第95話 巨竜の雷
ミストレイスの群れが、夜明けの空の下で幻想的な光を放つ。
朝もやと混ざり合う青白い体は、冷たく美しくもあり、どこか不気味でもあった。
「さっ、いっちょやってみようか?」
シャルの声と共に、剣が空を切る音が響く。
放たれた雷光が暗闇を裂き、ミストレイスの群れを貫いた。
しかし魔物たちは昨日と違い、まるで意思を持つかのように巧みに避けていく。
(やっぱり……。昨日より強くなってる)
出てきた瞬間からわかっていた。
ミストレイスたちの動きがしなやかで、目的を持っているみたい。昨日のような人形じゃない。
そう感じていると、城の魔物の声が響き渡った。
その声は人の声とはかけ離れ、地鳴りのような重低音を帯びていた。
「あはは! どう? 昨日とは違うでしょう? 昨夜たっぷり魂を吸収して、私の体も活性化してきたの」
その言葉通り、城壁はより鮮やかな青白さを帯び、生き物のように脈打っている。
城――魔物を構成する石壁から、新たなミストレイスが湧き出るように生まれてくる。
まるで体の中で血が作られるみたいに、次々と姿を現す。
「もー、数が多いよ~!」
シャルの剣が敵を両断しても、すぐさま新しい個体が現れる。
彼女の額には汗が光り、呼吸が少し荒くなってきた。
(体力回復魔法!)
私はシャルの疲れを癒す魔法をすぐに放つ。
青い光が彼女を包み込み、新たな力が宿る。
再び雷鳴が轟き、ミストレイスたちが霧となって消えていく。
私は腰に提げた翠玉の鏡を手に取った。温かな感触が手のひらに伝わる。
「浄化魔法……!」
翠玉の鏡から放たれる光がシャルの剣を包み込む。
浄化の力が雷の力と混ざり合い、刀身が美しい翡翠色に染まっていく。
「はああっ!」
シャルが剣を振るう。
彼女の気合いと共に放たれた雷撃は、翠玉の光を帯びて敵を貫いた。
霧と化して消えかけたミストレイスの体が、光の中で完全に消滅する。
まるで浄められたかのように、きれいな光となって消えていった。
「なっ!? 私の分身が……!」
魔物の声が城全体を震わせる。
その声には明らかな焦りが混じっていた。地面までもが振動する。
「へへーん。どう、あたしらの力?」
シャルの挑発に、魔物は城壁を激しく震わせた。
石がぶつかり合う音が、不協和音のように響く。
「この程度で! 私の中には無数の魂があるのよ!」
城壁から更なるミストレイスが生まれ出る。
しかし、その数は明らかに減り、出現する速度も遅くなっていた。
私たちは戦い続ける。浄化の力を帯びた雷撃が、夜明けの空を切り裂く。
戦いの轟音が朝の静けさを破り、城からは絶え間なく怒号が響いていた。
その中で、私は確かに感じ取っていた。
魔物の意識が、完全に私たちに釘付けになっていることを。今なら――。
「!?」
突如、魔物の目が大きく見開かれた。瞳孔が驚きに開き、黄金の虹彩が揺らめく。
「まさか……私の中に……! 貴様ら、囮だったのね!!」
城内に潜入されたことに気付いたようだ。
その巨大な目に怒りの炎が灯り、中央に青白い光を集め始める。
「逃がさないわ……! 消えなさい!」
光線を放とうとする目。その標的は、間違いなく城内の仲間たちだ。
光の集積に、空気が震え始める。
だが――これも、私たちの想定内だった。
「させるかっ!」
シャルの雄叫びと共に、翠玉の光を帯びた剣が魔物の目を貫いた。
電光が走り、浄化の波動が広がる。まばゆい光が、夜明けの空を染め上げた。
「ぎゃあああああっ!」
魔物の悲鳴が轟く。
それは建物全体が崩れ落ちるような、底知れない怒りの叫びだった。
城が揺れ、石がぶつかり合う音が響き渡る。
「目が……目がぁっ!」
傷ついた目は輝きを失い、ただの穴として城壁に残された。
黄金の光を失った瞳は、ぽっかりと空いた暗い窪みとなっていた。
「あんたの相手はこっち!」
シャルが剣を構え直す。その姿は戦いの熱に満ち、朝日を浴びて輝いていた。
目を失った城壁に、無数の亀裂が走る。
石と石がぶつかり合う音が鳴り響き、青白い光を放ちながら城全体が大きくうねっていく。
「このっ……このぉぉぉっ!」
城壁から巨大な腕が生えてきた。
まるで石でできた巨人の手のよう。それが私たちに向かって振り下ろされる。
「危ないっ!」
シャルが私を抱き寄せ、横に跳躍。腕が大地を打ち、轟音と共に土煙が上がった。
地面に深い溝が刻まれ、砕けた土が雨のように降り注ぐ。
朝の空気が土の匂いで満たされる。
「ミュウちゃん、大丈夫?」
「……うん」
シャルの腕の中で小さく頷く。
彼女の体は熱く、戦いの興奮で心臓が高鳴っているのが伝わってくる。
次々と腕が伸びてきては、私たちに襲いかかる。
シャルの剣が閃き、腕を切断するも、すぐに新しい腕が生えてくる。
(でも……ちょっとずつ、遅くなってる)
確実に、魔物の動きは鈍くなっていた。
最初に比べれば、腕の再生速度も落ちている。きっと、計画は上手くいっているのだろう。
人質を救出している冒険者たちのために、もっと時間を稼がないと。
「くっ……!」
シャルが新たな一撃を受け流す。
剣と石がぶつかり合い、火花が散る。雷を纏った刃が、魔物の腕を切り裂いていく。
私は回復魔法を放ちつつ、城の様子を観察していた。
かつてない魔力の暴走で、建物全体が歪んでいる。
人の魂を吸い取って成り立っていた存在が、今や怒りだけで暴走しているような。
「人間ごときに……このような姿を見せるとはっ!」
轟音と共に、新たな腕が襲いかかってくる。
しかしその速度は、もはや私でも躱すことができるほどに遅くなっていた。
「あれ? なんか弱くなってない?」
シャルが不敵な笑みを浮かべる。
その言葉通り、魔物の攻撃は明らかに精彩を欠いていた。
そして――
「ミュウさん、シャルさん!」
背後からヴァルトの声が聞こえる。
彼は小高い丘の上で、魔法で声を届けているようだ。その周りには大勢の人の姿が。
「人質は全員救出完了です! あとは任せました!」
その声を聞き、シャルの笑顔が更に大きくなる。私も小さく頷いた。
人質がいなくなった。これで、思う存分戦える。
「そんな……私の……私の糧が……!」
魔物の叫び声が響き渡る。
その声は苦悶に満ちていたが、同時に底知れぬ怒りをも含んでいた。
城壁が大きくうねり始める。
青白い石が溶け出し、まるでドロドロした粘土のようになっていく。
それが中央に集まり、巨大な人型の姿を形作っていった。
十メートルはあろうかという巨体。まるでゴーレムのような姿。
かつての優美な城の形は完全に失われ、ただの巨大な魔物と化していた。
「ぐおおおおっ!」
魔物は咆哮を上げ、その巨体を振り上げる。
「んー、これはこれで厄介かもねー」
シャルは剣を構え直し、雷を纏わせる。
その表情には、戦いへの昂揚感が浮かんでいた。
「でも、これでもう囮をやる必要もないってことだよね?」
シャルの言葉に頷く。もう、全力で戦うだけだ。魔物に人質はいない。後は倒すのみ。
二人で見上げる魔物の姿は、人の形を象どってはいるものの、もはやその姿には気高さのかけらもない。ただの暴虐の塊と化していた。
(翠玉の鏡は……もう効かないかも。物質になっちゃったもんね……)
私の指先で、翠玉の鏡がかすかに脈打つ。
でも、あれはもう霊体じゃない。ただの石の塊。この鏡の力では、どうにもならない。
あとは、シャルを信じるしかない。
「さぁて、本気の本気で行くかー!」
シャルの雄叫びが朝の空気を震わせた。
「はああああっ!」
シャルの剣が閃く。刀身を走る雷光が空気を切り裂き、魔物の体を両断した。
だが、ドロドロに溶けた石材がすぐさま再生する。
切断面が波打ち、瞬く間に元通りとなった。
「ちっ、メンドいなぁ……!」
巨体が振り下ろされ、シャルは咄嗟に身を翻す。
地面が大きく抉られ、砕けた岩が飛び散る。
何度攻撃を繰り出しても、魔物は再生を続けた。
むしろ、シャルの剣撃を受けるたびに、その姿はより巨大になっていく。
周囲の地面まで溶かし、自らの体に取り込んでいるようだった。
(このままじゃ……!)
私は焦りを感じつつ、シャルを回復し続ける。
彼女の動きは相変わらず鮮やかだけど、それでも少しずつ精神的な消耗が溜まってきているのを感じる。
「くらえっ!」
シャルの剣が魔物の中央を貫く。雷光が迸り、青白い火花が散る。
しかし魔物は、その傷口をすぐに塞いでいく。
まるで生命力そのものが具現化したような、生々しい動き。
「ミュウちゃん!」
シャルの声が響く。彼女は一度距離を取り、私の方を振り返った。
「あたしのMPをできるだけ回復して!」
「……!」
MPを……? 私は首を傾げるが、すぐに杖を構える。
東方大陸から帰ってから、私の回復魔法は無尽蔵のMP回復も可能に。
つまり、シャルにもまた無限に近い魔力をあげることができるのだ。
(精神回復魔法!)
私は精一杯の魔力を込めて、シャルにMPの回復魔法を放つ。
青い光が彼女の体を包み込む。
そしてその光は消えることなく、次々と注ぎ込まれていく。
「うおおおおー! なんかすごい! これならいけるよ!」
シャルの体が光を帯び始める。
彼女の通常の限界を超えて注ぎ込まれるMPが、その体を青く照らしていく。
剣を握る手に力が集中し、刀身を走る雷光が轟音を上げ始めた。
魔力増幅剣が共鳴し、黄龍の勾玉が激しく光を放つ。
二つの力が重なり合い、シャルの周囲には稲妻の渦が巻き起こる。
雷鳴が響き渡り、空気が震えた。
「必殺! 巨竜の雷ッ!!」
シャルの必殺技っぽい叫び声と共に、巨大な雷撃が放たれる。
それは今までに見たことのない光景だった。
まるで雷神の槍のような一撃。
大気を切り裂き、青白い極太の閃光が魔物の胸を貫く。
石でできた巨体に亀裂が走り、中から眩い光が漏れ出す。
「ぎゃあああああ――っ!」
魔物の断末魔が響き渡る。
その巨体が、まるでガラスが砕けるように崩れ落ちていく。
ドロドロに溶けた体は、光の粒子となって朝の空へと消えていった。
後には、ただ大きな窪地が残されただけ。シャルの雷は、ゴーレムを一撃で消滅させた。
「ふぅ……」
シャルの体から力が抜ける。彼女は剣を杖のように突き立て、その場にへたり込んだ。
「疲れた~。でもやったね、ミュウちゃ……」
言葉の途中で、彼女の意識が途切れる。MPを使い切った反動だろう。
「……!」
私は慌てて駆け寄り、シャルを支える。
彼女の体は熱く、大きな反動が来ているのがわかる。すぐに体力回復の魔法をかける。
「……はぁっ、ありがと! へへっ、どう? あたしの必殺技! かっこよかった?」
朝日が昇り、その光がシャルの笑顔を優しく照らす。
「……うん。かっこよかった」
「でっしょ~?」
いつもいつも私を守ってくれて、強くて、明るい。それに、とってもかっこいい。
……そんな色んな思いを込めたけど、出てくる言葉は一言だけだった。
わかっているのかいないのか、シャルは得意げに笑う。
東の空から、新しい一日の光が差し込んでくる。
それは、まるで私たちの勝利を祝福するかのようだった。
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