アマヤドリ
『人の心の数だけ、存在するのです。不思議、というものは』
ごきげんよう。
「ひとつだけ」、
「こわいお話をいたしましょうか」
初めまして。
怪奇蒐集家のムツムツミです。
今回のお話は、『アマヤドリ』――。
そう、我々の間では未だに謎多き、“あの”『皮の村』のお話をしたいと思います。
*
あの日は、雨でした。
突然の、激しいにわか雨に降られたあおちゃんとたかちゃんは、近くの広場にある無駄に広い東屋で雨宿りをしていました。
「急に降ってきちゃったね。あおちゃん」
――たしか、そのように仰っていたと思います。
「ざーざー雨、いやだね。たかちゃん」
――そんなふうにも仰っていたと、記憶しています。
なんにしろ、突然のざーざー雨。今も止む気配のないその土砂降りの大雨は、
次第に、周囲の景色を――なにも見えない、真っ白な白霧の世界へと包んでいってしまいました。
人っ子一人いない中で、おふたりは縮こまるようにして膝を抱えました。
『ねぇ、もっと近くに寄りなよ』
それは、どちらからともなく、自然に口をついて出た言葉だったそうです。
なんにしろ、突然のざーざー雨。
その日はもともと気温が低く、雨の有無にかかわらず、
“寒い”
心の底から、身体の芯まで凍えるような――
真冬のような、凍えそうな一日だったのです。
やがて、雨に濡れてびしょ濡れになったおふたりは、
肩を振るわせながら、そっと互いの肩に身を寄せ合いました。
寒かったから。
ざーざー雨に打たれ、凍えるように寒かったから。
ふふ、だからですね、おふたりが“そういうお気持ち”になったのは、そう、仕方のないことだったのですよ。もはや誰の目から見ても、それは自明の理であったとしても、ですよ。
実はですね、あおちゃんとたかちゃんのおふたりは、密かに愛し合っていました。
他の誰にも知られないように、深く、強く。
だからこそ、おふたりがそういうお気持ちになったのは、
もう、本当に、確実に、どうしようもなかったのです。
つらくて、
くるしいお気持ちは、
やがて……。
「……しようよ」
最初にそう口を開いたのは、たかちゃんでした。
続いて、あおちゃんも――
「しよ……」
と囁きました。
そしておふたりは、そっと目を閉じたのです。
ふふ、その時のご様子を、わたくしは今でもはっきりと思い出せます。
可愛らしい。
とても可愛らしい、心が温まるすてきな光景でしたよ。
小さな蕾が、そっと綻ぶように。
おふたりは、やさしく、くちづけを交わしました。
……この時なんですがね、
あおちゃんは、たかちゃんの唇に、ふっと、ほんの僅かに冷たさを感じたのだと仰っていました。
ふふ、
そして――あおちゃんが、不思議に思いながら、そっと目を開けたその瞬間です。
気がつくとですね、
たかちゃんの顔が――、
すっかり。
見事に――
無くなっていたそうなのです。
目も、鼻も、口も、耳も。
何もかもが、まるで最初から“存在していなかった”かのように、きれいさっぱりと。
ええ、昔で言えば、妖怪『のっぺらぼう』を思い浮かべる方もいるかもしれませんね。
けれど、違います。
それは、妖怪ではないのです。
あおちゃんの大切な幼馴染、たかちゃんだったのですから。
そして――このお話には、もちろん“続き”があります。
ふふふ、顔が無くなってしまった、たかちゃんなんですがね、
しばらくすると、なんにも無くなってしまったその顔に、
真っ黒い渦が、大人の親指くらいの、真っ黒い渦が――
ぐるぐる、ぐるぐると、生き物のように――そう、螺旋を描く、生き物のように――
あたかも、“意志を持っている”かのように、
渦をね、
巻き始めたんですって。
大きく大きく、
次第に、顔全体を覆うほどに、
大きく、大きく――
ぐる、ぐる、ぐる、ぐる、と、
あおちゃんを、
飲み込んでしまいそうになるほど、
大きく大きく、渦を巻き、
そして、怯える“あおちゃん”に、
その深淵を近づけたそうです。
そのとき、顔のないたかちゃんが、
はっきりと、こう言ったそうです。
「どうしようもなく。おろかな。にんげんどもよ。
おまえらの。あいするかみは。
おいかりだ。
こころから。おまえらを。うみだしたことを。
こうかいしている」
確かに、そう言ったそうですよ。
顔に喋れるようなものはなんにもないのに、ですよ。
そのあまりの恐怖に、あおちゃんはその場で意識を失ってしまいました。
ふふ。
まだ小さなお子さんですからね。
それも仕方のないことだと思います。
あんな現実離れした、恐ろしい目に遭ってしまっては……
その場で卒倒してしまうのも、無理はないと思うんです。
くすくすくす。
やがて――どれほどの時が流れたのか。
あおちゃんが目を覚ますと、
隣には、何事もなかったかのように、
あの、たかちゃんがいました。
「だ、大丈夫? あおちゃん」
ふふ、“いつも通り”だったそうですよ。
本当にびっくりするくらい、“いつもと同じ”たかちゃんだったそうです。
……心臓がきゅっとなったとお聞きしています。
底知れぬ恐怖に飲まれて、喉は完全に奪われたとも仰っていました。
くすくすくす。それもそうですよね。
幼馴染だったからこそ。
唯一、心を許せる――大切な友人だったからこそ。
あおちゃんにとって、たかちゃんの異常なまでの豹変ぶりは、あまりにもあからさまで、“不気味”だったのでしょう。
ましてや、たかちゃんとあおちゃんは、
普段から“特別な関係”だったみたいですから。
ふふふ……そして、
あおちゃんが気がついたときには、
やっと――
雨は上がっていたそうです。
そう、ようやく――雨は上がったのです。
分厚い雲の切れ間からは、
思わず息を呑むような、
まぶしい晴れ間が、そっと顔をのぞかせていました。
……ですけどね。くすくすくす。
え? 急に笑い出して、どうしたんだ? ですって。
いえね、“あの日”のことは、実はわたくし、“はっきり”と覚えているのですよ。
ええ、 そうですね。
むしろ、覚えてない方がおかしいと言っても差し支えないかもしれません。くすくすくす。
だって、ですね。
『あの日』は――
のちに『削ガレノ刻』と呼ばれるおぞましき忌み日となったのですから。
あおちゃんと、たかちゃんは――
ええ、間違いなく“それ”と――顔を合わせていたんですよ。
得体の知れない。
不気味な、“それ”と。
間違いなく。
え? なにをって?
ふふふふ。
はらみた様
ですよ。
おふたりはですね、あの日――世にも奇妙な伝説の“怪異”と、
“顔をね”、
”合わせていた”んです。
わたくしたちのあいだでは、
“それ”を、
“腹に業を宿す”と書いて、はらみた様と呼んでいます。
“はらみた様”は、わたくしたちにとって、早い話が“神さま”のような存在です。
その正体が何であるのかは、わたくしたちにもまったく見当がつきません。
ただ――脆弱な存在であるわたくしたち人間にとって、“はらみた様”は、災いの種を振りまく、恐ろしい死神のような存在だと、怪奇蒐集家のあいだでは古くから語り継がれてきました。
ただそれだけが、ただそれだけのことが――ずっとずっと粛々と語り継がれてきているのです。
もっとわかりやすいたとえで言うなら、
“はらみた様”は、
万物を支配する邪神さまのような存在なのです。
たかちゃんはですね、
あの日、閑散とした村の広場で――あおちゃんしかいなかった静謐な東屋で。
雨宿りをしていたことにより――
偶然にも、『天さま』がその身に宿ってしまったようなのです。
昔の人の中には、『雨宿り』のことを、
『天宿り』と呼ぶ人もいたくらいですからね。
それにしても、ね。
やっぱり、あおちゃんもたかちゃんも心からツイてないと言えますねえ。
本当に、ツイてないにもほどがありますよ。
だって……
そんな、化石級の『はらみた様』なんて言う、不可解でおぞましい“神さま”に目をつけられてしまったんですから。
ちょっと……あまりにも可哀想すぎて、言葉が出なくなってしまいますね。
けれど、このお話は――
たかちゃんとあおちゃん、おふたりだけで終わる話ではなかったのです。
“あの日”
――たかちゃんの身体に天さまは降臨なさいました。
しかし、それは――
あくまで、すべての始まり。
『終わりの始まり』――だったのです。
天宿りされた
たかちゃんの予言は
当たっていました
相当に、“お怒り”だったのでしょうね。
その、よくわからない神さまは。
“はらみた様”という、不気味な存在は。
清々しいまでに澄みきった青空の下で、
今にもこぼれ落ちてきそうなほど、圧倒的な大いなる天の下で
“ありえない”
『それ』は――
地上を見下ろしていました。
青空いっぱいを埋め尽くす――
その、とてつもなく巨大な顔には、
目も、鼻も、口も、耳も、なにもありませんでした。
そして――信じられないほど巨大なその顔の中心からは、真っ黒な渦が、まるでこの世界のすべてを飲み込まんばかりに、
ぐるぐるぐるぐる、
ぐるぐるぐるぐる、
ぐるぐるぐるぐる、
と勢いよく螺旋を描いて回り始めたのです。
“それ”自体が、まるで意志を持っているかのように――。
ふふふ。そこから先のことは、もう語らずともおおよその想像はつくでしょう?
『天宿り』――
そして、『削ガレノ刻』。
――それは、ある秋の日に起きた、凄惨かつ未曾有の大天災でした。
ふふ、神々の前ではですね、人間など所詮は無力なんですよ。
なすすべもなく、ただ、蹂躙されるのみなんです――
めちゃくちゃに。
ぐしゃぐしゃに。
原型をとどめぬほどに。
そして――ずいぶん後になってから、ようやくひとつだけ、明らかになったことがあります。
それは、“あの日”、そう、“大天災”が起きたあの恐ろしい日に――
日本の地図から、あるひとつの村が、跡形もなく、まるごと消え去っていたというのです。
まるで、最初から存在していなかったかのように――。
今ではもう、廃村となってしまったその村の名は――『天実村』と言います。
なお、天実村がなぜ消滅したのか。
その原因については、今となっても何ひとつとして分かっておりません。分からないのです。
ただひとつ、確かに伝わっていることがあります。
それは――
天実村のあちこちには、今でも、
まるで果物の皮のように“きれいに削がれた顔”が、
人間の顔が、
いくつも、いくつも、
散らばっている――のだそうです。
くすくすくす……。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
ご覧いただき、心より感謝申し上げます。