表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/19

010,そんなことよりこの紅茶うまくね?

午前十時。屋敷の庭にある小さなテラスにて。


クラリスは、銀のティーポットを優雅に傾けながら、穏やかな声で切り出した。


「ユウト。少し……話があるの」


「ん。聞くだけなら」


テーブル越し、陽光の差す木漏れ日の下。ユウトは例のごとく椅子にぐったりと寄りかかり、湯気の立つ紅茶を片手にしていた。いつも通り、眠たげな顔だ。


「昨夜、あなたのノートを読んだわ。あの、魔導理論の――」


「あー、見ちゃったか」


言葉を遮るように、ユウトは苦笑いと共に片目を開いた。


「……あれ、どうせまともに使える理論じゃないから。思いつきを書いてるだけ。机上の空論ってやつだよ」


「そうは思えなかったけど?」


クラリスの声音に、わずかな鋭さが混じる。

が、ユウトはそれすらも軽やかに受け流した。


「でも現場で使えないんじゃ意味ないだろ? あれは寝る前の脳ストレッチってやつ」


「“熱干渉の再構築”が脳ストレッチですって? どこの筋肉を鍛えてるのかしら」


「だって他にやることないし」


「……!」


言葉の矛先を封じようとするような、脱力系の一撃。


クラリスは苛立ちとも呆れともつかない感情を抑えながら、もう一歩踏み込んだ。


「あなた、自分の才能に無自覚すぎるわ。あの理論、正式に発表すれば王都の学会だって黙って――」


「クラリス、今この紅茶、すごくいい香りしてない?」


「話を逸らさないで」


「いやほんとに。このジャスミンの後にほのかにローズが来る感じ……このバランス、神業じゃない?」


「ユウト!!」


思わず語気を強めたクラリスに、ユウトはポン、と小さく手を打った。


「そっか、メイド長に伝えておこう。今日の紅茶は当たりだって」


「違う、そうじゃないの! 私はあなたの――っ」


「オレの?」


ユウトがわずかに身を乗り出し、クラリスの目をじっと見た。


その視線に、クラリスの言葉がふいに止まる。


「……なんでもないわ。あなたがそう言うなら、今はそれでいい」


「そ。なら……もうちょいだけ、眠らせて」


ユウトはまた椅子に体を沈め、目を閉じる。


クラリスは、言いそびれた想いを胸に抱えたまま、紅茶のカップをそっと口に運んだ。


――気づいているのだ。

ユウトはわざと話を逸らした。

だがそれは、照れでも誤魔化しでもない。彼の“絶妙な距離感”だ。


そしてクラリスは、なぜだかその不器用さが、少しだけ――

胸を温かくするのだった。


朝の屋敷は、いつもより静かだった。

鳥のさえずりすら遠く、日差しは柔らかく、寝床の誘惑も極まっていた。


――それでも、ユウト・ラグネアは布団から這い出た。


「……昨日の紅茶、うまかったな」


ぽつりと呟く声には、自覚なき好奇心がにじんでいる。


いつものように“面倒くさい”を盾にしていれば済んだ話だ。

だが、あの香り、あの余韻――

なぜか脳裏から離れなかった。


ふらふらと足を引きずりながら、彼は屋敷の厨房へと向かう。


「……フェリアさんっていたっけ?」


「いますけど、何ですか。寝ぼけ顔のまま厨房に現れないでください。衛生が死にます」


「あー、まあ……ごもっとも。でも、ちょっとだけ、聞きたいことがあって」


フェリアは手にしていたポットの湯気越しに眉をひそめる。


「紅茶の……淹れ方。昨日のやつ。なんか、うまかったから」


瞬間、厨房にいたメイドたちの動きが止まった。


怠惰の権化、布団の精霊、やる気の墓場とまで陰で呼ばれた男が――

自ら“紅茶の淹れ方”を尋ねたという事実に、軽く鳥肌が立つ。


フェリアは目を細め、慎重に問う。


「……何か悪いものでも召し上がりました?」


「いや、普通に。気になっただけ」


「……なるほど。では、こちらへ」


メイド長不在の厨房で、フェリアは静かにポットを差し出す。


「これはダージリン。葉の分量と湯温、それに蒸らし時間が肝です。昨日のはジャスミンをベースにした特調ブレンド。軽くローズを浮かべてます」


ユウトは珍しく真剣に耳を傾けていた。

寝癖はひどいままだったが、その目だけは――静かに、深く何かを捉えていた。


「へえ……そんなに色々あるんだな。香り、奥にちゃんと理由あるんだな」


「当然です。クラリス様に出すものですから、手は抜きません」


「……だよな。だから……ちゃんと伝えておきたくて。ありがとな」


「……ッ、ッ!? ちょ、ちょっと待ってください、今の録音してない、誰か……!!」


フェリアがうろたえる傍らで、ユウトはふわっと笑い――


「じゃ、俺は俺で、淹れてみるか。趣味ってほどでもないけど、ちょっとだけ」


そう呟いて、眠たげな貴族は自室へと戻っていった。


その背中を見つめながら、フェリアはそっと呟いた。


「……あの人、絶対何か“隠れ変化”してる。絶対おかしい……」


でも。


不思議と、悪い気はしなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ