010 地獄の遣い
20年前のテルドル防衛戦において、前哨基地となった村がある。
セロンというその村は、テルドルから南へ2日ほど歩いた場所に位置しており、その歴史から、この国の最南端の集落となっている。村の南には当時築かれた防壁が未だに残っており、『平和の壁』と呼ばれ、名所と化していた。だが壁1枚で村が潤うはずもなく、セロン村の人々は狩りと林業を生業としていた。
そんなこの村にとって、北側の街道はテルドルに通じる唯一の道であり、産業の要であった。これが魔物に封鎖されてしまったとあっては、村が様々な方面で痛手を負うのは当然であり、迅速な対応が求められた。
この依頼に応じたのはヴァールがリーダーを務めるクランであり、彼らは街道上に居座る魔物を探しながら南進していた。
「…………いない」
テルドルを出て2日目。野営地を撤収して数時間は歩いているが、件の魔物は未だ発見できないでいた。道程も7割方消化しており、このままでは接敵する前にセロン村に着いてしまうかに思われた。
とは言え、『街道上に魔物がいる』と報告が上がっている以上、それはありえないのだが。
「なあに。そう焦る必要はねえさ」
呑気な言葉とは裏腹に、ヴァールは険しい目で辺りを見回していた。
目的の魔物は街道上にいると言われているが、それ以外にも警戒すべきことがある。他の魔物と、獣たちだ。特に前者は初春頃から、第三級危険種(人間に対し攻撃的な魔物)に分類される魔物が増えているという事情もあり、街道を歩くだけでも危険なのだ。
フロイデもヴァールを見習い辺りを見回すが、フェアに指摘される。
「あまり気を張っていると疲れるでしょう。フロイデはターゲットにだけ集中してください」
「大丈夫だ、よ?」
冒険者学校を卒業して、冒険者になってから1年が経つ。それなりの経験も積んだし、体力も十分ついた。その自信が彼に反骨心を抱かせていた。
フェアの言葉を無視し、キョロキョロと辺りを見回していると、ヴァールの大きな手がフロイデの華奢な肩を掴み、その場に固定した。
「っと……なに?」
「フェアの言うとおりだ。見ろ」
鈍角的な顎で前方を指示す。
フロイデが振り向くと、20メートルほど前方に大きな穴があった。内部はすり鉢状になっていて、小石の1つが転がっていくと、砂の粒子が砂時計のようにさらさらと流れていった。
「……気付かなかった」
あのままでは穴に踏み込んでいただろう。そう実感すると、フロイデは恥ずかしくなって俯いた。そんな彼に、フェアが諭すように言う。
「周囲を警戒することも大切ですが、それで足下がお留守になってはいけません。器用さとは即ち余裕です。それは活動していく中で自然と身に付くモノなのですから、焦ってはなりませんよ?」
「…………ごめん」
「わかりゃ、いいんだ」
ヴァールは打ち切るように言うと、フェアに指示を飛ばす。
「奴さんがいるか、確かめてくれ」
「了解しました――アイス!」
フェアはロッド(金属製で、棹状の魔法杖)を頭上に掲げると、直径1メートルほどの大きな氷塊を作った。それを穴に放り込んだ次の瞬間、地面からグワッと、1対の鋏角がせり出してきた。それは太陽を讃えるかのように広がり――
ガギンッ!
甲高い音を響かせて氷塊を破砕する。そして氷の破片は周囲に飛散し、溶けて地面に吸い込まれていった。
「うわ……」
フロイデが魔物の絶大な力に驚いていると、フェアが警告する。
「今回の相手は強力な鋏角と毒を持っています。ですので絶対に正面に立たないようにしてください」
「了解だ」
ヴァールが即答すると、フェアはフロイデを見る。
「フロイデ。危険を感じたら無理せず、後退してください。いいですね?」
「……わかった」
彼らは重荷となるリュックを捨て、身軽になる。それが開戦の合図となった。
「それでは――ガイア!」
フェアはロッドの穂先を地面に突き立てた。直後、穴の中心から土の柱が飛び出す。その先端には大きなアリジゴクがいて、巣穴から放り出されたそれは、空中で1回転してビタンと叩き付けられるように着地した。
「…………」
砂色の魔物を前に、フロイデは覚悟を迫られた。
昆虫特有の大きな腹は、まだら模様で、紐で縛ったハムみたいにデコボコしている。それにトゲのような体毛を生やしていて、まるでサボテンだ。腹との間に小さな胸と頭を挟んで鋏角が伸びている。その長さは2メートルにも及び、先端の尖りとは別に3対のトゲがある。捕らえた獲物にここから毒を注入するのだ。
「これが……」
「ええ。これがミラージュフライの幼体……ヘルゲートです」
「ヘルゲート……」
その名を呟くと狭い額に汗が滲み、喉が渇く。彼が唾をひねり出している中、ヴァールが低く、最後の確認をする。
「予定通りやるぞ。いいな?」
「はい」
「うん……!」
戦いが始まった。
ヴァールとフロイデは剣を抜き放つと散開し、ヘルゲートの両側に回る。すると大顎は体の大きなヴァールへ向けられた。その一方で大きな尻がフロイデに向けられる。
魔物と戦う時の鉄則。それは討伐を急がず、手脚を削いで安全確実に仕留めることだ。
それに従い、フロイデは尻ではなく、体側部にせり出した一際大きな脚を狙う。
ヴァールが時計回りに動き、注意を引いてくれているため、彼はそれに合わせてぐるりと回り込み、左脚を射程に捕らえる。
「っ!」
剣を振り上げ、左足から右足へ重心を移行するのに合せて剣を振るう。踏み込む力・筋力・剣の重さ・遠心力。これらが一体となった斬撃はヘルゲートの脚関節を半ばまで切断した。
淡黄色の血液が噴き出すと同時に、巨体が痛みに跳ね上がる。そうした反応は魔物にダメージを与えられたのを知る手がかりになる。そして魔物はダメージを負った直後に暴れる傾向にあるため、追撃を加えることなく距離を取る。
指導と経験で仕入れた情報は確かなもので、ヘルゲートは陸に揚げられた魚のように暴れた。その際、巨体が地面を叩き、立っているのに苦労する程度の震動を起こした。
「くっ……!」
フロイデが歯噛みする中、フェアが叫ぶ。
「離れてください!」
それを聞きつけると、不確かな足場を踏みしめ、無理して後ろに跳ぶ。
直後、ヘルゲートは地面に潜行した。すると地面には再び蟻地獄が展開され、その縁がフロイデを呑み込もうと迫ってくる。
「ちっ!」
全力で掛け、5メートルくらい距離を取ると、フェアが呪文を叫ぶ。
「ガイアッ!」
土柱によってまたもヘルゲートが打ち上げられると、今度は背中から落ちた。しかも自分で作った蟻地獄にすっぽりとハマり、無様に宙を蹴り続けている。
「今だ!」
ヴァールの指示で飛び出す。
フロイデの目前には先程斬り付けた左脚がある。次の一撃でこれを斬り落とすと、例によって距離を取った。
その間、チラリとヴァールの方を見ると、彼はなんと、たったの一撃で脚を切り落としていたのだ。彼の武器は大剣であり、その長大さと重量、それに仕手の恵まれた肉体から発揮される膂力も加われば、一刀の元に切断できても当然のように思える。
しかし、ヴァールの得物は鞘に収まらない都合で刃を落としているのだ。刃のない剣で堅牢な脚部を切断するのに、一体どんな妙技を用いているのか……フロイデには想像も付かなかった。
日頃の行いのせいで軽視しがちだが、剣士として、冒険者として、ヴァールは間違いなく尊敬できる人物であった。
脚の2本を失ったヘルゲートは藻掻き苦しんだ。その結果として本来の姿勢に戻れたが、前後の小さな脚をバタつかせるだけで、その場から動くことはなかった。
その様子をフロイデは不思議に思ったが、程なくして答えに突き当たる。
ヘルゲートは3対の脚を持っているが、体重の殆どは真ん中の1番大きな脚が担っていたのだ。それを失ったとあれば、もはや立ち上がれまい。
「よし……!」
(動けないなら今、ここで仕留める……!)
「やるぞフロイデ!」
「うん!」
2人は大きな腹部に飛びつくと、それぞれ渾身の一撃を叩き込む。
「ドリャア!」
「やッ!」
2人の斬撃は大小の切り傷を作った。とりわけヴァールの一撃は強烈で、魔物の内臓に深刻な傷を負わせた。
それからも2人の猛攻は続き、フロイデが4度目の斬撃を繰り出した時、ヘルゲートは一際大きく痙攣し、沈黙した。
斬撃を浴びせ続けた腹部からは、淡黄色の体液が止めどなく溢れ、地面を浸していく。
「…………」
命を奪った罪を思い知るこの瞬間、フロイデは心が傷まないではいられなかった。しかし、相手は魔物だ。畏怖する事はあれど、憐憫を抱く事などありはしない。そのように自分に言い聞かせると剣に付着した体液を拭い、鞘に収めた。
ヘルゲートの死骸をギルドに預けたが、これで一件落着とはいかない。魔物が一体だけとは限らないからだ。だから一行はそのままセロン村へと向かった。
道中に異常はなく、無事、セロン村に到着した。
「ほっ……よかった…………」
フロイデの口からは自然と安堵の言葉が口に上る。それは誰に向けたものでもなかったが、フェアに「そうですね」と同意されると恥ずかしくなった。
「しっかし、街道を塞がれるなんて、この村の連中も災難だな」
ヴァールが言うと、嗄れた声が割り込んでくる。
「全くだ」
実感の籠もった言葉と共にやって来たのは線の細い老人で、その風格からして村長であるのは想像に難くない。彼はシワだらけの手を杖の頭に置いて一息つくと、安堵を浮かべて尋ねる。
「その様子から察するに、あの魔物はもういないんだろう?」
「もちろんだ。もう通って大丈夫だぞ」
報告を耳にした途端、村長は深い溜め息をついた。
「……それは良かった。ワシらもいい加減、肉は飽きたもんでな」
テルドルと行き来できなかった間、彼らは主に狩りで獲った獣の肉を食べて凌いでいた。
「そんなら俺らが貰ってやっても良いぜ?」
「うんうん……!」
(リーベちゃんちで食べたみたいな、美味しいお肉が食べたい!)
「干し肉なら好きなだけ喰わせてやってもいいぞ?」
その言葉を聞いて2人はがっくしと肩を落とした。
堅いビスケットと並び、冒険者が食べたくない物ランキングの1位に君臨する食品。それが干し肉だ。
「どうも失礼致しました」
大小2人を他所にフェアが詫びると、村長はケタケタと笑った。
「はは! こいつが食い意地を張ってるのはいつものことだろう」
その気さくさから、フロイデはヴァールとフェアが村長と面識があることに気付いた。
「ところで、その坊やは?」
「坊やじゃない……!」
フロイデが頬を膨らまして反論すると、またケタケタと笑う。
(まったく……会う人会う人がぼくを子供扱いするんだから困る)
「こちらは最近弟子にとったのですが――」
会話の最中、フロイデは村の北西に断崖を見つけた。全体として灰色の岩壁であったが、一部分だけ丸く土色になっている。それを不自然に思っていると、直後、それはパラパラと崩れ落ち、横穴が現れる。
そしてそこからは大きなカラスが飛び立った。
「あ、あれ!」
指し示すと3人が振り返る。
「ん? なんかあったかの?」
村長が不思議そうな声を発する一方、冒険者2人は察した。
ヘラクレーエという魔物は抱卵期に入ると、断崖に穴を掘り、そこにメスを閉じ込める習性があり、その際泥で蓋をするのだ。その情報から類推するにあの横穴は間違いなくヘラクレーエの巣で、テルドルからの距離を考えれば、リーベを襲った個体のつがいである可能性が高い。
フロイデがそう分析する中、村長が不思議そうに首を傾げる。
「おい、一体どうしたというんだ?」
「ん? ああ、何でもねえよ」
ヴァールは適当に誤魔化すと「余計な事は言うな」と弟子の耳の上で囁いた。
ヘラクレーエは基本的に人を襲わない魔物だが、この前テルドルで人を襲ったばかりだ。それに加え、抱卵期を終えて凶暴化している可能性が考えられる……が、そういった理屈の問題ではない。
魔物が近くにいると知っては安心できるはずがない。彼らに余計な心配を掛けさせないためにも、そういった情報は伏せておくものなのだ。
冒険者は人々の心情に寄り添わなければならない。
フロイデはまた1つ、勉強したのだった。
ご精読いただきありがとうございます。
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