第76話 黒装束の襲撃
「翠玉の鏡が……既に持ち去られていた、と?」
将軍の声に、驚きが混じっている。
広い執務室に重苦しい空気が漂う。
窓から差し込む午後の陽光が、将軍の机の上に置かれた茶器を照らし、かすかな影を作っている。
私たちはアズールハーバーに戻り、ヒスイドウでの出来事を報告していた。
部屋の隅々まで行き渡る木の香りと、かすかに漂う茶の香りが、緊張感を和らげる。
机の上には私たちが持ち帰った地図が広げられ、彼はそれを険しい目で見つめていた。
黄ばんだ布地が、陽の光に照らされてわずかに輝いている。
「まさか……」
将軍はため息をつき、立ち上がった。
床を踏みしめる音が、部屋の重厚な雰囲気をさらに引き立てる。
「リンよ。その地図には間違いなく『蒼龍殿』とあるのだな?」
「はい。古代の地図だと思われます」
リンの声に、将軍は深いしわを寄せる。
彼の顔に落ちる影が、その表情をより深刻に見せていた。
「これは……予想以上に事態が複雑になってきたな」
「将軍? どういうことでしょうか」
リンが静かに問いかける。彼女の声には、いつもの冷静さが感じられる。
しかし、その瞳には僅かな不安の色が浮かんでいた。
将軍は少し奥に行き、立て掛けてある大きな刀を手に取った。
その動作に、私たちは息を飲む。えっ。無礼を働いたから斬られる……!?
赤い鞘に入った、身の丈ほどの刀。私の身長よりもある大きさだ。
鞘には炎のような模様が細かく刻まれており、それが光に照らされて不思議な陰影を作る。
刀を持つ将軍の手に、力が込められているのが見える。
(ひいい、すみませ――っ)
「この刀は、かつて東方三神器と呼ばれた宝物の一つなのだ。銘を『赤割の剣』という。三千年前、この地を統べた翠玉王朝の遺産だ」
その言葉に、シャルが目を輝かせる。リンが思わず身を乗り出した。
赤い鞘から放たれる威圧感に、私は思わず背筋を伸ばす。
……でもよかった。斬られる流れではなさそうだ。
「三神器? 他の二つは何なの?」
シャルの質問に、将軍は刀を丁寧に置きながら答える。
「一つは『翠玉の鏡』。そしてもう一つは『黄龍の勾玉』。
伝説では、この三つが揃うと――世界を支配できるとされているのだ」
執務室の空気が、一気に張り詰める。将軍の言葉が、重みを持って響く。
窓を揺らす風の音さえ、この瞬間は止まったように感じられた。
せ、世界を……支配? ずいぶんまた大げさな話になってきたけど……。
でも、赤割の剣から感じる威圧感は、確かにただの武器とは思えない。
「だが私の一族に継がれていたのはこの『赤割の剣』のみ。
『翠玉の鏡』も『黄龍の勾玉』も、どこにあるのかは誰も知れなかった。
存在するのかどうかすら怪しまれていた」
将軍は窓際に歩みながら、ゆっくりと続ける。
「だが君たちは確かに、ヒスイドウの遺跡で鏡の存在を確認した。
それどころか、誰かが先に持ち去っていた……」
「ってことは……誰かが三神器を集めようとしてるってこと!?」
シャルの声が高くなる。
その声が部屋中に響き渡り、茶器が微かに震える。私は不安げに将軍を見つめた。
「うむ。そして、その『誰か』は相当な実力者かもしれぬ。なおかつ、霧の谷捜索隊には参加していない何者かだ」
「そうなのですか?」
「ああ。捜索隊の行動が被らんように、誰がどこに行ったかは把握できるようにしている。
ヒスイドウに挑んだ武士はかつて数十名いたが、いずれも死ぬか、遺跡に気付かずに帰還した」
「ってことは……あたしたち相当頑張ったってことだよね!?」
「うむ。……そうだけど、今結構大変な話をしている。テンションを上げるタイミングを間違えぬように」
将軍は相変わらず困惑しつつシャルを抑える。手のひらで顔を覆う仕草に、疲れが滲む。
そう、大変な話だ。誰かが世界を支配しようとしているかもしれないのだから。
(鏡を持っていったのって、もしかして……?)
私は思わず、マーリンの姿を思い浮かべる。
だが、それは違うような気がする。そもそも、あの鏡の間を見るに、鏡が持ち去られたのは案外最近な気がするし……。
台座に残された布の状態や、埃の様子からそう推測できる。
「しかし、蒼龍殿という遺跡は私も聞いたことがない」
将軍は顎に手を当てる。そこに生えたひげがジョリジョリと鳴った。
陽の光が彼の姿を照らし、長い影を床に落とす。
「建物の存在自体が、長い間忘れ去られていたのだろう。
霧の谷候補地のひとつに『ムゲンキョウ』と呼ばれる場所がある。
その位置と、地図上の蒼龍殿の位置が一致するというのは、偶然ではないはずだ」
将軍は窓の外を見やる。その眼差しには、深い懸念の色が浮かんでいる。
外から聞こえる波の音が、この場の緊張感を際立たせる。
「そこにはもしや、『黄龍の勾玉』があるのやもしれぬ……」
■
「うわぁ、相変わらずすっごい人!」
アズールハーバーの市場は、昼下がりとは思えないほどの賑わいを見せていた。
色とりどりの商品が並び、活気のある声が飛び交う。
露店からは魚を焼く香ばしい匂いと香辛料の刺激的な香りが漂い、潮風と混ざり合って独特の雰囲気を作り出している。
「この街、やっぱり港町だけあって市場が大きいねぇ。それに、蒸し暑い~」
シャルは額の汗を拭いながら歩く。
彼女の赤い髪の毛先が、湿気を帯びてカールしている。
私たちはヒスイドウで見つけた宝石を換金し、必要な物資を購入するため市場に来ていた。
リンは別の用事があるとのことで、私とシャルの二人だ。
周りを歩く商人たちの活気のある声に、少し圧倒される。
「よーし、じゃあまず地図買おうか。それと……ミュウちゃん、ちょっと休もうか。人多すぎて疲れちゃうでしょ?」
私は小さく頷く。
確かに、これだけの人混みは精神的にきつい。MPがゴリゴリ削られていく……。
人々の話し声や笑い声が耳に入るたび、エネルギーが吸い取られていくのを感じる。
私たちは市場の片隅にある茶屋に入った。
建物の軒先に吊るされたガラスの鈴が、涼しげな音を奏でている。
木陰で吹く風が心地よく、少し肩の力が抜ける。
茶屋の中は不思議と市場の喧噪が遠くに感じられ、ほっとする。
「■■■■■、■■■■■」
店主が持ってきた青磁の茶碗から、爽やかな茶の香りが立ち上る。
氷の浮かぶ透明な液体が、光に照らされて美しく輝いている。
シャルは一気に飲み干すと、ため息をついた。氷のカチャカチャという音が涼しげだ。
「ふぅ……。でも、ちょっと整理しないとね。今までのこと」
私も頷く。確かに、色々と複雑な状況になってきていて、何がなんだかって感じだ。
このあたりで情報の整理が必要だろう。
茶屋の天井から吊るされた植物が、風に揺られてかすかな影を落としている。
「えっとね」
シャルは指を折りながら話し始めた。彼女の声は、普段より少し落ち着いている。
「まず、ミュウちゃんとあたしがこの東方大陸に来たのは、ミュウちゃんの師匠のマーリンを探すため。
マーリンは1000年前に『霧の谷』で姿を消したんだよね」
私は静かに頷く。茶碗を両手で包み込むと、冷たい感触が心地よい。
マーリン……私に魔法を教えてくれた人。
7年前に突然姿を消してしまい、最後の手がかりがこの東方大陸だった。
「でも『霧の谷』って呼ばれる場所が、実はこの東方大陸に何か所もあったってわけ。まずそこで詰まっちゃったんだよね」
シャルは二杯目のお茶を注ぎながら続ける。
透明な液体が茶碗に注がれる音が、静かに響く。
「そこに、アズールハーバーの将軍が『霧の谷捜索隊』を募集してた。
将軍は『不老不死の泉』を探してるんだけど……あたしたちからすれば、どっちにしろ『霧の谷』を調べられるからちょうどよかったんだよね」
「……うん」
実際、運が良かったと思う。一から調査するのは大変だったはずだ。
複数ある『霧の谷』からマーリンが行った場所を探すのは、人の数と力がいる。
窓から入る風が、茶碗の中の水面を揺らす。
「それで『霧の谷』の一つ、ヒスイドウに行ったら……地下で翠玉の鏡っていう魔道具が盗まれてるのを発見!」
シャルは声を潜める。周囲を気にしながら、身を乗り出してさらに続ける。
茶碗が微かに揺れ、氷がカチンと音を立てる。
「その鏡ってのが大変なモノで、東方三神器の一つ。
他に赤割の剣……これは将軍が持ってた。
あと黄龍の勾玉ってのがあって、三つ集めると世界を支配できるかもって」
「……世界……」
茶碗から立ち上る香りを嗅ぎながら、私は言葉を噛みしめる。
世界を支配する力なんて、想像もつかない。
「わかるよミュウちゃんの気持ち。いまいちピンとこないよね? なんかおとぎ話みたいというか」
私は頷く。お茶を啜りながら、ここまでの出来事を振り返る。
ガラスの鈴の音が、まるで私たちの思考を整理するかのように、涼やかに響く。
「で、その鏡を誰かが持ってった。しかも最近。誰の仕業なんだろうね?」
シャルは腕を組んで考え込む。市場の喧噪が遠くから聞こえてくる。
魚を売る声、値切る声、笑い声。それらが茶屋の中まで、かすかに届いていた。
「それで次は『蒼龍殿』ってとこに行くんだけど……これも実は『霧の谷』の一つ、『ムゲンキョウ』って場所にあるらしい」
シャルは茶碗を置き、私の顔を見た。
氷が溶けて薄くなったお茶の中で、最後の一欠片が揺れている。
「ねぇ、ミュウちゃん。マーリンってすごい魔法使いだったんでしょ? もしかして……」
私も考えていた。マーリンなら、守護獣くらいは簡単に倒せただろう。でも――
(でも、違う気がする。だって、マーリンが霧の谷に消えたのは1000年前だ。
今さら鏡を持ち去ったりあちこちウロウロしているとは思えない)
首を横に振る。シャルも納得したように頷いた。
鈴が再び音を立て、二人の間に流れる沈黙を心地よく彩る。
「だよね。じゃあ、誰が鏡を……」
「■■■■、|■■■■■■■■■■■《お代わりはいかがですか》?」
店主の声に、私たちは我に返る。シャルは笑顔でとりあえず頷いた。
器用に陶器の音を立てないよう、お茶が注がれる。
(もうそんなにいらないんだけど……)
「あ、ねえ! この近くで地図屋さんってある?」
シャルが通訳魔法で店主と話している間、私は遠くに見える港を眺めていた。
潮風が頬を撫で、遠くからカモメの鳴き声が聞こえる。
白い帆を張った船が、静かに港を出ていくのが見えた。
誰が鏡を持ち去ったのか。そして、蒼龍殿には何があるのか。
たくさんの謎が、まだ解けないままだ。
「――きゃあああああっ!」
その時、突然市場の向こうから悲鳴が聞こえた。
鋭い叫び声が、それまでの活気ある雰囲気を一瞬で凍りつかせる。
「なっ!?」
シャルが立ち上がる。茶碗が倒れかけて、私は咄嗟に押さえる。
氷の溶けた冷たい茶が、手に零れる。
茶屋の出口に駆け寄ると、市場が騒然としていた。
さっきまで聞こえていたガラスの鈴の音が、悲鳴と叫び声に飲み込まれていく。
人々が慌てて逃げ惑う中、黒い服を着た男たちの群れが押し寄せている。
彼らの足音が、不気味なリズムを刻んでいた。
「何あれ……」
シャルの呟きに、私も目を凝らす。男たちの様子は明らかにおかしい。
潮風に乗って、彼らから漂う異様な気配が鼻をつく。
全身を黒い布で覆い、目だけを出した姿。だが、その目は血走り、狂気に満ちている。
歩き方も不自然で、まるで操り人形のようだった。
関節が曲がる度に、布がきしむ音が聞こえる。
そして、それぞれが短い刀を持っている。刃が不吉な光を放つ。
「やばいよ、あの人たち! 城に向かってない!?」
シャルの指差す先――将軍の城の方角だ。
黒装束の男たちは、まっすぐにその方向へと進んでいく。
行く手を遮る商人たちを、容赦なく払いのけながら。
倒された露店から、果物が転がり落ちる音が響く。
「■■■!」
露店の商人が叫ぶ。黒装束の一人が、まるで物でも払うかのように商人を蹴り飛ばした。
商人の体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「こら! なにしてんの!」
シャルが剣を抜く。鞘から引き抜かれる剣が、鋭い音を立てる。
が、その時私は違和感に気付いた。背筋が凍るような感覚が走る。
(この殺気……普通じゃない)
黒装束たちからは、尋常ではない殺気が放たれている。
しかし、それは戦う意思を持った者の殺気とは違う。
特定の誰かや戦う相手に殺気を向けるのではない。
全包囲、すべてに対して殺意を向けている。まるで、理性を失った獣のような――。
私の警戒が正しかったことを、すぐに目の当たりにする。喉が乾く。
「うおオぉおぉおォっ!」
シャルの剣を見た黒装束の男は、刀を振り上げてめちゃくちゃな姿勢のまま突進してきた。
獣じみた咆哮が、市場に響き渡る。シャルの剣が肩を切り裂いても、全く気にする様子がない。
血が飛び散るのに、まるで痛覚がないかのようだ。
「なっ!?」
シャルが驚いた隙を突いて、さらに二人が襲いかかる。
彼らの動きは予測不能で、まるで生き物というより、別の何かに操られているようだった。
黒い布が風にはためく音が、不気味に響く。
「くっ!」
シャルがなんとか受け流すが、彼らは執拗に攻撃を続ける。
まるで自分の命も顧みないような、異常な戦い方。
その刀がシャルの肩を斬る。鋭い金属音と共に、血が飛び散った。
(小回復魔法!)
私は咄嗟にシャルの傷を回復する。
青白い光が傷を包み込み、すぐに血は止まった。が――
「ミュウちゃん、後ろ!」
振り向くと後ろから、黒装束の一人が忍び寄っていた。
布がこすれる音さえしない、不気味な静けさ。目が合った瞬間、男が襲いかかってくる。
刃の冷たい輝きが、視界を覆う。
「ミュウちゃん!」
シャルの声が悲痛に響く。
間に合わない――! 目の前で、刀が振り下ろされ――
「はッ!」
金属のぶつかり合う音が耳を劈く。
火花が散る。私の目の前で、リンが黒装束の攻撃を受け止めていた。
彼女の刀が、青く輝いている。
「シャルさん! ミュウさんは私が!」
「ありがとリン! 頼んだよ!」
あ、危なかった……! 心臓がドキドキして、つい杖を強く握ってしまう。
リンの刀が閃く。風を切る鋭い音と共に、黒装束の男が吹き飛び、壁に叩きつけられる音が響く。
しかし、骨の折れる音がしたはずなのに、すぐに立ち上がりまた襲いかかってくる。
「これは……なにか、おかしい」
リンの声に緊張が混じる。汗が彼女の額を伝い落ちる。
確かに、相手の様子は尋常ではない。
目は虚ろで、まるで意思を持たないように見える。
それでいて、その動きは正確で致命的な攻撃を仕掛けてくる。
「みなさん、気をつけて! この人たち、どこかおかしいです!」
「わかってる! でも、城の方に向かってるってことは……!」
シャルの言葉通り、黒装束の群れは着実に城へと向かっていた。
彼らの足音が、まるで太鼓のように地面を打つ。
進路には、まだ逃げ遅れた商人たちの姿も。
幼い子供を抱きかかえた母親が、震える足で立ちすくんでいる。
「あの人たちを守らないと!」
シャルが叫ぶ。
私たちは、黒装束の男たちと市場に残された人々の間に立ちはだかった。
遠くでは、もう衛兵たちの叫び声が聞こえ始めている。
金属の響く音、走る足音、叫び声が混ざり合う。
事態は急を告げていた。
黒装束たちは、まるで何かに憑りつかれたように、次々と襲いかかってくる。
その血走った目は、どこか……歓喜に満ちているようにさえ見えた。
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