015,気質、憤怒。オズワルド・バルトゥルの場合
それは、静かな午後だった。
クラリスは庭園でティーカップを手にしており、ユウトは彼女の隣で新しい魔導書を半分寝ながら読んでいた。
だがその空気を、鋼鉄の蹄音が破壊する。
「ユウト・ラグネアッ!! 表へ出ろッ!!!」
門前に、鎧に身を包んだ若き騎士が立っていた。目は燃えるような怒りを湛えて。
「……誰?」
ユウトが眉一つ動かさずに問う。
「クラリス様の騎士、オズワルド・バルトゥル! 貴様のような怠惰の化身に、あのお方は渡さん!!」
その名を聞いた瞬間、クラリスの紅茶がカップごと揺れた。
「……まさか、オズ……?」
「クラリス様ッ!」
オズワルドは馬を降り、まっすぐクラリスのもとへ駆け寄る。
「何故このような男と共にいるのですか! 俺はずっと……ずっとお傍に――」
「やめなさい」
クラリスの冷静な声が、オズワルドの言葉を切り裂いた。
「今の私は、ユウトと共に暮らしています。それは、王命であり……私自身の意志でもあるわ」
「ですが……!」
「私の意志を否定するつもり?」
その一言に、騎士は言葉を失う。
しかし、彼の拳は震え続けていた。悔しさと、プライドと、想いが入り混じって。
「……ユウト・ラグネア。お前に決闘を申し込む。勝った方が、クラリス様の隣に立つ資格を得る!」
「えー……やだ」
即答だった。
「貴様ッ!」
「そもそも、決闘って何のルールで? 紅茶の淹れ方か? 寝転び耐久? 魔導理論口頭試問?」
「剣でだ!! 騎士たる者の証、剣術で勝負を――!」
「俺、剣とか持ってないし」
「だったら貸してやる! 今すぐ訓練場へ!!」
「……あー、ちょっとめんどくさいな。クラリス、代わりに戦ってくれない?」
「怠惰の極致ですかあなたは」
ユウトはため息をついて立ち上がる。
「分かった。じゃあ、“俺が勝ったら”どうする? 君、引き下がる?」
「……くっ……当然だ! 騎士の誓いにかけて!」
「じゃあやろう。ルールは一撃交差、先に剣を落とした方の負け」
「受けて立つ!」
──そして、数分後。
訓練場に、金属が擦れる音が響く。
「来い、ユウト・ラグネア!!」
オズワルド・バルトゥル。
クラリスの騎士であり、彼女を守る剣。
その双眸は燃える“憤怒”の気質に染まり、容赦の一切ない構えで剣を構えている。
対するユウト──
「……ふぁあ……まだ始まってない? ていうか、ここ暑くない? 日陰でやろうよ」
寝癖そのまま、剣も片手でぶら下げて、やる気ゼロの構え(というか構えてすらいない)。
「ふざけるなッ!」
怒声とともに、オズワルドの一撃が走った。
風が裂け、地を穿つような鋭さ。観客のメイドたちが思わず悲鳴を上げる。
だが。
「……はいはい」
ユウトはただ、半歩だけ、緩やかにずれた。
剣閃は空を切り、ユウトのローブの裾すら掠めない。
「くっ……!」
「なんか……クラリスに嫌われるのが怖すぎて力入りすぎてない?」
「黙れぇッ!!」
第二撃。第三撃。連続する鋼鉄の雨。
騎士の誇りと想いが乗った全力の斬撃が、容赦なく振るわれる。
だがユウトは──
「おっと、そこ段差あるよ」
「足、滑るよ」
「今の、剣の重心、ちょっとズレたでしょ」
避ける。受け流す。捌く。
そのすべてが、“最小動作”。
まるでこの勝負すら“なるべく疲れないように処理する”かのような、怠惰の極致。
「な、何者だお前はッ!!」
「……だから言ったでしょ。俺、怠けるためなら、努力は惜しまないタイプ」
オズワルドが踏み込む、その瞬間。
ユウトの手が、初めて“真面目に”動いた。
――キィン!
剣と剣が正面からぶつかり合う。
だが、次の瞬間には。
オズワルドの手から、剣が宙に舞っていた。
「……嘘、だろ……」
全力の構え、真っ直ぐな誇り。
それを、ローブ姿の青年が、片手で止めたという事実。
「オズ。君の想いは、たぶん……本物だ。でもそれと、クラリスの意思は別物だろ?」
ユウトの声は、どこまでも静かだった。
戦っていたというのに、まるで午後の紅茶でも飲みながら話しているかのように。
「……俺は……俺は……っ!」
「分かるよ。守りたいんだろ? でもさ、クラリスはもう、誰かに守られるだけの人間じゃない。そう育ってきた人だよ。……俺、知ってる」
「……っ、なら、お前はどうだ! 本当に、あの方に相応しいと……!」
ユウトは、ほんの少しだけ視線を逸らし、
そのあとで、いつもの調子で笑った。
「……正直、分かんない。でもまあ……せめて、クラリスが笑ってる間くらいは、近くにいてもいいかなって思ってるよ」
オズワルドは、言葉を失った。
ただ一つ分かったのは──
この男、ユウト・ラグネアは、「何もしないでここにいる」わけじゃなかった。
彼は“何もしていないように見せながら”、
全てを測って、選び、行動している。
怠惰という仮面をかぶった、“最短思考の怪物”だったのだ。
「……完敗だ。くそ……なんて男だ……」
「いやあ、そんなに褒められても、困る」
「褒めてないッ!」
訓練場に、ようやく戦いの空気が抜ける。
遠く、見守っていたクラリスの横顔に、わずかに安堵の色が浮かんでいた。
そして──その表情を、誰よりも悔しそうに見つめていたのは、
なお地面に座り込んだままの、騎士・オズワルドだった。
――この戦いのあと、“本気の敗北”を知った彼は、
騎士として、男として、ユウト・ラグネアを敵ではなく“認めるべき存在”と考えるようになる。
ただしそれは、さらに複雑な想いと、ややこしい未来を孕んでいくことになるのだった。
ユウトは、少しだけ複雑そうな顔でそれを見送っていた。
「……俺、何か悪いことしたかな?」
「そうね……。でも、ほんの少しだけ……格好よかったわよ」
その言葉に、ユウトは耳まで赤く染まったのだった。
──そして、
オズワルド・バルトゥルは“クラリスの騎士”から、
“ただの騎士”として、新たな誓いを胸に、己を磨く旅へと出ることとなる。
(※しばらくして、再登場予定)




