第62話 交易の街サンクロス
サンクロスの街に一歩足を踏み入れた瞬間、私たちは息を呑んだ。
街全体が活気に満ち溢れ、あらゆる方向から人々の声や物音が聞こえてくる。
市場の呼び込み、荷車の車輪の音、遠くで鳴る笛。
それらが混ざり合い、サンクロス特有の音の風景を作り出している。
色とりどりの衣装を身にまとった人々が行き交い、様々な言語が飛び交っている。
その種族も、アランシアほどではないが様々な種がいるようだ。
エキゾチックな香辛料の香りと、焼き立てのパンの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「わぁー! すっごい賑やかだね!」
シャルの声が、周囲の喧噪にかき消されそうになる。
彼女の目は輝き、まるで子供のように街を見渡していた。
私も圧倒されていた。これまで訪れた街とは全く異なる雰囲気だ。
街を縦横に走る運河には、色鮮やかな船が行き交い、水面に反射する陽光がきらきらと輝いている。
水の匂いが漂ってくるそのさまは、レイクタウンに似ているかもしれない。
「ねえミュウちゃん、あれ見て! 水上バス!」
シャルが指さす先には、華やかな装飾が施された船が浮かんでいた。
金色と赤色を基調とした船体に、繊細な彫刻が施されている。
乗客を乗せ、ゆったりと運河を進んでいく。オールの水を掻く音が、心地よいリズムを刻んでいる。
「乗ってみない? きっと街がよく見えるよ!」
シャルの提案に、小さく頷く。
確かに水上から街を眺められれば、街の地理や様子もわかりやすいかも。
私たちは水上バスに乗り込んだ。揺れる船の感覚に少し戸惑うが、すぐに慣れる。
木の床板がきしむ音と、水面を叩く波の音が耳に入ってくる。
周囲の乗客たちも、観光客らしき人や地元の人など様々だ。
異国の言葉や、珍しい衣装を身につけた人々の姿が目に入る。
船が動き出すと、サンクロスの街並みが少しずつ視界に広がっていく。
運河沿いに並ぶ建物は、どれも色鮮やかだ。
赤や青、黄色など、様々な色の外壁が水面に映り込み、その色彩の豊かさに目が眩む。
「ねえねえ、あの建物見て! すごい変な形してるよ」
シャルが指さす先には、らせん状の塔を持つ建物が見える。
確かに奇抜な形だ。螺旋状の塔は空に向かって伸び、その頂上には金色のドームが輝いている。
他にも、東方風の石垣の屋根を持つ建物や、ノルディアスっぽい石造りの重厚な建築物など、様々な様式が混在している。
それぞれの建物が独自の物語を語っているようだ。
水上バスは、大きな市場の近くを通過した。
そこでは、色とりどりの果物や見たこともない珍しい品々が並べられている。
甘辛いような香辛料の強い匂いが風に乗って漂ってくる。いろんな香辛料の匂いが混ざり合い、鼻腔をくすぐる。
「あ、ミュウちゃん! あそこでアイスクリーム売ってるよ! 食べに行こう!」
シャルの声に、思わず顔を上げる。
確かに、運河沿いの小さな店で、色鮮やかなアイスクリームを売っているのが見える。魔法技術によって冷やされたお菓子だ。
水上バスが停留所に着くと、シャルは急いで降りようとする。
その勢いで、船が大きく揺れた。水面が波打ち、船体がきしむ音がする。
「わっ!」
「……っ!」
シャルが私にしがみつき、私も彼女を支える。
一瞬、彼女の体温と柔らかさを感じ、顔が熱くなる。シャルの髪から、甘い香りがする。
「ご、ごめんねミュウちゃん! 急ぎすぎちゃった」
シャルが申し訳なさそうに笑う。その笑顔に、軽く頷く。
私たちは無事に下船し、アイスクリーム屋に向かった。
店先には様々な色や形のアイスクリームが並んでいる。
パステルカラーから鮮やかな原色まで、まるで宝石箱のようだ。冷たい空気が肌を撫でる。
「わぁ、すごい! どれにしようかな……ミュウちゃんはどれがいい?」
シャルの問いかけに、少し考えていると珍しい紫色のアイスクリームが目に入った。
その鮮やかな色合いが、何か特別な味を予感させる。
「……あれは?」
「おお、いいね! じゃあ、その紫のを二つください!」
「あいよ!」
シャルが店主に声をかける。店主は愛想よく二つのアイスクリームを用意してくれた。
スコップでアイスをすくう音と、コーンにのせる時のカリッとした音がする。
受け取ったアイスクリームは、予想以上に冷たい。
一口食べると、甘酸っぱい果実の味が広がった。
舌の上で溶けていく感触と共に、複雑な風味が口の中に広がる。
「美味しい! これ、何の味なんだろう?」
シャルが目を輝かせながら言う。
確かに、今まで味わったことのない風味だ。甘さの中に、かすかな苦みと酸味が混ざっている。
「これはジュビルって果物の味だな。サンクロスに度々入ってくるんだ」
「へー、聞いたことないなぁ。今度見つけたら食べてみよっか!」
「……!」
私はアイスクリームを食べながら頷く。その独特の味わいと爽やかな香りが、舌の上に残る。
私たちは運河沿いを歩いた。石畳を踏む足音が心地よい。
道行く人々の笑い声や話し声、船乗りの笛、市場の喧噪……様々な音が耳に入ってくる。
それらの音が混ざり合い、サンクロスの昼下がりの独特の雰囲気を作り出していた。
■
夕暮れ時になると、街はまた違った表情を見せ始めた。
街灯が次々と灯り、その柔らかな光が水面に映り込む。
昼間とは違う、幻想的な雰囲気だ。オレンジ色に染まった空と、それを映す水面が、まるで絵画のような景色を作り出している。
「ねえミュウちゃん、お腹空いてきたね。そろそろ夕飯にしない?」
シャルの言葉に頷く。確かに、アイスクリーム以来何も口にしていない。
お腹が空いてきた。辺りからは、様々な料理の香りが漂ってきて、余計に空腹感を刺激する。
「よし! じゃあ酒場に行こう! 美味しいものが食べられそうだし、情報収集もできるよ!」
その言葉に、少し躊躇する。酒場での情報収集は確かに効果的かもしれないけど……。
(シャル、お酒には弱いんだよね……)
以前、シャルは酔っ払って出発が遅れたり、別行動することになったり……と、色々あったのだ。
お酒は控えめにするって言ってたけど……。
「あれ? どうしたの、ミュウちゃん?」
私の表情を見て、シャルが首を傾げる。彼女の目には、心配そうな色が浮かんでいる。
「お、お酒は……ほどほどにね」
小さな声でそう言うと、シャルは一瞬驚いた顔をした後、苦笑いを浮かべた。
「あはは、そっか。前に迷惑かけちゃったもんね。大丈夫! 今度こそ平気だから!」
シャルの言葉には半信半疑だが、とにかく私たちは近くの酒場に向かった。
足を進めるにつれ、酒場からの賑やかな声が聞こえてくる。
扉を開けると、活気に満ちた声と、料理の香ばしい匂いが迎えてくれる。
木の扉がきしむ音と共に、酒場の喧噪が一気に耳に飛び込んでくる。
焼き肉の香ばしい匂い、たぶんお酒の発酵した香り、そして様々なスパイスの香りが鼻をくすぐる。
豪華なものから粗末なものまで様々な服装の人々が、木製のテーブルを囲んで談笑している。
木のジョッキが触れ合う軽い音や、笑い声、そして料理の皿の音が入り混じり、独特の雰囲気を作り出している。
……相変わらず苦手な空気だ。できるだけ縮こまってシャルと一緒にいよう……。
壁には見たこともない生き物の剥製が飾られていた。このあたりのモンスターだろうか。
天井からは色とりどりのランプが吊るされており、その柔らかな光が室内を温かく照らしている。
ランプの揺れる影が、壁や床に不思議な模様を描き出していた。
「わぁ、すごい賑やか!」
シャルの声が、周囲の喧噪の中でも聞こえてくる。
私たちは空いているテーブルを探し、人を掻き分け、やっとのことで席を見つけた。
椅子に座ると、木の質感と温もりが伝わってくる。すでに私は異様に疲れていて、全身の体重を椅子と机に預けた。
ウェイトレスが近づいてくる。彼女は、この土地特有の民族衣装を身にまとっている。
いくつかの色の布を組み合わせたようなドレスで、動くたびに布地が優雅に揺れた。
「いらっしゃいませ。お二人様ですね? お飲み物は?」
「えーっと、ビールをジョッキで一つと……ミュウちゃんは?」
シャルに促され、私はメニューを指さす。
羊皮紙に書かれたメニューは、触るとざらついた感触がする。
「あ、フルーツジュースですね。かしこまりました」
ウェイトレスが去ると、シャルが小声で話しかけてきた。彼女の息が耳元をくすぐる。
「ねぇねぇ、みんななんか話で盛り上がってない? 聞こえる?」
確かに、周囲のテーブルからは興奮気味の会話が聞こえてくる。
耳を澄ますと、ある言葉が頻繁に出てくるのに気がついた。
(……「交易祭」、ってみんな言ってるみたい)
「交易祭? なんだろう」
シャルが首をかしげる。その時、隣のテーブルの男性が話しかけてきた。
彼の声は、低くどっしりとしていて聞き取りやすい。
「ほう、交易祭を知らないのかい? 君たち、外から来た人だな」
男性は、赤ら顔で温和な笑顔を浮かべている。
髭を蓄えた中年の男性で、着ている服を見ると商人のようだ。彼からは、かすかに酒とタバコの匂いがする。
「うん、今日到着したばっかなんだ。交易祭ってなに?」
シャルが酒を飲みながら興味津々で尋ねる。
ビールの泡が、木を組み合わせたジョッキの縁からこぼれそうになっている。男性は嬉しそうに説明を始めた。
「サンクロス最大のお祭りさ。年に一度、この街に世界中の商人が集まってね。
珍しい品々が並ぶんだ。お祭りの間は街中が賑わうよ」
「へぇ~、すごそう! それっていつ?」
「今年は来週だ。準備が始まっているのを見なかったかい?」
確かに、街を歩いているときに、祭りの準備らしき光景を目にしたかも。
通りに旗や飾りを取り付けている人々がいたのを思い出す。
「あ、そういえば見たかも! でも、お祭りなのになんかこう……たまに心配そうな顔をしてる人がいるけど?」
(……?)
シャルの言葉に、男性の表情が曇った。額にしわが寄り、目元に不安の色が浮かぶ。
私はその言葉に、改めて辺りを見回す。すると、ちらほらと浮かない顔の人も見えた。
相変わらずすごい観察眼だ。全然気付かなかった……。
「ああ、それはね……」
男性は少し躊躇した後、声を潜めて話し始めた。周囲の喧噪が、一瞬遠のいたように感じる。
「最近、商人たちの荷物が盗まれる事件が相次いでいるんだ。交易祭を狙った強盗団の仕業じゃないかって噂さ」
「えっ、そんな!」
シャルが驚いた様子で、思わず身を乗り出す。椅子がきしむ音がする。
「警備は強化されているんだが、それでも不安なんだよ。せっかくの交易祭なのに、こんな状況じゃあな……」
男性は深いため息をついた。その息に、アルコールの香りが混じっている。
その瞬間、私の頭の中にアイデアが浮かぶ。
「……護衛、募集してる……かも」
私の言葉に、シャルが驚いた表情を見せる。彼女の緑の目が大きく見開かれる。
「そうじゃん! ねぇおじさん、その商品の護衛とか募集してない?」
「おや、君たち冒険者かい?」
「うん! もし護衛が必要なら手伝えるよ!」
シャルが元気よく答える。
男性は私たちをじっと見つめ、しばらく考え込んでいたが、やがて笑顔を見せた。
「そうだな……確かに護衛は足りていないんだ。明日、商人組合の集会があるんだが、そこで相談してみよう。君たちも来てくれるかい?」
「そうこなくっちゃね! 喜んで!」
シャルが即答する。私も小さく頷いた。
その後、男性――ガストンさんという名前だと分かった――と色々な話をした。
交易祭の様子や、サンクロスの文化について教えてもらった。
彼の話は生き生きとしていて、この街への誇りのようなものが感じられた。
酒場を出る頃には、夜も更けていた。扉を開けると、冷たい夜気が肌を撫でる。
街灯の柔らかな光が、石畳の上に長い影を落としている。遠くで夜警の鐘の音が聞こえた。
「ミュウちゃん、さっそく仕事見つかりそうだね! 楽しみだな~」
シャルの声には楽しげな期待が溢れている。
幸い、言っていたとおりお酒は控えめにしてくれたようで、足取りも呂律もしっかりしていた。
確かに、これは良い機会かもしれない。
お金も稼げるし、この街のことをもっと知ることができる。
宿に戻る道すがら、私は考えを巡らせていた。
強盗団の存在が気になる。単なる盗賊なのか、それとも……。夜風が頬を撫で、思考を冷ます。
明日からどんなことが起こるのだろう。少しの不安の中で、私たちは宿へと足を向けた。
石畳を踏む足音が、静かな夜の街に響いていた。
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