001.気質、怠惰。主人公ユウトの場合
この世界では、人の“性質”は七つの“罪”で分類される。
「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」――
いずれかがその人間の最も強く表れた“気質”として割り振られ、社会的評価の基準となる。
王国における階級、進路、学園での寮分けすら、この“気質”に左右される。
だが当然、それは“絶対の真理”などではない。
人の心はもっと複雑で、矛盾し、揺れ動くものだ。
にもかかわらず、貼られたレッテルは一生剥がれず、他人からの評価を支配し続ける。
――そして、俺、ユウト・ラグネアは“怠惰”の気質を与えられた貴族の落ちこぼれである。
天井を見つめたまま、俺は深く――そして思いっきりダラけた呼吸を吐いた。
ぬくぬくの羽毛布団に身を沈め、俺は今日も“やらなくていいこと”の選定に全力を尽くしていた。
「うーん……昼メシ、取りに行くべきか……。いや、ここで空腹と共に朽ちるのも悪くない……」
実に悩ましい問題だ。
キッチンまでの距離、およそ五十歩。世間的には“近い”に分類されるだろう。だが俺にとっては、五百歩くらいの気力を消費する大冒険。
しかも、まだ読んでない書物が本棚に眠っているし、先日思いついた魔導理論の再検証もしたいところ。
そのうえ、この布団が、あまりにも誘惑してくるのだ。
「よし……今日は水で生きよう。栄養は読書から摂取すればいい……そうだ。そうしよう……」
自分で言っておいて、我ながら意味が分からん。
けど、まあこれが俺の日常だった。
貴族社会で最低評価――“怠惰”の気質を持った俺、ユウト・ラグネア。
没落寸前の名家の末裔であり、名前だけの爵位を与えられた落ちこぼれ。
広いくせに静まり返った屋敷で、使用人もいない。誰に看取られるでもなく、誰に期待されることもなく、俺は“静かに朽ちる覚悟”で今日も惰眠を貪る――はず、だった。
だが、そんな“完璧な怠けライフ”は、突然終わりを告げることになる。
それはまさに、寝起きには刺激が強すぎる“爆弾”だった。
その日は珍しく、朝。
まだ太陽も眠気を引きずってるような時間帯――なのに、屋敷の外からカツン、カツンと馬車の車輪の音が響いてきた。
……嫌な予感しかしない。
案の定、門の前に停まった豪華な馬車から、執事服に身を包んだ初老の男と、バチバチに気圧を放つ若い女性が降りてきた。
「ユウト・ラグネア殿。お迎えに参上しました。こちら、クラリス・アーデルヴァイン嬢であらせられます」
――うん、意味が分からない。
寝癖つき放題の髪、くたびれたローブのまま玄関を開けた俺は、まだ夢の中かと本気で思った。
そこに立っていたのは、金と銀が混ざり合うような髪をなびかせ、真紅のドレスを纏った、いかにも“完璧”な女。
その存在感、目ヂカラ、放たれる圧……どれをとっても俺の布団の真逆。
「……おはようございます、夫」
「……は?」
いや、もう一回言って。今“夫”って言った? 俺、まだ夢の途中?
クラリス・アーデルヴァイン。
王国随一の名門アーデルヴァイン家の令嬢。
“傲慢”の気質を持つ、完璧主義の悪役令嬢。
婚約者を五人潰したというヤバい伝説持ちで、貴族子弟の間では“婚約破壊姫”の異名で恐れられている。
「……まさかとは思いましたが、本当にその格好で出迎えるとは。名家の御曹司として、自覚はお持ちで?」
「えーと……お客さん、どちら様?」
「……結婚相手です」
「……寝るわ」
即断即決。脳が現実を拒否して、体が布団に帰還しようとするのは自然な流れ。
だが――。
ガシッ、と俺の肩に重くて硬い手が乗る。老騎士が無言で、しかし強い力で扉を閉めさせてくれない。
「政略結婚です。文書も手続きもすべて、王命により完了しております。拒否権はございません」
え、ちょっと待って。王命ってなに? そんな強引な国なの? この国、もうちょっと民主主義とか……
俺は、そっと目を閉じた。
そして、あのふかふかの羽毛布団のぬくもりを思い出しながら――泣きたくなった。
「この屋敷……最低限の掃除もされていませんね。台所の戸棚には埃、書庫の本は無秩序、そしてこのカーテン。何ですか、この色。趣味、悪すぎです」
いきなりダメ出しの嵐。
クラリス・アーデルヴァイン嬢、初日から全力投球である。
「え、でも俺、こういう“自然との共存”っていうか、“暮らしに寄り添う怠惰”を目指してるんだけど……」
「黙ってください。思考の質が下がります」
鋭すぎるツッコミ。俺のライフ、いきなりゼロ。
立ち上がる暇すら与えてくれない。
「あなた、このままならば、今のままでは社会的に死にます。最低限、他人に不快感を与えない服装と姿勢を――」
「え、服装って……ドレスコードに布団って入ってないの?」
「入ってませんし、入るわけがありません。今すぐその、寝巻きとも言えない謎の布と決別してください」
「やだ」
「子供ですか」
「俺、“怠惰”なんで。そういう設計なの」
クラリスはこめかみに指をあて、深く、気品ある――そしてなぜかムカつくくらい美しい――ため息をついた。
「……分かりました。あなたの“怠惰”とやらを、いちいち矯正する気はありません。でも私は、完璧を目指します。それが私の信念です」
「お互い干渉しない方向でいこう?」
「……できる限り努力しましょう」
全力で歩み寄る気ゼロ。
そうして、“怠惰の申し子”と“完璧主義の令嬢”による、史上最低にかみ合わない共同生活が幕を開けた。