第44話 雪の村の聖女
暖炉の火が、優しく部屋を照らしている。
その温もりが、凍えた体に染み渡る。
火のはぜる音と、木材の香りが、安らぎを与えてくれる。
「ふぅ……」
思わず漏れた溜め息が、白い霧となって空中に消えていく。
村人たちが用意してくれた毛布にくるまり、私は静かに息をついた。
毛布の柔らかな感触が、凍えた肌を優しく包み込む。
隣では、リンダが大きなマグカップを両手で包み込むように持ち、熱い飲み物をすすっている。
その香りが、部屋中に広がっていた。
ハーブティーの甘い香りと、蜂蜜の風味が鼻をくすぐる。
「あ゛~まったく……死ぬかと思ったわ」
リンダの声には疲れが滲んでいたが、同時に安堵の色も見える。
彼女の長い銀髪は、まだ所々に雪の結晶が残っていた。
髪から落ちる雪解け水が、床にポタポタと落ちる音が聞こえる。
「お2人とも、本当に大丈夫ですか?」
村長らしき老人が、心配そうに私たちを見つめている。
どうやら本当に心配してくれている……ように見える。
村長の目には、年月を感じさせる深いしわが刻まれていた。
「ええ、ありがとうございます。おかげさまで……」
リンダが丁寧に答える。私は小さく頷くだけだった。喉が乾いているのを感じる。
「そうですか、よかった。しかし大変な目に遭いましたね……」
村長は少し言葉を選ぶように間を置いた後、続けた。
長年の苦労が滲んでいるような声だ。
「最近、こんな異常な吹雪が増えてきて……皆、困っているんです」
その言葉に、部屋の空気が少し重くなる。
窓の外では、まだ風の唸り声が聞こえていた。
「ええ、私たちも驚きました。こんな吹雪、普通じゃありませんよね」
リンダの言葉に、村長は深くため息をついた。その息が、白い霧となって立ち上る。
「ええ。今年は特に酷くて……作物の収穫も減り、家畜も弱っています。
それなのに、帝都への上納金は増える一方で……」
村長の声には、深い疲労が感じられる。
リンダは眉をひそめ、何か言いかけたが、結局黙ってしまった。
部屋の空気がさらに重くなる。
そんな中、一人の青年が部屋に駆け込んできた。厚手のコートを着た茶髪の男の人だ。
ドアが勢いよく開く音が、静寂を破る。
「村長! またヨナおじいちゃんが具合悪くなって……!」
「なんだって!? くっ……もう薬もないのに……!」
青年の切迫した様子に、村長は立ち上がりかけた。
しかし、リンダが彼を制した。彼女の手が、村長の肩に置かれる。
「待ってください。この子なら、きっと助けられますよ」
「!?」
リンダが私を指差す。突然の出来事に、私は戸惑いを隠せない。
「え? この子が?」
村長が驚いた様子で私を見る。その目には、疑いと希望が混ざっていた。
「ええ。この子は並外れた回復魔法の使い手なんです。
凍傷なんて、一瞬で治せますよ。……そうよね? ミュウ」
リンダの言葉に、村人たちの目が輝いた。彼女の鋭い視線が突き刺さる。
いや、まあ、できるけど……!
でも私今までずっとあなたを回復しててMPも結構使ったんだけど……。
「本当ですか!? お願いします、ヨナおじいちゃんを助けてください!」
青年が私に懇願する。その目には、必死の思いが込められていた。その声に切迫感が滲んでいる。
私は小さく頷くと、立ち上がった。こうなってしまった以上は仕方がない。
体力が万全とは言い難いが、やるしかないだろう。
足元がふらつくのを感じながら、私は歩き出す。
案内されるまま、私は小さな家に入った。そこには、老人が苦しそうに横たわっていた。
その手足は、ひどい凍傷で変色していた。
部屋には、薬草の香りと、病人特有の匂いが漂っている。
(……大丈夫。冒険者の傷に比べれば全然治しやすい)
私は深く息を吸い、老人に近づいた。
両手を広げ、魔力を集中させる。
青白い光が、私の手から溢れ出す。
その光が老人を包み込み、凍傷の色が徐々に薄れていく。
光の温かさが、部屋全体に広がる。
杖が取られてるせいで、手で触れないと指向性が絞れないのが難点だ。
今の状態じゃ、戦いの場では役に立てないだろう……。そんな思いが頭をよぎる。
「う、嘘だろ……」
青年が驚きの声を上げる。老人の肌の色が正常に戻り、呼吸も落ち着いてきた。
凍傷で硬くなっていた皮膚が、柔らかくなっていくのが見える。
「お、おじいちゃん!」
青年が老人に駆け寄る。
老人はゆっくりと目を開け、周囲を見回した。その目に、生気が戻っていく。
「む? わしは……」
「良かった……! 本当にありがとうございます!」
青年が私に深々と頭を下げる。
その様子を見ていた村人たちも、驚きと喜びの声を上げた。部屋中に、歓声が響き渡る。
そして、その噂はまたたく間に村中に広がった。窓の外から、興奮した村人たちの声が聞こえてくる。
「回復士が来てくださったんだって!」
「どんな病気も一瞬で治せるんですって!」
(なんか一瞬で話が盛られてる!?)
村人たちの興奮した声が、あちこちから聞こえてくる。
そして、次々と病人や怪我人が私のもとにやってきた。ドアが開け閉めされる音が絶えない。
「どうか、私の娘を……」
「この傷、治していただけませんか」
次々と寄せられる願いに、私は黙々と応えていく。
治療を終えるたびに、感謝と喜びの声が上がる。
魔力を使い続けるせいで、少しずつ疲労が蓄積されていくのを感じる。
そんな中、リンダがにやにやとしながら歩いてきて、私の耳元でささやいた。
彼女の吐息が耳にかかり、びくっと背筋が跳ねる。
「さすが聖女様ね? 相変わらず、憎たらしいくらい強いヒールだわ。しかも無詠唱で……」
その言葉に、私は喜んでいいやら怖がっていいやらで困らされた。
相変わらずリンダは私をライバル視しているっぽい……。
そんな私たちの前に、再び村長が現れた。彼の足音が、床板を軋ませる。
「本当にありがとうございます。皆、どれほど救われたか……」
村長の目に、涙が光っていた。その姿を見て、私はこれまでの町や国を思い出す。
ラーナの村でもこんなだった。
ひどい国に思えても、そこに暮らす人たちは普通の人と同じなんだ。
(……シャル)
村の風景を思い浮かべると、同時に思い浮かぶのは彼女の姿だ。
会いたい。また彼女と無事に。
きっと無事でいてくれると信じているが……。胸が締め付けられるような感覚がする。
しかし、そんな感傷もつかの間。
突然、建物の外から騒がしい声が聞こえてきた。
馬の蹄の音と、金属の鎧がぶつかり合う音が、静かな村に響き渡る。
「神聖騎士団だ! 騎士が来たぞ!」
その声に、村全体が緊張に包まれた。
リンダが私の手を強く握る。その手に、冷や汗が滲んでいるのがわかる。
「まずいわね。どっか隠れないと……!」
リンダの声に、私の心臓が早鐘を打ち始める。
突然の騒ぎに、リンダの表情には焦りが浮かんでいる。
彼女の銀髪が、急な動きに揺れる。
「くっそ、まさかここまで追ってくるなんて……!」
リンダが低い声で呟く。その声には、恐怖と怒りが混じっていた。
その時、村長が慌てた様子で近づいてきた。彼の足音が、木の床を軋ませる。
「お2人とも、こちらへ!」
村長は私たちを小さな扉の前に導いた。
錆びた蝶番が、不吉な音を立てる。それを開けると、そこには狭い地下室への階段があった。
埃っぽい空気が、鼻をくすぐる。
「ここに隠れていてください。見つかることはありません、きっと……」
私たちは急いで地下室に潜り込んだ。扉が閉まると、周囲は暗闇に包まれた。
湿った土の匂いが鼻をつく。
暗くて見づらいが、何かの荷物が置かれている場所だった。
木箱や布袋の輪郭が、かすかに見える。
かなり遠くから、重い足音と甲冑のきしむ音が聞こえてくる。
その音が徐々に近づいてくる。そして、低い男性の声がくぐもって響いた。
「我々は皇帝陛下より聖女狩りの命を受けている。この村に逃げ込んできた者は潜んでいないか?」
「いいえ、ここには何も……」
村長の声が聞こえる。その声には、かすかな震えが混じっていた。恐怖が伝わってくる。
「本当か? 嘘をつくと、どうなるか分かっているな?」
騎士の声が、さらに厳しさを増す。
その声に、威圧感が滲んでいる。私の心臓が大きく跳ねる。
「ご、ご心配なく。この村には何も……」
「おい、そこの家から光が漏れていたぞ!」
別の騎士の声が響く。私とリンダは、思わず息を呑んだ。リンダの手が、私の腕をきつく掴む。
「あ、あれは……」
村長の困惑した声。そして、ドアを開ける音。
彼らの足音や声が一段と鮮明になる。木の床を踏む重い足音が、地下室にまで響いてくる。
「なんだこれは? 大勢の村人が集まっているじゃないか」
「これは……」
「村長、説明しろ」
厳しい声に、村長は言葉を詰まらせる。そして、
「じ、実は……回復士の方が、私たちの病を癒してくださったのです」
村長の言葉に、私は思わず目を見開いた。
リンダが私の手を強く握る。その手は冷たく、震えている。
「回復士だと? どこにいる?」
「い、いえ、もう行ってしまわれました。私たちを治療してくださった後、すぐに……」
「嘘を言うな!」
鋭い声と共に、何かが倒れる音がした。村人たちの悲鳴が聞こえる。
木材が割れる音、金属が床に落ちる音。混乱の中、赤ん坊の泣き声も聞こえてくる。
「お、落ち着いてください! 本当に、もういないのです!」
村長の必死の声。しかし、騎士たちは聞く耳を持たないようだ。
「村中を捜索しろ! 逃げた聖女を見つけ出せ!」
「おい、やめろ! いくらなんでも横暴だぞ!」
「黙れ!」
その声と共に、さらに大きな物音が聞こえてきた。
家具を倒す音、扉を開け閉めする音。村人たちの悲鳴や抗議の声。
騒々しい音が、地下室にまで響いてくる。
私は身を縮めながら、リンダを見た。彼女の顔は青ざめている。
薄暗い中でも、その表情の緊張感が伝わってくる。
「……今は動けないわ。見つかったら終わりよ」
時間が過ぎていく。上からは相変わらず騒がしい音が聞こえてくる。
どれくらい経っただろうか。突然、私たちのいる地下室の扉が開いた。
「ここも調べろ」
冷たい声と共に、光が差し込んでくる。
私とリンダは息を殺し、奥の荷物の影に身を寄せた。
埃っぽい布の感触が、肌に触れる。
足音が近づいてくる。心臓の鼓動が耳に響く。
その音が、周囲の喧騒をも打ち消すほどに大きく聞こえる。
そして――
「――ここには誰もいないようだな」
「そうか。次だ」
扉が閉まる音。私たちは、やっと息を吐いた。
その息が、静寂の中でやけに大きく聞こえる。
しばらくして、上の騒ぎが収まってきた。そして再び、扉が開く。
「もう大丈夫です。出てきてください」
村長の声だった。私たちはおそるおそる地下室から出た。
村の中は、騎士団の乱暴な捜索の跡が残っていた。
倒された家具、散らかった物々。村人たちの疲れた表情。
壊れた窓からは、冷たい風が吹き込んでいる。
「申し訳ありません。皆さんを危険な目に遭わせてしまって……」
リンダが深々と頭を下げる。村長は首を振った。
「いいえ。むしろ、私たちこそお詫びしなければ。助けてくれたあなた方を危険にさらすところでした」
私は小さく首を振る。先に助けてくれたのは彼らだ。
それにしても、自国の民にまでこんなことをするなんて……。
私の中で、嫌な感覚が広がっていく。
「……しかし、騎士の連中はなんだって聖女狩りなんて意味のわからないことをしてるんだ?
普通の回復士すらたまに捕まるそうじゃないか」
「さぁねえ。急に皇帝のガルスバイトが始めたとしか……」
村人たちの迷惑そうな雑談が聞こえてきた。
皇帝ガルスバイト……。その人がこの「聖女狩り」を……?
「そういえば……あなたのお名前をお聞きしても?」
「あっ、え……」
「ミュウよ。この子の名前はミュウ。お察しの通り、あいつらが探してる聖女ってのはこの子ね」
な、なんでバラしちゃうの! 村人はざわついて私を見る。気まずい……!
「なるほど、彼女が国の外の聖女なのか……」
「道理ですごいわけだ」
「……なるほど。ならば、ここに留まるのは危険です。できるだけ早く、この帝国を出たほうがいい」
その村長の言葉に、私は首を横に振った。
「……まだ、だめ……です」
「え?」
リンダが驚いた声を上げる。
「あなた何言ってるのよ。このままじゃ捕まっちゃうでしょ! さっさと逃げるわよ」
苛立たしげな声が響く。それでも、私は引き下がらない。
「シャルを、探さないと。一人では逃げられない」
リンダは私の反論に驚いた顔を見せた。それからため息を吐く。
「ギルドにいたあの陽キャ剣士ね。でも、どこにいるか分からないんでしょ?
騎士団に追われてる最中のあなたに、探せるとでも思うの?」
「…………」
村長とリンダは、困惑した表情で私を見つめた。しかし、私の決意は固かった。
たとえ難しくても、絶対にシャルを見つけて再会する。それ以外の選択肢はない!
「……ふん、生意気ね。いつの間にか、しっかり自己主張するようになったじゃない」
リンダが諦めたように言う。それから、私を咎めるように頭をぐしゃぐしゃ撫でた。頭が揺れる。
「……っ!?」
「じゃあ、あたしも付き合うわ。あんた一人じゃ、すぐ捕まりそうだし」
「……! あ、ありが……とう」
「うっさい! 感謝するな!」
なっ、なんで……!? 私はちょっと目尻の涙を拭う。
村長は深いため息をついた後、ゆっくりと話し始めた。
「分かりました。ではせめて、明日までここでゆっくり休んでください。そして……」
彼は地図を広げた。古い羊皮紙の匂いが、鼻をくすぐる。
「こことここに、帝国軍の拠点があります。おそらく、捕虜がいるならばそこに……」
私とリンダは、帝国領のその地図を真剣に見つめた。
……捕虜。嫌な響きだが、シャルもそうなっているのかもしれない。
(シャル、待っていて。必ず会いに行くから――)
外では、まだ冷たい風が吹いていた。
しかし、その風に乗って、かすかな希望の香りがするような気がした。
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