第96話 勝利の凱旋
「ほらミュウちゃん、見えてきた! ノルディアスだよ!」
シャルの声が、馬車の揺れる音に混じって響く。
朝日を浴びた街の輪郭が、地平線の向こうに浮かび上がっていた。
石造りの建物が、オレンジ色の光を反射して輝いている。
(3日かぁ……長かったような、短かったような)
魔城ソルドス・カストルムとの戦いから3日。
それから私たちは北方の村々を巡回して、被害状況の確認と必要な治療を行ってきた。
空気は冷たく、まだ春の暖かさは遠い。だんだんこっちも冷えてきているみたいだ。
幸い、作戦は成功した。
私たちが囮となっている間に、冒険者たちが村人たちを無事に避難させていた。
そして魔物の撃破に伴い、消えていた村も現実に戻ってきたようだった。
一部の家具が壊れたりはしていたものの、ほとんど問題はなかったそうだ。
(みんな笑顔で見送ってくれたなぁ……)
昨日までの光景が、まぶたの裏に浮かぶ。
柔らかな陽の光の中、村人たちの温かな笑顔が記憶に残っている。
治療を終えて村を去るとき、大勢の村人たちが集まってくれた。
子供たちは私の手を握り、その小さな手のぬくもりが伝わってきた。
お年寄りは涙ながらに感謝の言葉を。その声に込められた安堵と喜びが、胸に染みた。
……でも正直、あれは結構MPを持っていかれた。
子供一人と話すだけで30くらい減るし、お年寄りだと方言とか昔話とか入ってきて50は減る。
でも、なんだかんだ嬉しかった、かも。
「あ! ミュウちゃん見て! 迎えに来てくれてる!」
「!?」
シャルの指さす先に目を向けると、街道沿いに人だかりが見える。
風に揺れる旗がはためく音が、ここまで届いてくる。
どうやら、北方の村々から避難してきた人たちのようだ。
村の代表たちが、色とりどりの旗を手に整列している。
その後ろには、笑顔で手を振る村人たち。
風に揺れる旗が、朝日に照らされてまぶしい。
遠くから聞こえる歓声が、私の心臓を早鐘のように打たせる。
(うわ、たくさんいる……やばい。このままじゃMPが枯渇して気絶しちゃう)
思わず、私はシャルの背中に隠れるように身を寄せる。
人の数が多すぎて目が回りそうだ。たくさんの視線が刺さって、体が縮こまる。
シャルの背中から伝わる体温が少しだけ安心感をくれる。
「大丈夫大丈夫! いつも通り、あたしが話すから!」
シャルが振り返り、にっこりと笑う。
彼女の髪から、朝露のような清々しい香りがする。
馬車が人だかりの前で止まると、歓声が沸き起こった。
木の轆轤が軋む音に混じって、人々の声が耳に飛び込んでくる。
馬のいななきと、興奮した人々の足音が響く。
「英雄様!」
「ありがとうございます!」
「聖女様、本当にありがとう!」
私は小さく頷きながら、馬車から降りる。
……ほんとは降りたくなかったけど、さすがに避難してた人たちに偉そうにしちゃいけないと思った。
砂利を踏む音が、カリッと耳に響く。
シャルもまた馬車から飛び降り、華々しく手を振る。
彼女の明るい声と態度が、場の雰囲気を和ませている。
「みんなー! 無事でよかったね! 怪我した人はもういないの?」
シャルの問いかけに、村の代表の一人が前に出る。
白髪交じりの髭を蓄えた、温厚そうな老人だ。
「はい、聖女様の治療のおかげで、皆すっかり元気です」
(よかった……。本当に)
心の中でそうつぶやきながら、私は杖を強く握る。
先端の水晶が、朝日に輝いている。その光が手のひらに暖かく反射する。
「それにしても、まさかあんな巨大な魔物を倒してくださるとは……」
「むしろ、私たちの村々は幸運でした。この時期に、シャル様とミュウ様が近くにいてくださったおかげで……」
老人の後ろで、村人たちが頷く。日差しが、彼らの表情を明るく照らしている。
子供たちが元気に跳ね、その足音が石畳に響く。
お年寄りたちは穏やかな笑みを浮かべ、その目には安堵の色が浮かんでいる。
そんな光景を見ていると、シャルが私の肩を抱く。
彼女の体温が、朝の冷たい空気を追い払ってくれる。
「よーし! じゃあみんな、ありがとね! あたしたちはもう行くよ。ギルドマスターも待ってるはずだし!」
シャルの声に、人々が動き出す。私たちを見送り、長い行列が割れていく。
その間を抜けながら、私はそっと深いため息をつく。
朝露に濡れた石畳を、ゆっくりと歩く。
背後では、村人たちの穏やかな話し声が木々のざわめきに溶けていく。
行き交う人々の足音と、遠くで鳴る鐘の音が、新しい一日の始まりを告げていた。
■
ノルディアス冒険者ギルド。
いつもは賑やかなホールも、今日はどこか厳かな雰囲気に包まれていた。
普段は冒険者たちの喧噪で溢れるホールには、今日は静謐な空気が流れている。
木製の梁からは祝賀用の旗がたなびき、深紅の絨毯が敷き詰められていた。
窓から差し込む陽射しの中、荘厳な儀式が執り行われようとしている。
壁には花が飾られ、その甘い香りが漂う。
普段の麦酒や汗の匂いは消え、まるで別の空間のようだ。
「それでは、ミュウ殿、シャル殿」
ギルドマスターのヴァルトが、私たちの前で一礼する。
彼の黒縁の眼鏡が、光を反射してまぶしい。
着ているローブは普段より高級そうで、襟元には金の刺繍が施されている。
深い緑色の生地は上質な絹で作られているようだ。
それでいて若く整った顔立ちのせいか、やや窮屈そうにも見えた。
「お二人の活躍により、北方の村々は救われました。この場を借りて、心よりの感謝を」
彼の言葉に、ホールに集まった冒険者たちが拍手を送る。
その音が、天井の高い広間に響き渡る。
木製の床板を震わせ、壁に飾られた武具がかすかに揺れる。
(か……堅苦しい。あと、みんな見てるし……)
思わず床に目を落とす。深紅の絨毯の織目を数えながら、脈打つ心臓を落ち着かせようとする。
靴の先で絨毯の毛並みをそっとなでる。その感触が、少しだけ気を紛らわせてくれる。
「それと、改めて。お二人の追放については取り消しとさせていただきます」
ヴァルトの声が、真摯な響きを帯びる。
彼の声には普段の軽やかさはなく、重みがあった。
「しかしですね。規則違反は規則違反ですから、今後もお目こぼししていくとかそういうことは――」
「祝いの場だぞコラーッ!」
「引っ込め! はやく酒を飲ませろ!」
「ええい、静まりなさい!」
ヴァルトの話に冒険者たちが突っかかり始める。
まだまだブーブー言っていた冒険者たちだったが、彼の厳しい視線に遭い、ゆっくりと静かになり始めた。
「オホン……では、これより報酬と勲章の授与に移ります」
ヴァルトが手にした小箱から、銀の月桂樹をかたどった勲章が光を放つ。
もう一つの革袋は、中の金貨の重みで膨らんでいる。金属がぶつかり合う音が漏れ聞こえる。
勲章を首にかけられる度に、拍手が沸き起こる。
その振動が床を伝わり、つま先まで届く。
勲章は意外と重く、首に優しく食い込む感覚がある。
「ソルドス・カストルム。あの魔城は、千年に一度現れると伝えられています」
ヴァルトが静かに語り始める。
ホールの喧噪が、一気に静まり返った。松明の炎がゆらめき、壁に不思議な影を作る。
「千年前の記録によれば、多くの村が飲み込まれ、数多の命が失われたそうです。
しかし今回は、お二人のおかげで犠牲者を最小限に抑えることができました」
厳かな空気が流れる中、私は式典が早く終わることを祈っていた。
精神回復魔法を連打しながらなんとか耐えていると、やがて式典が終わり、どんちゃん騒ぎが始まった。
ホールには再び普段の喧噪が戻る。そんな中、私たちはヴァルトにひっそりと声をかけられる。
「お疲れ様でした、二人とも。少しお時間を頂いても?」
「ん? オッケー、いいよ!」
シャルは明るく答える。ヴァルトはギルドを出て、ゆっくりと歩いていく。
街並みが見渡せる丘を登っていくと、そこには厳かな石造りの建物が立っていた。
灰色の壁には鉄の装飾が施され、小さな窓が規則正しく並んでいる。
周囲には魔力結界が張られ、かすかに青白い光を放っている。
ノルディアスの監獄。
街の治安を守る重要な施設であり、普段は近づくことすらない場所と聞くけど……。
(……ろ、牢獄!? どういうこと!? やっぱり遅刻の罪で逮捕!?)
私が焦りまくりながら様子を見ていると、ヴァルトは受付で手続きを済ませ、中に入っていく。
階段を下りていくにつれ、空気が冷たく、重くなっていく。
松明の灯りが石壁に揺らめく影を作り、足音が不気味に響く。
壁には水滴が伝い、かすかな錆びの匂いが漂う。
「リューク……という男を覚えていますか」
「あー、えっとー、石の密議のリーダーだっけ? なんか強かった気がする」
「ええ。そのリュークが捕らえられているのがこの先です」
最下層に着くと、ヴァルトが重い鉄格子の扉を開けた。
錆びた金属が軋む音が、狭い空間に響き渡る。その音は、私の背筋を凍らせるほど不気味だった。
石の密議のリーダー、リュークの独房。
彼は薄暗い空間で、湿った壁に寄りかかるようにして座っていた。
以前の姿からは想像もつかない、痩せ衰えた様子。
囚人服は所々破れ、その下から痩せこけた体が覗いている。
魔力を抑制する結界の光が、かすかに青白く部屋を照らしている。
その光の中、リュークの顔は蒼白に見えた。
「ほう……聖女様とその相棒か。なぜ私に会いに?」
リュークの声は、予想以上に冷静だった。
その目は、以前のような狂気を感じさせない。透徹とした理性が宿っている。
……ていうか、聖女の話なんで知ってるの。まさか、ここで新聞とか読めるの?
「あなたの言っていた、ノルディアスが備えるべき『外敵』。
あれは、ソルドス・カストルムのことだったのか?」
ヴァルトが扉の前まで歩み寄る。その足音が、石の廊下に響き渡る。
「ソルドス・カストルムだと? ふん……。違うね」
リュークは、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、奇妙な光が宿っている。
「あの魔城は、来たるべき脅威の前触れに過ぎない。千年に一度の周期で訪れる災い……。お前たちは、まだ何も理解していない」
リュークの声が、冷たく響き渡る。
その言葉に、私は思わず背筋を正す。独房の冷気が、一層身に染みる。
この男の言う「災い」って、一体……。
「何を言っているの? 災いって……」
シャルが眉をひそめる。彼女の声には、珍しく緊張が混じっていた。
「我らの備えを受け入れなかったお前たちには関係のないことだ。さあ、帰れ」
リュークは再び湿った壁に寄りかかり、目を閉じた。
その表情からは、もう何も語る気がないことが伝わってくる。
陰影に富んだ顔には、諦めと確信が同居していた。
松明の光が揺らめき、彼の影を歪ませる。その動きが、不気味な踊りのように見えた。
「……そうですか」
ヴァルトは深いため息をつき、私たちを促して監獄を後にする。
彼のローブが石の床を掃く音が、静かに響く。
重い扉が閉まる音が、最後の余韻のように響いた。
金属の軋みと、鍵の回る音。それが、この場所との最後の接触だった。
外に出ると、昼の陽気が私たちを包み込む。
風が頬を撫で、鳥のさえずりが耳に届く。
監獄の重苦しい空気が一気に晴れていくようだった。
肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。
「はぁー! なんなのあの人! 意味深なこと言って、さっさと黙っちゃうし!」
シャルが大きく伸びをする。その仕草に、緊張が解けていくのを感じる。
「まあ、あの魔城はもう倒したんだし、いいんじゃない?
災いだかなんだか知らないけど、それも一緒に消えたってことでしょ?」
シャルは何気なく言う。その声には、いつもの明るさが戻っている。
彼女の楽観的な性格が、周囲の空気まで明るくする。
(でも……)
街を見下ろす高台に立ち、私は遠くを見つめる。
丘の上からは、ノルディアスの街並み全体が見渡せた。
風が髪を揺らし、遠くから吟遊詩人の音楽が聞こえてくる。
リュートの柔らかな音色に混じって、誰かが歌う声。
ソルドス・カストルムは千年に一度現れる。
そして私の師匠、マーリンもまた千年前の人物。
この周期的な出来事は、本当に偶然なのだろうか。胸の中で、小さな不安が渦巻く。
「ミュウちゃん? どうかした?」
シャルが心配そうに覗き込んでくる。
遠くで祝賀の花火が上がり始め、その光が彼女の瞳に映る。私は小さく首を振る。
「……ちょっと、考え事」
「そっか! ていうか疲れてない? MPまだある?」
シャルが親しげに笑う。その笑顔に、私も少し顔がほころぶ。
(そうだね。今は……)
私たちの前には、まだやるべきことがある。
師匠の行方を探し、彼の残した謎を解き明かすこと。それは、きっと私にしかできない。
そのためにも、まずは目の前のことから。私は小さく頷いた。
「あ! そうだ!」
シャルが突然声を上げる。
それから、私に目線を合わせてしゃがみ込む。石畳に膝をつく音が響く。
「実はさっき思い出したんだけど……ミュウちゃんに、大事な話があるんだ」
「……?」
真剣そのもののシャルの緑色の目がこちらを見つめる。
その瞳には、いつもの明るさとは違う、何かが宿っていた。
私は緊張で筋肉が強ばるのを感じた。
背後では、花火の音と歓声が続いている。それらが遠くなっていくような感覚だった……。
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