きにさせて良いと考えているよ。」
「…でも、ご両家にとって、最善なお話なのでしょう?」
「調べたのかい?…まぁ、合併話が無い訳では無いんだけど…。」
「それに…楓様は、先輩を深く愛していらっしゃいます。」
「…操ちゃん。決心してしまったのかい?」
「…。」
「言ったよね?操ちゃんが、崩壊してしまうかもしれない…。」
「私は、十分幸せでした。これから先も、その想いで生きていけます。それに…先輩も、もう限界なんです。」
「小次郎が?」
「私をいたわりながら、愛して下さいます。でも、それも限界に来ている…先輩の気持ちが離れたり、私に対して後悔されたりする方が、私には耐えられない…。」
「操ちゃん…。」
先生は、私の体を抱き寄せた。
その瞬間、
「操ちゃん、君やっぱり怪我してるね?」
「…。」
突然、先生の携帯が激しい音を立てる。
「こんな時に…。」
液晶画面には、病院の名前。
「病院から、呼び出しなんじゃ?」
「少し、気になる患者が居てね…。」
「私に構わず、行って下さい!」
「…いや、君も行こう、操ちゃん。病院の方が、治療もしやすい。」
「…。」
先生は、有無を言わせず私を車に乗せた。
「先生…。」
「何だい?」
「先輩の事、見守って下さい。」
「操ちゃん…。」
「自分勝手な我が儘で、先輩の事傷付ける、私を許して…。」
「…。」
車は病院に到着した。
先生は私の事を看護師さんに説明し、バタバタと患者の所へ駆けて行った。
人の居ない夜中の病院に、看護師さんと、私の足音が響く。
看護師さんの携帯電話が鳴る。
「あの…私、1人で行けますから…。」
携帯に対応していた看護師さんは、
「本当に、大丈夫ですか?」
「はい、1人で行けます。」
「申し訳ありません、其方を曲がった所ですので、宜しくお願いします。」
と言って、走り去った。
救急処置室に着いた私は、中で待たされていた。
軽い手術等も行われるみたいで、機材が所狭しと並んでいる。
何処かで事故でもあったのか、血まみれの男女が運ばれて着た。
女性は意識が有るらしく、男性に取り縋り絶叫を上げていた。
その姿、頭から血まみれの女性の姿に、楓様の姿を重ねる…頭から血まみれで絶叫する楓様…。
恐ろしくて我が身を抱いた私は、妙な違和感に襲われ、自分の手のひらを見た。
血……血まみれになった、私の手……私?…私が楓様を!?
私の思考は、停止してしまった。
**************
「済まない、小次郎…。」
自宅で待機していた俺は、兄貴の電話に色を無くした。
操が、姿を消した。
しかも、怪我をしていて治療もしないまま…。
「いいか、小次郎。落ち着いて聞けよ。彼女が処置室に居る時、かなり出血した患者が運び込まれて来た。その直後、姿が消えたそうだ。彼女は、血を見たんだ。小次郎…。」
俺は、下唇を噛んで聞いていた。
「…彼女の消えた後、処置室からメスが1本消えている…。心当たりを探せ、小次郎!俺も街の方を見てみる。」
「わかった…。」
「責めるなよ…彼女は、お前と俺達の為に、身を退く覚悟をしていたんだ。」
「どういう事だよっ!」
「知っていたんだ。合併の話を…。それに、お前が限界に来てるのも、彼女は知っていた。」
「!!」
「いいか、絶対に死なせるなよ!」
電話は、切れた。
どうしてお前が…お前ばかりが辛い思いをしなければいけない…いや、俺の弱さが招いた事だ。
「くそったれ!!」
部屋を飛び出そうとした俺は、操の荷物を蹴って中身をぶちまけた。
慌てて片付ける中に『先輩へ』と書いた桐箱を見付ける。
開けてみると、其処には、茄子紺の組み紐が入っていた。
「操…俺達は、やはり一緒に居る様に、運命づけられているんだ…。」
俺は、自分の付けている組み紐を解き、2本一緒に締め直し、部屋を飛び出た。
学校も寮も、完全閉鎖で入れない筈だ。
楠田に電話を掛け、事情を説明する。
しかし、楠田の家にも彼女は居なかった。
「小次郎様、ごめんなさい。操ちゃんが、今日私の家に来る予定って、嘘なんです。」
「えっ?」
「操ちゃんに頼まれて…。」
「あいつ、正月の間、どう過ごすつもりだったんだ…。」
「不動産屋巡りをすると、言っていました。操ちゃん、寮を出るおつもりでしたから。」
「寮を出るって?」
「小次郎様の様子次第では、学校も転校するおつもりでしたの。」
「…。」
「誤解しないで下さいね。小次郎様。操ちゃんは、私にはっきりと『先輩の事、愛してる』って、おっしゃったんですのよ!」
「え…。」
「操ちゃんは、きっと小次郎様との思い出の場所にいらっしゃいますわ!探して差し上げて下さい!」
「あぁ。ありがとう、楠田。」
電話は、切れた。
思い出の場所…。
彼女との生活は、殆どが学内だ。
行ってみるか…。
俺は、学校に向かった。
しかし、校門も裏門も、きっちり施錠されている。
この間、行った店、歩道橋、インターネットカフェ…何処を回っても操は居ない。
大体、操の荷物は俺の家に有る。
彼女は、財布どころか、コートすらこの寒空に着ていないのだ。
操が姿を消してから、もう直ぐ3時間。
焦りが募る。
「操…お前、何処に居るんだ?」
俺と初めて会ったのは、学校の寮。
いや、操は気付いて無かった…お袋生き写しの操を見て、俺は心臓を鷲掴みにされた。
操の自覚があるのは、階段での事故だろう。
たまたま真後ろを歩いていた俺を庇って、階段の手すりを墜ちていった操。
俺は、お袋もお袋に似た操も、俺の身代わりに死んでしまうのかと、正直足がすくんだ。
酷い怪我と状況にもかかわらず、『大丈夫です』と乗り越えようとする操に、逞しさと寂しさを見たんだ。
こうやって1人で何でも耐えて生きてきたんだと、差し伸ばされる手はあったのだろうかと…。
兄貴を呼んで病院に運ぶ前に、苦しい息の下、操は名前を教えてくれた。
あれから1ヶ月半、俺は操の名前を呼び続けた。
最初、意識が無いのに涙を流し続けた。
時折、父親を呼んでいた。
それがいつのまにか、名前を呼ばれる毎に優しい表情を見せる様になった。
俺は…眠り姫に恋をした。
操の腕のマッサージをし、名を呼び掛け、やっと目が覚めた時、操はもう俺の物だと勘違いしてたんだ。
兄貴から、左腕の状況を説明されたと聞いた時、俺は心配になって病院中走り回って探した。
雨の降る屋上のベンチで、操は1人声を上げて泣いていた。
俺は、自分が一緒にいるから安心しろと、あの時言いたかったんだ。
だが、操から出た言葉は、『どちら様ですか?』だった。
俺は、すっかり意気消沈して…。
「!」
もしかして、いや間違い無い!
俺は、兄貴に電話した。
「兄貴、今何処だ。」
「新宿駅だ。」
「多分、操は病院に居るんだ!」
「どういう事だ?」
「操は、俺と初めて会ったのは、病院の屋上だと思っている。」
「?」
「忘れたのか?操の記憶は、階段の事故で一度リセットされているんだよ!」
病院に走る俺の頭上から、フワフワと白い雪が舞って来た。
操!!間に合ってくれ!
病院のロビーに入った途端、
「小次郎!」
兄貴が、後ろから走って来た。
「雪が酷くなって来たぞ!」
「…居るはずなんだ…。」
俺達の顔に焦りが見えた。
もし、これで見つからなければ、この寒さだけでもタイムオーバーだろう。
操は、怪我をしている。
その上、自傷行為を起こしていたら…。
屋上の扉を開け、一目散にベンチに向かう。
夜景をシルエットに、浮かび上がる人影。
「操!!」
「操ちゃん!!」
ワイン色のアンサンブルの上には、雪が積もっていた。
「操!」
ベンチの雪の左側は、其処だけ深紅の薔薇を散らした様だ。
その動かぬ身体に、俺の足はすくんだ。
自分の身体が、雪と同じ温度まで下がってゆく…。
兄貴は、すかさず脈と瞳孔を調べると、左腕をネクタイで縛った。
「ストレッチャーを持って来る!呼び続けろっ!小次郎!」
ハッと我に返り、
「操!!わかるか?俺だ!!操!!」
俺は、操の身体を抱き締めて、耳元で囁き続けた。
「ミサオ…ミサオ…戻って来い。俺の所に、戻って来い。俺がお前を守るから…それに、俺は、お前じゃなきゃ駄目なんだ…ミサオ、愛してる…ミサオ…ミサオ…」
俺の頬に、熱い物が触れた。
顔を離すと、操の目から、涙が流れていた。
「ミサオ!!わかるか!?ミサオ!!」
只々涙を流し続ける操の唇に、俺は唇を重ねた。
柔らかいが、氷の様に冷たいその唇に、俺は悲しさと悔しさで一杯になり、涙が溢れた。
「ミサオ…目が覚めたら、結婚式を挙げよう。誰が何を言おうと構わない!俺が、世界で一番幸せな花嫁にしてやる!ミサオ…愛してる…だから、俺の所に帰って来い!!ミサオ!!」
「小次郎!用意出来たぞ!!」
「兄貴!!」
スタッフ数名と屋上に戻った兄貴は、操をストレッチャーに乗せると、走り出した。
俺も、後を追って走る。
操が、俺の所に戻るのを信じて…。