011,この紅茶なぜか落ち着く……?
静かな午後。
クラリスは屋敷の書斎で書類の束と格闘していた。王都から送られてきた資料の精査、次回の学院復学準備、そしてラグネア家再建の小さな一歩――。
「まったく……どうして私がここまで……」
溜息をつきながらも手は止めず、神経を張り詰めていたその時――
コトン
扉もノックもなく、机の脇に湯気の立つティーカップが置かれた。
「……?」
クラリスが顔を上げると、そこには
半分寝ぼけたような目をしながらも、どこか妙に落ち着いたユウト・ラグネアの姿があった。
「一応、失敗じゃない……はず。飲めそうなら飲んでいい」
「……これ、あなたが?」
「他に誰がいるんだよ、こんな時間に茶葉と格闘してるやつ」
クラリスは思わず息をのむ。
ティーカップから立ちのぼる香りは、昨日フェリアが淹れたものに近い。だが、わずかに違う。どこか、素朴で、あたたかい。
「……珍しいですね、あなたがそんな手間を」
「手間っていうか……まあ、“やってみようかな”と思っただけ」
そう言って、ユウトはぽりぽりと後頭部をかく。
「……別に大した理由じゃない。ただ、クラリスが……いつも真面目にやってんの、見ててさ」
「っ……!」
言葉に詰まるクラリスをよそに、ユウトは紅茶の入ったポットを軽く持ち上げた。
「まあ、味は保証しないけど。毒じゃないし。多分な」
「その“多分”がすごく不安なんですけど……」
「じゃあ飲まなくても――」
「……飲みます」
クラリスはそっとカップを持ち上げた。
唇をつける瞬間、少しだけ指が震えたのは気のせいではない。
――香りは控えめ。でも、きちんと温度も整っていて、苦味が出すぎず、ほんのりと花の香りが漂う。
少しだけ不器用。だが、それが妙に、心地よかった。
「……どう?」
「……まずくはないです。合格点……いえ、思った以上に、悪くありませんでした」
「そっか。じゃあもうちょい練習しとくわ」
そう言って、ユウトはくるりと背を向け、書斎を後にしようとする。
「ユウト」
呼び止めると、彼は振り返りもせずに立ち止まった。
「……その、“やってみようかな”って、思ってくれてありがとう」
沈黙。
返事はなかった。
でも、ほんの少し――
彼の肩が揺れた気がしたのは、きっと気のせいではなかった。
ラグネア邸の厨房、早朝。
「……で? わたくしに、極秘任務を頼みたいと?」
メイド長イネスは、いつも通り無駄のない動きで紅茶を淹れながら、意味深な視線をクラリスに向けていた。
「……ええ。誰にも知られずに調べてほしいの」
クラリス・アーデルヴァインは、テーブル越しに身を乗り出して囁いた。
背筋は凛と伸び、完璧な姿勢。だが、その頬はわずかに火照っている。
「対象は?」
「ユウト・ラグネアが昨日、私に淹れてくれた紅茶の――“作り方”」
イネスの眉がピクリと跳ねた。
あれは昨日の午後。クラリス様の気が妙に緩んでいたのは気のせいではなかったのか。
「……確認ですが、“どこが”知りたいのです?」
「茶葉の種類、蒸らし時間、水温、そして……なぜあの味になったのか。完璧な技術ではなかった。けれど、妙に落ち着く味だったの」
「なるほど。つまり、“再現したい”と?」
「再現は……いえ、検証です。あれが偶然なのか、意図なのか。なんとなく……あの人、無意識に最適解を選んでしまってるように見えるから」
イネスは心中でため息をついた。
――なるほど。もう“落ちてる”じゃありませんか、クラリス様。
「では、厨房班に聞き込みと、ユウト様の茶葉棚の状況をこっそり調べましょう」
「頼むわ。……くれぐれも、彼に気づかれないように」
「かしこまりました。“紅茶作戦・仮称:傾いた令嬢の執着心”を開始します」
「その名称、あとで変えてちょうだい」
数時間後、ユウト私室前。
イネスは音もなく戸口に立ち、そっと中を覗いた。
――ユウトは机に座り、紙に何かを書いている。どうやら魔導理論の整理らしい。
一方、部屋の隅には空のティーカップと、使用済みのティーポット。
(ふむ……香りは、アーデルフォード産の二番摘み。水温はやや低めに淹れられている形跡……ただ、注ぎ方が独特。多分――“あの男なりの手抜き”だ)
手抜きなのに、なぜか絶妙。
合理的怠惰の極致。
(……やはりこの男、やばい)
イネスはそっとノートに記した。
調査報告書(機密扱い)
件名:ユウト・ラグネアが淹れた紅茶の成分分析
茶葉:アーデルフォード産・二番摘み(フェリアの私物より抜き取った形跡あり)
水温:約78℃(魔導温水器使用)
蒸らし時間:短め(2分未満と推定)
特記事項:
・茶葉の量を「適当に掴んだ」と見られる痕跡あり
・カップを“温めていない”にも関わらず飲みやすい温度
・なぜか、クラリス様の好みに近い香味バランス
結論:
“天性の感覚”による偶然の傑作の可能性。再現性低し。
本人が意図的にやったかは不明。ただし――心のこもり具合はMAX。
「……やっぱり、ただの“怠け者”じゃないのね」
報告を受け取ったクラリスは、そっとカップを見つめた。
次は――彼が何も言わずとも、「また淹れて」と頼んでみるのも、悪くないかもしれない。
ただし、その顔を見て言える自信は――まだない。




