第53話 聖女のもとに集え
アランシア王国の王城、中央会議室。
窓から差し込む柔らかな日差しとは裏腹に、室内の空気は重く沈んでいた。
古い木材の匂いと、緊張感から滲み出る汗の臭いが混ざり合う。
大きな円卓を囲むように、ルシアン王を中心とした重臣たち、そして私たちが座っている。
椅子の革の軋む音が、時折静寂を破る。すごく場違いな気がする……。
テーブルの上には詳細な地図が広げられ、戦況を示す赤と青のピンが無数に刺さっていた。
ピンの頭が、わずかに光を反射している。
「ここまでの戦況報告を」
ルシアン王の声に応じて、一人の軍師が立ち上がる。
椅子を引く音が響く。彼の顔には深い疲労の色が浮かんでいた。
「はい。現在、北部と東部の国境線で激しい戦闘が続いております。
特に、加護を受けたという神聖騎士たちの力が……我々の予想を遥かに超えております」
軍師の声が震える。その声には、恐怖と疲労が混ざっている。
彼は地図上の赤いピンを指さしながら続ける。指先が、わずかに震えているのが見える。
「彼らの力は尋常ではありません。一人で小隊を壊滅させる程の戦力を持っています。
そのため、徐々にではありますが、戦線は押されつつあります」
その言葉に、会議室に重苦しい空気が広がる。
息を吐く音が、あちこちから聞こえる。ルシアン王の眉間にしわが寄る。
「そうか……。ミュウ、君の力で彼らを元に戻すことはできるのだろう? どうにかならないか?」
私は小さく首を横に振る。髪がわずかに頬をくすぐる。シャルが軽く補足してくれる。
「一人ずつ、近付けばやれるはずだよ。でも、ミュウちゃんは一人だけだからねぇ」
「そうか……そうだな。すべての戦場に対処することはできないか」
ルシアン王は深いため息をつく。その吐息が、テーブルの上の地図をわずかに揺らす。
その姿は、普段の明るい青年の面影を感じさせない。
「どうしたものかな……百合作品でも読んできていいか?」
「陛下、それは」
側近が慌てて制止の声を上げる。
その声には困惑と焦りが混ざっている。ルシアン王は肩を落とし、ぼそりと呟く。
「冗談だ。こんなときは一応予がいないとな。とはいえ――」
会議室に再び重い沈黙が広がる。椅子がきしむ音だけが、時折響く。
……その沈黙に、私の思考が入り込んでくる。
(……この戦争のきっかけは私にある……)
脳裏に、国境の村の姿がよぎる。
焼け焦げた家々、傷ついた人々の姿が、鮮明に蘇る。多くの人が戦争で苦しんでいる。
(だったら、私がグレイシャルに出頭したら、この戦争も……一応は止まるんじゃ……)
そんな考えが頭に浮かんでしまう。
それが解決策とも思えないが、一方でそれ以外に戦いを穏便に終わらせる方法も思いつかない。
こんなことを言ったらシャルには怒られると思う。
だけど、戦争を終わらせるほどの力は私にはない。だったら、と考えてしまう。
その時――。
「失礼いたします」
扉を叩く音と共に、侍従長が顔を覗かせる。木の扉がきしむ音が響く。
整えられた髪から数本毛が飛び出ている。彼も疲れている様子が伺えた。
「陛下、突然ではございますが、来訪者がおられます」
「来訪者? 戦争中のこんな時にか?」
ルシアン王が驚いた表情を浮かべる。侍従長は小さく頷き、続ける。
「はい。その、ミュウ様の……友人だそうです」
「え?」
思わず声が漏れる。私に、友人なんていたっけ……?
強いていうならシャル、くらいだけど……。
「どうする? 会ってみる?」
シャルが私の肩を軽く叩く。
その声には好奇心が滲んでいる。彼女の体温が、肩を通して伝わってくる。
「……うん」
小さく頷くと、ルシアン王は侍従長に向かって言った。
「よし、通してくれ」
扉が開く。重厚な木の扉が、ゆっくりと動く音が響く。そこから現れたのは――
「久しぶりだな、ミュウ、シャル」
「あなたは……」
「……!」
思わず立ち上がってしまう。椅子が大きな音を立てる。
そこにいたのは、石の街ノルディアスのギルド、A級冒険者――ゴルドーだった。
灰色の髪を後ろに束ねた、傷だらけの黒い鎧を身に着けた細身の男。
その背中には細いハンマーを背負っている。鎧がわずかに光を反射し、独特の存在感を放っている。
ノルディアスでの彼との出会いと、彼の故郷の村での出来事が思い出される。
ぶっきらぼうだが、インテリな男だ。何より非常に強い。
彼の後ろにはどこかで見覚えのある顔ぶれが続く。武器の金属音と、革の軋む音が混ざり合う。
「ゴルドー! それにノルディアスの皆!?」
それはノルディアスのギルドで見た冒険者たちだった。
いずれも武器を構え、戦う準備ができている様子だ。彼らの目には決意の色が宿っている。
「ギルドの依頼でな。アランシア王国の戦争に加われってよ」
「何より、ミュウが戦争に関わってるって聞いてな」
(わ、私……? どうして……?)
どうして彼らが私のことを覚えているんだろう?
一応、ギルドに所属してはいたけど、結構あっという間にギルドからは離れてたし……。
「おいおい、何ボーッとした顔してんだ。お前さん、地下で俺らのことを助けてくれたじゃねーか」
(あ……)
……そうか。地下のダンジョンで、ゴーレムとの戦いで皆を助けたんだっけ。
それを覚えていてくれたんだ。胸が温かくなる。
「それに、来たのはノルディアスからだけではないぞ」
「ええ。お久しぶりね、ミュウ、シャル」
優雅な声と共に姿を現したのは、レイクタウンの守護騎士、ナイア。
青緑の髪の剣士の女性だ。以前、レイクタウンで一緒に湖底の魔物を倒した仲間。
その隣には、たぶんレイクタウンの冒険者たちの姿もある。
20人くらいはいるだろうか……? 彼らの装備が、わずかにきしむ音を立てている。
そして、最後に現れた集団は――
「またお会いできて嬉しいですよ、聖女殿。紅蓮の剣士殿」
「おー! エルフの皆~!」
エテルナ共和国のエルフたち。
それぞれ弓や、美しい装丁の槍を背負っている。彼らの周りには森の香りが漂っていた。
「みんな……どうして……?」
私の問いかけにゴルドーが答える。
彼の声は、いつもの低い声だが、どこか温かみを感じた。
「アランシアとグレイシャルの戦争のきっかけが、向こうの聖女がお前に因縁をつけたと聞いてな。
お前の事だ……自分が出頭して戦いを終わらせる、なんてことを言い出しそうだからな」
「まさかぁ。ミュウちゃんはそんなこと言わないって! ……言わないよね?」
(……っ)
シャルがこちらの顔を覗き込んでくる。彼女の息遣いが、頬に当たる。
……ノーコメントで。私は視線を逸らす。
「ここに集まった連中は、お前に助けられた人間だ。俺も含めて、お前に恩がある。だからこうしてやって来た」
「……!」
「そうよ。あなたにレイクタウンを助けてもらった恩は、きちんと返させてもらう」
ナイアの声には、強い決意が込められていた。その言葉に胸が一杯になる。
会議室はいつの間にか、60人以上の人がいた。部屋の外にもかなりの数の冒険者が集まっている。
人々の息遣い、装備の音、そして期待に満ちた空気が、部屋中に満ちている。
こんなにも多くの人が、私のために……。
「……あなた、いつの間にかずいぶん顔が広くなったのねぇ」
リンダがからかうようにそう言ってくる。
本当にいつの間にか、だ。ギルドの片隅でヒーラーをしていた頃からは考えられない。
私の視界が涙で滲む。隣でシャルが嬉しそうに笑っている。
「へへっ、ミュウちゃん。やっぱりみんなに愛されてるね!」
「グレイシャルの聖女がなんぼのもんだ! こっちこそ本物の聖女だぞ!」
声を上げる冒険者たちに、ルシアン王が立ち上がり深々と頭を下げる。
「皆、遠路はるばる来てくれてありがとう。アランシア王国を代表して、心より感謝を申し上げる」
冒険者たちは慌てて頭を下げ返す。鎧と武器がぶつかり合う音が響く。
こういう場での礼儀をきちんと知っている人間は少なそうだ。……私を含めて。
「いやいや、お礼なんていいんですよ」
「それより、どんな状況なのか教えてもらえませんか? 俺たちにできることがあれば、なんでもやりますぜ」
ルシアン王は頷き、再び地図を指さす。地図の紙が、かすかにきしむ音を立てる。
「では、改めて作戦会議を始めよう。
冒険者の皆の力を借りられれば、新たな戦略が立てられるかもしれない」
ルシアン王の言葉に、会議室の空気が一変する。希望に満ちた視線が、地図へと集まっていく。
羽ペンがかすかに動く音、紙がめくれる音が静かに響く。
「では、新たな戦略を練ろう。冒険者の皆の多様な能力を組み合わせれば、ミュウなしでも神聖騎士に対処できるかもしれない」
作戦会議が始まり、様々な意見が飛び交う。
冒険者たちの声が重なり、時に熱を帯びる。地図の上で、ピンが動かされる度に小さな音が響く。
机を叩く音、椅子がきしむ音が混ざり合う。
ゴルドーが、黒い鎧をきしませながら前に出る。彼の鎧から、金属と革の匂いがかすかに漂う。
「恐らくだが、相応の冒険者が数名いれば騎士には対処できるはずだ。
通常の兵士との戦いはアランシアの兵に任せたい」
ナイアが青緑の髪を揺らしながら続ける。
「レイクタウンの冒険者の多くは、水に関する戦術を得意とするわ。
このあたりの地形で、より戦力を発揮できると思う」
エルフの魔法使いの女性が、杖で軽く床を叩きながら言う。
「エルフの弓兵が、遠距離から援護射撃を行いましょう。
我々の矢は魔を退ける力を持ちます。聖女殿なしでも、騎士の加護を破れるかもしれません」
意見が交わされるたび、希望の光が強まっていく。
窓から差し込む陽光が、その希望を後押しするかのように輝いている。埃が舞う光の筋が、空気中に浮かぶ。
しかし、その時――
「緊急報告です!」
扉が勢いよく開かれ、若い兵士が飛び込んでくる。
扉が壁にぶつかる音が、部屋中に響き渡る。
彼の息は荒く、額には汗が浮かんでいる。汗の匂いが、かすかに漂う。
「北部の防衛線が崩れました! 神聖騎士の一団が、こちらに向かっています!」
会議室に緊張が走る。ルシアン王の表情が引き締まる。
「くっ、こんな時に……」
ゴルドーが一歩前に出る。床を踏みしめる音が重々しく響く。
「早速、冒険者連合軍の力を示すときだな。行こう」
ナイアの剣が鞘から抜かれる音が鋭く響き、彼女は剣を掲げた。
「そうね。理論より実践よ。行きましょう、皆!」
私は小さく頷く。シャルが隣で大きく伸びをする。彼女の関節が、ポキポキと音を立てる。
「よーし! それじゃミュウちゃん、みんなに出撃命令!」
「!?!?」
シャルが楽しそうにそんなことを言ってくる。彼女の声には、興奮が滲んでいる。
しゅしゅしゅ……出撃命令!? 私が!? こんな大勢に!?
「そりゃ悪くないぜ! お前さんのために集まったわけだからな」
「聖女殿の号令があれば、我らも戦意が高揚するというものです」
やる流れになってる!
私は抗議の意味を込めてシャルを見るが、彼女は楽しげに私の背中を押すばかり。
彼女の手のひらの温かさが、背中に伝わる。
皆の視線が一斉に集まってくる。視線の重さを全身で感じる。
や、やばいよー。今さらやらないなんて言えない空気だよ!
どうするのこれ、何言えばいいの!?
私が気の利いたことなんて言えるわけもないし、そもそも何を言ったってあんまり関係ない気がするし、ええと……!
「あっ、あ、あの、あの……ぉ」
だ、だめだ、何も思いつかない。
なんか頭が重くなってきた気がするし、顔が熱い――というか、立っていられなくなって、視界がぐるぐると回り始める。
……!
「うわー! ミュウちゃん大丈夫ー!?」
「そりゃそうなるでしょ。その子がこんな大勢の前で喋れるわけないし……」
……冷たい床の感覚を感じながら、私は意識を失っていった……。シャルの慌てた声が遠くなっていく……。
■
それから1ヶ月後。
アランシア王国の王城、中央会議室。
窓から差し込む陽光は、以前よりも明るく感じられた。
窓から入る風が、カーテンを揺らし、かすかな音を立てる。
テーブルの上の地図には、青いピンが増えている。それは戦況の好転を示していた。
ピンが光を反射し、小さな光の点が地図上に散らばっている。
「ここ1ヶ月の戦況報告を」
ルシアン王の声に、軍師が立ち上がる。
椅子がきしむ音が響く。彼の表情には、以前のような疲労の色はない。
「はい。冒険者の方たちの活躍により、戦況は大きく好転しております」
軍師は地図上の青いピンを指しながら続ける。彼の指が、地図の上をなぞる音が聞こえる。
「特に、神聖騎士たちをミュウ様抜きで対処できていることが大きいです。
それに、元に戻った彼らの証言により、グレイシャル帝国の内部情報も入手できました」
ルシアン王は満足げに頷く。その表情には、明るさが戻っていた。
「よくやってくれた。ミュウ、そして冒険者の皆」
私は小さく頷く。隣でシャルが大きく手を振る。彼女の髪が風になびく音がする。
「えへへ、どういたしまして!」
そんな中、ゴルドーが腕を組み厳しい表情で言う。
「しかし、まだ油断はできない。聖女アリアの正体も、まだ掴めていないのだろう」
ナイアが静かに続ける。彼女の声は、部屋の空気を震わせるかのように響く。
「そうね。でも、これだけ戦況が変われば、向こうも何か動きを見せるはず」
そんな言葉に、他ならぬ帝国の人間であったロイドが重々しく頷いた。彼の髭が、わずかに揺れる。
「これまでも、こうして食い下がった国はあった。しかし……」
「聖女の祈りに応じて現れる黒い龍、か」
以前聞いた話を思い出す。
グレイシャル帝国との戦争で戦局が硬直すると、どこからともかく巨大なドラゴンが敵国に飛来し、拠点を破壊してしまうのだという。
グレイシャル帝国はその力で敵を滅ぼしてきた。その話を思い出すと、背筋に冷たいものが走る。
「案ずるな。冒険者の皆は本当によくやってくれた。防衛に関しては予と、予の国に任せてくれ」
ルシアン王はどこか自信ありげに微笑んだ。その笑顔に、会議室の空気が少し和らぐ。
窓の外では、青い空が広がっている。
その空は、まるで平和な未来を約束しているかのようだった。鳥のさえずりが、かすかに聞こえてくる。
しかし、この戦いはまだ終わっていない。
そして、帝国にはまだ切り札が残されているのだ。その事実が、胸に重くのしかかる。
私たちの戦いは、まだ続く――。
風が吹き、カーテンが揺れる音がした。
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