誰かの歌
ぼくは、姿のない“何か”だ。
風の隙間に溶け、街のざわめきに紛れながら、今日も人々の暮らしを遠くから眺める。
声を持たないぼくにとって、この世界はいつも誰かの音で満ちていて…とても魅力的だ。
ある夜、アパートの窓から、美しい歌が流れてきた。
若い女性がひとり、静かに口ずさんでいる。
澄んだ声は、ぼくの中に深く染み込み、胸の奥に小さな灯りをともした。
気づけば、ぼくは、その歌に…願っていた。
「あの声に、もう少しだけ…近づきたい」と。
翌朝。
ぼくは初めて“重さ”を感じた。
手があり、足があり、人の形をしていた。
鏡に映る…見知らぬ青年の姿。
……ぼくは、人の姿を得たのだ。
驚きよりも、感動があった。
歌がくれた温もりがまだ胸に残っていることに、心から感謝した。
街を歩きながら、ぼくは…量販店を目指した。
かつて風のように漂いながら眺めていた、人が集まる魔所。
そこには笑い声も、ため息も、ささやきも、溢れていた。
ぼくの好きな“誰かの音”。
人の姿になれたのだから…、その中に混ざることができるはず。
……今日も店内には、誰かの歌が小さく流れている。
ぼくはその音に耳を澄ませながら、そっと微笑んだ。
願えば、世界は少しだけ…形を変える。
そんな気がしていた。




