第52話 最初の一戦
轟音とともに、巨人化した騎士の拳が地面を叩く。
衝撃で砂埃が舞い上がり、視界が一瞬遮られる。煙で目が痛くなる。
「うわっ、ペッペッ! もー、何なのこいつ!」
迷惑そうなシャルの声とともに目を開ける。
村の家々は押しつぶされ、瓦礫の山と化していた。
木材が折れる音、石がぶつかり合う音。
そして、悲鳴と苦痛の声があちこちから聞こえてくる。
焦げた匂いと血の生臭さが鼻をつく。
「くそっ、好き勝手してくれちゃって!」
シャルの叫び声が響く。彼女は躊躇することなく、巨人化した騎士に向かって駆け出した。
その背中で、赤い髪が激しく揺れる。手にした魔力増幅剣が、青白い光を放っている。
剣から漏れる魔力が、空気を震わせているのが感じられる。
巨人化した騎士は、シャルを見下ろすように首を傾げた。
その動きに合わせ、歪んだ鎧がきしむ音が響く。騎士の貌には、人間らしい表情は一切ない。
兜の奥で目は真っ赤に光り、歯は牙のように尖っている。
白い鎧は、膨張した体に合わせて歪み、所々で割れている。その隙間から、灰色がかった肌と筋肉が覗いている。
「はぁぁっ!」
シャルの剣が騎士の脚を捉える。鋭い金属音と共に、青白い光の波動が騎士の体を這う。
空気が振動し、一瞬周囲の音が消えたように感じる。
しかし、騎士の肌は予想以上に硬く、傷一つ付かない。
剣が弾かれる衝撃で、シャルの体がわずかに後ろに下がる。
「なっ!?」
シャルの驚きの声が聞こえた瞬間、騎士の巨大な拳がシャルに向かって振り下ろされる。
風を切る音と共に、巨大な影がシャルに迫る。
間一髪で避けるシャル。地面に拳が叩きつけられ、大きな穴が開く。
土埃が舞い上がり、周囲の視界が再び悪くなる。
(シャル……!)
私は慌てて「癒やしの雫」を構える。杖の質感が手のひらに冷たく感じる。
まだ回復は不要そうだが、いつでも撃てるようにしておかなければならない。
巨人化した騎士の力は、私たちの想像を遥かに超えていた。
このままでは勝ち目はないかもしれない……!
「我が声に答えよ、天上の者よ! 逆巻く炎を友とし、矢となりて襲え! 火矢魔法!」
鋭い声と共に、炎の矢が巨人化した騎士に向かって飛んでいく。空気が熱くなり、炎の匂いが鼻をつく。
リンダだ。彼女の銀髪が、炎に照らされて揺らめいている。顔には真剣な表情が浮かんでいた。
炎の矢は次々と騎士の体に命中する。
火の粉が散り、一瞬辺りが明るくなる。しかし、ほとんど効果がないようだった。
騎士の体に突き刺さったそばから炎が消え去っていく。
灰色の肌が赤く光るが、すぐに元の色に戻ってしまう。
「直撃したのに……なんで効かないの!?」
リンダの苛立ちの声が聞こえる。
彼女の額に汗が浮かんでいるのが見えた。その声には、わずかな恐怖が混じっている。
「英雄に続け! 奴を仕留めるんだ!」
「攻撃しろ!!」
同じ飛行船に乗っていたアランシアの兵士たちも、巨人化した騎士に立ち向かおうとしている。
一斉に矢が放たれ、風を切る音がする。弓弦を離れる音が、次々と響く。
「グオオオォォッ!」
しかし彼らの矢は、騎士の硬い肌を貫くことはできない。
その皮膚が金属のような音を立て、鏃を弾く。矢が折れる音が、パキパキと鳴り響く。
逆に、猛った騎士の腕の一振りで何人もの兵士が吹き飛ばされる。
悲鳴と共に、彼らの体が宙を舞う。鎧がぶつかり合う音と、痛みの声が混ざり合う。
(このままじゃ……!)
私は必死に状況を観察する。巨人化した騎士の強さは、明らかに尋常ではない。
一方でその目は焦点が定まらず、動きにも無駄が多い。まるで……。
(理性を失ってるんだ……。おかしくなってる……)
――その瞬間、私の中でひらめくものがあった。閃きとともに、体が熱くなるのを感じる。
(おかしくなっているなら、正常に戻せば……。回復魔法であの人を元の状態に戻せるかもしれない)
私は深呼吸をして杖を構え、巨人へと向ける。
冷たい杖が、今は温かく感じられる。そして――
(状態異常回復魔法)
「ウッ……!?」
一瞬、巨人の動きが止まる。頭を抱え、悶え始める。目の赤い光が失われる。
うめき声が聞こえ、その声は人間のものに近づいている。
「……!? 動きが止まった!?」
シャルの声が驚きに満ちている。周囲の戦闘音も、一瞬止まったかのようだ。
「――ウオオオォォォッ!」
しかし、足りなかった。
かなり強い魔法で洗脳されているのか、正気を取り戻しきれない。再び目が赤く光り、うなり声が響く。
(だったらもう一度……!)
シャルとリンダは必死に戦っている。彼女たちの気合の声や、魔法の炸裂する音が響き渡る。
アランシアの兵士たちも、他のグレイシャル兵と戦いつつ必死に村人たちを避難させようとしている。
炎に包まれた家々から、人々を運び出す姿が見える。
悲鳴と叫び声、そして励ましの声が入り混じる。
(私は、私にできることをしてみせる……!)
私は深呼吸をして、「癒やしの雫」を強く握り締める。
杖の先端にある水晶が、かすかに光を放つ。その光が、周囲の煙を押し退けるかのようだ。
「癒しの光よ。乱れし波を調和に戻せ。狂気の顎に安らぎを――」
私は詠唱によってさらに出力を確保し、今度こそ巨人を元に戻そうとする。魔力が体内を巡るのを感じる。
「! 奴が騎士に何かする気だぞ!」
「止めろ! 撃て!」
そんな私に対し、グレイシャルの兵士が矢を番える。
弓弦が引かれる音が聞こえる。矢がこちらに向かってゆっくりと飛んでくる――。
「ミュウちゃんっ!」
シャルの驚きの声が聞こえる。尖った矢の先端がはっきりと見える。
風を切る音が耳に届く。やばい、かもしれない。これは……っ。
「詠唱破棄、火矢魔法!!」
叫ぶような詠唱とともに、目の前で火花が散る。
一瞬の焦げ臭さとともに、迫っていた矢が弾き落とされた。
灰になった矢が、風に乗って散っていく。
(リンダ……!)
「さぁ、やりなさい!」
私は頷き、魔法を発動させた。
体中の魔力が杖の先端に集中していくのを感じる。
これまでの木製の杖ではとても感じられなかった感覚だ。これならいける!
「状態異常、大回復魔法!」
杖から放たれた光が、巨人化した騎士を包み込んでいく――。
まるで生き物のように蠢き、騎士の体の隅々まで行き渡る青白い光。
その光は次第に強さを増し、騎士の姿を完全に覆い隠してしまった。
光の波動が空気を震わせ、周囲の温度が上昇するのを感じる。
「グオオォォ……!」
騎士の苦痛に満ちた叫び声が響き渡る。
その声は徐々に人間らしさを取り戻し、やがて悲鳴へと変わっていく。
光の中で、騎士の体が徐々に縮んでいくのが見える。
歪んでいた鎧が元の形に戻り、金属と骨肉がきしむ音が聞こえる。
灰色だった肌が人間らしい血色を取り戻していく様子が、光の隙間から垣間見える。
周囲は息を呑むように静まり返った。
戦闘の音も、炎のパチパチという音も、一瞬すべてが止まったかのよう。
その静寂の中、光が徐々に薄れていく。空気が冷めていくのを肌で感じる。
そして――
「は……はぁっ……!」
元の姿に戻った騎士が、膝をつく。
彼の呼吸は荒く、全身から汗が噴き出している。その汗の匂いが風に乗って漂ってくる。
目の赤い光は消え、混乱した表情で周囲を見回している。
「あ、あれ……? 私は……いったい……」
騎士の声は掠れ、震えている。
まるで長い悪夢から覚めたあとのようだ。その声には恐怖と混乱が入り混じっている。
(やった……!)
安堵の気持ちが込み上げてくる。体の緊張が解け、ほっとした息が漏れる。
しかし、その安堵もつかの間――。
「くそっ! 何をした!」
「聖女様の加護を無効化したのか……!? 邪教徒め!」
怒号と共に、グレイシャルの兵士たちが一斉に攻撃を仕掛けてくる。
剣を振り上げ、弓を引き絞る音が響く。
鎧がきしむ音、靴が地面を踏みしめる音が混ざり合う。
「させるかっ!」
シャルの声が鋭く響く。彼女の剣が青白く光り、風を切る音と共に兵士たちに斬撃が飛ぶ。
空気が振動し、一瞬耳が詰まったような感覚になる。
「ありがとミュウちゃん! こっからはあたし達の出番だよ~!」
その言葉にリンダは頷き、私の前に立ちはだかる。
その背中から強い意志が感じられ、髪からはかすかに花の香りがする。
「任せなさい。ミュウ、あんたは休んでて」
その言葉に頷きながら、私は膝をつく。全身から力が抜け、急激な疲労感に襲われる。
詠唱の反動だ。視界がぼやけ、耳鳴りがする。やっぱり人前で詠唱するとMP食うなあ……。
冷たい地面の温度が膝に伝わり、少し震えが来る。
周囲では激しい戦闘が繰り広げられている。剣と剣がぶつかり合う金属音、魔法の詠唱、悲鳴。
それらが混ざり合って、ひとつの喧騒となっている。埃っぽい空気が鼻をくすぐり、時折咳き込みそうになる。
「どおりゃああああっ!」
シャルの掛け声と共に、グレイシャルの兵士が吹き飛ばされる。
彼女の剣筋は鋭く、容赦がない。しかし、倒すのではなく、武装解除に徹しているようだ。
剣が空を切る音と、鎧がぶつかり合う音が響く。
一方、リンダは魔法で敵の動きを封じている。
「我が声に答えよ、束縛の蔦よ。疾く茂り、我が敵を絡め取れ!」
彼女の詠唱と共に、地面から蔦が伸び、兵士たちの足を絡め取っていく。
悲鳴と共に、何人もの兵士が転倒する。蔦が地面を砕く音が鳴り、不思議な感覚だ。
アランシアの兵士たちも合わせて反撃に出た。
彼らは息を合わせ、グレイシャルの兵を包囲していく。号令と共に動く兵士たちの足音が、地面を震わせる。
戦いは、徐々にアランシア側が優勢になっていった。
やがて、グレイシャルの兵の大半が武装解除され、投降の意思を示し始める。
剣を地面に突き刺し、両手を挙げる兵士たち。
剣が地面に刺さる音が鈍く響く。彼らの顔には、疲労と諦めの色が浮かんでいる。
「降参だ! もう戦わない!」
「ぐう……アリア様、どうか我々をお守りください……」
兵士たちの声があちこちから聞こえてくる。
恐怖からか、中には涙を流す者もいる。すすり泣く声と、深いため息が混ざり合う。
戦いの喧騒が収まっていく中、私はようやく立ち上がる。
足がふらつき、よろめきそうになる。頭がクラクラし、一瞬目の前が暗くなる。
「ミュウちゃん! 大丈夫?」
シャルが駆け寄ってきて、私の体を支える。
彼女の体温が伝わってきて、少し安心する。シャルの手は少し汗ばんでいて、戦いの熱が伝わってくる。
「……うん」
「よかったー、安心したよ! リンダもありがとね、ミュウちゃんを守ってくれて!」
「べ、別に。必要だからそうしただけよ」
リンダはどこか照れたように視線をそらした。
頬が少し赤くなっているのが見える。改めて、私は彼女に頭を下げる。
「とりあえずなんとかなったね。二人のおかげだよ!」
シャルの明るい笑顔に、つられて私とリンダも小さく微笑む。
その笑顔に、疲れが少し和らぐ気がする。
戦いは終わった。しかし、村の惨状は変わらない。燃え尽きた家々、破壊された建物。
そして……犠牲になった人々。焦げた木材の匂いと、血の生臭さが鼻をつく。
アランシアの兵士たちが、負傷者の救助と遺体の収容を始める。
悲しみの声と安堵の声が入り混じる。瓦礫を動かす音、担架を運ぶ音が聞こえてくる。
「村長! 村長はいるか!?」
アランシアの兵士の一人が叫ぶ。
その声に反応して、瓦礫の中から一人の老人が這い出てくる。
瓦礫がずれる音と、老人のうめき声が聞こえる。
「わ、私です……村長の……」
老人の声は震え、顔には深い傷が走っている。
服は埃まみれで、所々破れている。血の匂いが、老人から漂ってくる。シャルが駆け寄り、彼を支える。
「大丈夫!? ミュウちゃん、おねがい!」
私は頷き、村長に近づく。杖を構え、回復魔法を発動する。
青白い光が村長を包み込み、その傷があっという間に癒えていく。
光が消えると同時に、村長の顔から痛みの色が消える。
「あ、ありがとう……」
村長の声に力強さと困惑が同居する。
彼は周囲を見回し、深いため息をつく。その目には悲しみの色が浮かんでいた。
「この村もここまでか……」
その言葉に、胸が締め付けられる。周囲の空気が重く沈んでいくのを感じた。
リンダが近づいてきて、私たちに告げる。
「そこの騎士から話を聞きだしましょう。アリアのことも……何か分かるかもしれない」
私たちは頷き、神聖騎士のもとへと向かう。
彼は地面に座り込み、虚ろな目で前を見つめている。その姿は、まるで魂を失ったかのようだ。
「ねえ、聞かせて。アリアって、一体何者なの?」
シャルの問いかけに、騎士はゆっくりと顔を上げる。
その目には、恐怖と後悔の色が浮かんでいる。彼の体が小刻みに震えているのが分かる。
「……私は何も、言うつもりはない」
彼の声が震える。周囲の空気が一瞬ピリついた。
「ま、とりあえずこの人たち連れて戻ろっか。飛行船ってこんなに乗れる?」
「ええ、一応……速度は落ちますが、可能かと」
気にした様子もなくアランシアの兵士と話し始めたシャル。
その様子に、騎士は驚いた様子を見せた。彼の目が大きく見開かれ、口がわずかに開く。
「なぜ我々を殺さない……。これは戦争だぞ」
「えー、何故って言われてもなぁ」
シャルは眉をひそめ、腕を組んで唸る。なにかずいぶんと考え込んでいるようだ。
その表情は、まるで難しい問題を解こうとしている子供のよう。そして――
「んー……気分じゃないから!」
…………そう答えた。そ、そっか……。
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