第56話 聖女の正体
宮殿の会議室に、静寂が広がっていた。
窓から差し込む朝日が、テーブルの上に長い影を落としている。
その光が、部屋の空気中に漂う埃を照らし出す。
昨日のドラゴンとの戦いの余韻が、まだ部屋の空気に漂っているようだった。
かすかに焦げた匂いと、魔力の残り香が鼻をくすぐる。
私は椅子に座り、杖を両手で抱えるように持っていた。背もたれの革が、軋む音を立てる。
金属質の冷たい感触が、まだ疲れの残る体に心地よく感じられる。
杖の水晶が、朝日を受けてかすかに輝いている。
シャルが隣で大きな欠伸をする。彼女の髪が、朝日に照らされて赤く輝いていた。
「ふわぁ~、まだ眠いなぁ~。昨日ほとんど寝てないからね~」
シャルの声に、リンダが軽く咳払いをする。その音が、静かな部屋に響く。
「あなた、もう少し緊張感を持ちなさい。大事な報告を待っているのよ」
リンダの言葉に、シャルが頬を膨らませる。
その仕草が、どこか子供っぽくて、思わず笑ってしまう。
そんなやり取りを見ながら、ルシアン王が静かに微笑んだ。
彼の目の下には、疲労の色が見えた。昨日の結界維持で、相当な魔力を使ったのだろう。
「3人パーティーの百合ってのもいいな……」
「何言ってんのこの男」
(リ、リンダ……! 一応王様だから……!)
私は再び彼女に視線を送った。ルシアン王は確かに意味のわからない事を言うが王様なのだ。冷や汗が背中を伝う。
「それはともかく。……本当によくやってくれた、ミュウ。
君がいなければ、この伝統あるアーケイディアは更地になっていただろうな」
私は小さく首を振る。首を動かすと、筋肉の痛みを感じる。
確かに結界は私が回復したけれど、みんなの力があってこそだった。ルシアン王による維持も、シャルの励ましも。
そう考えていると、突然扉が開く音がした。
勢いよく開かれた扉が、壁にぶつかる音が響く。その音に、思わず体が震える。
「陛下! 朗報です!」
息を切らせた伝令が、慌ただしく部屋に駆け込んできた。
彼の額には汗が滲み、手に持った羊皮紙が震えている。
靴が床を踏みしめる音が、急いでいる様子を物語る。
「何だ? 落ち着いて報告せよ」
ルシアン王の落ち着いた声に、伝令は深呼吸をして言葉を続けた。
「は、はい。冒険者たちによる奇襲作戦が成功しました!
フェルナヴ砦が陥落し、グレイシャル帝国の防衛線が崩壊したとの報告が入りました!」
その言葉に部屋の空気が沸き立つ。椅子がきしむ音、驚きの声が混ざり合う。
シャルが大きな声で歓声を上げ、リンダも安堵の表情を浮かべる。
「やったー! みんなすごいね! ゴルドーたちの活躍かな?」
シャルの声に、私も小さく頷く。ゴルドーたちの姿が脳裏に浮かぶ。みんな、やったんだ……!
ルシアン王は、厳しい表情を崩さずに伝令に尋ねた。彼の声には、緊張が残っているようだ。なんでだろう……?
「詳しい状況は? 味方の損害はあるか?」
「はい。詳細な報告はまだですが、我が軍の損害は最小限に抑えられたとのことです。
冒険者たちの多彩な能力が、予想以上の効果を発揮したようです」
その言葉に、ルシアン王の表情がようやく和らぐ。
彼は大きくため息をつくと、椅子の背もたれに深く身を預けた。革がきしむ音がする。
「そうか……本当によくやってくれた。これで、戦争も終わりが見えてきたな」
彼の言葉に、私たちも頷く。長かった戦争が、ようやく終わりに近づいている。
その実感が、少しずつ湧いてくる。体の緊張が、少しずつ解けていくのを感じた。
しばらくの間、部屋の中は喜びに満ちた空気に包まれていた。
しかし、その平和な時間もつかの間。再び扉が開く音がした。木の軋む音が、静寂を破る。
「陛下! グレイシャル帝国からの使者が来ております!」
別の伝令が、慌ただしく報告する。再び部屋の空気が引き締まる。
「なに? こんなに早くか?」
「は、はい。ほとんど砦が落ちてからすぐに出発したようで」
ルシアン王の声が驚きに淀む。彼は立ち上がると、伝令に向かって伝えた。椅子を引く音が響く。
「わかった。すぐに会見の準備をしろ。そして、グレイシャル帝国の使者をここへ案内するように」
「はっ!」
伝令は深々と頭を下げると、急いで部屋を出ていった。
その足音が、廊下に響いていく。扉が閉まる音が、重々しく響く。
ルシアン王は私たちの方を向いた。その表情には、緊張と期待が入り混じっている。
「おそらく、これから降伏の申し出があるだろう。そして、それが妥当なものであれば戦争が終わる」
シャルが大きく何度も頷く。その目には、興奮の色が浮かんでいた。
「やった! やーっと平和が戻るんだね〜!」
リンダも、静かに頷いた。彼女の表情には、安堵の色が見えた。
しかし、その目には警戒の色も残っている。
「ええ。なんだかんだ長かったわね、この戦争も。でも、まだ油断はできないわ」
私も小さく頷く。確かに、戦争は終わりそうだ。でも、どこか引っかかるものがある。
聖女アリアのこと、あのドラゴンのこと……謎は残ったままだ。胸に、かすかな不安が残る。
そんな思いを抱きながら、私たちは使者の到着を待った。
窓の外では、鳥のさえずりが聞こえ始めていた。新しい朝の訪れを告げるかのように。
しばらくすると、廊下に足音が近づいてくる。
重厚な扉が開き、一人の男が部屋に入ってきた。
彼の顔は蒼白で、目の下にクマができている。
明らかに疲労の色が見える。彼の体からは、汗の匂いがかすかに漂う。
「グレイシャル帝国特使の……オスカーと申します」
彼は深々と頭を下げると、震える手で書類を差し出した。紙の擦れる音が聞こえる。
「わ、我が国は……ここに降伏を、宣言いたします……」
その言葉に、部屋の空気が一瞬で変わる。息を呑む音、椅子がきしむ音が聞こえる。
ルシアン王は静かに頷くと、書類を受け取った。紙を受け取る音が、静かに響く。
「わかった。受理しよう。我が国としても、貴国の降伏を受け入れる準備はある」
彼の言葉に、オスカーは安堵の表情を浮かべた。
その肩から力が抜けていくのが見える。彼の呼吸が、少しだけ落ち着いたように聞こえる。
「あ、ありがとうございます。それで、講和会議の日程ですが……」
「ああ、それは後ほど詳しく決めよう。とりあえず、休んでいってくれ」
ルシアン王の言葉に、オスカーは再び深々と頭を下げると部屋を出ていった。
扉が閉まる音が静かに響く。その音が、何かの終わりを告げているようだ。
しばらくの間、誰も言葉を発さなかった。
戦争が終わった。その実感が、少しずつ私たちの中に広がっていく。
部屋の空気が、少しずつ変わっていくのを感じる。シャルが小さな声で呟いた。
「……今ので戦争終わったの? ホントに? なんかやけにあっさりしてない?」
「そう……だな。たしかに予の作戦がうまく行ったのはあるだろうが、いささか降伏するのが早すぎるとは感じる。
帝国の人間が徒に死ぬのを避けるため――と考えるには、これまでの帝国の振る舞いは傍若無人が過ぎるしな……」
その言葉に、私はどうリアクションするべきか困っていた。
いいことのはずなのに喜びきれないというか、なんというか。胸にモヤモヤとした感覚が広がる。
これからは、平和な日々が戻ってくる。
グレイシャル帝国もちょっとはよくなる、はず。
(そう思いたいんだけど……)
「まぁ、とりあえず! 祝勝においしいものでも食べようよ、ミュウちゃん!」
考え込む私の肩をシャルが組む。彼女の体温が、肩を通して伝わってくる。
……そうだね。考えていたって仕方がない。
ひとまず今は、平和になったってことにしておこう。シャルの明るい声に、少し心が軽くなる。
窓の外では、鳥のさえずりがより一層賑やかになっていた。
■
数日後、私たちは雪の中のフェルナヴ砦に到着した。
講和会議は、戦争を終わらせる一手となったこの砦で行われる。
冷たい風が頬を撫で、雪の結晶が光を反射して目を眩ませる。
足元の雪を踏む音が耳の中に残っている。ちょっと北に行っただけでだいぶ寒くなるなあ……。
砦の中は戦いの痕跡が残っていた。
壁には剣の跡が残り、床には焦げた跡が見える。
それでも、窓から差し込む光は明るく、新しい時代の幕開けを予感させた。
埃っぽい空気の中に、かすかに金属と血の匂いが混ざっている。
大広間に入ると、そこにはすでにグレイシャル帝国の代表団が待っていた。
その中心に立つ人物を見て、私は息を呑んだ。心臓が大きく跳ねる。
黒色の髪、赤色の瞳。神々しい雰囲気を纏った女性。
間違いなく、以前に見た聖女アリアだった。彼女から漂う香りは、華やかでありながらどこか冷たい。
彼女が微笑みながら近づいてくる。その歩み方には、どこか違和感があった。
なにかがズレているように感じる。足音が不自然に静かに思える。
「ようこそ、アランシア王国の皆様」
アリアの声が響く。その声は美しかったが、どこか空虚さを感じさせた。
「この度は、両国の犠牲に哀悼の意を示します」
「そうか。戦争のきっかけが語る哀悼とは、実に痛み入る」
ルシアン王の声はいつになく怒りに満ちていた。
その皮肉な声に、部屋の温度が一瞬で下がったように感じる。
アリアの隣に座る老人が反応し怒りの表情を見せた。彼の顔が赤く染まる。
「なんだと、貴様――」
「落ち着いてください、皇帝陛下。彼の言い分はもっともですわ」
……こ、皇帝!?
……たしかに、老人が身につけているものは豪華に見える。金や宝石の輝きが目を引く。
しかしなんというか、顔に迫力がなく生気もない。
言われるまで皇帝と気付かなかったくらいにみすぼらしい。皺の刻まれた顔が、疲れきっている。
「……う、うむ。お前が言うのなら……」
皇帝はアリアに嗜められると、途端に黙り込んでしまった。椅子がきしむ音が聞こえる。
……やはり、この国の実権はとっくにアリアが握っているようだ。
それから講和会議が始まり、両国の代表が言葉を交わす。
羽ペンが紙をこする音、書類をめくる音が静かに響く。
しかし、私の目はアリアから離れなかった。
彼女の仕草、表情、そのすべてが、人間らしからぬ何かを感じさせた。
動きが滑らかすぎて、まるで人形のよう。
そして、ふと気づいた。アリアの目。
その瞳の奥に、見覚えのある炎が燃えていた。背筋に冷たいものが走る。
(まさか……!)
私は思わず立ち上がった。椅子が床を引っ掻く音が響く。その音に、全員の視線が集まる。
「ミュウちゃん? どうしたの?」
シャルが心配そうに尋ねる。
私は震える喉でなんとか喋る。
「あ、あなたは……あの、ドラゴン……?」
部屋中の視線が、私とアリアに集中する。アリアの表情が一瞬凍りつく。
その目に、一瞬だけ獣のような光が宿る。
「何を言っているのかしら? 私は――」
「あなたは……聖女アリア、じゃない……」
人前で喋ることに意識が向かないほど、私は動揺していた。
最初に会ったときも思っていたけど、やっぱり「これ」は人間じゃない。
心臓が激しく鼓動し、手のひらに汗が滲む。
あのときアランシアを襲ったドラゴン。
その魔力と、目の前のアリアのものが一致するのがわかる。空気が重く張り詰めていた。
「な、何を言っておる! 彼女はアリアだ。100年の時を超え蘇った、聖女――」
(状態異常回復魔法!)
私は無詠唱で、アリアに状態異常回復魔法を放つ。
このアリアの状態は「正常」ではない。
これをもとに戻せば――正体が明らかになるはずだ。
その瞬間、アリアの目が変わった。
瞳孔が縦に裂け、人間の目ではなく爬虫類の目になる。
彼女の口が、不自然なほど大きく開くと鋭い牙が覗いた。
「小娘……味な真似をする」
アリアの姿が歪み始める。その体が膨張し、鱗に覆われていく。鱗がこすれ合う音が、耳障りに響く。
その体はみるみるうちに巨大化し、砦の天井を突き破り瓦礫を降らす。
石や木材が崩れる音が轟く。それでもなお、体は巨大になり続けた。
「ガアアアアア……! まさか人間ごときが、我の擬態を破ろうとはな!」
人々の悲鳴が響く中、巨大な黒いドラゴンの姿が現れた。
彼は遥か上空、貫かれた天井の向こうからこちらを見下ろす。その影が、部屋全体を覆い尽くす。
「そうだ。我はアリアに非ず。ヴェグナトール――邪龍ヴェグナトールである!」
「ミュウちゃん、危ない!」
ヴェグナトールの咆哮が響き渡る。
その声が、建物全体を震わせる。その口から、天に向かって青い炎が噴き出す。
熱気が押し寄せ、髪が風になびく。
「みんな、逃げろ!」
ゴルドーの叫び声がする。砦は大混乱に包まれ、グレイシャル帝国の人間らが怯えて逃げ惑う。
悲鳴と足音が入り混じり、パニックの渦が広がる。
空から降り注ぐ瓦礫、轟音、そして迫り来る巨大な黒龍。
おそらくこの戦争で――最後の戦いが始まろうとしていた。
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