第5話 大蛇討伐
「村長さんの家は確か……あっちだったよね?」
シャルの声が、のどかな村の空気を切り裂く。
鳥のさえずりと、遠くで聞こえる水車の音が一瞬途切れたかのようだった。
私は小さく頷きながら、手に持った魚の串を見つめる。まだ半分残っている。
(やばい……もうヒレとか頭とか背骨だらけになってきたんだけど……)
串から漂う魚の香ばしい匂いが、今や胃をむかつかせる。
もう可食部じゃないじゃん、これ。シャルこれ食べたの? 喉とかに刺さるんじゃないの? 冷めちゃって油っぽくなってるし……。
「ミュウちゃんまだ食べてたの? お腹いっぱい? あたしが食べよっか?」
「……!」
い、いいの? ほとんど食べる部位ないんだけど。
そっと串を差し出すと、シャルは豪快に頭から魚を食いちぎり、3口くらいで食べ終えた。
口の中でバリバリ鳴っているのが聞こえる……! 骨を噛み砕く音に、思わず身震いする。
「うん、うまい! よーし、じゃ行こっか!」
私が悪戦苦闘した魚を一瞬で倒し、シャルは颯爽と村長の家へと向かっていく。す、すごい……。
私は小走りでその後を追った。
村長の家は、他の家屋と比べて少し大きめだった。
しっかりとした木造で、屋根には村の紋章が刻まれている。
玄関前には小さな花壇があり、色とりどりの花が咲いていた。甘い香りが鼻をくすぐる。
「失礼しまーす!」
シャルが大声で呼びかける。その声に驚いたのか、近くの木からスズメが慌てて飛び立った。声……。
しばらくすると玄関の扉が開き、村長が姿を現した。
彼の眉が少し上がっている。驚いているのだろうか。まぁ声でかいしね……。扉の軋む音が低く響く。
「おや、君たちは……さっき来た冒険者さんですね? どうかしましたか?」
シャルは勢いよく前に出る。砂利がガッ、と音を立てる。
「はい! 村に何か問題があるって聞いたんですけど!」
(言い方ぁ……!)
村長は一瞬困惑した表情を見せたが、すぐに深刻な顔つきになった。額にしわが寄る。
「ああ、そうか。噂は広まっているようですね……続きは中で話しましょう」
彼は深いため息をつき、私たちを中に招き入れる。
村長の家の中は、質素ながらも清潔で落ち着いた雰囲気だった。
壁には村の歴史を描いたと思われる絵が飾られている。
テーブルの上には、たくさんの書き込みがある村の地図が広げられていた。古い羊皮紙の匂いが漂う。
私たちが座ると、椅子がきしむ音がして、村長は少し声を落として話し始めた。
「実は……私たちの村には川が流れているんですが、その上流に巨大な蛇が現れましてね。
最初は噂程度だったんですが……」
村長は地図を指さした。川の流れに沿って、赤い印がいくつも付けられている。
インクの匂いがかすかに鼻をつく。
「これらの場所で、蛇の目撃情報があったんです。
最初は川沿いを行く漁師たちだけだったんですけど、最近では川から離れた場所を歩いていた村人たちまで襲われるようになってしまって」
シャルが身を乗り出す。椅子と机がギシッと音を立てる。
「襲われる……って、もしかして死者とか出てないよね?」
「ええ、幸いにもまだ死者は出ていません。ただ、負傷者は何人も出ています。このままでは……」
彼は言葉を切った。その表情には、村の未来を案じる色が浮かんでいた。空気が重くなる。
「ギルドに依頼とかって出してないの?」
「そう、そろそろギルドに依頼を出そうと考えていたんですよ。
ただ、最寄りのギルドもやや遠いですしね。それに、魔物の正体がまだわかってないんです。
ギルドへの依頼は、魔物のランクによって料金も変わるでしょう?」
「あー、ランク不詳だと料金高くなっちゃうもんねー。
だからって調査依頼と討伐依頼を別々で出すとそれはそれでお金かかるし」
「そうなんです。かといって、村の人間に調査させるのもね……」
……ほとんどちゃんと依頼を受けたことがないから知らなかったが、いろいろお金の問題とかもあるみたいだ。
「よーし、村長! その件、あたしたちが片付けてあげるよ!」
シャルの声が部屋中に響く。村長の目に、かすかな希望の光が宿る。
「ほ、本当ですか? お願いできるでしょうか?」
シャルは即座に椅子から立ち上がった。
それから彼の手を掴みブンブン上下に振る。村長が驚いて目を丸くする。
「もっちろん! 任せて!」
……たしかに仕事は必要だけど、そんな正体不明の大蛇相手に2人だけで大丈夫なのだろうか。不安が胸をよぎる。
しかし、村長はすでに安堵の表情を見せている。今さらやらない、というのも……。
「ありがとう! 報酬は……そうだな、討伐が成功したら、1人当たり10シリングでどうだろうか?」
10シリング、ということは銀貨10枚ということだ。シャルの目が輝く。
「おお、いいねぇ! 10シリングもあったら、次の拠点に行くまで苦労もなさそう! 村でももうちょい買い込んでいけるかもね!」
私も内心ホッとした。10枚あれば、しばらくは安心して旅を続けられる。
その金額はギルドに支払う相場としては少し安いが、個人への依頼となれば高い部類……だった気がする。
村長は続けて説明を始めた。彼の声には緊張感が漂いはじめる。
「蛇の目撃情報は主にこの辺りです」
彼が指す場所は、村から少し離れた川の上流。
村から離れているためか、地図の記載がやや大雑把になっている。
「最近の目撃情報によると、体長は10メートルほど。頭に赤い模様があるそうですね」
シャルは熱心に聞いている。その目は真剣そのもの。
私も、できる限り情報を記憶しようと努めた。
「それと、この蛇は水中だけでなく、陸上でも素早く動けるらしいんです」
「あー、川に近付かなくても襲われた人がいたって言ってたねぇ」
ひと通りの説明を終えると、村長は私たちを見つめた。その目には不安と期待に揺れている。
「どうでしょう。難しい依頼かもしれないですが、いけそうですか……?」
シャルは自信に満ちた笑顔で答えた。その笑顔は太陽のように明るい。
「大丈夫! この子と一緒なら、どんな敵だって倒せるからね!」
彼女は私の肩を叩いた。その衝撃で体が揺れる。思わず息を飲む。
(え? わ、私……?)
村長は驚いたように私を見た。うっ、視線が痛い。
「ほう、君もかなりの実力者なのかい?」
「……!」
私は言葉に詰まる。何と答えればいいのだろう。喉が乾く。
「そりゃーもう! なんならあたしよりもミュウちゃんのが強いからね!」
「ほぉぉ……冒険者は見かけによらないものですね」
そんな村長の反応とシャルの言葉に、頬がカッと熱くなるのを感じる。
そんなシャルは、何事もなかったかのように話を続けた。その声には冒険への期待が溢れている。
「それじゃあ、さっそく調査に向かうよ!」
「ああ、頼みますよ。気をつけて行ってください」
私たちは村長の家を後にした。外に出ると、さわやかな風が頬をなでる。木々のざわめきが耳に届く。
シャルは意気揚々と歩き始めた。
「さあ、ミュウちゃん! 行こう!」
(大丈夫かな……10メートルの大蛇って、かなりの強敵なんじゃ……)
そんな不安を感じつつも、私たちは目撃情報のあった川の上流へと向かっていった。
■
村から森に入り、川に近づくにつれ、水の音が大きくなっていく。
木々の間から、きらめく水面が見えてきた。水の匂いが鼻をくすぐる。
「まずは蛇を見つけよう! 戦う前にこっちから見れたら一番いいけど、ばったり会っちゃったら……そんときはそんときで!」
(ほんとにぃ……?)
シャルの言葉に、私はますます不安になる。背筋に冷たいものが走る。
私たちは慎重に川沿いを歩き始めた。時折、獣の足跡らしきものが見つかる。
しかし大蛇とは関係なさそうだ……。湿った土の匂いが鼻をつく。
「ミュウちゃん、何か気づいたことある?」
シャルの問いかけに、私は首を横に振る。特に変わったことはなさそうだ――
と、その時、私の目に何かが映った。
「……!」
私は急いで前を歩くシャルの袖を引っ張る。
「どうしたの?」
屈んで視線を合わせるシャルに対し、私は黙って近くの木を指さす。
その幹には、深い引っかき傷がついていた。傷から樹液らしきものが滲み出ている。
「おお? これって……動物とか魔物が、縄張りに付ける目印だ」
シャルが木に近づき、傷を観察する。細く、深い傷だ。ちょうど、蛇の牙で突き刺したように。
「すごいね、ミュウちゃん! 良く見つけたよ」
彼女の褒め言葉とワシャワシャ頭を撫でる激しめのスキンシップに、少しだけ誇らしい気持ちになる。
が、同時に大変疲れる。髪がぐしゃぐしゃになるし。
「この木、枯れ始めてる。傷の奥に緑っぽい液もあるし……これを蛇がやったとしたら、毒持ってそうだねぇ。やだなー」
シャルがやれやれと肩をすくめる。言われて観察してみると、滲み出ているのは樹液ではなく毒液のようだ。触らないでおこう。
それから彼女は真剣な表情で周囲を見回した。その目は鋭く、周囲を警戒している。
「そろそろ警戒しないとね。ミュウちゃんも気をつけて」
「……?」
「ほら、さっきまであった獣の足跡みたいなのが消えてるでしょ? 全然気配もしない。
つまり、ここはもうさっきの牙の持ち主の縄張りってこと」
私はなるほどと頷きながら、さらに注意深く周囲を観察し始めた。
木々のざわめきも、鳥のさえずりも聞こえなくなっている。
そうして2人で調査を進めていくうちに、大蛇の痕跡らしきものがいくつか見つかった。
倒れた木、地面についた大きな鱗の跡と、ぬかるんだ窪み。蛇が這ったような、濡れた土の道。
これらの情報から、私たちは大蛇の生態をある程度推測できた。
「どうやら、この蛇は主に水中で生活してるみたいだね。
でも、獲物を追いかけるときは陸上にも出てくる……で、縄張り意識が強い。
水も陸も、このあたり一帯がこいつの縄張りみたい」
シャルの声が森の静寂の中に響く。彼女の言葉に、私も小さく頷く。周囲の空気が妙に重く感じられる。
私も同意見だった。しかし、まだ疑問は残る。
なぜこんな大きな蛇がこの川に現れたのか?
そして、どうやってこれを倒すのかだ。頭の中で様々な可能性が巡る。
そんな思考に耽っていると、突然シャルが立ち止まった。彼女の体が一瞬で緊張し、背筋がピンと伸びる。
「ミュウちゃん、聞こえる?」
シャルの声が、いつもより低く、緊迫感を帯びている。
私も耳を澄ます。すると、かすかに……木の葉がこすれるような音が聞こえてきた。
しかし、風はほとんど吹いていない。不自然な静けさが辺りを包む。
(まさか……!)
私たちは顔を見合わせた。シャルの目に、緊張と興奮が混ざっているのがわかる。私の心臓が早鐘を打ち始める。
その瞬間、轟音とともに巨大な影が立ち上がる。木々が折れる音、地面が揺れる感覚。
土埃が舞い上がり、目が霞む。
「シャアアアア――!」
大蛇の甲高い咆哮が、森全体に響き渡る。その声に、思わず耳をふさぎたくなる。
大蛇が、私たちの目の前に姿を現したのだ。
その姿は、想像を遥かに超えていた。全長10メートルどころか、優に15メートルはあるだろう。
体の太さは樹木ほどもあり、鱗には緑がかった光沢がある。
頭部には確かに赤い模様があったが、それは単なる模様ではなく、まるで炎のように揺らめいていた。
大蛇の目は黄金色で、瞳孔は縦に細く、私たちを冷たく見下ろしている。
その口からは長い舌が覗き、空気を舐めるように動いていた。鋭い牙が光る。
体からは生暖かい蒸気のようなものが立ち上り、周囲の空気を歪ませている。
腐った魚のような異臭が鼻をつく。
「うわっ! デカっ! これもう蛇っていうかちょっとしたドラゴンじゃなーい!?」
シャルが驚きの声を上げる。しかし、その声には恐怖よりも興奮の色が強い。
彼女は素早く背中の大剣を抜く。鞘から抜かれる金属音が鋭く響いた。
「ミュウちゃん、気をつけといてね!」
シャルの警告に、私は我に返る。杖を握る手に力が入る。
大蛇は一瞬私たちを見つめると、突然シャルに向かって突進してきた。その動きは、体の大きさからは想像もつかないほど素早い。
「くっ!」
シャルは間一髪で身をかわす。大蛇の頭が地面にぶつかり、轟音と共に土煙が上がる。
「ミュウちゃん、距離を取って! あたしが引きつけるから!」
シャルの声に、私は急いで後ろに下がる。足元の枝を踏む音が、妙に大きく聞こえる。
シャルは大蛇の周りを素早く動き回り、隙を見つけては剣を振るう。
金属が鱗にぶつかる音が、カンカンと鳴り響く。しかし、鱗は予想以上に硬く、傷つけるのは難しそうだ。
「チッ、硬いなこいつ!」
シャルの苛立った声が聞こえる。彼女の額には汗が滲み、呼吸が荒くなっている。
大蛇は怒りに満ちた目でシャルを追いかけ、時折大きく口を開けて噛みつこうとする。
その度に風を切る音が響き、シャルは間一髪で避ける。
私は少し離れた場所から、必死にチャンスを窺う。シャルを回復する準備はできている。
しかし、このままでは勝ち目がない。いくらシャルを回復しても、相手にダメージが与えられないのでは意味がないのだ。
(どうすれば……)
そう考えていたその時、不意に大蛇の動きが止まった。そして、ゆっくりとこちらを向く。
その黄金の目が、真っ直ぐに私を見つめていた。
(あ――)
時が止まったかのような一瞬の後、大蛇の巨体が私めがけて一直線に突進してきた。
地面が揺れ、風を切る音が耳を劈く。
迫り来る巨大な影が視界を覆い、生暖かい吐息が顔に当たる。
「ミュウちゃん! 逃げて!」
シャルの必死の叫び声が聞こえる。
しかし、私の体は恐怖で硬直し、動けない。
大蛇の大きく開いた口と、そこに並ぶ鋭い牙。滴る毒液。そして、私を飲み込もうとする闇。
(え、私……死っ……?)
目を閉じた瞬間、激しい衝撃が全身を包み込んだ。
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