第61話 魔導王を探して
アランシア王国の城下町に入った瞬間、私たちを歓迎する人々の歓声が耳を貫いた。
石畳を踏む足音も、その歓声にかき消されてしまいそうだ。
「聖女様、お帰りなさい!」
「シャルさん、ありがとう!」
「戦争を終わらせたって聞いたぞ! 本当にありがとう!」
人々の熱気と興奮が、空気を震わせているようだった。
シャルは満面の笑みで手を振り、私はというと……ただひたすら顔を伏せて歩くだけだった。
注目を浴びるのはやっぱり苦手だ。周囲から漂う興奮の気配が鼻をつく。
「ミュウちゃん、もっと胸を張って歩こうよ! みんな喜んでくれてるんだから!」
そう言いながら、シャルが私の背中をポンポンと叩く。
その衝撃で、思わずよろめいてしまった。彼女の手の温もりが、薄い服地を通して伝わってくる。
(そんなの無理だよ~……こんなに人がいたらMPがみるみる減ってく……)
脱力感に苛まれつつ何とか城にたどり着くと、ルシアン王が私たちを出迎えてくれた。
城の石壁から漂う涼しげな空気がほっとする。
「やあミュウ、シャル。予だけ先に帰っててすまないな。先にいろいろとやっておくことがあったものでね」
王は優しく微笑みながら、私たちに近づいてきた。
彼の纏う高級そうなな香水の香りが、かすかに鼻をくすぐる。
「別にいいよ! あたし達もゆっくり帰ってこれて楽だったし。えーっと、一応報告とかしとく?」
シャルが元気よくこれまでの戦いの報告を始める。
私はただ黙って頷くだけだ。シャルの声が広間に響き渡り、その反響音が耳に心地よい。
シャルの説明を聞いていたルシアン王は、深く頷いた。
彼の表情には、疲労と安堵が混じっているように見える。
「本当によくやってくれた。おかげで、我が国とグレイシャル帝国の関係も改善されつつある。戦争の不景気も跳ね飛ばせるだろう」
王はそう言うと、にやりと笑顔を見せた。その笑顔に、少し緊張が和らぐのを感じる。
「さて、二人とも相当疲れているだろう? 休暇を取ってゆっくりしてくれ。
王城近くの高級宿『銀の月』を2週間分予約しておいた」
「えっ、マジで!? ありがと~!」
シャルが飛び上がって喜ぶ。その声が天井まで届きそうなほど大きい。
私も内心嬉しかったが、表情には出さない。というか、出すのが苦手なだけだけど……。
「ミュウちゃん、聞いた!? 高級宿だって!」
シャルが私の腕を掴んで揺さぶる。
その勢いで、私の体が左右に揺れる。シャルの興奮が伝染してくるようだ。
「……う、うん」
小さく頷くと、シャルはますます興奮した様子で私の腕を引っ張り始めた。
「ルシアン王、じゃあね! さっそく行ってくるー!」
王に軽く会釈をすると、シャルは私を引っ張るようにして城を後にした。
城を出る時、冷たい石の感触が靴底を通して伝わってくるようだった。
『銀の月』は、その名の通り銀色に輝く外観が特徴的な宿だった。
夕暮れの光を受けて、建物全体が淡く輝いているように見える。
部屋の中に入ると、高級な調度品が並び、空気まで上品に感じる。
ラベンダーの香りが、どこからともなく漂ってくる。
「わぁ~、すっごい豪華!」
シャルは目を輝かせながら、あちこち走り回っている。
その足音も、絨毯に吸い込まれて静かだ。その姿を見ていると、人前を歩いた疲れが少し和らぐ気がした。
部屋に案内されると、そこにはキングサイズのベッドが一つ。
広々としたリビングルームと、バルコニーまであった。
窓から差し込む夕日の光が、部屋全体を柔らかなオレンジ色に染めている。
「ねぇねぇミュウちゃん、お風呂入ろうよ!」
シャルが突然言い出した。確かに、長旅の疲れを癒すにはお風呂が一番かも。
グレイシャルは寒かったし、しばらく体を温めたい気分だ。
小さく頷くと、シャルは嬉しそうに浴室へ向かった。
各部屋に配置されたと思われる浴室は予想以上に広く、十人は入れそうな大きな湯船に、既にお湯が張られていた。
湯気が立ち込め、よくわからないけど薔薇っぽいハーブの良い香りが漂う。水面には温かな水が注がれ、水の音が静かに響いている。
「わぁ~、気持ち良さそう!」
それを見たシャルは躊躇いなく服を脱ぎ始めた。
その豊満な体が徐々に露わになっていき、思わず目をそらしてしまう。
服が床に落ちる音が、妙に大きく聞こえる。
「ほら、ミュウちゃんも早く脱いで!」
言われるがまま、おずおずと服を脱ぐ。
シャルの体と比べると、私の体はまだまだ子供っぽく感じる。肌に触れる空気が少し冷たく湿っていた。
足先からゆっくりと湯船に浸かると、温かいお湯が体を包み込んだ。
疲れが溶けていくようだ。お湯の熱さで、肌が少しピリピリする。
「あ~、気持ちいい~」
シャルが大きな声で言う。その声が天井の高い浴室に響き渡る。水面に小さな波紋が広がっていく。
「ね、ミュウちゃんも気持ちいいでしょ?」
波を起こしながらシャルが私の隣に寄ってきた。
その距離の近さに、思わずビクッと体が跳ねてしまう。彼女の体温が、お湯を通して伝わってくる。
「……うん」
小さく頷くと、シャルはニコッと笑った。その笑顔が、湯気越しに柔らかく見える。
「ミュウちゃん、背中流してあげようか?」
「えっ、アッ」
断る間もなく、シャルは私の背後に回り、優しく背中を洗い始めた。
シャルの指が背中を滑る感触に、くすぐったさを覚える。
(う、うぅ……恥ずかしい……)
顔が真っ赤になるのを感じる。
でも、シャルの優しい手つきに、少しずつ緊張が解けていった。
湯船から立ち上る湯気で、視界がほんのり曇る。
「ね、ミュウちゃん。これからどうする?」
突然、シャルが真剣な口調で聞いてきた。その声音の変化に、はっとする。
「戦争も終わったし、もう一度二人で旅に出る?
それとも、ノルディアスあたりに冒険者として落ち着く?」
その質問に、私は少し考え込んだ。確かに、これからのことを決めなければいけない。
お湯の中で、つま先がふわふわと浮かんでいる。
(そうだ……! マーリンのこと……)
そのことを思い出し、私はゆっくりと口を開いた。
「……マーリンを、探したい」
その言葉に、シャルは少し驚いた様子を見せた。彼女の目が見開かれる。
「マーリン? それって……たしかミュウちゃんの師匠のことだよね?」
私は小さく頷いた。頷いた拍子に、髪の毛から水滴が落ちる。
「そっか。でも、たしかその師匠が『魔導王』……って人なんだっけ? ゴルドーが言ってたよね」
そうと決まったわけじゃないけど、ほとんどそうだと見ていいだろう。
私が使っているのは、マーリンから教わった「古代魔法」。魔導王が扱い、失伝したという魔法だ。
「で、その魔導王さんは千年以上前の人間なんだったよね。それってどういうことなんだろう?」
「……」
シャルは興味深そうに言った。私も首を傾げるしかない。
千年前の人間と言われても、私は確かに彼を見たし、彼に魔法を教わったのだから。
「……うん! それいいね! 千年前の師匠を探す旅、楽しそう!」
シャルの目が輝いている。その反応に、少し安心した。湯船の中で、彼女の体が小刻みに揺れている。
「よーし、決まりだね! マーリンを探す旅に出よう!」
シャルが立ち上がり、湯船から水しぶきを上げた。
その姿を見て、思わず小さく笑みがこぼれた。水滴が飛び散り、私の顔にもかかる。
お風呂から上がり、部屋に戻る。柔らかなバスローブの感触が心地よい。このまま眠れそうだった……。
「ね、せっかくだし、明日は図書館に行ってみない?
マーリンのことも、何か情報があるかもしれないし」
その提案に、私は頷いた。確かに、手がかりを探すにはいい場所だろう。
それに図書館の本の匂いを想像すると、少しわくわくする。私は本が結構好きだ。
ベッドに横たわりながら、私は考えていた。マーリンのこと、これからの旅のこと。
不安もあるけれど、シャルと一緒なら何とかなる気がする。柔らかなシーツの感触が体を包み込む。
そんなことを考えているうちに、疲れからか、私はいつの間にか眠りに落ちていった。
かすかに聞こえるシャルの寝息が、子守唄のように心地よかった。
■
翌朝、私たちは早々に王立図書館へと向かった。
朝の澄んだ空気が肌を撫で、街路樹の葉が風にそよいでいる。
鳥のさえずりが耳に心地よく、朝露の香りが鼻をくすぐる。
図書館は巨大な石造りの建物で、その威厳ある姿に圧倒される。
入り口の大きな扉を開けると、重厚な木の扉がきしむ音と共に、古書の香りが鼻をくすぐった。
古い羊皮紙と埃の混ざった独特の匂いだ。
「うわぁ、すごい本の量!」
シャルの声が図書館内に響き、周囲の人々が一斉にこちらを振り返る。その視線が刺さるように感じる。
慌てて彼女の口を手で塞ぐ。シャルの唇の柔らかさと温かさが手のひらに伝わる。
(図書館では静かにしなきゃ……)
シャルは申し訳なさそうに笑い、小声で「ごめんごめん」と言った。その囁きが、静寂の中でも十分聞こえる。
それから私たちは、マーリンや魔導王に関する資料を探し始めた。
膨大な量の本棚を前に、途方に暮れる。
本の背表紙が整然と並ぶ様子は圧巻で、木と革の匂いが混ざり合っている。
「ねぇミュウちゃん、どこから探せばいいと思う?」
シャルが小声で尋ねる。彼女の息が耳元をくすぐる。
確かに、手当たり次第に探すのは効率が悪い。二週間どころか一年以上かかりそうだ。
そういえばアランシアは色んな国から魔法を学びに来る人がいるって言ってたよね……。この本の量も頷けるか。
図書館内を見渡すと、様々な国の衣装を着た人々、それにエルフや獣人が静かに本を読んでいる。
「……歴史書……かな」
私はそう提案する。
以前、ルシアン王は言っていた。アランシア王国の初代王は魔導王の弟子だと言われている、と。
であれば、アランシア王国の歴史を紐解けば、少しくらい魔導王の情報も手に入るかもしれない。
シャルとともに歴史書のコーナーに向かうと、古い革表紙の本が整然と並んでいる。
その一つ一つに、長い年月の重みを感じる。指で本の背表紙をなぞると、ざらついた感触が伝わってくる。
しばらく探していると、シャルが一冊の本を見つけた。
「ねぇ、これ見て! 『アランシア王国建国史』だって」
私たちはその本を手に取り、近くの閲覧席に座った。椅子がきしむ音が静寂を破る。
ページをめくると、黄ばんだ紙から古い匂いが漂う。指先に紙の質感が伝わる。
本の内容を読み進めていくと、興味深い記述を見つけた。目を凝らして、かすれた文字を追う。
『アランシア王国の初代王、アーサー・ソレイユは、かの伝説の魔導王の弟子であったとも伝えられている。
初代王は魔導王から多くを学び、その教えを基に平和で繁栄する国を築いたという』
「アランシアの初代王が……!? あっ、そういえばルシアンもそんなこと言ってたような!」
シャルが興奮気味に言う。その声に、近くにいた他の利用者が顔を上げる。
さらに読み進めると、もう一つ気になる記述があった。
ページをめくる音が、静寂の中で妙に大きく響く。
『魔導王は、アーサーと別れる際に「霧の谷」と呼ばれる場所に向かったという』
「霧の谷……」
私はその言葉を小さくつぶやいた。その響きが、何か神秘的な雰囲気を醸し出す。
シャルも真剣な表情でページを見つめている。彼女の呼吸が、わずかに速くなったのがわかる。
「ミュウちゃん、これが手がかりになるかも。霧の谷を探せば、マーリンに会えるかもしれない!」
確かにそうかもしれない。でも、その霧の谷っていうのがどこにあるのかもわからない。期待と不安が入り混じる。
私たちはさらに資料を探し、霧の谷に関する情報を集めた。
本を開く音、ページをめくる音が、静かに重なり合う。
しかし、霧の谷の具体的な場所を示す記述は見つからなかった。
ただ、いくつかの資料から、霧の谷は「東方の果て」にあるという曖昧な情報だけは得られた。
少なくとも、私達のいる大陸にはないみたいだ。
地図を広げると、東方には広大な海が広がっている。
「東かー……結構遠いね」
シャルが呟く。その声には少し落胆が混じっている。
確かに、アランシア王国からはかなりの距離がある。
図書館で得られる情報はこれくらいだった。私たちは本を元の場所に戻し、外に出る。
まぶしい陽光が目に入り、瞬きする。
図書館内の静寂から一転、街の喧噪が耳に飛び込んでくる。
人々の話し声、馬車の音、商人の呼び込みの声が混ざり合う。
「さて、どうする? 東に向かって旅立つ?」
シャルの問いかけに、私は少し考え込んだ。
確かに目的地は決まったけれど、まだ準備が必要だ。風が吹き、髪が顔にかかる。
「……準備が、いるかも」
「そうだね。お金も必要だし、装備も整えないと」
シャルの言葉に頷く。長旅になりそうだから、しっかり準備しないと。
彼女の目には冒険への期待が輝いている。
「じゃあさ、まずは近場で依頼をこなして資金稼ぎ、かつ情報収集ってのはどう?」
「……!」
その提案はいいアイデアだと思った。頷いて同意を示す。
「よし、決まりだね! でも、どの街に行く?」
確かに、どの街に向かうかは重要だ。東への道筋にある街がいいだろう。
街の喧噪を背景に、私たちは地図を広げる。風が吹き、地図がはためく音がする。
とはいえ、私はそういう地理には疎い。
「東に向かって歩く」……じゃだめだよね、やっぱり。
「そうだな……ここのサンクロスとかどう?」
「サンクロス……?」
「東への交易路の起点なんだって。結構賑やかな街らしいよ!」
シャルの説明に私は頷いた。たしかにそこなら、馬車とかも確保できそうだ。
地図上でサンクロスを指差すと、そこは大きな川と交易路が交差する場所にあった。
「よーし、じゃあサンクロスに向かおう! 準備して、明日出発ってことでどう?」
私は頷いた。これで当面の目標が決まった。
マーリンを探す大きな目標と、そのための小さな目標。
少しずつだけど、前に進んでいる気がする。胸の中に、小さな期待が芽生える。
私たちは市場に向かい、旅の準備を始めた。
乾パンや干し肉、水筒など、必要なものを次々と買い揃えていく。
市場は活気に溢れ、様々な匂いが鼻をくすぐる。
新鮮な果物の甘い香り、焼き立てのパンの香ばしい匂い、香辛料のスパイシーな香りが混ざり合う。
戦争中の沈んだ空気が嘘のようだった。明るさを取り戻した市場に心が暖かくなる。
準備を終え、宿に戻る頃には夕暮れだった。
空が赤く染まり、魔法の街灯が次々と灯されていく。
街灯の様々な色の光が、石畳の上に温かな影を落とす。
「ねぇミュウちゃん、明日から新しい冒険が始まるね! 楽しみだなぁ」
部屋に戻ったシャルが放つその言葉に、私も少しだけ胸が高鳴るのを感じた。ゆっくりと頷く。
窓の外では、満月が優しく輝いていた――。
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