第94話 夜明けのリベンジ
「報告、ご苦労でした。……約束通り、あなたたちの追放はしません」
ノルディアスの新ギルドマスター、ヴァルト・ディーゼンバーグが暖炉の前で私たちを見つめている。
窓から差し込む街灯の光が、彼の黒髪と角縁の眼鏡を照らしていた。
暖炉の火が揺らめき、部屋に温かな明かりと、かすかな木の燃える香りを漂わせている。
彼は分厚い革の肘掛け椅子に腰掛けながら、指先で机をトントンと叩く。
その音が静かな部屋に、暖炉の音とともに響く。
私はシャルの背中に半分隠れた状態で報告を聞いていた。
この人、なんとなく怖いし……。暖炉の熱で頬が火照るのを感じる。
「喋る城の魔物、か……。そしてその中に、村人たちが囚われているというのですね」
「そうだよ! 目が金色で、城そのものが動くの!」
シャルの報告を聞いたヴァルトの表情が、急に曇る。眉間に深いしわが刻まれた。
「ソルドス・カストルム……。まさか、あの移動城塞が現れるとは」
彼は立ち上がると、書架の前まで歩いていく。
革靴が床を踏む音が、緊張感を高めていく。
本棚に並ぶ古い書物からは、埃っぽい匂いが漂ってくる。
「ソル……なんて?」
「ソルドス・カストルム。『魂の砦』という意味です。千年以上の歴史を持つ異界の城塞でね」
ヴァルトは古ぼけた本を取り出し、机の上に広げる。
ページをめくる音が、まるで昔話の始まりを告げるかのように響く。
羊皮紙特有の匂いが鼻をくすぐる。
「これは千年前の記録です。当時、この大陸には『異界との境界が薄くなる』時期というものがあったそうです。
そして、その時期に現れたのがこの城。人々の魂を糧とし、人も建物も丸ごと異界へと連れ去るという厄介な代物です」
黄ばんだページには、私たちが見たものと同じ城の絵が描かれていた。
不気味な形をした建物に、あの巨大な目まで描き込まれている。
インクは褪せているが、絵から漂う不吉な雰囲気は今でも生々しく伝わってくる。
「その後、この城は千年に一度、同じように姿を現すようになったとされています」
「はえー……千年ねえ」
ヴァルトは本棚から次々と資料を取り出していく。
本の重なる音と、埃が舞う音が聞こえる。そこには前の時代における城の目撃記録や、被害の記録が記されていた。
文字は少し遠くて見づらいが、挿絵を見るだけでも背筋が寒くなる。
記録によると、城が出現する度に、多くの集落や人々が姿を消したという。
そして今回、その千年周期がまた巡ってきたということなのだろう。
「今にして思えば、『石の密議』はこれに備えようとしていたのかもしれませんね」
ヴァルトはため息をつく。暖炉の火が、その影を壁に大きく映し出す。
「以前、あなたたちが倒した組織。彼らはこの危機に備え、街の支配を企てていました。
だが、結果的に私たちの対策は手薄になってしまった」
シャルがわずかに眉を寄せる。
申し訳なさそうな表情を浮かべたが、ヴァルトは首を振った。髪が揺れ、眼鏡に火の光が反射する。
「気に病まないでください。石の密議の方針は間違っていた。街を支配し、人々を抑圧することで危機に備えるなど、本末転倒もいいところです。
もし彼らの計画が成功していれば、人々はより深い闇の中に堕ちていたことでしょう」
「そっか。まぁそうだよね! あいつらに任せてなんかいられないし!」
ヴァルトの言葉に、シャルは少し安心したように肩の力を抜く。
その背中に隠れている私も、胸のつかえが取れた気分だ。
石の密議との戦いは、私たちにとって大きな転機となった出来事。
あれが間違いでなかったと知り、ホッとする。
シャルの背中の温もりが、心地よく感じられる。
「それで、ギルドとしては?」
シャルの問いかけに、ヴァルトは真剣な表情で頷く。椅子の軋む音が響く。
「当然、総力を挙げて対応します。しかし……グレイシャル帝国での戦乱処理にA級冒険者の多くが出払っているんですよ。
私たちがいま使えるのは、B級以下の冒険者だけです」
ヴァルトはそう言って、目を伏せた。
暖炉の火が深い影を作り、彼の表情を読み取りづらくする。
炎の揺らめきに、心なしか不安げな表情が浮かび上がったように見えた。
グレイシャル帝国の戦乱処理……。
考えてみれば、あの戦争が終わってからまだ数ヶ月も経っていない。
邪竜との戦いも、東方大陸での出来事も、最近の記憶が濃すぎて遠い昔のように感じられる。
「B級でもいいじゃん! 結構強い人いたでしょ?」
「ふむ……まぁ、使いようではありますが」
彼が言葉を切った瞬間、部屋のドアがノックもなく開かれた。
冷たい夜気が流れ込み、暖炉の炎が大きく揺れる。
木の燃える音がパチパチと高くなった。
「おうおう、甘く見てくれるなよ新マスター!」
振り返ると、そこには懐かしい顔ぶれが立っていた。
石の密議の巨大石像兵討伐の際、共に戦った冒険者たち。
皆、30代から50代のいかにも頼りがいのありそうな面々だ。
鎧の擦れる音と、革の軋む音が部屋に響く。
剣に手をかけた戦士、杖を握りしめた魔法使い、背に弓を背負った狩人……。
彼らの中には、グレイシャル帝国の戦争に駆けつけてくれた人もいる。装備には使い込んだ跡が見える。
「あ! おっさんたち!」
「誰がおっさんだ、嬢ちゃん」
シャルと彼らの掛け合いに、部屋の空気が和らぐ。
「城の中に入り込んで人質を助け出すんなら、この面子でも行けるんじゃねえか?」
「迷路みたいな建物の探索なら、地下道を散々這いずり回った俺たちのほうが向いてるぜ」
中年の冒険者たちが次々と自信に満ちた声を上げる。
その言葉には、幾多の戦いを潜り抜けてきた確かな重みがあった。
ヴァルトはしばらく考え込んでいたが、やがて大きく頷いた。眼鏡が暖炉の光を反射する。
「まったく、ノックくらいしてください。しかし、そうですね。二人の報告のとおりなら、きっと……」
その後すぐに作戦会議が始まった。
机の上には地図が広げられ、大柄な戦士が手にした炭で、作戦プランが描かれていく。
羊皮紙のにおいと、炭の粉の香りが混ざり合う。
「大きく二手に別れての作戦になるでしょう」
「そうだな。ミュウ嬢とシャル嬢が城の前で、化け物と直接戦う」
「俺たちは建物の探索と人質の救助にまわる、ってことだ」
おっさんたちの提案に、皆が頷く。机を囲む影が揺れ動く。
「この城、移動するみたいだから、奇襲は難しいかもな」
「人数を一定に絞ればこっちも対応しやすいか?」
「だな。あとは馬だが、他のギルドから借りるか」
次々と意見が飛び交う。その言葉の一つ一つには、長年の経験に裏打ちされた説得力があった。
暖炉の炎は静かに燃え続け、部屋を温めている。
そうして作戦会議の結果、明日の夜明けに出発することが決まったのだった。
■
深夜。宿屋の一室で、私は眠れずにいた。
窓から差し込む月明かりが、天井に木々の影を作る。
隣で寝ているはずのシャルの寝息も聞こえない。
外では虫の音が、かすかに響いている。
あの城に囚われた人たちは、今どうしているのだろう。
早く助けに行きたいのに、私たちは休んでいる。
それを思うと胸が締め付けられる。布団の中で体が小さく震える。
そんな私の手を、シャルが優しく握った。彼女の体温が、布団越しに伝わってくる。
「大丈夫だよ、ミュウちゃん」
彼女の囁く声が、静寂を破る。その声には珍しく落ち着いた響きがあった。
「あいつもすぐに村人をどうこうするつもりはないって。
人質がいなくなったらそれこそあたしらにやられるわけだし?」
シャルの手のひらは温かく、少し荒い。
剣を握り続けた証。その温もりと、芯の通った自信が、私の不安を少しずつ溶かしていく。
「……うん」
小さな返事に、シャルはクスリと笑った。布団がこすれ、彼女が寝返りを打つ音が聞こえる。
「じゃ、寝よう。明日は忙しいよ。ミュウちゃん、いろいろ考えてて疲れたでしょ」
……そうだ。私は会議の間、彼女の背中に隠れながら、できることを一生懸命考えていたのだ。
翠玉の鏡の力でどこまで浄化できるか、相手の魔力がどれほどのものなのか、どんな種類の回復魔法を準備すればいいのか……。
きっと、シャルもそんな私の様子を見透かしていたんだ。
私は彼女の手を握り返す。温かな手のぬくもりと共に、眠気が少しずつ訪れ始めるのを感じる。
「おやすみ、ミュウちゃん」
「お……おやすみ……」
シャルの声が、月明かりの中に溶けていった。
外では、虫の音が静かに鳴り続けている。
■
まだ暗い空の下、ギルドの前で人々が集まっていた。
松明の明かりが空気に揺らめき、冒険者たちの顔を照らしていく。
皆の表情はいつになく引き締まり、彼らの吐く息が白く霞んでいる。
武器を握る手に力が入り、鞘や鎧がきしむ音が、夜明け前の静寂を破る。
「……では、確認しましょう」
ヴァルトの落ち着いた声が、凍てつくような朝の空気を切り裂く。
「一組目のミュウさんとシャルさんは、正面から城を牽制する。
できるだけ派手に、あえて敵の注意を引く」
私は小さく頷く。私たちの役目は、敵の意識を引きつけること。
魔物を本気にさせて、なるべく注意を他に向けさせないようにする。
うまくいくといいんだけど……。
冒険者たちが城内に入るためには、これが絶対条件。
あのビームを普通の人が食らったら、一発で終わっちゃうだろうし。
「二組目の救出部隊は、城の裏から忍び込む。私も救出部隊に加わりましょう」
「おいおい、ギルドマスターも行くのか!?」
「あんた動けんのかよ? 現場に出るなら――」
冒険者たちが驚いた声を上げると、松明の炎が大きく揺れる。
ヴァルトは静かに手を上げ、その声を制した。
「私もA級冒険者です。それにこれは、この街の責任者として果たすべき務めです」
彼の眼鏡に松明の光が反射し、その奥の瞳が鋭く光る。
迷いのない、むしろ久しぶりの実戦を楽しみにしているような表情だった。
「では、出発しますよ」
戸惑いつつも、皆が一斉に頷く。
冒険者たちは馬術ギルドから借りた馬に、私たちは白雪に乗る。
まだ夜露の残る鞍は冷たく、服が少し湿る。
白雪は昨日の戦いを覚えているのか、少し不安そうに首を振る。
シャルがその首筋を優しく撫でると、耳をピンと立てた。
「大丈夫、今日こそ勝とうね」
十頭近い馬の群れが、夜明け前の街を出ていく。
蹄の音が石畳を打つ音が、まだ眠りの中の街に響き渡った。
ときおり、早起きの店主が窓から顔を覗かせる。
しばらく進むと、そこには黒い霧が立ち込めていた。
松明の光は霧にかき消され、ほとんど前が見えない。
馬たちは耳を動かし、慎重に足を進めていく。
朝が近づいてきているのだろう。
東の空がうっすらと白みはじめ、霧の向こうに城の輪郭が浮かび上がってきた。
空気が少しずつ明るさを帯び始める。
「あれだ……」
誰かの囁きが聞こえる。昨日と同じ場所に、城はその不気味な姿を現していた。
青白い石壁は、夜明け前の空に不吉な存在感を放っている。肌寒い風が吹き抜けていく。
冒険者たちは互いに目配せを交わすと、暗がりに身を隠すように移動を始めた。
彼らの姿が、霧の中にすっと溶けていく。
私たちは昨日と同じように、白雪から降りる。
「それじゃ、ミュウちゃん。昨日の借りを返してやろうか」
シャルの言葉に頷く。私は翠玉の鏡を取り出し、革のベルトに下げる。
シャルは大剣を抜き、その刀身に雷をまとわせた。
パチパチと音を立てる電光が、辺りを青く照らす。
「やぁ~! おっはよ~! 魔物さ~ん!」
シャルの大声が霧を振り払う。
青白い石壁が波打ち、巨大な目が開かれた。
黄金の虹彩は光を吸い込み、その中心にある黒い瞳孔が細長く裂けている。
その視線に触れると、胃の中が凍りそうになる。
「まぁ、また来てくれたのね」
昨日と同じ声。けれど今日は、その声に恐怖は感じない。
シャルも私も、もう自分の力を疑ってなんかいない。
「当たり前! てか、昨日はまともに戦えなかったから、今日こそリベンジ!」
「ふふふ、随分と強気ね。それじゃあ――」
城壁から半透明な姿が次々と現れる。
昨日より遥かに多いミストレイスたち。その数は優に数十。
青白い体が立ち込める霧のように私たちを取り囲み、朝もやと混ざり合っていく。
空気が一気に冷え込んだように感じる。
「せいぜい楽しませてちょうだい?」
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