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002,気質、傲慢。悪役令嬢クラリスの場合

王命とは、つくづく残酷なものだと思う。


名門アーデルヴァイン家の長女、クラリス・エレーヌ・アーデルヴァインとして、私は常に完璧であることを求められてきた。

そう在ろうと努力してきた。

弱さは許されない。感情は贅肉。慢心は敗北。


だから、五人の婚約者が私から去ったときも、私は一度たりとも涙を流さなかった。


──そして今、六人目が決まった。


ユウト・ラグネア。没落貴族。実質無職。魔導学院休学中。社交界での評判、ゼロ。


選定理由:王命。おわり。


「……これ、絶対に外れくじですわね」


馬車の中、私は無表情のまま嘆息した。


だが──門の向こうに現れた彼は、私の想像をさらに下回ってきた。


ボサボサの髪。着古したローブ。覇気ゼロの半開きの目。


「……は?」


それが彼の第一声だった。


違う。普通、初対面なら「初めまして」では? それとも「どうぞお入りください」とか。

なぜ“は?”で始まるのか。

人として、いや貴族として、最低限のマナーすら欠けている。


「おはようございます、夫」


そう名乗った私に、彼は目を細めてこう言った。


「……寝るわ」


……開いた扉を、閉めようとした。私を前にして。


「最低ですね」


心からそう思った。

けれど不思議と、胸の奥にひっかかった。


この人、本当に私と結婚するの? これが“政略”の正体なの?

私のこれまでの努力は、全てこんな怠惰な男に吸収されるの?


その後の屋敷の内部も、酷かった。


整理されていない書庫。塵の浮いた空気。意味不明な色のカーテン。

……これが“名家”の跡取りの暮らしなの?


私は指摘した。指導した。問い詰めた。


けれど返ってくるのは、“怠惰だから”“仕様だから”と、開き直りの言葉ばかり。


腹立たしい。理解できない。なのに──

どこかで、その抜け落ちた彼の在り方に、私は言葉にできない感情を抱いていた。


(……この人、本当に馬鹿なのかしら? それとも、ただ誰にも関心を向けられてこなかっただけ?)


思考の一部が、勝手に彼を分析しようとする。

いつもなら、すぐに切り捨てるのに。


私は完璧を追い求める。誰かのためではない、自分のために。

その信念は変わらない。


「ユウト様、朝食は?」


「おはようございます、クラリス嬢。僕は本日、寝て過ごすことに決めました」


「はあ?」


彼は堂々と、布団の中から返事をした。しかも敬語なのがまた腹立たしい。

そのくせ態度が全然敬っていない。


「朝食は摂るべきです。規則正しい生活は魔力制御にも影響が――」


「昨日の魔導書、まだ途中だったんだよね……いいとこで寝落ちしちゃってさ。朝食とる時間があったら、読了に使いたいなって」


「……読了?」


「あれ、クラリス嬢、読んでなかった? 『転位陣式構造論』。すごいんだよあの本、まさか空間転位を座標式じゃなく“直観接続”で解釈するなんてさ……天才か?」


「…………」


言葉を失った。


確かにその本は、今期の魔導学院でも一部上級生しか触れていない専門書。私もまだ読みかけだった。

それを、朝から布団にくるまったまま熱弁?


「……あなた、本当に怠け者なの?」


「うん。自信ある」


なぜか、少しだけ笑ってしまいそうになった。


その後も、ユウトは私の常識をことごとく打ち砕いてきた。


昼過ぎ、書庫での出来事。


「……分類が滅茶苦茶です。この書架、体系もラベルも整っていない」


「うん、感情で並べた」


「感情?」


「“読むと泣ける”ゾーンと、“読むと寝落ちできる”ゾーンに分けた。あと、“すべてを諦めたくなる哲学本”ゾーンもあるよ。今日そこから読む?」


「遠慮します」


完璧な体系こそが美しいと思っていた。

けれど彼の中では、“自分が楽に、速く、正しく手を伸ばせる配置”が最適解だった。


どこか、悔しかった。

私の中の“完璧”が、少しだけ揺らいだ。


夜、廊下を歩いていたときのこと。


ふと扉の隙間から見えたユウトは、ロウソクの灯りの下で、筆を走らせていた。


「……あの、何を書いているのです?」


「次元跳躍魔法陣の改良図。魔導学院の教授から依頼されてて。あ、でも布団から出るの面倒だから郵送は任せた」


「……え?」


私の知る限り、王国で“あの教授”に協力できる人物はほとんどいない。

それなのに、彼は涼しい顔で布団から手だけ伸ばして、図面を仕上げている。


──この人、本当にただの怠け者なの?


(……違う。彼は、怠惰を極めているだけ。最短距離で、最小努力で、最大成果を狙ってる……それができてしまう)


私が血を吐くような努力で積み上げた技術や知識を、

彼は無駄な動きを省いた状態で、いとも簡単に、しかも楽しそうに手に入れていく。


(……ずるい人)


そう思った。

でも、もう一つ――私は、少し羨ましかったのかもしれない。


誰にも期待されず、誰にも追われず、それでも誰よりも先を歩いているような彼の姿が。


「……あなた、やっぱり放っておけません」


その言葉に、自分でも驚いた。

けれどその時、彼はあくび混じりにこう答えた。


「じゃあ、おやすみ。今日も完璧だったね、クラリス嬢」


まるで、私が“当たり前に完璧でいること”を肯定してくれるように。


心が、また少しだけ揺れた。






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