10月(1)
10月末の文化祭が近付いて、学校内は何となく慌ただしい。
私は、文化祭の実行委員として走り回っていた。
「神崎君!」
文化祭の資料を運ぶ私を、呼び止める声がする。
「南先輩。」
「大変そうだね、僕が持とう。生徒会室でいいのかな?」
「はい、ありがとうございます。」
資料を私の手から奪う。
南先輩は、以前剣道部でお世話になった。
今は、文化祭実行委員長をされている。
「神崎君とは、ゆっくり話も出来ずにいたからね。気になっていたんだよ。」
「ありがとうございます。」
「その後、手の調子はどうなんだい?」
「左手は、駄目ですね。小指と薬指の麻痺が取れません。」
「勿体ないね…いい腕だったのに。」
「もう、諦めましたから。」
「そうか。」
生徒会室の鍵を開けていると、大和先輩が通りかかる。
「よぅ、寮官さん。忙しそうだな。」
「大和先輩。」
「大和、久し振りだな。」
「おぅ。」
「あれ、お二人共、お知り合いなんですか?」
「そうだよ。大和とは、去年クラスメートだったからね。」
「そうなんだ。」
じゃあ、先輩とも一緒だったのかな?
「寮官さん、仕事もう終わりか?図書室行くんだろ?」
「えぇ、もう終わりです。」
「じゃあ、一緒に行こう。」
「あ…はい。」
珍しい、大和先輩が図書室?
同じ事を思ったのか、南先輩も聞く。
「お前が図書室とは、珍しいな。」
「図書室に行く目的は、本を読むばかりじゃ無いんでな。行くぞ、寮官さん。」
「は、はい。南先輩、ありがとうございました。」
私は、半ば引きずられる様に、生徒会室を後にした。
「大和先輩、南先輩と仲悪いんですか?」
「いや、別に…。」
「大和先輩にしては、珍しく棘があったの、思い過ごし?」
「寮官さん。」
「はい?」
「南と、あまり2人きりで会わない方がいい。」
「どうして?それに、此処暫くは難しいと思いますよ。南先輩、実行委員長だし。」
「小次郎には、南の事言わない方がいい。」
「どうして?仲悪いんですか?」
「まぁな。」
「どうしよう…もう、言っちゃってますょ、私…。」
図書室のドアを開けると、珠ちゃんが迎えてくれる。
「お疲れ様、操ちゃん。お茶如何?」
「ありがとう。喉カラカラ。」
「お待ちかねですわよ。」
何時もの席で寝ている、ポニーテール。
その髪には、あの日以来ずっと、淡い藤色の組み紐が結ばれている。
「先輩方も、お茶に致します?」
「おぅ。貰おう!」
「小次郎様?」
「…。」
「爆睡中?」
「拗ねてんだよ。起こしてやってくれ、寮官さん。」
私は、先輩の隣の席に座り呼びかける。
「先輩?」
「…遅い。」
私が実行委員になってから、先輩の機嫌が悪い。
帰る時間も遅くなったりして、一緒に過ごす時間が少なくなったのが原因だと思う。多分…。
「お茶、入りましたよ。」
机にうつ伏せたまま、目だけ私を見上げると、皆に見えない様に私の手を握った。
「行きましょう。」
「あぁ。」
大和先輩と珠ちゃんの待つ、準備室に向かう。
たわいも無い雑談の後、大和先輩が言った。
「小次郎、今年お前のクラス、出し物なんだ?」
「劇だとょ。」
「出るんですの?先輩!」
「いや、出ない。」
「俺、聞いたぞ。お前、今年もミスコンだってな。」
「うるせぇよ。」
「男子校なのに、ミスコンですの?」
「毎年恒例なんだって。仮装してお化粧して、賞品だって出るんだよ。クラスと個人に。」
「こいつ、去年バックレたんだ。優勝候補だったのによ!」
「そうですってね。大丈夫、今年は逃がしません!」
先輩は、驚いた様に私の顔をみる。
「先輩のクラス役員さんに、頼まれたんですよ。先輩のヘヤメイクとコーディネート、私がするの。」
そう言って、満面の笑みを返した。
「なんで…お前…。」
先輩の顔が、凍り付く。
「クラス役員同士で、話がついてるみたいですよ。」
「あぁ、あの2人、お付き合いしていますものね。」
流石は珠ちゃん、情報通。
「という事で先輩、優勝目指して頑張りましょうね!」
「…。」
先輩は、その場に果ててしまった。
「寮官さん、楽しそうだな。」
「だって、先輩をいじめる機会って、そうそう有りませんから!」
「確かに、そうだ!」
笑い声が起こる。
「送って行こう、神崎君。」
「南先輩。」
実行委員の仕事で遅くなったある日、帰ろうとした私は、声を掛けられた。
校内とはいえ、夜道は気持ち悪い。
ましてや、以前襲われた道を夜1人で歩きたく無い。
「ありがとうございます。」
「本当に君には、迷惑を掛けるね。」
「いえ、そんな事…。」
「ガサツな人間ばかりで、細かい事は、君に任せきりだ。」
「楽しいですよ、皆さんとご一緒出来るの…。」
「君は、本当に良い子だね。」
そう言われて、照れてしまう。
「神崎君は…誰か、お付き合いしてる人、居るの?」
「…さぁ、どうでしょう?」
この質問が来た時、私は何時もこう答える。
「鷹栖と付き合ってるという噂があるけど…。」
マズいよね、やっぱり噂になってるんだ…。
「僕が…立候補する余地は、有るだろうか?」
「えっ?」
急な告白に、私は面食らった。
「鷹栖が、君の事をストーカーしているという噂も有るんだ。」
えっ?そんな噂!
「それに彼の暴力で、君がDVを受けているという噂もある!」
むちゃくちゃな…。
南先輩は、話す程に興奮し、私の手を取り熱弁を振るう。
「もし、君が困っているなら、僕なら君を守って上げられる。」
「いえ…私別に…。」
「いいんだ、君の苦しみは良く分かる。彼の様な乱暴者に纏わりつかれ、迷惑しているんだね?」
「だから…」
「僕が守って上げるよ、神崎君!」
そう言って、抱き付いて来る。
南先輩って、思い込み激しいんだ…。
「あの、南先輩…。」
私が言うのと、
「神崎!!」
よく知った声が響くのは、同時だった。
瞬間、南先輩は離れ、私を後ろに庇う。
「鷹栖…。」
「南、好き勝手言ってくれるじゃねぇか。」
「違うと言えるのか!」
「…神崎、帰るぞ!」
私は、先輩に腕を掴まれ、強引に引かれる。
「あ…はい…。」
背中に南先輩の声が響く。
「神崎君!!僕は君の味方だから!!僕なら君を守れる事を、忘れないで!!」
私は、ズンズン進む先輩に必死に着いて行く。
「先輩…痛い…。」
寮官室に入り、事務所を通り抜け、寝室に入ると、先輩はくるりと振り向き私を抱き締める。
「…先輩…。」
「南の野郎、好き勝手言いやがって!」
私は、先輩の背中をさすりながら、
「落ち着いて下さい。」
と言った。
「お前が、実行委員なんかで遅くなるからだ…。」
「そうですね…。」
「お前が、南なんかに送って貰うからだ…。」
「そうですね…。」
「お前が南なんかに、告白されるから…!」
そう言うと、唇を奪われる。
何時になく激しいキス。
先輩は、貪る様に私を求めた。
「…落ち着きました?」
「…。」
ようやく解放された時、先輩はバツが悪そうに、私を抱きしめたまま動かなかった。
「迎えに来てくれたんでしょ?夜道が危ないから…。」
「…あぁ。」
「ありがとう、先輩。」
ハァと息を吐き、私の顔をじっと見る。
「あんな噂、あるんですか?」
「…。」
「ストーカーとかDVとか…。」
「…みたいだな。」
「酷い…否定しないの?」
「言いたい奴には、言わせておくさ。」
「私、嫌です。先輩が悪く言われるの…。」
「!」
「こんなに優しいのに…。」
「…。南の事だが…。」
「?」
「続けるのか?実行委員会。」
「続けますよ。後、一息だし。」
「お前…。」
「仕事は、仕事。最後迄キチンと果たします。」
「…。」
「私の事、信じられませんか?」
「いや…だが、先の事は分からないと、お前は言った。」
「じゃあ、今を信じて…。」
「ミサオ…。」
「恋人なんて縛りが無くても、私の心は先輩の物なんですよ。」
文化祭当日。
私は先輩が逃げ出さない様に、朝からずっと監視している。
といっても、大和先輩や珠ちゃんと一緒に、校内を散策しているだけなんだけど。
昼過ぎ、寮官室には、私達4人と、9組のクラス役員が衣装を持ってやって来ていた。
「…で、衣装は2パターンあるんだけど…鷹栖君、どっちが良いかな?」
消え入りそうな声…先輩、クラスでも怖がられてるんだ。
用意されたのは、ヒラヒラのレースやギャザー満載のゴスロリ服と、赤いサテン生地に金のドラゴンが付き、ものすごいスリットの入ったチャイナドレス。
「好きにしろ。」
「一体、何処から調達して来たんだ?しかも、男サイズじゃないか!」
大和先輩も驚く。
「いや、その筋のルートがありまして…。」
どんなルートだか…。
取り付く島も無い先輩に、クラス役員さんは私に助け船を求める。
「ツンデレのゴスロリと、クールビューティーなチャイナ娘、どっちがいい?」
「小次郎様なら…。」
「俺なら…。」
「クールビューティー!」
大和先輩と珠ちゃんの意見が一致する。
「という事で、チャイナドレスで良いですね、先輩?」
「あぁ。」
「じゃあ、早速準備しましょう!」
バタバタと用意し始める私。
それを傍観する面々。
「…てめぇら!全員出て行きやがれ!」
先輩が爆発し、全員アタフタと退出する。
「あ…先輩、トランクスじゃ無いでしょうね?」
「なっ!」
「駄目ですよ、ブリーフか、無ければ競泳用の水着、着て来てください。スリットからトランクスなんか見えたら、興醒めしちゃう!」
「…わかった。」
暫くして現れた先輩に、チャイナドレスを着せる。
「神崎、後ろ上げてくれ。」
後ろのファスナーを上げながら、服に付いているブラジャーを止める。
「胸の位置、良いですか?」
「苦しい…。」
「我慢して下さい。女性は、毎日苦しい思いしてるんです。」
「なぁ、やけに張り切ってないか?」
「優勝狙ってますから!」
「それは、わからねぇぞ。」
「優勝して貰わなきゃ困るんです!」
「?」
私はヘヤアレンジに取り掛かる。
組み紐とゴムを外し、カーラーで前髪を巻く。
後ろは下ろして、左右に三つ編みを巻いて大きな渦巻きを作り上げた。
もみ上げには、適度な量の髪を下ろす。
「痛く有りません?」
「いや…上手いもんだな。」
先輩は感心する。