007 リーベ、戦場に立つ
坂を駆け下りたリーベだが、魔物の絶叫を聞いて振り返ると、まさにフロイデが坂を転がり落ちる瞬間だった。
「フロイデさん!」
(魔法で助けなきゃ!)
慌てて駆け出そうとするも、恐怖で脚が動かなかった。
『ぼくが引き付けてるから、ヴァールたちを呼んできて……!』
彼はそう言っていた。魔物絡みの事件において、冒険者の指示は絶対だ。そう思って踵を返そうとした時、彼女の自制心が――良心が呼び掛けてくる。
(それでいいの?)
そう自問したとき、彼女は自分が理屈ではなく、単に怖いから引き返したくないのだと気付いた。彼女は民間人で、そう思ってしまうのは当然であり『卑怯』と批難されるようなことではない。
そう理解しつつも、もし自分が逃げたら、フロイデはどうなるのかと不安になった。
懊悩する中、リーベは父の言葉を思い出した。
『俺に頼れば済むって考えがあるから、誰もカンプフベアに立ち向かおうとしないんだ……そのせいで対処が遅れて、危険にさらされる人間が出てくるんだ…………』
冒険者たちがどうにかしてくれると妄信して逃げたら、いったい誰がフロイデを護るのか。
今、彼を救える人間がいるとすれば、それは街の何処で何をしているか知れない冒険者ではない。
今ここにいて、魔法が使える彼女だけだ。
「っ!」
世界を蹴り飛ばすつもりで駆け出した。
展望台からはさほど離れておらず、すぐに駆けつけられた。
肩で息をしながら状況を確認すると、フロイデは坂の下で起き上がろうとしていた。しかし平衡感覚を失くし、酩酊したかのようににふらついている。
一方、ヘラクレーエは潰された左目からポタポタ血を垂らしながら、憎き冒険者の方へくちばしを向けていた。そして今、ぴょんぴょんと跳ねながら移動を開始した。
それを見たリーベは急いでホルダーからワンドを引き抜き、魔法を放つ。
「ええいっ!」
放ったのはこぶし大の小さな火球だった。
こんなちっぽけな魔法では討伐できないことなど百も承知であったが、それでも魔物の気を引ければ十分だ。しかし、狙いが甘く、初撃は足下に着弾した。
(だったら数だ!)
「当たれ! 当たれ! 当たれぇっ!」
距離を縮めながら乱発すると、2発が大きな胴体に当たった。
「クアッ⁉」
不意の高熱に短い悲鳴を上げたヘラクレーエは、ビクリと仰け反った後、恨みがましい視線をリーベに向けた。その時、大きなくちばしに西日が反射し、彼女はまるでナイフを突きつけられているような恐怖を感じた。
「ひっ――」
「カアアアアア!」
ピョンと一度の跳躍で詰めてきて、そのままくちばしを――
「うわっ!」
思わず仰け反ると彼女はフロイデと同様にして、坂を転げ落ちた。だが、そのお陰で回避に成功する。
一方、攻撃を外した魔物は敵を見失い、キョロキョロと辺りを見回している。
「……どうしたんだろう?」
リーベは不思議に思ったが、フロイデが左目を潰したお陰で死角が広がり、彼女はそこに転がり込むことで追撃を免れたのだ。だが彼女はそこまで頭が回らず、魔物と同様に混乱していた。そんな時、平衡感覚を取り戻したフロイデが駆け寄って来る。
「どうして、戻って来たの?」
「その……心配で……」
彼は口を開き掛けるが、言葉を呑み込んだ。それから気持ちを切り替えるように小さく溜め息をつくと、リーベに言う。
「ありがとう。あとはぼく1人で大丈夫だから」
彼はそう言うが、リーベはこの期に及んで戦意を燃やしていた。
「あの、わたし、魔法が使えます!」
フロイデはその言葉に逡巡し、目を瞑り、頷いた。
「…………魔法を使うときは、何を使うか叫んで」
「……はい!」
魔法には技名が定められている。
それは後衛である魔法使いが自分の行動を仲間に伝えるためのものであるが、冒険者に限らず、全て魔法使いの常識とされている。それは今回のように、冒険者に協力せざるを得ない状況を想定してのことだ。
「…………」
リーベは戦場に立つと不思議と胸が高鳴った。それが勇気ではなく、もっと単純な昂揚であることに気付いた。それは父がしてきたことの、その一端を体験できることに対するものであり、彼女は自分の浅はかさに自嘲した。しかし、それでフロイデとこの街を守れるなら、それでいいと割り切った。
ワンドを握り絞め、フロイデの斜め後方に陣取る。
辺りには坂も何もなく、動きやすい。戦うには良い環境だ。
「ふう……」
呼吸を整えている間に、ヘラクレーエは2人を再発見していた。
「カッカックアアアアア!」
魔物は鳴き声を発した直後、正面に立つ剣士を目掛けて飛び掛かる。
対するフロイデは勇敢にも脚の下をくぐり抜けて背後へ回り、鍛練の時に見せた構えを取る。整然とした構えはそのまま攻撃へと派生、紺色の体を赤く塗り変えた。
「クアアア!」
不利を悟った魔物は翼を広げて風を捕らえようとする。そんなとき、フロイデが叫んだ。
「リーベちゃん!」
「はい! ファイア!」
頭部を狙った火球は運良く、負傷した目に命中した。それはヘラクレーエに筆舌に尽くしがたい痛みを魔物にもたらした。全身をびくりと痙攣させ、地面を離れたばかりの鳥が地に墜ちる。
「やあああああッ!」
透かさず駆けつけたフロイデが、起き上がり掛けたヘラクレーエの翼を斬り落とす。
いきなり心臓を狙わず、手足を捕って有利を捕るのが冒険者の基本的な戦い方だった。フロイデはその点においても模範的だった。
「カーッ⁉」
バサリと翼が落ちたその時、ヘラクレーエは静止した。
翼のない鳥は、もはや鳥ではない。頭の良い彼は、自らのアイデンティティの喪失を悟り、放心した。そんな中、フロイデが心臓を貫ぬいた。
リーベは魔物の赤黒い血液が街路を浸していくのを呆然と見つめていた。するとふと、周囲が騒がしいのに気付く。
振り向くとそこには観衆が集まっており、彼らは恐怖や畏怖と、なにより大きな好奇心を湛えた瞳をヘラクレーエの亡骸に向けている。
「あの坊主がやったのか?」
「剣持ってるし、そうだろうな」
「知ってるか? アイツ、ヴァールさんの弟子なんだってな」
そんな会話がひそひそと響く中、その何倍もの大音量がうわさ話を蹴散らす。
「リーベ!」
エルガーが観衆をかき分けながらやって来た。
「魔物が出たって聞いたが、まさかお前が襲われてたなんて……」
そんなことを口にしつつ、熱心に娘の体を点検している。
「もう、お父さんたら……心配しすぎだよ…………」
「しすぎも何もあるか! お前は俺の娘なんだぞ!」
怒鳴り声に彼女は華奢な肩を跳ね上げた。
「ご、ごめんなさ――」
言い掛けた時、エルガーは娘を胸に抱き込んだ。
するとリーベはその温もりに緊張の糸がぷつりと千切れ、泣き出した。
「お父さん……うう…………」
彼は父親として、娘を慰めながらフロイデに目を向ける。
「お前には礼を言わねえとな、フロイデ」
「……う、ううん。ぼくの方こそ、助かった…………ありがと、リーベちゃん」
その言葉にリーベは胸板から顔を離し、恩人を見やる。しかし、拭った側から涙が滲んできて、彼の顔がよく見えなかった。
「い、いえ。こちらこそ……ありがとうございます。フロイデさんって、強いんですね」
再び指先で涙を拭うと、鮮明になった視界の中でフロイデが顔を赤くしていた。
「そ、そんなこと、ないよ……」
照れ屋な彼はスカーフと前髪を掴んで顔を背ける。
その一方でエルガーが首を傾げる。
「ん? 助かったって……もしやリーベ! お前が戦ったんじゃ――」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!」
エルガーの事情を問う声は、ドスの利いた叫びにかき消された。三人が振り返ると、観衆が悲鳴を上げて左右に分かれる。そうして出来上がった人垣の合間をヴァールが猛然と駆け抜けてくる。それからやや遅れてフェアもやって来る。
2人は共に武装していたが、エルガーは無手だった。彼には無手でも時間稼ぎが出来る技量があったのだ。
そんな事情はさておき、ヴァールは魔物の死骸を見て、弟子を見て、小首を傾げる。
「ああん? どうしてフロイデが……まさかお前がやったんか?」
「ううん。ぼくと、リーベちゃんで」
彼が答えた途端、観衆はざわざわと騒ぎ出した。そんな中、フェアが気を利かせて言う。
「……ひとまず、後始末は我々に任せて、お2人はお戻りください」
フェアの言葉にヴァールが続く。
「そうだな。さっさと帰って、シェーンを安心させてやれ」
そう言ってグローブを付けた手でリーベの頭を撫でた。
「あー!」
髪の毛を気にしていると、エルガーが言う。
「んじゃ、後は頼んだ――いくぞ」
「う、うん……」
去り際、リーベは魔物の死骸を見つめていたフロイデに呼び掛ける。
「フロイデさん、本当にありがとうございました」
黒く滲んだ空の下、魔導師が街灯に明かりを点けて回っている。そうして出来た青白い光の中、リーベとエルガーは肩を並べて歩く。
現場を後にして以降、エルガーはむっつりと口を閉ざしていた。リーベはそこに怒りの感情があるのを悟った。しかし、弁明の言葉を発する事もできず、ただ緊張に押し黙るばかりだった。緊張を和らげようとしていると、エルガーがようやく口を開く。
「どうして魔物と戦ったんだ?」
「それは……フロイデさんが危なかったから……」
「だとしても、あの時お前のやるべきは、誰でもいいから冒険者を呼ぶことだ」
元冒険者のの言葉であり、リーベの胸には確かな重みを持って響いた。だがそれでも、自分の選択が正しいという確信は揺るがなかった。
「で、でも! 本当に危ないところだったんだから!」
「結果論だ――じゃあ聞くが、お前の心配は全くの杞憂で、それどころか、余計な被害を招いたとしても同じ事が言えるか?」
「それは――」
一蹴され、閉口させられた。
どうにか言い返そうと考えを巡らせていると、エルガーは溜め息と共に続ける。
「冒険者の世界じゃ、仲間を見捨てることなんて当たり前だ。命あっての物種なんだからな」
冒険者は死と隣り合わせである以上、合理的な決断が求められる。翻って、見捨てられる覚悟がある人が冒険者になるのだろう。だとすれば自分は、余計なことをしてしまったのかもしれない。
そんな考えに苛まれていると、エルガーが実感の籠もった声を零す。
「……ディアンの右腕がないのは、俺を庇ったからだ」
「え」
「アイツは冒険者であることを誇りに思っていた……腕をなくしたとき、アイツがどれだけ絶望したことか…………救われておきながら俺は、お前にはそうなって欲しくねえんだ」
「お父さん……」
長い腕が娘を包み込む。
「……無事で、良かった…………」
「お父さん………………ごめんなさい……」
大きな手が後頭部を撫でる中、リーベの耳に、聞き馴染んだ心地よい声が響いてくる。
「リーベ!」
父の胸板から顔を離し、振り向くとそこには母シェーンがいた。
「ああ……帰って来ないから心配したのよ!」
「ごめんなさい……」
「良いのよ、無事でいてくれればそれで――まあ! こんなボロボロになって」
その言葉にリーベは視線を落とす。
彼女の纏っていたライムグリーンのワンピースは擦過でボロボロになり、砂と草で汚れ、見るに堪えない状態になっていた。
「ああ⁉ ……そんな…………」
がっくしと肩を落とすと、エルガーが明るい調子で言う。
「なあに。服なんてまた買えばいい――」
「良くないよ!」
娘の大声に父は目を丸くした。
「……お誕生日プレゼントだったのに…………」
服なんてこの世界にいくらでもあるが、誕生日の――しかも15歳の成人祝いにもらった服は世界にこの1着しかないのだ。それを思うとリーベは無性に悲しくなってきたのだった。
だがエルガーにはその言葉がなによりも嬉しく感じられた。
「くう……! リーベっ!」
娘の名を呼ぶと共に抱きしめる。
しかし太い腕に締め上げられ、分厚い胸板に押しつけられる。その苦痛たるや、もはや抱擁の域にはなかった。
「うぐぐ……ぐ、ぐるじい…………!」
リーベが腕を叩いて知らせるも、中々解放されない。微かに聞こえた母の警告も聞き入れられなかったため、彼女はしばらく苦痛に喘ぐこととなった。
ご精読いただきありがとうございます。
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