第47話 再会の時
青白い光が収容所内を包み込んだ。
まるで月光が降り注ぐかのように、柔らかく温かな光が広がっていく。
その光は、冷たい石壁に反射し、幻想的な光景を作り出す。
空気が揺らぎ、かすかな魔力の波動が感じられる。
「な、何だこの光は!?」
兵士の驚愕の声が響く中、私は魔力を解き放った。
「大いなる陽よ。創命の水よ。魔導王の名において、我が呼びかけに答えたまえ」
私の声が、静かに、しかし力強く響く。
周囲の空気が震え、魔力の密度が高まっていく。
「叡智を以って、諍いの波紋を消し去ろう。天へと至る刹那にて、御手によりて魂を招かん――全体完全回復魔法!」
体力と精神力の両面を、できる限り回復させる魔法だ。
体の中から魔力が溢れ出し、周囲に広がっていく。まるで体中の血液が沸騰しているかのようだ。
光は瞬く間に収容所全体に行き渡った。
壁や床に反射して、まるで海の底にいるかのような光景を作り出す。
空気中に魔力が充満し、肌がピリピリとする感覚。
「うっ……!」
魔力の消費に膝が震える。全身から汗が噴き出し、服が肌に張り付く。
でも、まだだ。もう少し……!
周囲の囚人たちから驚きの声が上がる。
その声は、希望と驚きが入り混じったものだった。
「お、おい! 怪我が消えていくぞ……!」
「痛みが……なくなった……」
「なんだ、この温かさは……」
囚人たちの体から傷が消えていく。
骨折していた腕がまっすぐに伸び、切り傷は跡形もなく癒えていく。
それだけではない。
長年の拷問や過酷な労働で疲弊していた体に、再び力が戻っていくはずだ。
「くっ……」
魔力の消費が激しい。視界が揺らぎ始め、耳鳴りがする。
「何だこの感じ……心が軽くなるようだ」
「懐かしい……家族の顔が……」
囚人たちの顔に活力が漲っていく。失われていた精神力が回復しているためだ。
絶望に満ちていた目に、再び希望の光が宿る。
その瞬間、私の意識が遠のいていく。体から力が抜け、膝から崩れ落ちる。
「ミュウ!」
リンダの声が聞こえる。その腕に支えられ、私はゆっくりと目を開けた。
視界がぼやけ、頭がクラクラする。
周囲は騒然としていた。
回復した囚人たちが次々と立ち上がり、戸惑う兵士たちを取り囲んでいく。
怒号と混乱の渦が広がっていく。
「もうこんなところにいられるか!」
「調子に乗りやがって! 俺は犯罪者じゃねぇ!」
「何だこいつら! こ、これは反乱か!?」
「応援を呼べ! 早く!」
兵士たちの焦りの声が響く。
しかし、その声はすぐに囚人たちの怒号にかき消された。
金属がぶつかる音、怒号、悲鳴が入り混じり、収容所全体が混沌に包まれる。
囚人たちは素手で、あるいは近くにあった物を武器に、兵士たちに襲いかかっていく。
椅子や食器が飛び交い、壁に叩きつけられる音が響く。
……や、やばい。魔法が効きすぎているような気がする……!?
「何やってんの!? とにかく今のうちに逃げるわよ!」
リンダが私を抱えるようにして走り出す。
その背中越しに、囚人と兵士の激しい争いが見える。血の匂いと、汗の臭いが鼻をつく。
「待て! 逃がすな!」
後ろから追いかけてくる兵士の声。
でも、その兵士はすぐに囚人たちに取り押さえられた。床に倒れる音と、悲鳴が聞こえる。
「行け! 逃げろ!」
囚人の1人が叫ぶ。その声に、胸が熱くなる。感謝と申し訳なさが込み上げてくる。
リンダは私を抱えたまま、迷路のような通路を駆け抜けていく。
足音が石の廊下に響き、息遣いが荒くなる。
警報の音が鳴り響き、至る所で争いの声が聞こえる。
「くそっ、出口はどこよもう……!」
リンダが焦りの声を上げる。そのとき、
「こっちだ! 早く!」
見知らぬ男性の声。そちらを向くと、1人の中年の男性が手招きしていた。
髪は薄く、顔には深いしわが刻まれている。しかし、その目は鋭く、知性を感じさせる。
「あなたは!?」
リンダが警戒の目を向ける。彼女の体が緊張で硬くなるのを感じる。
「説明している暇はない。早く来い! ここから脱出できる」
男性は私たちを促し、狭い通路へと案内していく。壁に手をつきながら、慎重に進む。
リンダは一瞬迷ったが、すぐに男性の後を追った。
狭い通路を抜けると、そこには小さな扉があった。錆びついた扉が、かすかにきしむ音を立てる。
男性がその扉を開けると、外の空気が流れ込んでくる。
新鮮な空気が肺に入り、生き返るような感覚。
「さあ、早く!」
男性に促され、私たちは扉をくぐった。外の風が肌を撫で、疲れた体を冷やしていく。草の匂い、土の香りが鼻をくすぐる。
「はぁ……はぁ……」
リンダが私を地面に下ろし、大きく息を吐く。冷たい地面が、火照った体を冷ましてくれる。
私は少しふらついたが、とりあえず立っていることくらいはできそうだ。
足がガクガクと震え、全身の筋肉が悲鳴を上げている。
「無事に出られたみたいね」
リンダの声には、安堵と疲労が混じっている。
「ああ。だが油断は禁物だ。ここから先は茂みに隠れて進もう」
男性が周囲を警戒しながら言う。その目は鋭く、遠くを見据えている。
「そうね。でも、その前に……あなた、誰なの?」
リンダが男性を見つめる。緊張が漂う空気。
男性はしばし黙った後、静かに口を開いた。
「私は……しばらく前に帝国の大臣をしていた者だ。名前はロイド」
その言葉に、空気が凍りつく。
「だ、大臣!? そんな人がなんでこんなとこにいたのよ!?」
リンダが驚きの声を上げる。その声に、鳥が驚いて飛び立つ音がする。
「皇帝に意見をした。他国を侵略したり、聖女と呼ばれる人間を拉致したり……あなたは乱心していると」
ロイドの声には、悔しさと怒りが滲んでいる。
「……それで収容所送り? グレイシャル帝国ってどんだけイカれてんのよ」
リンダが私を背負い、3人で茂みの中を進んでいく。
草木が体をこする音、足音を消そうと慎重に歩く足音。
遠くで警報の音が鳴り響いているが、次第にその音も小さくなっていった。
■
木々の間から差し込む日差しが、私たちの顔を照らす。
その光は暖かく、肌に心地よい温もりを感じさせる。
昼どきの森は静かで、時折小鳥のさえずりだけが聞こえてくる。
その鳴き声は、まるで私たちの緊張を和らげるかのよう。
さっきまでの混沌と騒乱が夢の中の出来事のように思える。
茂みをかき分けて進むたび、葉の擦れる音が響く。
その音は、私たちの足音を隠してくれているようで少し安心感がある。
濡れた土の匂いが鼻をくすぐり、森の生命力を感じさせる。
「ここまで来れば、しばらくは大丈夫だろう」
ロイドが立ち止まり、周囲を見回す。
年齢によらず、その目は鋭い。長年の経験が、その眼差しに宿っているようだ。
リンダが私を優しく地面に下ろす。
柔らかな苔が、疲れた体を受け止めてくれる。ちょっと寒いけど……。
「ふぅ……少し休憩しましょう」
リンダの声には疲労が滲んでいる。
額に浮かんだ汗が、日差しを受けてきらりと光る。
その光景に、彼女の頑張りを感じた。前衛でもないのに運ばせてごめんなさい……。
「ああ、そうしよう。それに……」
ロイドが私たちを見つめる。その目には、好奇心と警戒心が混ざっているようだ。
「2人の事情も聞かせてもらいたい」
リンダが小さくため息をつく。その息は、白い霧となって空中に消えていく。
「まーそうね……どこから説明したもんかしら」
リンダは自分がどうしてグレイシャル帝国に来たのか、そして投獄された私を助けてくれた経緯を簡潔に説明した。
話す間、周囲の空気が少しずつ変わっていくのを感じ、ロイドの表情が徐々に変化していく。
「なるほど……この子が、他国から拐われた聖女の1人か……」
ロイドの言葉に、私は思わず身を縮める。
注目されるのは相変わらず嫌いだ。体が小さくなっていくような錯覚がする……。
「ねえ、あなたも私たちに話してくれるかしら? グレイシャル帝国の内部事情とか。この国いったいどうなってるわけ?」
リンダの問いかけに、ロイドは深くため息をつく。
その表情には、深い悲しみが浮かんでいた。
「……皇帝は、変わってしまった」
ロイドの声は低く、重々しい。その声に、過去の栄光と現在の苦悩が滲み出ている。
「数年前まで、グレイシャルは平和な国だった。いつでも雪の止まない厳しい環境ではあるが、国民が食っていけるだけの食糧は収穫できた。
しかし、ある日突然……皇帝の態度が豹変したんだ」
木々を揺らす風の音が、一瞬の沈黙を埋める。
「聖女アリアが現れてからだ」
その名前を聞いた瞬間、私の背筋に悪寒が走る。まるで氷の刃が背中を這うような感覚だった。
「アリアの出現と共に、皇帝の狂気じみた政策が始まった。
他国への侵略、重税、そして……聖女狩りだ」
リンダが息を呑む音がする。その言葉に、空気が凍りつくのを感じる。
「その聖女狩りってなんなの? どれくらい捕まってるわけ?」
「アリアが、他の聖女の存在を嫌がったからだと聞いた。真の聖女は自分だけだと。
私が知っている限りでも22人。私が収容所に入ってからも続いていただろうから、今となってはもう100人を越えていてもおかしくはないだろう。
連れてこられた聖女は、皆あっという間に処刑されていった」
ロイドの言葉に、私たちは言葉を失う。森の静けさが、さらに深まったように感じる。
鳥のさえずりも止み、風の音さえ聞こえなくなったかのよう。
「私は……皇帝に諫言した。しかし結果は……」
ロイドは自嘲気味に笑う。その笑みには、痛々しさが滲んでいる。
長年の苦悩が、その表情に現れていた。
「ねえ……その聖女アリアって、本当に聖女なの? どうかしてるじゃない」
リンダの声には、怒りと戸惑いが混ざっている。
ロイドは一瞬言葉を詰まらせた。その表情に、複雑な思いが浮かぶ。
「……正直、わからない。しかし、彼女には確かに常人離れした力がある。それは間違いない。
それと、聖女アリアは100年前に――」
話し込んでいるうちに、お腹が鳴る音が聞こえた。
……あ。私だ……。顔が熱くなるのを感じる。
「ふっ……もうお昼時ね。何か食べましょうか」
リンダの声には、優しさが宿っていた。
「何もないぞ。お前さんら囚人だろう……さて」
ロイドが立ち上がる。その動作には、まだ若々しさが残っている。
「このまま森を抜けて、次の町を目指そう。まずはそこで服を手に入れなければ」
そうして立ち上がり、歩き始めたその時だった。
「そこまでだ! 止まれ!」
鋭い声が響き渡る。私たちは驚いて振り返る。心臓が高鳴り、一瞬にして緊張が走る。
そこには、十数人の兵士たちがいた。茂みを掻き分け、続々と甲冑姿の人間が現れる。
その金属音が、森の静けさを破る。
中心に立つ一人の男性が冷ややかにこちらを見つめていた。その眼差しに、殺気を感じる。
「聖女に、元大臣のロイドか。よくもここまで騒ぎを起こしてくれたな。だが、ここまでだ」
男性の声には殺気が漂っている。
他の兵士に比べても、さらに白く輝くような鎧を身に着けていた。
「……神聖騎士団。聖女狩りのために組織された連中だ」
ロイドが唇を噛む。その声には、怒りと恐れが混ざっている。
リンダは私の前に立ち、守るような姿勢をとる。彼女の背中から、緊張が伝わってくる。
「もう逃げられんぞ。お前たちを捕らえたら次はあの収容所から逃げた奴らを捕まえる。
そしてその次は処刑だ。貴様らは帝国の秩序を乱す悪だからな!」
……MPはもうほとんどない。体の中の魔力が枯渇しているのを感じる。
ロイドも武器は持ってないし、リンダも潜入にあたって杖を置いてきている。
どうしよう。戦う手段がない……! これじゃ、ホントに捕まってしまう……!
絶望感が体じゅうに押し寄せる中、突如として森の向こうから轟音が響き渡った。
その音は、大地を揺るがすほどの衝撃を伴い、周囲の小鳥たちが驚いて飛び立つ。
「どりゃあああっ!」
その声とともに、青白い光が森を切り裂くように走る。
木々を薙ぎ倒し、光の刃が波動となって飛んでくる。空気が振動し、耳を劈くような音が響く。
その声とその光は、私の心の奥底に眠っていた希望を一気に呼び覚ました。
体中に電流が走ったかのような感覚。この声は。この光は……!
「チッ……何だ!?」
神聖騎士団の男が振り返り、腰から剣を抜き波動を受け止める。
その瞬間、赤い髪をなびかせた人影が飛び上がり、騎士に二撃目を加えた。
剣と剣の間に火花が散り、金属の擦れる音が耳に突き刺さる。
「あいつは……っ!?」
リンダが思わず叫ぶ。私の目に涙が浮かび、視界が滲む。
まさか、本当に……。心臓が高鳴り、体が熱くなる。
「――シャル!」
「待たせたね、ミュウちゃん!」
神聖騎士団の男が、シャルの剣ごとその体を空中に弾き飛ばす。
シャルはそのまま木の幹を足場に跳躍し、私のすぐ目の前に着地した。
地面の雪が舞い上がり、冷たい風が頬を撫でる。
その姿が、舞い上がる雪がスローに見えた。
シャルの体から発する熱が、私に伝わってくる。
「ミュウちゃん」
シャルの声が穏やかに響く。その声は、これまでの不安や恐怖を一掃するかのようだった。
まるで暖かな毛布に包まれたような安心感が全身に広がる。
私は立ち上がろうとするが、疲労で足がもつれる。
それでも、シャルに向かって手を伸ばす。指先が震え、空気を掴むように動く。
「ごめんね、遅くなっちゃって!」
シャルが近づいてくる。その目には涙が光っている。
太陽の光を受けて、その涙が宝石のように輝く。
「でも大丈夫、もう絶対に離さないから!」
シャルの言葉に、私の中で何かが崩れる。
これまで必死に堪えていた感情が、一気に溢れ出す。喉の奥がつまり、言葉が出てこない。
「シャル……」
かすれた声で、やっとの思いで言葉を絞り出す。その一言に、全ての思いを込める。
シャルが私を抱きしめる。その温もりに、全てを委ねる。
シャルの体温が、凍えていた私の体を温めていく。
「よく頑張ったね、ミュウちゃん。もう大丈夫だよ」
シャルの声が耳元で優しく響く。その言葉に、これまでの緊張が一気に解ける。
目が熱くなって、涙がこぼれてくる。塩辛い涙が頬を伝い、唇に触れる。
「お、おい! なんだこいつらは!?」
「冒険者だと!? 止まれ、帝国に逆らう気か!?」
私達を包囲していた兵士たちが、武装した冒険者に襲われる。
金属がぶつかり合う音、怒号、悲鳴が入り混じり、森全体が騒然となる。
シャ、シャルが連れてきた助っ人だろうか……?
周りでは戦いが続いているが、もはやそれさえも遠い世界の出来事のように感じていた。
シャルの存在だけが、今の私にとっての全てだった。
「さあ。反撃開始だよ、ミュウちゃん」
シャルの声に力強さが戻る。その目には、燃えるような闘志が宿っている。
「……うん!」
私は小さく、しかし確かな声で答えた。
ついにシャルとの再会……!
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