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003,過去に浸るのも悪くないでしょ?

夜も更けたラグネア邸。クラリスが自室で資料を整理していた頃、ユウトは書庫の奥、誰も寄り付かない古い椅子に体を沈めていた。


蝋燭の明かりの中、彼は一冊のノートを開いた。

古びた、表紙の擦れたそのノートには、震えるような文字で、幼い頃の文字が並んでいた。


【魔力制御実験 No.21】

成功率:16%

被験者:ユウト(9歳)

副作用:失神、吐血、記憶混濁


「……懐かしいな。地獄の日記帳」


ユウトがまだ“天才児”と呼ばれていた頃。

没落の始まりを止めようと、ラグネア家の当主である父は、唯一の息子に膨大な知識と魔力訓練を与えた。否、与えたというより――“課した”。


「お前は我が家の希望だ。努力しろ。逃げるな。怠けるな」


毎日が、走るか、倒れるかの二択だった。

食事は栄養管理された合成食。睡眠は四時間。

魔力の負荷によって発熱しても、癲癇のように痙攣しても、誰も止めてくれなかった。


母は早くに亡くなり、屋敷には父の怒声と使用人たちの冷たい視線だけが響いていた。


──だから、彼は考えた。


どうすれば、最小限の努力で、最大の成果を出せるのか。

どうすれば、これ以上努力しなくて済むのか。

その日から彼は、“怠惰”を目指すようになった。


努力を切り詰めるために、最も効率のよい知識を、最短ルートで吸収する。

無駄な人間関係も、感情の揺らぎも、全て排除する。

――心を“節約”することすら、彼にとっては手段だった。


結果、彼は魔導学院で“変人の天才”と呼ばれ、周囲から一目置かれるようになった。

だが、同時に孤立もした。

誰も“ユウト本人”を見ようとはしなかった。

それでよかった。

誰にも期待されない方が、楽だから。


……けれど、その“完璧な怠惰”の計算式は、あの日、クラリスが屋敷にやって来たことで、狂い始めた。


(……あの人は、“完璧”のために息をしているような人間だ。俺とは正反対の、最も相性の悪い相手のはずなのに)


なぜか、彼女と話すと少しだけ心が温かくなる。

自分の“怠惰”を、ただの劣等ではなく「仕様」として笑ってくれる。

それが悔しくて、でも……嬉しかった。


ユウトはそっとノートを閉じる。


そして、壁際に置かれた一冊の魔導書に目をやった。

クラリスが並び順を整えた書架。

彼女が何も言わずに、けれど丁寧に触れた場所。


(……もう少しだけ、もがいてみようかな)


小さくつぶやいたその言葉を、誰も聞いてはいなかった。


だがその瞬間、ラグネア家の空気が、ほんのわずかに変わった。


ユウト・ラグネア。

“怠惰の天才”と呼ばれた彼の中で、小さな再起が始まりつつあった――。




あれからというもの、俺の生活は――いや、正確には“環境”は、劇的に変化した。


何せクラリス嬢、うちに引っ越してくると同時に、実家のアーデルヴァイン家から“選びに選び抜いた精鋭メイド軍団”を連れてきたのだ。


結果、俺の屋敷は――


「……本当にここ、ラグネア邸か……?」


と疑うほどに変貌を遂げた。


床は磨き上げられ、窓は宝石みたいに光を反射し、俺の“生活の一部”だったホコリたちも全滅。

あの、洗濯カゴ代わりに使ってた壺も“処刑”された。


「埃は精神を曇らせます。まずは空間から整えるのです」と、どこぞの宗教みたいなメイド長が言っていたが、正直、反論の余地もなかった。


──だが、問題はそこじゃない。


そのメイドたち、全員が全員、“お嬢命”という名の宗教にガチで入信しているタイプだったのだ。


で、当然というか、俺への評価は最低ランクを遥かに下回っていた。


「お嬢さまがなぜあんな男を……」

「暗殺の依頼……通らないかな」

「お嬢にはもっと、こう……騎士団長とか、天才貴族とか、まともな人を!」


……いや、それ、俺に聞こえてるんだけど。ていうか、内容アウトじゃない?

普通に処刑対象のセリフだよ? 誰か王宮に通報してくれよ。


ちなみに、俺に「礼儀作法とはなにか」という講義を意気揚々と始めたメイドもいたんだけど、三日後には「まあ……挨拶だけできれば……いっか……」と諦めモードに移行していた。

現在は週に一度の“形だけの作法チェック”をしてくるだけの存在になっている。


それでも――


(妙に居心地、悪くないのがムカつく)


屋敷は綺麗だし、食事はうまい。

風呂も毎日湧いてるし、布団が干してあると、幸福度が跳ね上がる。


クラリスはというと、俺に関わる部分は徹底して見ないようにしてるくせに、衣服のサイズとかだけはきっちり把握してくれてたりする。

そういうところがまた、ややこしい。


……俺の“静かに朽ちる”という壮大な人生プランは、もはや形骸化しつつある。


だが口ではなんと言おうと、俺の中の怠惰スピリットは――ギリギリ、生きていた。


「まだだ……まだ負けてない……俺は、俺であり続ける……!」


とはいえ、次の瞬間。


「ユウト様、お茶をお持ちしました」


「……ありがとう。玄米茶だ。気が利くな」


なんて自然にメイドに感謝してるあたり、俺も大分“矯正”されてきてる気がする。


……やばいな。

このままじゃ、ぬくぬく暮らす“ただの良い人”になっちまう。


王国一の怠惰貴族としての誇りが、また少しだけ揺らいだ気がした。


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