第9話 ギルド登録と初めてのお泊まり
ノルディアスのギルドは、町の中心部にある大きな石造りの建物だった。
その外観は他の建物と同じように彫刻で装飾されているが、入り口に刻まれた剣と杖が交差した紋章が、どこか威厳を感じさせる。
石壁から漂う冷たい空気が、私たちの頬を撫でる。
「わぁ、立派! すっごいよねぇ、石の建物って。こんなでっかいのを削ったのかな? 維持するのも難しそ~」
シャルの声に、私も小さく頷く。石の壁はいくらか魔法で補強されているようだが、これも定期的なかけ直しがいるだろう。
壁面を走る魔力の痕跡が、かすかに目に見える。
重厚な石の扉が軋む音とともに開く。
中は意外と明るく開放的な空間が広がっていた。
天井が高く、大きな窓から柔らかな光が差し込んでいる。
壁には様々な景色を描いた絵や、冒険者の肖像画が飾られていた。
絵画から漂う古めかしい匂いが、鼻をくすぐる。
ギルド内部はたくさんの冒険者たちが行き交い、活気に満ちていた。
受付には短い列ができており、依頼の掲示板の前には人だかりができている。
話し声や足音が入り混じり、賑やかな雰囲気が漂う。
「へぇー、すごい人だね! もしかしてあたし達が前いたギルドより大きいんじゃない? おっと、ていうかまずは登録かな?」
シャルの声に頷き、私たちは受付に向かった。木の床を踏む足音が、軽快に響く。
「はーい、次の方どうぞー」
ドレスを着た背の高い受付嬢の声に促され、シャルが前に出る。
私はその後ろについていく。受付嬢の香水の甘い香りがかすかに感じられた。
「こんにちは! あたしたち、ここの冒険者として新規登録したいんですけど! 前のとこはクビに゛ッ……!」
「……っ!」
あ、危なかった! シャルが勢いあまって余計なことを言おうとするのを、口を塞いで止める。
……口を塞ぐといっても身長差のせいで、後ろから飛びかかって首を折ろうとしたみたいになっちゃったけど。
崩れ落ちたシャルをヒールで回復する。
(ご、ごめんごめん……たしかに今のはちょっと余計だったかも!)
ちょっとどころじゃないよ。素行不良の人たちだと思われるじゃん……!
気を取り直して、シャルは立ち上がって登録手続きをお願いする。
「はい、承知いたしました。では、こちらの用紙にお2人の情報をご記入ください」
受け取った用紙に必要事項を記入していく。羽ペンのかすかな擦れる音とともに、名前、年齢、職業、特技……。
私は職業を「ヒーラー」と書きながら、少し躊躇する。
本当はもっと詳しく書いた方がいいのだろうか。
あと特技って何を書けばいい……? 「回復」でいいの?
書き終わった用紙を提出すると、受付嬢が丁寧に確認し始めた。紙をめくる音が響く。
「あっ、あとこれ! シャロウナハトでもらった推薦状です」
「はい、確認します。……え?」
受付嬢は受け取った紙を開き、目を見開いた。
傍らに置いていた眼鏡をかけ、もう一度最初から読み直しているようだ。
眼鏡のレンズが光を反射して輝く。
「グレートナーガの討伐を……!? た、たった2人で……?」
「その通り! あたしらはこう見えて腕利きだからね!」
「しょ、少々お待ちください……!」
彼女は受付の奥に戻っていった。周囲も心なしかざわついている。小声での会話が、蜂の羽音のように耳に障る。
「グレートナーガって……A級の魔物か?」
「まさか。聞き間違いだろ? 軍が出るレベルだぞありゃ」
「女2人で何ができるってんだ」
い、居心地が悪い……! シャルは堂々と腰に手を当てて立っているが、私は身が縮こまる思いだ。
周囲の視線が、背中に刺さるように感じる。
しばらくして、受付嬢が戻ってくる。
「ありがとうございます。では、お2人とも腕章をお付けしますね」
そう言って、彼女は2つの腕章を取り出した。
それぞれに小さな魔法石が埋め込まれている。
魔力を帯びた石から、かすかな温もりが感じられた。
「これがあれば、ギルド所属の証明になります。
依頼を受ける際や報酬を受け取る際に必要となりますので、大切に扱ってくださいね」
シャルが「はーい!」と元気よく答える傍ら、私は小さく頷いた。
腕章を付けると、魔力が全身を駆け巡るような感覚がする。バフ効果はないみたいだが、何らかの魔法効果ではあるみたいだ。
「それから……お2人は実績を鑑みてA級冒険者としての登録からスタート……したいところではあるのですが。
念のため、B級からの登録とさせてもらいます」
「あ、そうなの? あたしはどっちでもいいけど……ミュウちゃんは?」
私も頷く。以前のギルドではほとんど依頼に出ずC級だったから、それでも格上げだ。
「すみませんね……シャロウナハトの村長を疑うわけではないのですが、証拠などもなかったので……」
「あー。素材とか全部村にあげちゃったしねー。
記念に牙くらい持ってくればよかったかな?」
なるほど、素材を村が買い取ってたのか。4クラウンはその代金だったのかも。
それから登録が終わり一段落したところで、シャルが小声で私に言った。
周囲の騒がしさに紛れて、彼女の声だけが耳に入ってくる。
「ねぇ、あの石像の件、報告した方がいいよね?」
私は頷く。あれは単なる事故というより、意図的な事件のように思える。
何より、あの黒いフードの人物は明らかに不審だ。
「すみませーん! あと実は報告したいことがあるんですけどー」
「はい、どのようなことでしょうか?」
シャルが石像事件について説明を始める。
私は横で小さく頷きながら、時折詳細を補足……しようとしたが無理だった。
喉が詰まって喋れなかった。相手、初対面だし……。
説明を聞いていた受付嬢の表情が、徐々に真剣になっていく。
「……わかりました。これは重要な案件かもしれません。少々お待ちください」
そう言うと、彼女は奥の部屋へと向かっていった。ドアの開閉する音が響く。
しばらくして戻ってきた彼女の後ろには、年配の男性がいた。
厳しい表情をした男性だが、その目には知的な光が宿っている。
灰色の髪に、目尻の皺。50代ほどだろうか?
彼から漂う独特の木のような香りは――パイプタバコの匂いだろう。
「私がこのギルドのマスター、アルバートだ。
広場の騒ぎは私も耳にしている……君たちの報告を聞かせてもらおう」
ギルドマスターの声は低く、落ち着いている。シャルは改めて事件の詳細を説明した。
アルバートは真剣な表情で聞いていたが、「石の密議」という言葉が出た瞬間、その目が鋭く光った。彼の体から、かすかな緊張感が漂う。
「石の密議、か……。そうか、またその名を聞くとは」
「え? ギルドマスター、その組織のこと知ってるんですか?」
シャルが食いつくように聞くと、アルバートは少し考え込むような表情をした後、ゆっくりと口を開いた。彼の声に、重みが増す。
「詳しいことはまだわからんが、危険な連中だ。ここ最近妙な動きを見せている。
テロリストのようにあちらこちらで石を用いた事件を起こしているが、その要求すら明らかにならず、構成員もわかっていないのだ」
アルバートの眉間のシワがますます深くなる。それから彼は、何かに気づいた様子で顔を上げた。
「……そういえば、君らは今日ギルドに入ったんだったな。それも色々あったと聞く」
彼の視線は一瞬受付嬢に向いた。さっきの推薦のやり取りをすでに共有していたのだろう。
「今回の件は、正式な調査依頼として出そう。報酬も出す。君らで引き受けてくれないだろうか?」
「もちろん! さっそくひと仕事だね、ミュウちゃん。頑張ろ!」
シャルは元気よく答え、私に目を向けた。小さく頷く。胸の中で、期待と不安が入り混じる。
「よし、ではこれまでの事件の詳細はこの書類に記してある。頼むぞ。
解決、とまでは言わないが、構成員くらいは捕まえてくれるとありがたいな」
アルバートはそう言って、私たちに一枚の羊皮紙を渡した。
そこには依頼の詳細と、いくつかの調査ポイントが記されている。
「奴らは日に日に行動がエスカレートしている……何かあってからでは遅い。よろしく頼む」
重々しい言葉とともに、私たちの新たな任務が始まった。
これから何が起こるのか、想像もつかない。
……あと、真面目な空気で話を聞いてたせいでだいぶ疲れた。
そろそろどこかで休んだほうがいいかもしれない……。それを察してか、シャルはこちらに軽く微笑んだ。
■
ギルドを出た後、私たちは町の宿屋を探すことにした。いつの間にかもう夕方だ。
夕焼けの色が、灰がちの建物たちに投影され、石壁が暖かな色合いを帯びている。
空気は冷たくなり始め、肌に触れると小さな震えが走る。
「あ、あそこ見て! 『石枕亭』だって。なんか硬そうな店名だけど、安いみたい」
(ほんとに石の枕で寝かされるわけじゃないよね……?)
シャルが指差す先には、こじんまりとした二階建ての宿があった。
看板には確かに「石枕亭」と刻まれている。石の彫刻で装飾された外観は、他の建物と変わりない。
ただ、入り口の両脇には小さな石の彫像が置かれており、旅人を歓迎しているようだ。
中に入ると、フロントで老婆が出迎えてくれた。しわがれた声で「いらっしゃい」と言う。
部屋の中は暖かく、どこかハーブの香りがする。
「すみませーん、部屋空いてますか?」
「ええ、1部屋なら空いてるよ」
「……!?」
「じゃあそれで!」
「……!?」
シャルが即答する。私はちょっと待ってと言おうとしたが、もう遅かった。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「はい、2階の右端の部屋よ。お風呂は1階の奥。朝食付きで2シリングになるねぇ」
「おばあちゃん、これって安いの?
高いの?」
「店員にそういうこと聞くかね。冒険者用の特別価格だからね、結構安いよ」
恐れ知らずなシャルがお婆さんから鍵を受け取り、私たちは2階へと向かう。
階段を上がる足音が、木の軋みと一緒に響く。
建物の外観こそ石だが、内部構造は木造のようだ。古い木の香りが鼻をくすぐる。
部屋に入ると、そこは予想以上に狭かった。
机が1つに、ベッドも1つしかない。
窓からは町の夜景が見え、日が沈む遠くでは街灯が灯り始めている。
「あれ? ベッド1つしかないね。まぁいっか! 一緒に寝よ!」
シャルは何も気にしない様子で、背負っていたリュックなどを床に置いた。ギシ、と木の板が軋む音がする。
「……っ!」
私は言葉に詰まる。い、一緒に寝るって……!? 顔が熱くなるのを感じる。耳まで赤くなっているのが分かる。
「どしたの、ミュウちゃん? 顔赤いよ? 熱でもあるの? それともそんなに疲れちゃった?」
シャルが心配そうに近づいてくる。彼女の体温と匂いを感じて、さらに顔が熱くなり、後ずさる。
汗と装備の革の匂いが混ざったような、不思議と心地よい香りだ。……いや、何言ってるんだろう私。
「あ、あ、あの……べ、べッドが……」
「ん? ああ、1つしかないってこと? 大丈夫だよ、あたし寝相いいし。それに、ミュウちゃんちっちゃいから場所取らないでしょ?」
そう言いながら、シャルは急に服を脱ぎ始めた。筋肉質な腕や腹部、大きめな胸……日に焼けた肌が露わになっていく。
鎧を下ろし、簡単な軽装だけの姿になる。衣服を脱ぐ音と、鎧がぶつかる金属音が響く。
「ちょ、ちょっと……!?」
「なに? ほら、1階のお風呂行くからさ。ミュウちゃんも一緒に行く?」
私は慌てて顔を背ける。心臓がばくばくと鳴っている。その音が耳の中で響いているようだ。
「い、いや、私は後で……」
「そう? じゃあ先に行ってくるね!」
シャルは無防備な服装で部屋を出て行った。彼女の足音が廊下を遠ざかっていく。
ドアの開閉する音が、妙に大きく感じられた。
(ど、どうしよう……)
私は頭を抱えて座り込む。こんな状況初めてだ。
今まで1人で部屋を使っていたから、他人と寝るなんて考えたこともなかった。
寝る……他人と……?
考えただけでも気が休まらない。
寝相が悪かったり寝言がうるさかったりしたらどうしよう? 部屋から叩き出されたりしないかな? いや、もう予め部屋から出ておこうかな??
そんなことをあれこれ考えていると、しばらくしてシャルが戻ってきた。
髪が濡れていて、いい匂いがする。石鹸の香りと、シャル本来の香りが混ざっている。
「ふぅ~、気持ちよかった! ミュウちゃんも早く行っておいで。寝る前に作戦会議しよう!」
「……ぁ……ハイッ」
私は小さく頷いて、急いで部屋を出る。お風呂場に向かう途中も、心臓の鼓動が収まらなかった。
足音が廊下に響き、自分の動揺を更に大きくしているようだった。
■
……のぼせそうになったお風呂から戻ると、シャルはすでにベッドに座っていた。
普段は服装であまりわからないけど、やっぱり……大きい。どこがとは言わないが。
部屋の明かりが彼女の輪郭を柔らかく照らしている。
窓の外はすっかり暗くなっていた。部屋の中は木の匂いが強く漂う。
「おかえり! さ、こっち座って! 明日のこと相談しよう」
そう言いながらシャルは自分の股の間のベッドを軽く叩いた。パンパンという音が、妙に耳に残る。
……膝の間に座れってこと!?
なんで!? そんな距離で話す必要ある!? 無理無理無理!
私はシャルの座るベッドの、少し隣くらいに浅く座る。ベッドがきしむ音がする。
……するとシャルはわざわざこっちに来て私を抱え込んだ!
(ヒエアアアアアア!)
「ほら、これがノルディアスの地図と貰った紙! これによるとー……」
全身にシャルの体温を感じる。汗を流してきたところなのに全身が汗ばんでくる気がした。
耳元でシャルの声がして、言葉はほとんど頭に入ってこない……! シャルの髪の匂いが鼻をくすぐり、集中力を奪う。
そんな謎の姿勢での作戦会議は思ったより長引いた。シャルが次々とアイデアを出し、私がそれに頷くという形だ。
背中に当たる感触とか、首筋にかかる息とかで何も集中できないので、結構適当に頷いている。
シャルの声が響くたびに、その振動が体を伝わってくるかのようだ。
「よーし、じゃあ明日はまず町を回って情報集めだね! おやすみ、ミュウちゃん!」
それから会議は終わり、シャルは何の躊躇もなく、ベッドに横たわった。
私はまだ座ったままだ。シャルの体がシーツに沈む音が聞こえる。
「ミュウちゃん? 寝ないの? 夜ふかしは肌に悪いよ~?」
「……」
夜ふかしは肌に悪く、寝るのは心臓に悪い。
どっちを取るべきか……とか考えながら、おそるおそる横になる。
ベッドが軋む音が、妙に大きく感じられる。
あっという間にシャルの寝息が聞こえ始めた。
彼女の体温と匂いが、すぐそばにある。シャルの髪の匂いが、枕から漂ってくる。
(む、無理……他の人と、とか……寝れるわけがない……)
そう思いながら、私は目だけは閉じた。目を閉じると、周囲の音がより鮮明に聞こえてくる。
シャルの寝息、外から聞こえる虫の音、遠くで鳴る犬の声。
だが不思議と、シャルの寝息を聞いていると、少しずつ安心感が湧いてくる。
体も疲れていたのか、しばらくして心臓の勢いも落ち……いつの間にか目蓋が重くなり。
シャルの体温が、心地よく感じられるようになっていた……。
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