第68話 言葉の壁を越えて
アズールハーバーの街並みは、私たちの目を楽しませてくれる。
白壁の建物が立ち並び、赤い瓦屋根が太陽の光を反射して輝いている。
通りには青や緑の色とりどりの旗が風になびき、活気あふれる雰囲気を醸し出している。
潮の香りと魚の匂いが風に乗って漂い、港町特有の雰囲気を感じさせる。
リンは私たちの前を歩きながら、時折振り返って何かを説明しようとする。
彼女の髪飾りに付いた小さな鈴が、歩くたびに心地よい音を奏でる。
しかし、いわゆる言葉の壁というやつは厚く、ほとんど理解できない。
「■■■、カステラ|■■■■■■■■■《っていうお菓子なんです》」
リンが指さす先には、甘い香りを漂わせる菓子屋があった。
ガラスケースの中には、黄色い四角い菓子が整然と並んでいる。
「カステラ? アレの名前かな?」
私も興味深そうに見つめる。するとリンは店に入り、すぐにその菓子を持って戻ってきた。
包装紙のカサカサという音と共に、さらに強い甘い香りが漂う。
「■■■、食べる、■■■」
リンの言葉は分からなくても、その仕草で勧められていることは理解できる。
シャルが一口かじると、その顔が輝いた。とても嬉しそうだ。
「うわー! すっごく甘くて美味しい! ミュウちゃんも食べてみて!」
勧められて、私も一口食べてみる。
ふわふわとした食感と上品な甘さが口の中に広がり、思わず目を見開いてしまった。
口の中で溶けていくような柔らかさに驚く。
そんな私達の反応を見て、リンは満足そうに笑顔を見せた。
「■■■■喜ぶ、■■■」
街を歩きながら、リンは様々な場所を指差しつつ説明を試みる。
そのうちの一つ、大きな赤い門をくぐると、石畳の道が続いている。
両側には見たこともない形の照明が並んでいた。
(石でできた照明……? なんだかノルディアスみたい……)
「■■■■、■■■■■■■■■」
「トーリー? この門のことかな?」
「■■! ■■■■」
リンは頷き、さらに奥へと案内する。
階段を上がると、大きな建物が見えてきた。
赤い柱と金色の装飾が目を引く。建物から漂う香木の香りが鼻をくすぐる。
建物の前には、手を洗うための水盤がある。水面に映る空の青さが印象的だ。
リンは身振り手振りで、手を洗う仕草を見せる。
私たちも真似をして、冷たい水で手を清める。……!
「うわー! うわーっ、冷たい! メッチャ冷たいんだけど!」
私は何度も頷いてシャルに同意する。半端な冷たさじゃない、この水……!
身が清まる、ような気はするけど……! それにしたってすごい。手が凍りつくようだ。
リンはそんなふうに騒ぎながら(騒いでいるのはシャルだけだけど)手を清める私達を、微笑ましそうに眺めていた。
彼女は慣れた様子で、水の冷たさも感じていないかのようだった。
奥にある建物の中に入ると、静寂が漂っている。
天井が高く、薄暗い空間に金色の像が鎮座していた。
足音が響かないよう、そっと歩を進める。
リンは像の前で手を合わせ、目を閉じる。私たちも慌てて真似をする。
「…………」
リンはどこか熱心に何かを祈っているようだった。
ここはもしかして、教会みたいな場所なんだろうか?
よくよく嗅いでみたら香の香りが漂い、神聖な雰囲気を醸し出している気がする。
(マーリンが見つかりますように。あと、シャルと一緒に……楽しく旅ができますように)
後半は、我ながららしくない祈りだと思う。でも、今の私の本音だ。
もっとシャルと一緒にいたい。旅も楽しい。
いつまでもこんなふうにいられたらいいな、と思っていた。
街を歩き回るうちに、リンは私たちを小さな店に連れて行く。
中では、白い布を頭に巻いた人が大きな鍋を前に立っている。
湯気が立ち上り、食欲をそそる香りが漂う。
「ラーメン! ■■■……美味しい! ■■■■」
テーブルに座ると、すぐに湯気の立つ鉢が運ばれてきた。
中には黄色い麺と透き通ったスープ、そして様々な具が浮かんでいる。
スープの香りが鼻をくすぐり、思わず唾を飲み込む。
「で、えーと……? パスタみたいなものかな? フォークとかない?」
「■■■、■■■」
食器を求めているシャルの思いを察したのか、リンはカチャッという音と共に2本の木の棒を彼女に差し出した。
……なにこれ?
リンは私達に示すように、その2本の棒を使って、器用にスープの中の麺をつまんで啜った。
(……えっ!? 何今の、どうやったの)
「えー!? 何今の、どうやったの!?」
シャルの言葉が私の心の声とシンクロした。
リンの動きを真似てその棒の食器を使おうとするが、うまく扱えない。細い木の棒がカチカチと音を立てる。
リンは苦笑しながらシャルの手を掴み、優しく使い方を教える。
私もなんとか真似しながら、麺を棒ですくうようにして麺を食べる。
「んん~! これ、超おいしい!」
シャルが目を輝かせる。食器との格闘を終えたぶん、達成感も味もひとしおだったようだ……。
スープを啜る音と満足げなため息が聞こえる。
そんな食事を終え街を歩いていると、シャルが突然立ち止まった。
「そうだ! せっかくだから、図書館に行ってみない? マーリンの手がかりが見つかるかもしれないよ」
私は頷く。確かにその通りだ。
そのためリンに「図書館」と伝えようとするが、言葉が見つからない。というか、こっちの言語は全くわからない……。
「えっと……本がたくさんある……場所!」
シャルが身振り手振りで説明を試みる。本を開いたり、読んだりするような仕草をする。
リンは少し考え込んだ後、何かを思い出したように顔を輝かせた。
「トショカン? ■■、分かった。|■■■■■■|《図書館ですね》」
リンに導かれ、私たちは大きな石造りの建物に到着した。
入り口には、見慣れない文字で何かが書かれている。
中に入ると、本の匂いが鼻をくすぐる。古い紙の香りと、かすかな埃っぽさが漂う。
大陸を渡っても図書館のこの雰囲気は変わらないようだ。なんだか落ち着く。
高い書棚が整然と並び、静寂が漂っている。
リンは小声で何か説明しようとするが、やはり言葉が通じない。
彼女の囁くような声が、静かな空間に吸い込まれていく。
私たちは手分けして本を探し始める。
言葉は読めなくても、挿絵や装丁から興味深い本を見つけようと試みる。
慌ただしく本をめくる音だけが、静かに響く。
そんな中私の目に飛び込んできたのは、不思議な模様が描かれた一冊の本だった。
手に取ってページをめくると、様々な言語らしき文字が並んでいる。
不思議に思いながらも、その本を持ってシャルとリンのもとへ戻る。
歩く足音が、図書館の静けさの中で大きく響く。
「どう? 何か見つかった?」
私は首を横に振りながら、見つけた本を二人に見せた。本を開く音がする。
「へぇ、これは……多言語が書かれた本だね。でも、この国の言葉で書かれてるからよくわかんないねぇ」
リンも興味深そうにページを覗き込む。
そして、何かを思いついたように目を輝かせた。
「■■■、■■■■■■■■■!」
私たちには理解できないが、リンの様子から、この本が重要なものだと察することができた。
彼女の声に、少し興奮が混じっている。
本の埃っぽい香りが鼻をくすぐる中、リンは興奮した様子で、本のページを私たちに示した。
ページをめくる音が静かに響く。
その指さす先には、複雑な文様と共に、不思議な文字が並んでいる。
「■■■■、魔法、■■■言葉」
断片的に聞き取れるリンの声に、私とシャルは顔を見合わせた。
リンの息遣いが少し荒くなっているのが聞こえる。
どうやらこの本には、言葉に関する魔法が記されているらしい。
「へぇ、言葉の魔法か。でも、どうやって使うんだろう?」
シャルの声が図書館に響く。私もページを覗き込む。
魔法陣のような図形が描かれているが、どう使えばいいのかさっぱりわからない。
リンは何か考え込むような表情をしたあと、突然、本を閉じた。
パタンという音が周囲に響く。彼女は私たちに向かって、ゆっくりと口を開く。
「んんっ。ええと……はじめまして、よろしくお願いします」
その言葉には、かすかに魔力のような波動を感じた。
まるで、リンの言葉が直接心に響いてくるようだ。
空気が僅かに振動しているような感覚がある。
「すごい! 今のははっきりわかったよ!」
「伝わったみたいですね。よかった。これは翻訳魔法の一種で……言葉に魔力を込めることで、言語の壁を超えて意思を伝える技術みたいです」
リンの説明が、まるで母国語のように聞こえてくる。そんなものがあるなんて……!
「そうなんだー! よく見つけてきたね、ミュウちゃん! これがあればどこでも話し放題だよ!」
シャルは嬉しそうに私の頭をワシャワシャ撫でる。頭が揺れる……。
それにしても、言葉に魔力を込める、か。詠唱みたいなものだろうか?
リンは嬉しそうに、今度は私たちに向かって「やってみて」とジェスチャーで示した。
(よし、やってみよう……)
私は深呼吸をして、魔力を集中させる。
普段の魔法詠唱のように、言葉に魔力を乗せる。体の中で魔力が流れるのを感じる。
「あ、あ、あの……こここ、こんにちは」
言葉を発した瞬間、不思議な感覚が全身を包み込んだ。
まるで、言葉が空気中を泳ぐように相手に届いていくのが感じられる。リンが首を傾げる。
「うまくいってないんでしょうか……? 言葉がブレて聞こえますね」
(そ、それはただ吃っただけ……)
私は恥ずかしくなって身を縮める。頬が熱くなるのを感じる。
そんな空気の中、シャルが勢いよく前に出る。
「ミュウちゃん、すごい! あたしにもやらせて!」
彼女も同じように魔力を込めて言葉を発する。喉を抑えつつ、咳払いする。
「こんにちは! あたしの名前はシャルです!」
「おお……シャルさん、はじめまして! 私はリンです」
言葉が通じ始めたことで、2人の間に新たな活気が生まれる。
彼女たちの声が少し大きくなり、図書館の静寂を破る。しかし……。
(うう……頭が……)
……ちょっとさっき一言喋っただけでMPがごっそり削られてしまった。
普通の会話ですらMPを持っていかれる私にとって、MPを使いながら喋るということは果てしなく消耗するのだ。
「ミュウちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ?」
私は小さく頷くが、正直なところかなりきつい。
魔力の消耗が半端ではない。体が重く感じられる。この会話方法、やばい。
リンも私の様子に気づいたようで、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ごめんなさい。あんまり魔力のない方にはきついかもしれないですね……」
(MPはあるんだよ。ただ使い過ぎなだけで……)
シャルは困ったように苦笑する。私の事情を知っているからだろう。
「大丈夫です。しばらく休んでいてくださいね」
リンは子供に言うように私と目を合わせてそう微笑んだ。彼女の声に優しさが滲む。
(……ちょっと恥ずかしいな)
彼女は目を閉じ、深く息を吸う。そして、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「こんにちは。私はリンです。アズールハーバーの守護をしているサムライです」
「サムライ!? なんか聞いたことある! なんかかっこいいやつだよね!」
シャルが目を輝かせると、リンは少し照れくさそうに微笑む。
「まだ修行中の身です。そう大したものではありません」
シャルとリンの会話が弾んでいる。私はそれを傍らで聞いていた。
……割といつものことだ。
リンは私たちに、アズールハーバーの歴史や文化について詳しく説明してくれた。
彼女の声が、図書館の静寂を心地よく満たす。
「この街は、古くから交易の要所でした。大陸を越えて、様々な文化が交わる場所なんです」
「へぇ、だからいろんな国の人がいるんだね」
「はい。でも、最近は少し物騒になってきて……」
その言葉に、私とシャルは顔を見合わせた。
どうやら、この街にも何か問題があるようだ。リンの表情が少し曇る。
それから話が進むうちに、話題は私たちがこの大陸に来た目的に移った。
「マーリン……?」
「そ! ミュウちゃんの師匠? っぽいんだけど、だいぶ前の時代の人でもあるらしくて。
こっちの大陸の、『霧の谷』ってところで姿を消したらしいんだ」
「『霧の谷』、ですか? どこかで聞いたことがあるような……」
彼女は立ち上がると、書棚の間を歩き回り始めた。靴音が静かに響く。
そして、古ぼけた一冊の巻物を持ってきた。
「これです。古い伝説なんですが……」
リンが巻物を広げると、そこには独特な画風で描かれた谷らしきものの絵があった。
これが霧の谷なんだろうか? 絵の具の匂いがかすかに漂う。
「具体的な場所は明らかになっていないんですが……ここに行った人は永遠の命を得るとか、莫大な富を得るとか……いろいろな伝説があるみたいです」
「何それ!? すごっ!」
(永遠の命……)
私はその言葉に少し引っかかった。
マーリンはもしかして、それで今まで生きていたんだろうか……?
「とにかく、そこに行けばなにかわかるかも! ……でも、どこだかわかんないんだよね?」
「ええ……。ただ、そうですね。近々、将軍が『霧の谷』捜索隊を募集するそうです。
もしかしたら、それがなにかの助けになるかもしれません」
「捜索隊!?」
その言葉にシャルは興味深そうに身を乗り出した。椅子がきしむ音がする。
「やりたいやりたーい! 2人だけで探すより良さそうだしね!」
「そうですね。よければ、簡単に案内します――けどミュウさんがすごく嫌そうですけど……」
そりゃそうだよ。コミュ障は大勢のパーティが苦手なんだよ。
やだなぁ。すごくやだなぁ。
「大丈夫! ミュウちゃんは割と頻繁にこうなるから!」
「!?」
「そうなんですか。じゃあ、案内しますね」
「!?!?」
……こうして、私は嫌々ながら捜索隊とかいうのに参加することになりそうだった。
やだなぁ。すごくやだなぁ。
面白い、続きが気になると思ったら、ぜひブックマーク登録、評価をお願いします!
評価は下部の星マークで行えます! ☆☆☆☆☆を★★★★★にして応援お願いします。




