第97話 リッチな冒険者
「実はさ」
シャルが真剣な表情で私の目を覗き込む。
午後の陽射しが、彼女の赤い髪を燃えるように照らしていた。
遠くでは、まだ祝賀の花火が鳴り響いている。
人々の歓声が風に乗って届き、空気が震えるような感覚。
石畳に落ちる火薬の残り香が、鼻をくすぐる。
「あたし、今までの依頼報酬、ほとんど全部貯金してたんだ。使うタイミングもなかったし」
「……?」
首を傾げる私に、シャルは胸元の小さなポーチから一枚の紙を取り出した。
丁寧に折り畳まれた帳簿のようなものだ。羊皮紙特有の温かみのある手触りが伝わってくる。
きちんと記帳されているその紙には、これまでの依頼の報酬額が整然と記されている。
インクの香りがまだ新しい。最近の記録は昨日書いたばかりのようだ。
「えっとね。シャロウナハトの報酬、ノルディアス、レイクタウン、アランシア、エテルナ……グレイシャル帝国でもかなり受け取ったし、東方でも道中ちょいちょい貰って……。あっ、それと今回の魔城撃破でさらに100クラウン!」
シャルの指が、帳簿の項目を軽やかにたどっていく。
爪先が紙をカサカサと擦る音が、心地よいリズムを刻む。
その動きに合わせて、私の目が点になっていった。
「全部合わせるとね、500クラウンくらいになるんだよ……! ほら、通帳!」
シャルが見せてくる銀行の通帳。
深緑色の表紙には、アランシア王国銀行の金の紋章が輝いている。
預金額を示す数字の羅列に、私は目を見開いた。
(500……クラウン……? え、えぇと……)
私の脳が、その金額を理解するのに時間がかかる。額の汗を拭いながら計算する。
1クラウンで、普通の宿に1週間泊まれる。
かなり高級な杖でも30クラウンもあれば十分だ。
つまりこれは……街一番の宿に泊まって、毎日高級料理を食べて、それでも半年は余裕で生活できる金額?
いや、もっと? 計算が追いつかない……!
「あとこれ、ミュウちゃんの分も含めた金額だからね! この半分がミュウちゃんの!」
「え……えぇ……!?」
思わず声が漏れる。250クラウン。
今まで最高でも2クラウンくらいしか持ったことない私に、そんな大金が……。心臓が早鐘を打つ。
「このお金はミュウちゃんの頑張りでもあるからね! 当然のお金だよ!」
シャルの声には、迷いがなかった。その瞳には、真っ直ぐな想いが浮かんでいる。
秋の風が二人の間を吹き抜け、彼女の髪を揺らす。
「でも……そんな……」
「まあ、お金のことは驚くよね。実はあたしもここ最近まで、このくらい貯まってたなんて気付かなかったの。
宿代とか必要最低限は使ってたけど、ミュウちゃんと一緒だと自然と節約になるし」
確かに、私たちは野宿も多かった。
馬車で寝たりしてても、体の疲れは回復魔法で癒えるし、汚れも同じく魔法で落とせる。
もちろん宿に泊まるのも好きだけど、宿なしでもなんとかなっちゃうのが私たちの旅なのだ。
木漏れ日の下で眠るのも、それはそれで心地よかったり。
「それでね、せっかくだから使おうよ! あ、もちろん半分くらいは取っておくけど。
ミュウちゃんの装備も新調したいし! 今の服とかボロボロ……ではないけど、古いでしょ?」
シャルの提案に、私は自分の服を見下ろす。ローブの裾が風に揺れる。
魔法で直してるからボロくはない……が、だからといって同じ服を着続けていることに変わりもない。
いつもどおりの、シンプルな白いローブだ。確かに、少し飽きてきた気も……。
「どう? お金あるんだし、たまにはお買い物とかしてみない?」
シャルの声には期待が込められていた。
背後では花火が上がり続け、秋の空に色とりどりの花を咲かせている。
(うう……。お金の使い方とか、わかんないし……。いつも、最低限必要なものしか買ってこなかったし……。
高いものを買うのって、なんか緊張する……)
困惑する私を見て、シャルは優しく微笑む。
「大丈夫! あたしが案内するから! それに、せっかくのノルディアスだよ。
この街けっこう広いし、洋服とかもたくさんあると思う!」
そう言って、シャルは私の手を取った。
その手のひらは、いつもの通り温かい。剣で出来た硬い皮膚が、不思議と心地よい。
(……まあ、いっか。シャルが言うなら)
正直、抗いきれる雰囲気じゃなかった。
というか、この状況で断ったら多分めっちゃ悲しまれるし……。
街には祝賀の準備をする人々の姿。
提灯を吊るす音や、屋台を準備する音が響く。花火の残り香が、風に乗って漂ってくる。
そんな中を、私たちはノルディアスの商店街へと歩き出した。
「あ、いい店があるよ!」
シャルが指差した先には、白を基調とした洒落た外観の洋服店。
大きなガラス窓に、色とりどりの服が飾られていた。
光沢のある生地が、午後の陽光を優雅に反射している。
入り口の扉は重厚な木製で、取っ手には金の装飾が施されていた。
磨き上げられた金具がまぶしく輝く。看板には「ラ・ブランシュ」という文字。
高級店の雰囲気が、圧倒的な存在感で漂っている。
「た……高そう……」
小さな声で呟く私に、シャルはニカッと笑う。
その表情には、何かを企んでいるような楽しさが浮かんでいた。
「今日は大丈夫でしょ! ほら、入ろう!」
鈴の音が心地よく響く中、店内に入る。
甘い香水の香りが漂い、柔らかな生地の感触が空気に溶け込んでいるかのよう。
足元の絨毯が、足音を優しく吸い込んでいく。
「いらっしゃいませ!」
店員の女性が満面の笑顔で近づいてくる。
しかし、私たちの姿を見て一瞬たじろぐ。彼女の瞳に戸惑いの色が浮かぶ。
そりゃそうか。私たちの服装は、この店の雰囲気にはそぐわない。
シャルは鎧を身につけたままだし、私は古びた白のローブだし――
「あの、シャルさまと……ミュウさま……!?」
「!?」
あ、そういうことじゃなくて!?
いつの間にかすっかりここでも有名になってしまっているらしい。
なんか石の密議の人ですら知ってたしね……! 名声って怖いなぁ……。
「まさか聖女さまがこのお店に……! どうぞどうぞ、中へ!」
店員は私たちを店の奥へと案内する。
通路の両脇には、美しいドレスや上質な服が所狭しと並んでいる。
シルクのような生地が、そよ風に揺れて優雅な音を立てる。
(でも、このサイズじゃ……)
私の目には、どの服も大きすぎるように見えた。
そんな私の視線に、店員は一瞬困ったような顔をする。
が、すぐに華やかな笑顔を取り戻した。
「申し訳ありません! こちらは大人用の売り場でして……。でも、2階に素敵なお品がございますよ!」
上品な大理石の階段を上ると、そこには子供用――いや、「私くらいの年頃向けの」服が並んでいた。うん。子供向けではないよ!
といっても、大人の服と変わらぬ上質な作りに見える。
「わぁ、かわいい! ミュウちゃんにぴったりじゃない?」
シャルが手に取ったのは、淡い水色のワンピース。
胸元には銀糸で小さな花が刺繍されている。
布地に触れると、まるで水のように滑らかな感触。
「これなんて上品で、聖女様にぴったりですわ!」
店員も続けざまに服を勧めてくる。
白のブラウスに紺のスカート、薄紫のチュニック……。
服が作り出す虹のような色彩が、目を眩しそうになる。
(うっ……たくさん……! なんか、どんどんMPが減ってく……!)
「試着してみませんか? お部屋をご用意いたしますわ!」
「そうだね! 着替えてみようよ、ミュウちゃん!」
二人の熱意に押され、私は着替え室へと連れて行かれる。
MPがゴリゴリ削られていく感覚。お店の人と話すたび、40ずつくらい減ってる……。
とりあえず、仕切られた部屋の中でローブを脱ぎ、持たされた服に着替えていく。
布地が驚くほど軽い。肌触りも心地よくて、いかにも高級そうだ……。
「わぁ! すっごく似合ってる!」
水色のワンピースに着替えた私を見て、シャルが目を輝かせる。
……鏡を見ると、確かに悪くない。今までの服より、ずっと可愛らしい。
いや、冒険者に可愛さとか必要なのかわかんないけど……。
でも、ちょっとだけ、嬉しい。
「聖女様にお似合いです! 白のリボンを付けましたら、さらに素敵になりますわ!」
(ヒィ~……!)
店員の提案で、髪にリボンを付けてもらう。
……不思議と、普段よりも大人っぽく見える。
「あ! これもいいかも!」
シャルが次々と服を持ってくる。
店員も息継ぎもせずにコーディネートを提案。
二人の情熱が、嵐のように私を包み込む……!
(た、助けて……これ以上は……もう限界……)
試着を重ねるたび、MPが急速に減っていく。
シャルとの会話は大丈夫でも、見知らぬ人との会話は相変わらずキツイ。
しかも、他のお客さんにも気づかれ始めた様子。
2階のフロアに人が増えてきている。ざわめきが大きくなっていく。
「あれ、本当に聖女様?」
「かわいい! 子供なのね!」
「思ったよりちっちゃい子ね!」
囁き声が聞こえてくる。視線が刺さる。それだけでMPが減っていく……。
「ミュウちゃん? 疲れた?」
シャルが心配そうに覗き込んでくる。私は小さく、高速で何度も頷いた。
「あ、ごめん! 楽しくなっちゃって! じゃあ、気に入ったやつだけ買おっか」
結局、水色のワンピースと白のブラウス、それにリボンを購入することに。
会計の時、金額を見て私は目を回しそうになった。8クラウン……!?
こんなに高い服を買うのは人生で初めてだ。
でも、確かに上質な生地は気持ちがいい……かも。
軽くて動きやすいし。冒険には色々もったいないけど、こういうふうに町中を歩くときはこれでいいかも。
「似合ってるよ、本当に! あ、そうだ。次は――」
「……!」
次、という言葉に思わずビクッと体が跳ねる。
もうMPが限界……! お願い、休ませて……!
■
「ミュウちゃん、もうちょっとだけ付き合って? この先に、すっごくいい杖修理店があるんだって!」
「……うう」
思わず顔をしかめる。でも、杖は実際に修理が必要かも。
今使ってる杖は、東方大陸でかなり酷使してしまったし。
それに、服とかと違って杖は魔法の媒体。それ自体に修理魔法をかけるのはなかなか難しいのだ。
新しい服を着て歩く感覚は、まだ慣れない。
柔らかな生地が肌に触れるたび、少しくすぐったい。
裾が風に揺れるたび、歩くのが恥ずかしくなる。
(す、スカートが短い……。大丈夫かな。これ、中見えたりしないよね……)
そんな気持ちを紛らわすように前を向いていると――ふと、見たことのある後ろ姿が目に入った。
(あれはたしか、カール……?)
カールしたヒゲを生やした男性が、高級な衣服店に入っていく。
黒い服に身を包んだその姿は、以前とは違って上品な貴族のよう。
石の密議の元メンバー。いろいろとミスをやらかしてリーダーに石にされたところを、私が助けた過去を持つ。
(なんでこんなところに……?)
彼は華やかに着飾った貴族らしき男性と話し込んでいる。
二人の会話が、かすかに耳に届く。
「千年周期の……」
「そうだ、あの魔城は……」
(! 魔城の話をしてる……?)
その会話を聞くべく、少し近付いて耳を傾けようとした私だったが――
「きゃっ!」
不慣れな服のせいで、足を滑らせてしまう。
膝から転びそうになり、慌てて体勢を立て直す。スカートが大きくひるがえる。
「……っ!?」
「ミュウちゃん! 大丈夫!?」
シャルが急いで私を支える。彼女の手の温もりが、転びそうになった体を支えてくれる。
慌ててスカートを押さえる。やっぱりというかなんというか……心もとない……。
「う、うん……ごめん……」
それから慌てて立ち直るも、カールと貴族の姿はすでになかった。見失ってしまったようだ。
(あの二人、どこに……)
「どうしたの? さっきから様子がヘン」
「……あ、えっと……」
私はカールのことをシャルに話す。
彼ならリュークが口をつぐんだ情報を持っているかもしれないことも。
「ふーん、なるほどなるほど。たしかにあいつならなんか知ってるかも!
あっ、でももうミュウちゃん疲れてない?」
私はゆっくりと頷く……。情けないが、もうかなり疲れていた。
今から人を追いかけて、しかも話を聞いて……となると、厳しいかもしれない。
「そっか、ごめんごめん! じゃあ捜索は明日にして、今日はお茶でも飲もう!」
シャルの提案に、小さく頷く。どこかで休憩して、これからのことを考えよう。
ただ、心の中では確信があった。
カールなら、リュークの言う「災い」について、何か知っているはずだ。話を聞き出さないと……。
商店街に響く喧噪を背景に、私たちは近くのカフェへと向かった。
風に乗って、甘い紅茶の香りが漂ってきていた。
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