第55話 邪竜の猛攻(後編)
ドラゴンの爪が結界に突き刺さる衝撃で、宮殿全体が揺れる。
床が大きく揺れ、バランスを崩しそうになる。
耳をつんざくような金属音と共に、結界にヒビが入る音が響く。
ギギギ、と重たい金属が歪むような音がする……! その音がまるで骨を震わせるようだ。
「……っ!」
『ゾグ、ブラゾガ ナ……ダゴ ヴォズマゲ ゲズバグ ゾルダグ ガナ』
城の外から、地響きのような不気味な声が聞こえてくる。ドラゴンの言語、なのだろうか。
私は思わず目を閉じる。鼓動が早くなり、冷や汗が背中を伝う。ルシアン王の声がすぐに聞こえてきた。
「ミュウ! 結界の回復を頼む!」
その声に、私は我に返る。
そうだ、私には私にしかできないことがあるんだ。
杖を握りしめ、結界に向かって魔法を放つ。手のひらに杖の冷たさを感じる。
青白い光が結界のヒビを塞ぐように満ち、結界を修復していく。
光の温かさが、指先から体中に広がる。
しかし、ドラゴンの攻撃は止まらない。その翼が空を叩き、風を巻き起こす。
巨体がその場で大きく旋回したかと思うと、細長い尻尾が結界に叩きつけられる。
「きゃあああああ!」
「な、なんて衝撃……!」
宮殿の壁や天井が軋む。石や木材がきしむ音が、不気味に響く。
もしもあれが結界なしで直撃していたら、一撃で壁が壊されていただろう。想像するだけで背筋が凍る。
『ゾガ ガゾ ブラゾグ ゲズバグ ドゥルゾッゲ……ダゴ ゾガ ヴォズマゲ ゾグ ガナ!』
「口を開いた……! ブレスが来るぞ、ミュウ!」
黒龍がガパア、と口を開く。その喉の奥から、青と赤の混じった炎が揺らめき、勢いよく吐き出される!
「おお……聖女様……っ! 我らをお救いください……!」
(継続大回復魔法!)
迫る炎が結界全体を覆っていく。室温が一気に上昇し、額を汗が伝う。景色が炎一色に塗りつぶされ、空も、街も見えなくなる。
喉が乾き、息苦しさを感じる。それでも、継続的に回復し続ける結界がその炎の侵入を拒んだ。
修復と破壊の繰り返し。私の魔力が急速に消費されていくのを感じる。
額に汗が滲み、呼吸が荒くなる。心臓の鼓動が、耳元で大きく響く。
(もう、どれくらい経ったんだろう……)
時間の感覚が曖昧になってくる。
ただ、結界を守ることだけに集中する。視界が狭まり、周りの音も遠くなっていく。
(回復……回復を……っ!)
そんな中、シャルの声が聞こえてきた。
「ミュウちゃん! 頑張って!」
彼女の声に、少し力が湧いてくる。
しかし、それでも疲労は蓄積されていく。筋肉が痛み、手足が重くなる。
ドラゴンの攻撃が一瞬止んだ隙に、私は膝をつく。
杖で体を支えながら、荒い息を整える。冷たい床の感触が、少し意識を取り戻させる。
「大丈夫、ミュウちゃん!?」
シャルが駆け寄ってくる。彼女の足音が、近づいてくる。
彼女の手が私の背中に触れる。その温もりが、少し安心感をもたらす。
「……う、うん」
かすれた声で返事をする。喉が乾いていて、うまく声が出ない。舌が砂を噛むように感じる。
(あとどれくらい……保つだろう)
そう考えていると、再びドラゴンの咆哮が響く。
大きな影が結界に覆いかぶさり、再び攻撃が始まる。地面が揺れ、今にも壊れそうな音が結界から響く。
「くっ……!」
私は再び立ち上がり、回復魔法を放つ。
しかし、今度は修復が間に合わない。結界のヒビが、みるみる広がっていく。
ガラスが割れるような音が、不吉に響く。
(もう、駄目かも……)
そう思った瞬間、シャルの声が響いた。
「諦めないで、ミュウちゃん!」
彼女の声に、はっとする。
……そうだ、ここで諦めるわけにはいかない。
私の後ろには守るべき人々がいる。彼らの不安げな表情が脳裏に浮かぶ。
深呼吸をして、もう一度魔力を集中させる。
「癒やしの雫」が、かすかに温かみを帯びる。
その温もりが、私の体全体に広がっていく。杖から伝わる魔力の波動が、体中を駆け巡る。
(もう一度……!)
全身の力を振り絞って魔法を放つ。
青白い光が、これまで以上の輝きを放つ。その光が、部屋中を明るく照らす。
結界のヒビが、みるみるうちに修復されていく。
それだけでなく、結界全体が以前よりも強固になっているのが分かる。光の波動が空気を震わせる。
空中から襲い来るドラゴンの攻撃が跳ね返される。
金属音と共に、ドラゴンの攻撃が弾かれていく。
「すごい……! 跳ね返してる!」
『ゾガダ ガッ……!? ゾガ ガゾ ゾガダ ゲズバグ ブラゾガ!
ゾルダグ ドゥルゾッゲ ガ ブラゾグ ヴォゾゲガ ゾガダ!?』
怒りを感じさせるドラゴンの言葉の裏で、シャルの歓声がひときわ大きく響く。
しかし、私にはそれに応える余裕もない。
全身から力が抜け、その場に崩れ落ちる。床に倒れる音が、遠くに聞こえる。
「ミュウちゃん!」
シャルが慌てて私を支える。彼女の腕の中で、私は荒い息を繰り返す。
シャルの体温と、心臓の鼓動が伝わってくる。
「大丈夫!? しっかりして!」
シャルの声には心配が滲んでいる。私は小さく頷く。
「……まだ……終わって、ない」
私は再び立ち上がろうとする。しかし、体が言うことを聞かない。筋肉が痛み、手足が鉛のように重い。
「もう、無理しないの! 少しだけ休んで。ドラゴンも今は攻撃してきてないから!」
シャルが私を抱きかかえるように支える。
その腕の中で、私は深呼吸を繰り返す。シャルの髪の匂いが、かすかに鼻をくすぐる。
外では、まだドラゴンの咆哮が響いている。
しかし、その音は少し遠ざかっているような気がする。風の音が、以前より大きく聞こえる。
(もしかして……)
そう思った瞬間、ルシアン王の声が響いた。
「ドラゴンの勢いがなくなり始めた! もう少しだ!」
その言葉に、希望が湧いてくる。シャルも、嬉しそうに笑う。
彼女の笑顔が、疲れた心とMPを少し癒す。
「聞いた? ミュウちゃん、もう少しだよ!
どんなモンスターだろうと、ずーっと暴れ続けることはできないんだ!」
私は小さく頷く。そして、もう一度立ち上がる。今度は、シャルの助けを借りながら。彼女の腕が私をしっかりと支える。
杖を握りしめ、残った魔力を振り絞る。杖が、かすかに震える。
(最後まで……守り抜く! シャルを……リンダを、皆を……!)
杖から放たれた青白い光が再び結界を包み込む。
それは弱々しいものだったが、それでも結界を少しずつ修復していく。光の波動が、空気を震わせる。
ドラゴンの攻撃は、徐々に弱まっていく。その咆哮が、次第に遠ざかっていく。
そして――
「やったぞ! ドラゴンが……去っていく!」
ルシアン王の声が響く。その瞬間、宮殿中に歓声が上がった。人々の喜びの声が部屋中に満ちる。
「やったぞ! 助かったんだ!」
「さすがは聖女様……! この国を守ったんですね!」
私はほっと息をつく。体から力が抜け、安堵感が広がる。
そして、力尽きてシャルの腕の中に倒れ込んだ。
「ミュウちゃん! よく頑張ったね」
シャルの声が、遠くなっていく。しかし、その声には温かさが満ちていた。
とても疲れた……。自分を取り繕うこともできず、このままシャルに甘えたい気分だ。
シャルの体温と、かすかな汗の匂いが、安心感をもたらす。
シャルの腕の中で、私は半ば意識朦朧としながらも、周囲の状況を把握しようと努める。
彼女の体温が、疲れた体に心地よく感じられる。
体は鉛のように重く、目を開けるのも一苦労だ。まぶたが重く、視界がぼやける。
それでも、かすかに聞こえてくる声に耳を傾ける。部屋の中は、まだ戦いの余韻が残る熱気に包まれている。
「諸君、我々はドラゴンの攻撃を退けた。今こそ反撃のときだ!」
かすれたルシアン王の言葉に、会議室が静まり返る。息を呑む音が聞こえる。
私は目を細めて、ルシアン王の方を見る。彼の目は、燃えるように輝いている。
「冒険者の皆、準備はいいか?」
「ああ。何をすればいい」
「今すぐグレイシャル帝国へ向かってくれ。電撃作戦だ」
(え……?)
私は驚いて目を見開く。あまりの突然の発言に思わず体を起こそうとするが、疲労でほとんど動けない。
ルシアン王は続ける。彼の声には、緊張と興奮が混ざっている。
「奴らの切り札は今尽きた。たとえ国をも滅ぼせるモンスターであろうとも、生物である限り疲労する。ドラゴンは今日はもはや動けんだろう。
あのドラゴンを出した以上、今はまともな戦力は準備していないはずだ。今こそ虚を突き、一気に攻撃を仕掛ける……!」
会議室に緊張が走る。冒険者たちの間で、小さなざわめきが起こる。
鎧がきしむ音、武器を握り締める音が混ざり合う。
(……たしかに、あのドラゴンが国を壊し損ねる……なんて、帝国の人は考えないよね)
力を体感したからこそわかる。あのドラゴンの力を疑う人間なんて、帝国にいるわけがない。
ルシアンの言うとおり、いま彼らは油断しているはず……。ナイアが尋ねる。
「陛下。作戦の詳細は?」
「簡単だ。冒険者たちで、アランシアとグレイシャル帝国の国境に位置するフェルナヴ砦を占拠する。それだけだ」
シャルが私を支えながらルシアン王に向かって言う。
「マジで!? それって、さすがに危険じゃない? 砦にたくさん兵士とかいたらどうするの?」
「危険は承知だ。しかし、これ以上の好機はない。フェルナヴ砦は彼らの守りの要だ。
あの地を押さえれば、十分な補給をしたうえで首都まで手が届く」
話を聞いていたゴルドーが一歩前に出る。床を踏みしめる音が響く。
エルフたちも、独特な礼をした。彼らの動きには、緊張と決意が滲んでいる。
「わかった。任せてくれ」
「我らの弓が、あなた方の盾となりましょう」
ルシアン王は満足げに頷く。彼の表情に、わずかな安堵の色が見える。
「よし……では直ちに出発だ。勝利を祈って、いる……」
冒険者たちが次々と部屋を出ていく。その足音が遠ざかっていく。
それと同時に、ルシアン王もその場に崩れ落ちた。椅子がきしむ音が響く。
「ちょっ、大丈夫!?」
「あ、ああ、問題ない……。さすがにあれだけ結界を叩かれると、魔力がな……」
「そっか。よく頑張ったね、ミュウちゃんもルシアン王も!」
シャルが私の頭を撫でてくる。その手の温もりが、心地よく感じられる。
それを見てルシアン王がにまにまと笑っている。……元気そうで何よりだ。
冒険者たちはすっかりいなくなった。
部屋に残されたのは、私とリンダ、シャル、そしてルシアン王だけだ。
「ミュウ。よく頑張ってくれた。これで、戦争も終わりが見えてきたよ」
私は弱々しく頷く。首を動かすのも力が要る。
ルシアン王の表情には希望が宿っているようだ。
「さて……。あとは、結果を祈るだけだな」
冒険者による奇襲がうまくいくかどうかは、ここからは確認できない。
彼の言うとおり、今はもう祈るしかできないようだ。窓の外では、風が木々を揺らす音が聞こえる。
私は聖女じゃないし、祈りの力があるわけでもない。
だけどせめて、と私は心の中で祈った。
アランシアの勝利を。……グレイシャル帝国に救いがあることを。
その思いを込めて、私は静かに目を閉じた。
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