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006,ユウト・ラグネア観察日誌1 作成者:イネス・フォールディア

これまでのことをイネス視点で書いてるだけなのですらすらーっと目を通していただければ大丈夫です


No.01──初対面・第一印象(※現場:ラグネア邸・玄関前)

記録時刻:午前六時四十二分。空気はまだ夜の名残を引きずっていた。


扉が軋む音とともに現れたのは――布の山だった。

……いや、正確には“寝巻きらしきボロ布に包まれた青年”だったのだが、第一印象としてはほぼ“ふとん”。


「……なんですかこれは」

思わず口から漏れそうになった呟きを、かろうじて飲み込んだ。


髪は乱れに乱れ、まるで鳥が家を作りかけて放棄したような状態。目元には深いクマ。

だが驚くべきは、当人がまったくそれを気にしていないことだ。


羞恥? 動揺? そんなものは一切存在しない。

むしろ「どうしてこんな朝っぱらから……」と言いたげな顔で、我々を見下ろしていた。


そして次の瞬間、あの一言である。


「……寝るわ」


言い放って、扉を閉めかけた。

王命による強制結婚の告知に対して、この反応である。

常識を逸した危機感のなさ――いや、もしかするとこれもひとつの覚悟なのか?


自己認識能力の欠如か、羞恥心の極端な欠落。

あるいは――すべてを諦めた合理主義者。


結論はひとつ。


この男、異常にマイペース。

いっそ王族より上位種。要注意対象。


私はこの瞬間、直感的に理解した。

この“寝巻き布の怪物”は、クラリス様にとって、最も厄介な“予定外”になるだろうと。


No.06──生活環境適応能力

記録時刻:午前九時十二分。クラリス様の「屋敷改造計画」進行中。


整備の第一段階――掃除、配置換え、動線再構築。

屋敷は着々と“人の住む場所”へと進化していく中、当の主――ユウト・ラグネア氏は。


……ほとんどの変化に、ガン無視であった。


「ほう、ソファの位置が変わってるな」

「……まあ、いいか」

「台所? 遠くなったな……死ぬかも」

以上、初期の観察メモから抜粋。


まるで他人事。

どれだけ家具が動こうが部屋割りが変わろうが、彼の生活リズムには微塵の影響もない。

だが――一ヶ所だけ、例外があった。


それが“読書スペース”。

リビング脇の出窓に面した小さな一角。そこに限って、彼は妙に細かい。


・椅子の背もたれ角度:13度傾斜

・足を投げ出す方向:常に陽の当たらない壁側

・カップ置き場:右肘から半歩の範囲

・日光の入り方:午前中の斜光、カーテン半開きが最適


……誰がそこまで気にしていた?


本人いわく「なんとなく落ち着くから」らしい。

だが、その“なんとなく”の裏には、明らかに蓄積された習慣と最適化の跡があった。


さらに驚くべきは――クラリス様による“動線最適化計画”が進むなか、

この男、なぜか毎回ちょうどいい位置に移動しているのだ。

まるで先を読んでいるかのように。

誰にも指示されず、愚痴一つもなく、淡々と新しい動線に溶け込んでいく。


──これは偶然ではない。

──これは、適応だ。


結論:

「怠惰」を盾にしているが、実態は“最小動作主義の職人”。

手抜きではない。最短を見極める眼と、無駄を省く勘。

侮れない――この男。


観察者として断言する。

ユウト・ラグネアは、“動かない者”ではない。

“動く価値があると判断したときだけ、正確に最短距離で動く者”だ。


……たぶん、それがいちばん厄介なタイプである。


No.13──社交的影響力

記録時刻:午後二時四十八分。

対象者、ソファに横たわりながら読書中(なお、開いてから30分以上ページが進んでいない)。


本日の主な観察対象は、人間関係における影響力の変遷についてである。


当初、クラリス様の命で屋敷に配属されたメイドたちは、対象者=ユウト・ラグネア氏に対し、露骨な敵意を示していた。

特に厨房担当フェリアは、


「この人、味覚も社会性も腐ってそう。毒殺も視野に入れますわ」


などと真顔で発言(※危険発言として後に注意処分)。

だが、事件(未遂)もなく数週間が経過した現在――


そのフェリアが、今日こんなことを口にした。


「……この人、話してみると意外と悪い人じゃないのよね」


……は?


こちらとしては二度見ならぬ“耳二度聞き”である。


ユウト氏が誰かと積極的に会話した場面など、記録上ほとんど存在しない。

しかし、改めて過去の対話ログを確認してみると、確かに彼はこういう会話をしていた:


フェリア:「このレシピ、クラリス様のお好みに合うか分からないのよね」

ユウト:「そこに蜂蜜を足すと、彼女の“気分”だけは良くなるかも」


たった一言。

にもかかわらず、それは核心を突いていた。

そしてフェリアはそれを実行し、クラリス様の機嫌は上向いた。


他にも、掃除担当マリアには、


マリア:「この本棚、どう整理すれば……」

ユウト:「作者の名前で並べればいい。ジャンルや時代はあとからついてくる」


やはり、一言。だが、その一言が「信頼」に繋がる。

対象者の会話スタイルは、“8割スルー、2割正論”。

だが、その“2割”がことごとく急所を突いている。


推測:

対象者は、会話を精査し、必要最低限の情報だけを抽出して返している。

それはもはや対話ではなく、戦略的応答に近い。


結論:

対象者は、何もしていないようで“最短距離”の人間関係を構築している。

その姿勢が、警戒を緩め、信頼を生み、気づけば周囲が歩み寄っている。


まさに、空気そのものを制圧する怪物。


自分から動かず、周囲を“居心地のよさ”で操作するこの男……


新種の外交型怠惰。要注意人物につき、引き続き監視を強化する。


No.20──主との関係進行度

記録時刻:午後一時一二分。観察対象者、昼寝中(なお、枕が風で飛びかけたが無反応)。


本日も、屋敷内では微細な変化が起きている。

特に注目すべきは、クラリス様と対象者(ユウト氏)との距離感の変動である。


まず、観察された行動ログ:


クラリス様:「……天気もいいですし、庭に出てみませんか?」

→ユウト氏:「今日は布団の湿度がいい感じなのでやめとく」


クラリス様:「近くの並木道、風が心地よいそうですわよ」

→ユウト氏:「じゃ、30分だけ」


意外なことに、クラリス様による外出・接触誘導は、日を追うごとに増加。

しかし、その成功率はおよそ2割に留まる。


……だが、その2割こそが問題である。


対象者は、その“たまに応じた”時間の中では一切文句を言わず、時には――


「傘、持ってやるよ」


「風で飛ぶぞ、その裾」


――といった、さりげない気遣いを見せている。

普段“全身で世界を拒絶”している男とは思えぬ自然さだ。


推測:

対象者はクラリス様だけに向けた感情的優先順位を持ち始めている可能性が高い。

ただし、その自覚は皆無。いや、もはや意図的に思考停止している節すらある。


だが、外野から観察している身としては気づいてしまう。

このまま進行すれば――


一見、主導権を握っているのはクラリス様。

だが、情緒的なペース配分を支配しているのは、間違いなくユウト氏である。


結論:

ユウト・ラグネアは“動かぬまま人の心を引き寄せる”型の静的捕食者。

感情に名前を与えないまま、心の根を張り巡らせる。


クラリス様が「少しだけ距離が縮まった」と思った瞬間には、

すでに彼の“情緒の温度”に巻き込まれている可能性がある。


対策案:

早期に対象者の“自己認識”を促す必要あり。

しかし、それに気づいた瞬間、

クラリス様の方が先に落ちている可能性:極めて高。


繰り返す。

要警戒。いや、むしろ……要、覚悟。


No.23──最重要記録

記録時刻:深夜2時12分。屋敷内、静穏。だが“彼”だけが覚醒していた。


寝静まった屋敷の中、不自然な気配に気づいた私は、最も警戒度の高い部屋――書庫へと足を運んだ。

そして、私は“仮面の裏側”に初めて触れることになる。


そこにいたのは、寝巻き姿でもなければ、布団と同化した怠惰の象徴でもなかった。


月明かりの差す書庫の奥。

彼は、魔導理論の分厚い書物を片手に、黙々とノートを取り続けていた。


指先が迷いなくペンを走らせ、視線は数式の網の中を泳ぐように動く。

その姿はまるで、長年鍛錬を積んだ研究者のようだった。


……私は、言葉を失った。


そして次の瞬間。


「なあ、イネス」

彼は、不意にこちらを向いて口を開いた。

「……俺が、本当に“何も考えてない”って思ってるか?」


その声は、静かで、冷ややかで、どこか遠い。

顔を見れば、いつもの気だるげな笑みではない。

本気の男の顔――それが、そこにあった。


私は返答しなかった。いや、できなかった。

返答を求められていないことが、わかっていた。


彼はひとつ、肩をすくめるようにして、軽く笑った。


「まあ、どっちでもいいか。……知ってて、黙っててくれるのは、わりと助かる」


それだけを言い残し、再びペンを走らせる音だけが空間を支配した。


私は部屋を後にしながら、背筋を冷たい何かが撫でていくのを感じた。


――この男は、ただの怠け者ではない。


その夜。

私は観察日誌の表紙に、そっと書き加えた。


新たな副題――


『怪物の仮面、その裏に』


対象:ユウト・ラグネア

危険度:測定不能

影響力:予測不能

感情的被害予測:クラリス様(進行中)


備考:

……“何もしない”という仮面の下に、

あまりにも無慈悲な“天才”が潜んでいる。

気づいた者から、飲み込まれる。

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