第7話 出発と閃き
……まぶたが重い。頭がぼんやりとしている中、少しずつ意識が戻ってくる。
鼻をくすぐる薬草の香り。耳に届く小鳥のさえずり。
「あ! ミュウちゃん、目を開けたね! 大丈夫!?」
シャルの声だ。その声に反応するように、周囲がざわめき始める。
木の床を踏む足音が重なり、部屋中に緊張感が漂う。
「本当か!? 英雄様が目覚めたぞ!」
(えいゆ――は?)
「おーい、みんな! ミュウさんが起きたぞー!」
(え……? 英雄? 私のこと?)
目を完全に開けると、そこには見知らぬ顔がびっしりと並んでいた。
診療所らしき部屋に、村人たちが詰めかけているようだ。
その数、ゆうに20人は超えているだろう。さっきほのかに香っていた薬草は、壁に束になってかけられていたもののようだ。
「ミュウちゃん! 良かったー、もう心配かけないでよ! 急に倒れるからどうしたのかと思っちゃったー!」
シャルが涙目でベッドに駆け寄ってきた。彼女の足音が床を震わせる。
……その勢いのまま私の体に覆いかぶさる。
「うぐっ……!」
「あ! ごめん! 痛かった? 魔力切れだけじゃなくて、やっぱ体も調子悪い?」
痛いというより、息が詰まる。シャルは私より一回りくらい体が大きいのだから加減してもらいたい。
抱きしめられると、彼女の高い体温が伝わってくる。
……あと、シャルの胸が私の胸の上に乗っている。
胸ってこんなに「乗っかってくる」ものなんだ……。私のは微動だにしないのに、なにこの格差……。
(そ、それにやばい……人が多すぎる……MPが……)
「ミュウさん! 本当にありがとうございました!」
村長が前に出てきて、私の手を握る。その手は温かく、少し荒れている。農作業をしている人の手だ。
その後ろでも、村人たちが感謝の言葉を口々に発している。
「英雄様ー! こっち見てー!」
「グレートナーガの退治、ありがとうございます!」
「うちの村の恩人ですよ!」
(あっ……あばばばばば)
あまりの状況に、私の意識が再び遠のいていき、ベッドに倒れた。
注目を集めるのはただでさえ苦手なのに、なんでこんなに持て囃されるの……!? 頭がクラクラする。
「あれ? ミュウちゃん? また寝ちゃった?」
シャルの声が聞こえる。が、もう返事はできない。MPがなくなりました。
「むむ……まだ疲れが取れていないのかもしれませんね。
無理もない、グレートナーガの討伐となると相当の大仕事です」
さっきから言っているけれど、グレートナーガってなんだろう?
あの蛇のことなんだろうけど、そんなに特別な魔物なんだろうか……。
「みなさん、しばらく静かにして、ミュウさんを休ませてあげましょう」
その言葉に、部屋から人々が去っていく気配。シャルもそれに従い、遠ざかっていく。
靴音が遠ざかっていく。だが、完全には去らない。部屋の外で、小声で話す音が聞こえる。
「で、でも村長。報酬はどうします?」
「そうだな……シャルさんにお渡ししておきますよ。それぞれ4クラウンずつです」
「おぉ~、太っ腹! ホントにこんなにいいのー?」
「もちろんです。グレートナーガというと、A級の中でも相当に厄介な相手。ギルドに依頼していれば10クラウンはかかるでしょう……。
それでも、確実な解決は保証できないほどの難敵。最悪、村人全員で避難せねばならない相手でしたよ」
「へぇー、マジ!? 大変なんだねぇ……じゃ、今まで村に来なかったのは運が良かったんだ」
シャルの元気な声。それからコインの音。金属がぶつかり合う、澄んだ音色。
クラウンというと、金貨のはずだ。すごい大金なんじゃ……?
「それと、これを。隣町のギルドへの推薦状です。ミュウさんとシャルさんの活躍を書いておきました」
「おおっ、これは助かる! いやー、やっぱどこのギルド行くにしても推薦みたいなのがあるのとないのとでは違うからねー。これがあればギルド登録も楽かも!」
私は意識がありながら、ずっと目を閉じたまま部屋の外の2人の会話を聞いていた。
ゆっくりと休んでMPを回復させる。よくわかんないことは、シャルに任せてしまおう……。
■
それから、さらに数時間後。夜が明け、朝になった。
窓から差し込む陽の光が、まぶたを通して感じられる。
「ミュウちゃん、そろそろ起きれる?」
私はシャルの声で目を覚ます。部屋には彼女だけがいた。朝の清々しい空気が、部屋中に満ちている。
「あ、起きた! もう大丈夫?」
「……」
小さく頷く。だいぶ寝たおかげで、MPは全快状態だ。
今の状態なら……初対面の人と3分くらいは(途切れ途切れで)話せるかもしれない。
「良かった~。あのね、村長さんが色々くれたんだよ! 報酬に推薦状まで!」
シャルは嬉しそうに話しながら金貨と書類を私に見せた。
金貨が朝日に照らされ、まぶしく輝いている。私はゆっくりと体を起こす。
「はい、これ。ミュウちゃんの分ね!」
シャルは当然のように金貨4枚をそのまま私にくれた。金貨の冷たい感触が手のひらに伝わる。
……本当にこんなに貰っていいんだろうか。命がけで戦ったのはシャルで、私は回復をしていただけなのに……。
「なぁにミュウちゃん。金貨が珍しいみたいな顔して」
「ちが……」
「もしかして、前衛が多くもらうべきとかそういうこと考えてた?」
驚いた。私が金貨を受け取りづらそうにしていたリアクションからそこまで推察できたんだろうか。
私はおずおずと頷く。
「そんなことないよ。あたしが今生きてるのはミュウちゃんのおかげ。でも、グレートナーガにとどめを刺したのはあたし!
だからさ。どっちが欠けてもあの蛇は倒せなかった。なら、半々でいいじゃん!」
太陽のように明るく、屈託なく笑うシャル。その笑顔に、部屋全体が明るくなったような気がする。
私は釣られて口元を緩め、ゆっくり頷いた。荷物の中に金貨を入れる。金貨同士が触れ合う、小さな音が響く。
「それでね、このまま隣町のノルディアスってとこに行こうと思うんだ。
そこならもっと大きな依頼が受けられるかもしれないし!」
私は黙って頷く。確かに、大きな町なら仕事の機会も多いだろう。
私達が元いた街よりは小さいかもしれないが……。
「よーし! じゃあ、そろそろ準備して出発しよう!」
シャルが元気よく立ち上がる。その瞬間、ドアが開いた。木の軋む音と共に、新鮮な外気が流れ込んでくる。
「あ、起きましたか! よかった!」
「……!」
村長だ。そして、その後ろにはまた大勢の村人たち。一斉に視線が私に注がれ、身体が縮こまり、シャルの背後に隠れる。
「おっ、村のみんなー! あたし達そろそろ行くね! きっとまた来るから!」
「ありがとよ! さぁ、英雄を送り出すぞー!」
歓声と共に、また大勢の人が部屋に入ってくる。
人々の体温と息遣いで、部屋の温度が一気に上がったように感じる。
(あっ、オアアアア……)
大勢の視線に再び倒れそうになった私を、シャルがベッドから引っ張り出す。
「ほら、みんなが見送ってくれるってさ! ミュウちゃんも手振ってあげて!」
「あっ……アッ……」
私の意識が再び遠のいていく中、シャルは操り人形のごとく私の手を掴み、彼らに振る。
腕が重く、まるで自分の腕ではないかのようだ……。
それに歓声を上げる村人たちに囲まれながら、シャルに引っ張られるまま外へと連れ出されていく。
朝の新鮮な空気が顔に当たるが、それすら遠くに感じられる。
人々の歓声、シャルの楽しそうな声、そして私のかすかなうめき声が混ざりあっていた……。
■
一方、ミュウとシャルがシャロウナハトを旅立った頃。
彼女たちが以前所属していたギルドでは異変が起きていた。
「くそっ! また依頼失敗か!」
ギルドマスターのグラハムが、机を強く叩く音が響き渡る。
その衝撃で、机の上に積まれた書類が崩れ落ち、羽ペンが転がった。
その音に、周囲にいた冒険者たちが身を縮める。
彼らの鎧がきしむ音が、静まり返った部屋に響く。
「す、すみません……前回の依頼の傷が治ってなくて」
傷だらけの冒険者が、うつむきながら謝罪する。彼の周りには同じように傷ついた仲間たちが立っている。
皆、疲労と失望の色を顔に浮かべていた。彼らの体からは、汗と血の匂いが漂っている。
グラハムは深いため息をつく。その息は、まるで部屋の空気を重くするかのようだった。
最近、依頼の成功率が急激に下がっている。
それも、以前なら簡単にクリアできていたはずの依頼でさえ、冒険者たちが負傷して戻ってくるのだ。
原因は明白だった。いわゆる、ギルド所属ヒーラーの不足。
戻ってきた冒険者を癒やすヒーラーがいない状態で、これまで通りのペースで依頼を受けた結果、怪我が治りきらないうちに出発することが増えていたのだ。
「仕方ない。医務室で休んでおけ」
グラハムの言葉に、冒険者たちはほっとした表情を浮かべる。その表情に、一瞬だけ安堵の色が浮かぶ。
「あの、ギルドマスター」
若い冒険者がおそるおそる口を開く。その声は震えている。
「最近、なんだか様子がおかしくないですか? 以前なら、ギルドに戻るだけで傷が治ったのに……」
その言葉に、グラハムの表情が一瞬凍りつく。
彼もまた、気づいていたのだ。ギルドの「神の加護」と呼ばれていた不思議な力が、突然失われてしまったことに。
額に浮かぶ冷や汗が、彼の不安を物語っている。
「……気のせいだ。重い怪我じゃないから発動しないだけじゃないか」
グラハムは強引に言いくるめ、視線を外す。その目は、どこか虚ろだ。
「さあ、早く医務室に行け」
冒険者たちが去った後、グラハムは椅子に深く腰掛ける。頭を抱え、目を閉じる。
椅子のきしむ音が、彼の重圧を表しているかのようだ。
(どうしてこんなことに……? クソ、ヒーラー募集もなかなかうまく行かないし、優秀なヒーラーは皆長期依頼に出ている……)
そう考えていると、マスターの部屋のドアをノックする音が聞こえた。その音は、彼の思考を中断させる。
「入れ」
ドアが開き、ギルドの受付係が顔を覗かせる。彼女の顔には、わずかな喜びの色が見えた。
「ギルドマスター、お呼びになっていたA級ヒーラーのリンダさんが到着しました」
それを聞き、グラハムの表情が少し明るくなった。その目に、かすかな光が戻る。
「よし、すぐに通せ」
その2分後、長い銀髪を持つ美しい女性が部屋に入ってきた。
豊満な胸を強調するような薄手のローブに身を包んでいる。
彼女の手には、複雑な模様が刻まれた高級そうな杖が握られていた。その杖からは、かすかに魔力が漏れ出ている。
「お呼びかしら、グラハムさん」
「ああ、リンダ。相変わらず綺麗だな。……早速で悪いが、仕事をお願いしたい」
グラハムは立ち上がり、リンダを医務室へと案内する。
そこには先ほどの冒険者たちが横たわっていた。彼らの苦痛の呻き声が、静かな部屋に響く。
「こいつらを治療してくれ」
リンダは冒険者たちの傷を確認し、頷く。その目には、プロフェッショナルとしての冷静さが宿っていた。
「わかったわ。じゃあ、治療を始めるわね」
リンダは杖を掲げ、詠唱を始める。その声は美しく部屋中に響き渡る。
「我が声に答えよ、天上の者、生命を司る精霊よ。理を穿ち、我らに時と癒やしの加護を与え給え――大回復魔法」
その詠唱は長く、複雑だった。空気が震え、魔力の波動が部屋中に満ちる。
青白い光が冒険者たちを包み込み、傷が少しずつ癒えていく。しかし、完全に治るまでにはまだ少し時間がかかりそうだった。
魔法の光が冒険者たちの傷を照らし出す中、グラハムは、その様子を見つめながらため息をつく。
(神の加護であれば、もっと一瞬で治っていたものを)
「何よその顔は。『神の加護』じゃなくてガッカリした?」
リンダの鋭い視線が、グラハムの内心を見抜き睨む。
「あ、い、いや……そういうわけじゃない! 気にしないでくれ、ハハ」
グラハムは他の冒険者に見せた酷薄な顔を取り繕い、笑みを浮かべる。その笑顔は、明らかに作り物だ。
ただでさえヒーラーが不足した現状、A級冒険者に愛想を尽かされたらおしまいだ。彼は焦っていた。
(神の加護をアテに入ってきた冒険者が予想以上に多い……。それ以前に所属していた冒険者は、なんでか次々辞めていきやがって……)
内心の怒りをどうにか鎮めながら、グラハムは笑みを浮かべる。
その表情には、焦りと疲労が混じっている。
「リンダ、ありがとう。これからしばらく、長期依頼は出ずにうちのギルドで働いてもらえないか?」
「ムリよ。私はパーティ組んでるんだから。あの子達が依頼を受けたら着いていってあげないと」
リンダの冷たい返事に、グラハムの表情が曇る。
「そ……そこをなんとかできないか!? 臨時ボーナスは出すから!」
グラハムの声には、明らかな焦りが混じっている。
「……はぁ」
リンダは眉をひそめ、渋々グラハムの申し出を了承した。その表情には不満が浮かんでいる。
そうとわかっていながら、彼はフォローもできなかった。
グラハムは医務室を後にし、自分の部屋に戻る。机の上には、積み重なった書類の山。
そのほとんどが、最近増加している依頼の失敗報告だった。
紙の山から漂う埃の匂いが、鼻をくすぐる。
(このままでは、ギルドの評判が……それに新たな登録者も……くそっ)
グラハムは再び深いため息をつく。窓の外では、夕暮れの空が赤く染まっていた。その赤い光が、部屋に不吉な影を落とす。
(どうして神の加護が消えた? ……その前後で起きたことは……うるさいシャルをクビにしたことと、あと……誰だったか)
そう思いながら、グラハムは再び仕事に戻った。しかし、その表情には深い疲労の色が浮かんでいた。ペンを持つ手が、わずかに震えている。
(……ああ、そうだ。ミュウだったな。あいつも一応ヒーラーで――)
その瞬間、グラハムの手が止まる。目を見開き、一点を見つめる。ペンが手から滑り落ち、床に転がる音が響く。
(まさか――)
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