023 休むのも仕事の内
「うう……」
劇薬に痙攣する胃を宥めながら坂を上っていく。昨日は体力的にきつかったが、今日はそれに加えて吐き気を伴っているのだ。苦行なんてものじゃない。
「大丈、夫……?」
心配の言葉を掛けてくれたフロイデだが、彼は我が事のように青い顔をしていた。
「だ、だいじょう――うっぷ……」
(ダメだ。口を開いたら、胃の中のものが逆流してきそう……)
吐き気を堪えているといつの間にかテルドルに帰り着き、東門の前の十字路までやって来ていた。
このまま真っ直ぐ進めば食堂エーアステがあり、北側に折れればヴァールたちが宿泊している宿屋がある。
つまりここでお別れだ。
リーベの前を歩いていたヴァールは脚を止め、振り返る。
「んじゃ、今日はここで解散だな」
「あ、うん。わたしの訓練に付き合わせちゃってごめんなさい」
「それも含めて俺たちの仕事だ――なあ?」
ヴァールは仲間2人に呼び掛ける。
「もちろんです」
「う、うん。ぼくも最初はそうだった、よ……?」
「そうなんですか?」
(フロイデさんはあんなに剣が上手なのに?)
不思議に思っているとヴァールが教えてくれた。
「コイツは冒険者学校を出てるから基礎は出来てたんだ。だがそれでも実際、どのくらい動けるか知っとかねえとなんねえだろ? 前衛は特に」
「なるほど……」
「それよか、リーベの具合はどうなんだ?」
彼は相棒の魔法使いに問い掛ける。
「順調ですよ。メガ・ファイアも修得しましたし、この分だとあと1日あれば十分でしょう」
そう答えるとフェアはにっこりとリーベに笑んで見せた。
誇らしいが、ちょっぴり気恥ずかしい。彼女は手をもみ合わせながら笑って誤魔化した。
「フェアがそこまで言うんなら問題ねえな。んじゃ、明日も頑張れよ」
ヴァールはそう言うと、グローブをはめたままの手で頭を撫でた。
「ああ! グローブ付けたまま触らないでよ!」
「はは! 汗まみれなんだし、大して変わんねえだろ?」
(まったく、おじさんったら! ああ言えばこう言うんだから!)
「そんじゃ、今度こそ解散な」
例え怒っていても、別れを切り出されれば寂しさが勝ってしまうもので、リーベはモヤモヤとした心持ちのまま、それに応じる。
「あ、うん……また明日」
「お疲れ様でした」
「バイバイ」
口々に別れの言葉を述べると3人は十字路を北側へ折れ、宿へと帰って行った。その身長差の激しい背中を見送ると、リーベは自分の家のある西側へと歩き出す。
夕焼けに染まる街並を見ていると、やはりというべきか、人通りが少ないのが気に掛かる。
スーザンの一件から半月ほどが経っているのもあり、当時よりかは通行量が増えているのだが、ここテルドルで生まれ育った彼女の目にはやはり寂れて見えてしまう。
ヴァールたちとの別れを寂しく思っていた事も合わさって、リーベはなんだか切ない思いでいっぱいになった。
そんな彼女を励ますように、前方から談笑する声が聞こえて来た。
見るとそこにはリーベたち家族が営む食堂エーアステがあり、開放された窓から美味しそうな匂いと共に賑やかな響きが届いていたのだ。
「あ……」
(そういえば、もうディナーの時間か)
「…………」
(お母さんはともかく、お父さんは1人でちゃんとホールを回せているのかな?)
リーベは途端に心配になってきて、こっそりと窓から店内を覗き込んだ。
店外に待機の列が出来ていなかったことからも察せられたが、僅かに空席があった。だがそんなことは、客たちが幸せそうに食事をしていることの前では些細な問題だろう。
それはそうと、リーベは父の姿を探す――と、ちょうどカウンターから料理を運んでやってきた。
「へいお待ち!」
快活な言葉と共に料理を提供すると、そのまま接客の基本に沿ったセリフを口にする。
「注文の品は揃ったか? ――ゆっくりしてってくれ」
父エルガーは相変わらず敬語が苦手なようで……客たちが寛容にしてくれているからいいものの、やはり改善するべきだろう。
そんな考えを巡らせていると、当人と目が合った。
「リーベ? 何で隠れてんだ?」
「あ、ううん。お父さんがちゃんと働けてるかなって」
正直なところを言うと彼は口角を上げて笑った。
「はは! 娘に心配されるようじゃ、俺もまだまだだな!」
そんな会話をしつつ店内に入ると父は「おかえり」と微笑んだ。それに続いて客たちからも「おかえり」の声が上がる。
寂れてしまったように見えたこの街には、今も変わらぬ温もりがある。そのことを思い出すと、リーベは温かい気持ちになるのだった。
「……ただいま」
「ただいまー」
リーベが厨房で働く母に呼び掛けると、シェーンは目線は手元に向けたまま「おかえりなさい」と返す。ピークタイムと言う事もあり、早回しの言葉に忙しさが表れていた。
「着替えたら手伝うから――」
「リーベはお仕事終えてきたばかりなんだから、ゆっくりしてていいわよ?」
「で、でも……」
「休む事も仕事の内よ? 手が空いたらあなたのご飯を用意するから、今のうち汗を流していらっしゃい」
両親が働いている中、呑気に入浴するというのは若干気が引けたが、母の言うとおり、休むのも仕事の内なのだ。明日も訓練を頑張るために今はゆっくりしようと、リーベは割り切った。
「……わかった。でも、人手が欲しいときは言ってね?」
「ありがとう。その時はお願いね」
会話する間にも料理を仕上げてカウンターに置き、ホールで働く夫に呼び掛ける。
「これ5番さんね」
「あいよ」
両親の短いやり取りに後ろ髪を引かれる思いだったが、母の厚意を酌んでホールを後にした。
そうして自室にやって来ると愛犬ダンクが出迎えてくれる。
彼のアプリコットの体毛が夕日を受けて赤毛っぽくなっていた。これまた可愛らしいとリーベは微笑んだ。
「ただいま、ダンク」
帰宅の挨拶をしつつ、スタッフを壁に立て掛け、装備を解いた。
それから父に教わったとおり、柔らかく乾いた布で防具を拭き、日の当たらないところに置く。
「これでよしっと。あとはお風呂~」
入浴が楽しみでつい鼻歌を口ずさんでしまう。その途中でダンクが構って欲しそうに飼い主を見上げているのに気付いたが、生憎と彼女は今、汗だくなのだ。
「ごめんね、今わたし汚いから」
自分で言いっておきながら、乙女心が傷付いた。
「わたし、汚いんだ……」
それはそうと、着替えと入浴セットを持って裏口から外に出る。
空は黒く染まりつつあるが、街灯のお陰で街路は明るく、人通りも多い。通行人の中にはリーベのように着替えと入浴セットを手にしている人がいる。彼ら彼女らが風呂屋へ向おうとしているのは明白だ。
リーベはいつもはもっと遅い時間に入浴に行ってるから知らないが、この時間帯は混雑しているのだ。誰もがそうであるように、リーベもまた、風呂は脚を伸ばしてゆったりと浸かっていたい。
時間を置いて出直そうかとも思ったが、体がべたつく不快感の方が勝った。
仕方ないと溜め息をつき、風呂屋へと向う。




