第8話 石の町ノルディアス
「ミュウちゃん、あと少し頑張って! 町が見えてきたよ!」
シャルの大きな声に、私は息を切らしながら顔を上げた。
長い道のりを歩いてきて、足の筋肉が悲鳴を上げている。
汗が背中を伝い落ち、服が肌にべったりと張り付いていた。
死ぬ……。歩きで2時間とか、引きこもってた後衛職にやらせる運動じゃないよ……。
乾いた風が頬を撫で、砂埃が目に入る。目を細めながら、遠くに町の輪郭が見えてきた。
「ていうかミュウちゃん、あたしがグレートナーガとの戦いで疲れてたとき、疲労を回復する魔法使ってたよね。アレ使わないの? 自分には効果ないとか?」
「……っ」
私は首を横に振る。効果はある。あるのだが……。
(道中で使っても、どうせまたすぐ疲れるだけだし……どうせなら、到着後に使えばいいかな、って……)
……これは私に限らずヒーラー職によくある職業病らしいのだが。
ヒーラーは、自分の怪我の程度が自分で理解できる。
そしてどれくらい回復すれば元通りになるかもわかっている。
それ故に、後からでも回復で間に合うような負傷は後回しにしてしまいがちなのだという。
私のこれも、その職業病と同じようなものだ……。どうせ後で回復するならいいじゃん、と思ってしまう……。
(……でも、もう、限界……っ。疲労回復魔法……!)
杖を握り、魔法を発動させた。すると苦しかった息が、深く吸えるようになる。肺が広がる感覚が心地よい。
手足の痛みや痺れもすっかりなくなり、体が軽くなった気がする。
「もー、ミュウちゃんってばうっかりだなぁ! その魔法のこと忘れてたんだね?」
「……!?」
ち、違うよ! ちゃんと理由があったんだよ!
私はシャルに抗議する目を向けるが、全然気付かれていない。
(……はぁ、もう)
ひとまず弁明は諦め、私は目の前に広がる景色に集中した。思わず息を呑む。
ノルディアスは、まるで巨大な彫刻のような町だった。
灰色や褐色の石造りの建物が立ち並び、どの建物も細かな彫刻で装飾されている。
いくつかの尖塔が空に向かって伸び、まるで石の森のようだ。
日差しを受けて輝く石の表面が、幻想的な雰囲気を醸し出している。
町の入り口には、巨大な石のアーチがあった。
その石には「石の町 ノルディアス」と刻まれている。
文字の周りには、複雑な渦巻き模様が彫り込まれていて、目が眩むようだった。
アーチの下を通り抜けると、冷たい石の感触が肌を撫でる気がした。
「すご……」
思わず声が漏れる。シャルも同じように感心した様子で、キラキラした目で町を見つめていた。
「すっごいよねぇ! なんでも、地下にダンジョンができてて、そこから大量の鉱石が取れるんだってさ。
この町のほとんどの建物はその石から作ってるんだ!」
シャルの観光案内を聞きながら石畳の道を歩き始めると、靴底に伝わる感触が心地よい。
カツカツという音が響き、その音が町の雰囲気にマッチしている。
硬い感触の地面は歩きやすくて助かる。ここまでの土とか草の地面は、どうにもぐにゃぐにゃして足首に負担がかかるのだ。
道の両脇には、石で作られた植木鉢が並び、色とりどりの花が咲いている。
そのおかげで、石の街という割に景観はカラフルだ。
花の香りが、石の匂いに混ざって鼻をくすぐる。
道行く人々の服装は様々で、いろんな文化が混ざっているようだった。
冒険者らしい若者に、薄着の採掘者らしき男たち。
彼らの肌は日に焼けて褐色に変わっており、たくましい筋肉が光っている。
石工職人らしき人々は、灰色や茶色の作業着を身につけ、腰には小さな彫刻用の道具をぶら下げている。
彼らの肩には、石の粉が白く付着していた。
「ねえねえ、ミュウちゃん! あそこ見て!」
シャルが指さす先には、大きな広場が広がっていた。
そこでは、何やら賑やかなイベントが行われているようだ。
人々の歓声や、石を削る音が聞こえてくる。
「石の広場」と書かれた看板の下には、「第53回 ノルディアス彫刻フェスティバル 本日開催」という文字が書かれた垂れ幕がある。
周りには大小様々な彫刻が展示され、人々が熱心に見入っていた。
「わぁ、すごい! ミュウちゃん、見に行こうよ! 広場にたくさん彫刻があるんだって!」
シャルの声には興奮が滲んでいた。私も正直、気になる。
小さく頷くと、シャルは満面の笑みを浮かべて私の手を引っ張った。
広場に近づくにつれ、石を削る音や人々の歓声がより大きく聞こえてきた。
空気中に石の粉が舞い、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。
……でもあんまり近付かないようにしよう。体に良くはなさそうだ。
フェスティバル開催中の広場では、様々な彫刻が展示されていた。
小さな手のひらサイズのものから、人の背丈を超える大きなものまで。
動物や人物、抽象的な形のものなど、その種類は実に様々だ。
石の質感も多様で、滑らかなものから荒々しいものまで、触れたくなるような作品ばかりだ。
中でも目を引いたのは、中央に展示されている巨大な鳥の彫刻だった。
翼を広げた姿は圧巻で、細部まで繊細に作り込まれている。
羽根一枚一枚の質感まで表現されていて、今にも動き出しそうだ。
鳥の目は宝石でできているらしく、光を受けて輝いている。
「へぇ~、すっごいなぁ」
シャルが感嘆の声を上げる。その横で、私も小さく頷いた。ここまで細かい彫刻は見たことがない。
広場を歩き回りながら、私たちは様々な彫刻を見て回った。
シャルは特に力強い彫刻に興味を示し、戦士や獣の像の前で立ち止まっては「かっこいい!」を連発していた。
彫刻から漂う迫力に、思わず身を引きたくなる。
一方、私は繊細な細工が施された小さな彫刻に目を奪われた。
指先ほどの大きさの花の彫刻は、本物の花びらのようにしなやかで、思わず触れたくなる。
石とは思えない柔らかな曲線に、息を呑む。
「あ、ミュウちゃん!」
「ハッ! さ、触ってませんッ……!」
「おお……偉い! で、それはいいとして、あそこ。何か美味しそうなの売ってない?」
シャルの声にビビって顔を上げると、確かに美味しそうな香りが漂ってきた。
焼きたてのパンの香り。思わず唾を飲み込む。甘い香りに誘われるように、足が動き出す。
広場から少し離れ、露店が並ぶエリアに行ってみると、「名物! 石焼きパン」という看板を掲げた屋台があった。
そこでは、白いエプロンを身に着けた腕の太い男が、大きな石窯からパンを取り出している。
パンの表面はカリカリに焼け、香ばしそうだ。石窯から立ち上る熱気が、香りとともに顔に当たる。
「すごいいい匂いだね! 2つください!」
「あいよ!」
シャルが元気よく注文する。店主は愛想良く応対し、できたてのパンを紙に包んで渡してくれた。
受け取ったパンは、まだ熱々だ。紙がなかったら手を火傷していてもおかしくないくらい。
かじってみると、外はカリッと、中はふんわりとした食感。
噛むたびに、小麦の香りと味が口いっぱいに広がる。口の中が幸せな気分に包まれる。
「うまーい! ねえミュウちゃん、どう?」
シャルの問いかけに、私は小さく頷いた。確かに美味しい。今まで食べたパンの中で一番かもしれない。
そんなふうに店の前でパンを頬張っていると、地元の人らしき老夫婦が話しかけてきた。
2人とも日に焼けた肌をしており、石工のような手の荒れが見える。
「お嬢さんたち、旅人かい?」
シャルが「うん、そうだよ!」と元気に答える。私はただ頷くだけだ。
老夫婦の優しそうな笑顔に、少し緊張が解ける。
「そうかい。ノルディアスを楽しんでいってくれ。興味があったら地下のダンジョンにも行ってみるといいよ」
「そこ、なんかあるの?」
「今はほとんど採石場になってるけど、たまに宝とかも見つかるって話さ」
「た……宝!? どうしよっかミュウちゃん! お宝があるかもしれないんだって~!」
興奮しだしたシャルを置いて老夫婦は優しく微笑んで去っていった。
私の頭がガクガク揺さぶられる……。シャル、この癖やめない?
(それより先にギルドに登録に行こう……?)
「そうだねミュウちゃん! やっぱりさっきの広場ももうちょっと見たいよね! 任せて!」
シャルは見当違いな情報を私の顔から読み取り、ズルズルと再び広場へと私を引きずっていった。
……そんなに長い付き合いではないが、もう慣れたものだ。
パン、おいしいなぁ……。
■
私たちが広場に戻ると、フェスティバルはさらに熱気を帯びていた。
新しい彫刻が続々と展示され、人々の歓声が絶えない。
空気中には石の粉の香りが漂い、鼻をくすぐる。くしゃみ出そう……。
「わぁ、すごい! 新しいのがいっぱい!」
シャルの声に、私も頷く。確かに、さっきまでなかった作品が並んでいる。
車輪の軋む音。どうやら木製の台車で少しずつ運んできているようだ。
増えた彫刻の中で、ひときわ異彩を放つ彫刻が目に入る。
それは人型の彫刻で、両手を上げ、何かを抱えているような姿勢をしている。
表面は鏡のように滑らかで、周囲の景色を歪めて映し出している。
(あれは……)
私は思わず足を止める。彫刻から、微かな魔力の波動を感じたのだ。肌がピリピリとするような嫌な感覚。
「どうしたの、ミュウちゃん?」
シャルが不思議そうに私を見る。私は彫刻を指差し、首を傾げる。
「ん? あー、確かに変わった彫刻だねー。近くで見てみよっか! なんか光ってるね」
シャルに手を引かれ、彫刻に近づく。近づくにつれ、魔力の波動が強くなるのを感じる。
これはやっぱり、なにか――
そのとき突然、彫刻が眩いばかりの光を放ち始めた。
「え!? うわ眩っ! なにこれなにこれ!?」
シャルの驚きの声と同時に、彫刻から強烈な魔力の波が放たれる。
周囲の人々が光に驚き声を上げる。その声が耳に痛いほどだ。
目蓋ごしに感じる明るさが収まり、おそるおそる目を開く……と、彫刻は姿を変えていた。
さっきまでと姿勢が違う。それどころか、きしむような音を立てながら、ゆっくりと動き出したのだ!
「うわーすご! 魔法の石像!? ホントに動くなんてねー!」
(……変だ)
シャルや周りの人は歓声を上げているが、私はそんな気分にはなれなかった。これが良いものとは思えなかった。
石像は台座から降りると、拳を握り――前方の地面に振り下ろした。
「うわっ!?」
それはあわや彫刻を見ていた子供に直撃しそうな軌道だった。
少年が腰を抜かし、しばらくして泣き出す。その泣き声が広場中に響き渡る。
「こいつ……!? もしかして敵!? 魔物とか!?」
シャルが背中の剣を抜き、金属音が鋭く響く。
石像は両手を振り上げ、地面を叩きつける。衝撃で地面が割れ、石畳が砕け散った。
砕けた石の破片が飛び散り、辺りに土埃が立ち込める。
「みんな逃げて! こいつはあたし達がなんとかする!」
シャルの声に、広場は大パニックになる。人々が我先にと逃げ出し、悲鳴と足音が響き渡る。
「ミュウちゃん、後ろに下がってて!」
シャルが石像に向かって突進する。剣が石像にぶつかり、火花が散る。
金属と石がぶつかる音が耳を刺す。
軌道が逸れた石像の拳は、他の展示品にぶつかり、砕いた。
砕けた石の破片が飛び散り、無残に床に落ちる。
(まずい……このままじゃ展示品が……!)
私は杖を構え、回復魔法の準備をする。
シャルの攻撃は石像に少しずつダメージを与えており、全身にヒビが増え始めている。
しかし、避けきれずに直撃した石像の拳により、シャルの体にもダメージが増えていた。
「くっ……硬いなぁもー! 腕が痺れてくるって!」
シャルの苦しそうな声が聞こえる。
石像の一撃を受け、彼女が吹き飛ばされる。
(大回復魔法!)
私は即座に回復魔法を発動させる。シャルの体が青白い光に包まれ、傷が癒えていった。
「ありがとう、ミュウちゃん!」
シャルが立ち上がる。その瞬間、石像が私たちに向かって突進してきた。
地面を踏みしめる重い足音が響く。
「危ない!」
シャルが私を抱きかかえ、避ける。石像の拳が地面を砕く。
砕けた石畳の破片が飛び散り、私の頬を掠めた。破片が肌を切る痛みを感じる。
(なんとか動きを止める方法は……!)
私は石像の足元を見た。石像は動き出した際に質量が増加したのか、石畳を踏み砕きながら進んでいるのだ。
ならば、壊れた石畳を「治せば」。その動きを拘束できるかもしれない。
(物体修復魔法……!)
杖を握り、石畳に対して魔法を使用する。
すると砕け散った石の欠片が飛んで戻ってきて、石像の足を埋めるように修復されていく。
修復される石の音が、カチカチと鳴る。
石像は煩わしそうに足元を見て、埋められた足を抜こうとしていた。
石がこすれ合う音が響く。
「今だ!」
シャルが私を置き、再び石像に向かって突進する。
石像の腕だけの攻撃をかわしながら、間合いに迫る。
シャルの足音が、石畳を踏みしめる。
そしてシャルの剣が、石像の胸の正中線を捉える。
ガシャンという音とともに、その体は真っ二つになる。
石像の動きが止まる。そして、ばらばらと崩れ落ちていった。
大小様々な石が地面に落ちる音が、次々と響く。
「よっしゃーっ! よくわかんないけど倒したよ! 今回もサンキュー、ミュウちゃん!」
シャルが息を切らせながら言う。私も安堵のため息をつく。
しかし、その安堵も束の間だった。
「おや、これは予想外でしたね」
低い声が聞こえ、私の背後に一人の男が現れた。
黒いローブを身にまとい、顔は深い頭巾で隠されている。その服から、かすかに湿った土の匂いがする。
「ん? あなたは誰? フェスティバルの参加者……にしては不審者ルックすぎるけど」
シャルが警戒しながら尋ねる。男は薄く笑みを浮かべた。
その表情が、頭巾の陰から垣間見える。
「私は『石の密議』の一員。君たちの活躍、見事でした」
「石の密議……?」
「ふふ、詳しいことは……また今度。では」
男はそう言うと、歩いてどこかに行く。
その姿はすぐに人混みに紛れ、目で追えなくなった。残されたのは、かすかな土の匂いだけ。
「誰あいつ。なんか黒幕ですみたいな顔してたけど。なんか変な事件が起きてるみたいだねぇ」
シャルが困惑した表情で呟く。私も同じ気持ちだった。
そのとき、町の警備隊が駆けつけてくる。
それぞれ、手に剣を持ち簡易な鎧を身に着けていた。鎧がガチャガチャと鳴る音が聞こえる。
「大丈夫ですか!? 何があったんです?」
「えーっとねぇ! まぁあたしも来たばっかでよくわかってはいないんだけど、フェスティバルの最中に……」
シャルが状況を説明する間、私は崩れた石像の破片を見つめていた。石の表面には、不思議な模様が刻まれている。
(『石の密議』……? 組織の名前?)
なんだか厄介な気配がする。依頼で魔物と戦うのはともかく、人と戦うことになったら嫌だなぁ。できれば関わりたくないけど……。
「ねえミュウちゃん」
シャルの声に顔を上げる。
「これ、ギルドに報告した方がいいよね? きっと調査依頼になると思うんだ」
私は小さく頷いた。たしかにその通りだ。いや、重ね重ね私はやりたくないんだけど。
「よーし! じゃあさっそく登録がてらギルドに行こう!」
シャルの声に、私はまた頷く。
広場は騒然としたままだったが、私たちは新たな目的地に向かって歩き出した。
石畳を踏む足音が、静かに響く。まだ空気中には石の粉と土埃の匂いが漂っていた。
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