第51話 戦争開幕!
アーケイディアの街並みが、一夜にして様変わりした。
平和な日常を送っていた人々の表情に、不安の色が浮かぶ。
魔法の街灯の明かりさえ、普段より暗く感じられる。
夜風に乗って、遠くで行われる訓練の音が聞こえてくる。
私とシャルは、王宮の一室で戦争準備の手伝いをしていた。
その部屋は、古い書物の匂いと、羊皮紙の独特な香りが漂う図書室だった。
天井まで届く本棚が壁一面を覆い、魔法で浮かぶ球体の明かりが柔らかな光を放っている。
中央には大きな楢の木のテーブルがあり、その上には地図や報告書が山積みになっている。
書類に目を通すシャルの顔に、珍しく真剣な表情が浮かんでいる。
彼女の緑の瞳が、ランプの光に照らされて輝いている。
……なんだか、クールな表情のシャルを見ると一瞬ドキッとしてしまう。
「ねえ、ミュウちゃん。この報告書、ちょっと変じゃない?」
シャルが差し出した羊皮紙に目を通す。触れると、ザラザラとした質感が指先に伝わる。
アランシアが偵察を行った結果。
グレイシャル帝国の軍事能力についてまとめられているみたいだ。
「……?」
でも、何が変なんだろう?
ええと……騎士が1200人、その部下としての兵士が23000人くらい。
装備はいずれも剣や槍、魔法で特別な兵器などは見当たらない……。
「??」
「グレイシャル帝国の軍事力が、予想より弱いってことだよ」
私の疑問に、シャルが答えてくれた。
窓際に立ち、外の景色を眺めていたリンダが続ける。彼女の長い銀髪が、夜風にわずかに揺れている。
「そうよ。実は、グレイシャル帝国は100年前までもっと強大な軍事力を誇っていたの。
巨大な移動バリスタとか、魔法を増幅させる装置とか……でも、今はその面影もないわ」
「へぇ、なんでなんだろ?」
シャルの質問に、今度はロイドが口を開く。
彼は暖炉の前で、腕を組んで考え込んでいた。暖炉の火が、彼の顔に揺らめく影を落としている。
「100年前、グレイシャル帝国はあの地に巣食うドラゴンとの戦いに明け暮れていた。
その結果、多くの犠牲と引き換えに強大な軍事力を手に入れたんだ。
しかし、ある日突然ドラゴンの襲撃が止んだ。
そして、平和な時代が続いたせいで、兵器不要論が加速し軍事力は徐々に減っていったんだ」
ロイドの声に、部屋の空気が重くなる。暖炉の薪がパチパチと音を立てる。
「へぇ~。じゃあ、今回の戦争も意外と大したことないのかな?」
シャルの楽観的な言葉に、ロイドが首を振る。彼の表情が、一層厳しくなる。
「そう簡単には考えられない。
……アリアが現れてからのグレイシャルの侵略戦争は、いずれも全戦全勝だからだ」
「え……」
「ぜ、全戦全勝!? それマジで!?」
その瞬間、扉が開く音がした。重厚な木の扉が軋む音が響く。
振り返ると、そこにはルシアン王が立っていた。彼の金髪が、ランプの光に輝いている。
「作戦会議を始めよう。皆、集まってくれ」
私たちは王に従い、大きな会議室へと向かった。廊下を歩く足音が、静寂を破る。
そこには、軍の将軍や魔法使い……と思われる、強そうな人たちが集まっていた。
彼らの表情は皆、緊張に満ちている。甲冑の軋む音や、ローブの擦れる音が聞こえる。
ルシアン王が、中央の大きな地図の前に立つ。
地図は細かな地形や地名が記された精巧なもので、魔法の光で照らされている。
「諸君、我々は今、未曽有の危機に直面している。
グレイシャル帝国の脅威は、想像以上のものかもしれない」
シャルの分析とは真逆の王の言葉に、部屋中が静まり返る。息を飲む音さえ聞こえるほどだ。
「確かに、グレイシャル帝国の通常兵力は我が国に劣る。しかし、彼らには聖女アリアという切り札がある」
その言葉に、私は身震いする。
アリアの姿が脳裏によみがえる。彼女の冷たい目線を思い出し寒気がした。
「過去の記録によると、グレイシャル帝国はこれまでも何度か他国に侵攻している。しかし、どの戦いも長引くことはなかった」
ルシアン王の声が、重々しく響く。その声に、部屋の空気が張り詰める。
「戦局が硬直すると、必ずアリアの祈りが行われた。
そして、その度に『巨大な黒いドラゴン』が現れ、敵国を蹂躙したという」
その言葉に会議室が騒然となる。
将軍たちの間から動揺の声が漏れる。椅子が軋む音、紙をめくる音が入り混じる。
「ドラゴンだと? それが脅威なのですか?」
「ドラゴンと言っても、強いものも弱いものもいますが……とはいえ、国一つを蹂躙するほどのドラゴンなど、聞いたことがない」
「それが聖女の力で召喚できるのか……?」
ルシアン王は手を上げ、騒ぎを静める。彼の指輪が光を反射して輝いた。
「詳細は不明だ。しかし、この情報を軽視するわけにはいかない。
我々は、最悪の事態を想定して準備しなければならない」
ルシアン王の視線が私たちに向けられる。その目に、期待と信頼が混ざっているのが見てとれる。
「ミュウ、シャル。お前たちの力がこの戦いの鍵となるかもしれない。
特にミュウの回復魔法は、我が軍の大きな強みとなるだろう」
私は小さく頷く。胸の中で決意が固まっていく。
「あたしたちに任せて! 絶対に負けないよ!」
シャルの力強い声が部屋中に響き渡った。その声に、部屋の少し緊張が和らいだように感じる。
周囲の将軍たちの表情が、わずかに和らぐ。やっぱり、シャルはすごいなぁ……。
「よし、では具体的な作戦に入ろう」
ルシアン王が地図を指さす。
そこにはアランシア王国とグレイシャル帝国の国境線が描かれている。
地図の上で魔法の光が動き、戦略的な位置を示している。
「まず、国境付近の警備を強化する。そして、万が一の際の避難経路を確保する。さらに……」
作戦会議は続き、夜が更けていった。窓の外では星々が静かに輝いている。
……作戦会議が終わり、私たちが退室しようとしたとき、ルシアン王が声をかけてきた。
「ミュウ、少し待ってくれ」
傍らに立つ王の侍従は大きな箱を手に持っていた。
箱の表面には、複雑な魔法陣が刻まれている。かすかに青白い光を放っていた。
「お前の杖はグレイシャル帝国で失われたそうだな。代わりにこれを使ってくれ」
侍従の人が箱を開けると、そこには……美しい杖が横たわっていた。
箱を開けた瞬間、部屋中に清々しい風が吹き抜けたような感覚がある。
白銀の柄に、深い青の宝石が埋め込まれている。
杖の先端には、透明な水晶が取り付けられ、その中で小さな魔法の渦が巻いているのが見える。
杖全体から、かすかに魔力のうねりが感じられる。な、なんか……すごく高そうだ!
「これは『癒やしの雫』。我が国の技術で作り上げた杖だ。
お前の回復魔法をさらに強力にするだろう」
「……!?」
そ、そんなもの受け取るわけには……! 私は慌てて後ずさる。
床に敷かれた絨毯が、足元でわずかに沈む。
「受け取りなさいよ、ミュウ。兵士の装備を強化するのは国として当然でしょ?」
そ、それはそうかもしれないけど……!
リンダの声には、少し呆れたような調子が混じっている。
「そういえば、ミュウちゃんってなんか木の杖使ってたよね。アレってなんかいい品だったりしたの?」
そんなシャルの何気ない問いかけに私は首を横に振る。
私が修行の時期から使っていた、どこかで買った適当な杖だ。
思い返せば、その杖からは魔力の気配すらほとんど感じられなかった。
「魔法の変換効率も最低だったし、逆によくあれで普通に魔法撃ててたわよね。ないよりマシ程度よ、あれ」
「……!?」
そ、そうだったの!? 全然知らずに普通に使ってたけど……。
もしそうだとすると、この杖を使ったらだいぶ魔法が強化されたり……?
……そう聞くと、興味が申し訳なさを上回ってしまう。
私は感謝の意を込めて深く頭を下げ、杖を掴む。
杖から伝わる魔力の波動が、体中を駆け巡るようだ。手のひらに、心地よい冷たさを感じる。
「あ……あり、ありがとう、ございます……!」
「ふっ、リンダの言ったとおりだ。ミュウには我が国の一員として戦ってもらうつもりでいる……それ故の投資だと思ってくれ」
シャルが目を輝かせながら杖を覗き込む。
彼女の赤い髪が、杖から放たれる微かな光に照らされて輝いている。
「すごーい! ミュウちゃん、その杖カッコいいよ!」
彼女の興奮した声に、ルシアン王が微笑んだ。その表情に、少し緊張が和らぐ。
「さあ、今日はしっかり休んでおいてくれ。
君たちは冒険者らしく遊撃担当だ、いつ依頼があるかわからないからな」
私たちは頷いて部屋を出た。廊下を歩きながら、新しい杖の感触を確かめる。
金属質な触り心地は不思議なほど軽く、しかし確かな存在感がある。
杖を握るたびに、かすかな魔力の波動が指先から伝わってきた。
■
それから数日が過ぎ、意外と現状維持の日々が続いたある日の夕方。
軽い訓練を終えて休憩していると、突然の騒ぎが起こった。
廊下を走る足音が急速に近づいてくる。
「緊急事態です! 国境付近の村が襲撃されました!」
伝令の叫び声が宮殿中に響き渡る。
私たちは急いで集合場所へと向かった。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
ルシアン王の表情は厳しく、眉間にしわが寄っている。彼の声には緊張が滲んでいた。
「グレイシャル帝国の軍が、予想より早く動き出したようだ。すぐに援軍を送る」
シャルが一歩前に出る。彼女の目には決意の色が宿っていた。
「あたしたちも行くよ!」
王は少し躊躇したが、やがて頷いた。その表情には、複雑な感情が浮かんでいる。
「わかった。だが、無理はするな。状況を確認次第、すぐに報告を」
私たちは急いで準備を整え、王宮前に複数台停まっている魔法の飛行船に乗り込んだ。
船内は魔法の光で明るく照らされ、複雑な機械がうなりを上げている。
壁には魔法陣が描かれ、それらが淡く光っている。
窓の外では、夕焼けに染まった空が広がっていた。
飛行船の内部は、想像以上に広かった。
中央には大きな操縦装置があり、そこから魔力の流れが感じられる。
天井には、星座のような光の模様が描かれており、それが船の位置を示しているようだ。
壁際には、緊急時用の装備や魔法道具が整然と並べられている。
飛行船は高速で国境へと向かう。
風を切る音が甲板を揺らす。耳元で風が唸るような音がする。
「ミュウちゃん、大丈夫?」
シャルの声に顔を上げると、彼女が心配そうに私を見ていた。
空を飛ぶ乗り物なんて初めてだから、少し怖い……。手すりを握る手に力が入る。
「大丈夫大丈夫! 落ちたりしないって」
シャルは私を慰めてくれる。とはいえ、やはり高い……。
眼下には森や草原が遥か遠くに広がっている。
風に乗って、かすかに草の香りが漂ってくる。
やがて、件の国境の村が見えてきた。しかし、その光景に私は言葉を失った。
村は炎に包まれ、黒煙が立ち昇っている。
家々は崩れ落ち、道路には瓦礫が散乱していた。そして、村の中心には――。
「あれは……!?」
シャルの声が震える。そこには兵士に紛れ、異様な姿の騎士がいた。
彼の体は、通常の人間のサイズをはるかに超えている。
全身を覆う白の鎧は、まるで生きているかのように蠢いていた。
そして彼の目は兜の奥で赤く光り、かすかに見える腕や足は筋肉で盛り上がり、不気味な紋様が浮かび上がっている。
鎧からは、異様な魔力の波動が感じられる。
「あの鎧、神聖騎士団……? でも、なんであんな姿に……!」
私の胸に恐怖が広がる。
彼の姿は人間離れしている。そして、その雰囲気はどこか覚えがあるものだった。
背筋が凍るような感覚に襲われる。
(アリア……?)
そう。騎士から感じられるのは紛れもなく彼女の気配。
それが騎士にまとわりついているようだ。彼女の加護が、騎士たちをこのような姿に変えたのだろうか。
飛行船が着陸態勢に入る。高度が下がり、甲板が揺れ、着陸の衝撃が伝わってくる。耳に気圧の変化を感じる。
「行くよ、ミュウちゃん!」
シャルの声に、私は我に返る。新しい杖を強く握りしめ、決意を固める。
私たちは飛行船を降り、炎と煙に包まれた村へと足を踏み入れた。
熱気が顔を包み、喉が煙で痛む。焦げた木材の匂いと、血の生臭さが鼻をつく。
目の前には、恐ろしい姿に変貌した神聖騎士団。
戦いの幕が、今まさに上がろうとしていた。
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