第84話 神器をこの手に
「せっかくだし……治してあげない？」
シャルの提案に、私は小さく頷いた。
なんとなくだけど、このドラゴンは戦うべき相手な気がする。
試練の相手みたいな感じに作られてるのに、壊れているまま素通りじゃかわいそうだ。
せめて役目を果たさせてあげたいと思う。
私は杖を掲げ、大きく深呼吸をする。
今までより遥かに大きな機械。回復するには相応の魔力が必要になるだろう。
……とはいえ、今の私にはその心配すら不要になったんだけど。
肺いっぱいに古い空気を吸い込むと、石と金属の混ざった独特の匂いが鼻をくすぐる。
杖から温かな波動が手のひらに伝わってくる。
周囲の結晶が、まるで私の魔力に呼応するかのように輝きを増していく。
その光は水面のさざ波のように、部屋中を駆け巡っていった。
（最大回復魔法）
青白い光が機械ドラゴンを包み込んだ。
朽ちていた金属の表面が輝きを取り戻し、崩れ落ちていた鱗が元の位置に戻っていく。
錆びついていた関節が、滑らかな動きを取り戻していった。
光に照らされた広間に、浄化されていく金属の清らかな音が響く。
壊れていた翼が再生され、尾も元の形を取り戻していく。まるで時が巻き戻るかのようだった。
金属が磨かれていく音が、規則正しく鳴り響く。
そして最後に、頭部の赤い宝石が強く輝いた。目覚めた獣の瞳のように。
「……来ます！」
リンの声が響く直後、ドラゴンが大きく身を震わせた。
復活した機械の軋む音が、広間中に轟く。その振動が足元から伝わってくる。
巨大な体が床から持ち上がり、金属の翼が大きく広がる。
その翼は、まるで剣の刃を何十枚も並べたかのよう。
頭部の宝石が回転し、その赤い光で私たちを照らした。
「ギギギギ……！」
金属のような咆哮が響き渡る。
それは試練の番人としての威厳を取り戻した証のようでもあった。
その声に、天井の結晶が共鳴するように明滅する。
「よーし！ これで本気の戦いができるってワケだ！ 行こう、みんな！」
シャルが剣を抜く。その動作は修行を経てより洗練されている。
彼女の全身から、戦いへの昂揚が伝わってくる。
鞘から抜かれる剣の音が、澄んだ音色を響かせた。
リンも刀を構える。その姿勢からは、もはや迷いは感じられない。
「寝起きで悪いけど、あたしたちの相手してもらうよ！」
「――ゴアァァァァッ！」
シャルの挑発に応えるように、ドラゴンが首を大きく振り上げる。
天井まで届きそうな首が、まるで蛇のようにしなやかに動く。
そして――一直線に襲いかかってきた！
「はっ！」
シャルがその突進をひらりと躱しながら剣を振るう。
その一撃は、以前の彼女の動きとは明らかに違っていた。
剣筋が研ぎ澄まされ、無駄な動きが消えている。
刃がドラゴンの鱗を捉え、火花が散る。
金属と金属が激しくぶつかり合う音が、広間に響き渡った。
「私も！」
リンが低い姿勢から踏み込み、一閃。
刀身が空気を切り裂く音が響く。その鋭さは、以前の彼女とは比べものにならない。
その一撃は、ドラゴンの関節を的確に狙っていた。
金属が切り裂かれ、その巨体ががくりと揺れる。
床に伝わる振動が、その一撃の重さを物語っていた。
ドラゴンは2人の攻撃を受け、大きく後退する。
――しかしその直後、口から青白い光線を放った！
「おわーっ何それ！？」
シャルが光線をなんとか剣で受け、吹き飛ばされる。
だが、すぐに私の回復魔法が追いつく。青い光が彼女を包み込み、傷が消えていく。
傷が瞬時に治り、彼女は着地と同時に態勢を立て直した。
その動きには無駄がない。修行で培った体の使い方が、如実に表れている。
リンが死角から回り込み、首の付け根を狙う。
しかしドラゴンの尾が彼女を薙ぎ払う。受け身を取って着地したリンの傷も、すぐに回復する。
「こいつ、なかなかやるねー！」
「ええ。谷の魔物とは違います」
シャルが笑みを浮かべながら叫ぶ。
彼女たちの動きは、回復を前提とした大胆なものになっていた。
それでいて、的確な攻撃は確実にドラゴンにダメージを与えている。
金属の軋む音と、火花の散る音が交錯する。
ドラゴンが再び光線を放つ。だが今度は2人とも難なくかわす。
光が壁を焦がす音が響くが、2人の動きは止まらない。
動きを読み切っているのだ。修行で培った戦闘センスが、如実に表れていた。
2人の息遣いは落ち着いていて、戦いを楽しんでいるようにすら見える。
「頭部の宝石が弱点っぽいよ！」
「了解です！」
2人の息が合い、交互に攻撃を繰り出す。
シャルが正面から注意を引き、リンが急所を狙う。
剣と刀が金属を切る音が、まるで音楽のように響き渡る。
ドラゴンの動きが、徐々に鈍っていく。
金属の軋む音が、次第に苦しげに変わっていった。
「でぇりゃあああああっ！」
そして――シャルの剣が、ついに頭部の宝石を捉えた！
ガキン、と音を立てて宝石が砕ける。
それは赤い涙のように空中に飛び散った。砕けた破片が床に落ちる音が、静かに響く。
「ぃやったー！ どんなもんよ！」
ドラゴンが大きく震え、ゆっくりと動きを止めていく。
宝石の輝きは消え、代わりに満足げに首を下げた後、静かになった。
その姿は、まるで最期の別れを告げるかのようだった。
ドラゴンが静かになると、広間の奥に新たな道が開かれた。
大きな石扉が音もなく動く様子は、まるで魔法のよう。冷たい空気が、開かれた道から流れ込んでくる。
床に埋め込まれた結晶が一斉に輝き、まるで道標のように光の帯を作る。
その光は波打つように揺らめき、私たちの足元を優しく照らしていく。
私たちはその光に導かれるように歩いていく。
足音が静かに響く中、周囲の結晶の輝きが徐々に黄色みを帯びていった。
空気が変化していくのを肌で感じる。
今までの冷たさが消え、どこか温かみのある空気に包まれる。
「ねぇ……なんか、光の色が変わってない？」
シャルの言う通りだ。
今まで青かった結晶の輝きが、まるで夕陽のような黄金色に変化している。
その光は不思議と懐かしさを感じさせた。
道の先には壁があった。その壁が、音もなく左右に開いていく。
それは継ぎ目もない壁で、導かれなければその存在にはとても気付けなかっただろう。
開かれた隙間から漏れる光が、まるで私たちを招き入れるかのよう。
「すごーい！ ドラゴンを倒したご褒美、って感じかな！？」
興奮気味にシャルが言う。もしそうだとすると、ずいぶん厳しい条件だ……。
当時は難しくなったのかもしれないけど、今となってはあのドラゴンを回復する過程を踏まないとクリアできないってことになる。
それはつまり、戦える機械技師を連れてくるか、無機物をヒールできるヒーラーが必須ということで……。
それがどっちもほとんどいないことは、もうだいたいわかっている。
（昔の人も、こんなにドラゴンが錆びるとは思ってなかったんだろうなぁ……）
その道の先には小さな祭壇があった。
黄金の台座の上に、黄色く輝く勾玉が置かれている。
その輝きに目を奪われる。
温かな光が、まるで太陽の欠片のよう。
それは間違いなく、私たちが探していた……。
「これが……黄龍の勾玉」
リンが静かに呟く。その声には畏怖の色が混じっている。
勾玉から放たれる柔らかな光が、私たちの顔を黄金色に染めていた。
「やったー！ これが三神器の一つだよね！？」
シャルが歓声を上げる。
その声に反応するように、勾玉が一瞬強く輝いた。光の波紋が、部屋中に広がっていく。
「とりあえず、持って帰ろっか！」
シャルが軽く手を伸ばした瞬間、勾玉が不思議な動きを見せた。
光が渦を巻くように回転し始め、その光がシャルの体に吸い込まれていく。
まるで、勾玉そのものが彼女を選んだかのように。
「え……！？」
シャルの驚きの声が響く。
彼女の体が黄金色に輝き、その光は次第に全身に広がっていった。
光の粒子が舞い踊るように、彼女の周りを取り巻いていく。
「シャルさん！？ 大丈夫ですか！？」
リンが駆け寄ろうとするが、光の帯がそれを遮る。
シャルの周りに光の壁ができ、私たちは近づくことができない。
まるで聖なる儀式を見守るように、ただ立ち尽くすしかなかった。
「だ、大丈夫……むしろ、なんかすっごい力が……！」
シャルの声が、少し震えている。
しかしその調子からは、苦しみは感じられない。
光が収束していくにつれ、彼女の剣が青白い電光を纏い始めた。
まるで龍の息吹を帯びたかのような輝きを放つ。
「わぁ……なんかすごい！ 剣から雷みたいなのが出る！」
（そ、そんな雑な感想？）
シャルは剣を振ってみせる。その軌跡に、確かに電撃のような光が残る。
しかし不思議なことに、それは破壊的な力というより、どこか神聖な輝きを放っていた。
台座を見ると、勾玉は光を失っていた。
シャルはその勾玉を手に取り、懐にしまう。
「とにかく、目的は達成できたってことでいいのかな？」
シャルの言葉に、私たちは頷いた。
彼女の剣から放たれる光が、まるで私たちの前途を照らすかのように広間を満たしていく。
壁の結晶が再び青い光を取り戻し始め、私たちは蒼龍殿を後にすることにした。
帰り道、シャルは何度も剣を振り回して新しい力を試していた。
その姿は、まるで新しい玩具を手に入れた子供のよう。
「いやー、これはすごい！ これ、いい感じに飛ばしたらもっと強そう！」
「あの……遺跡の中ではやめてくださいね？ 危ないですからね」
「わかってるわかってる！」
その度に走る電光が、青い結晶に反射して美しい光の帯を作る。
空気が振動し、かすかな雷鳴のような音が響く。
……でも、不安は残る。
私たちはこうして三神器を手に入れた。
残る神器の「赤割の剣」と「翠玉の鏡」はあの老僧が持っている。
（ってことはつまり、あの人がこっちに襲いかかってくるってことじゃ……）
そんな私の思考を遮るように、シャルが明るく声を上げる。その声は、いつもの彼女そのもの。
「さーて、とりあえずアズールハーバーまで戻ろっか！」
その声に、私の懸念は一旦後回しになった。
とにかく、今は無事に目的を果たせたことを喜ぼう。
シャルの剣から放たれる光が、私たちの帰路を温かく照らしていく。
……それと、ちゃんと宿で寝よう。
このままじゃどんどんワイルドになってしまう……。
体中の疲れが、その思いを強くしていた。
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