第41話 夢から醒める国
柔らかなシーツの感触。そして、ほのかに漂う花の香り。
ゆっくりと目を開けると、そこは見慣れない白い部屋だった。
窓から差し込む柔らかな光が、部屋全体を明るく照らしている。
カーテンが風に揺れ、さわやかな空気が流れ込んでくる。
「あ、ミュウちゃん! 目、覚めた?」
シャルの声に、私は顔を向ける。
彼女は椅子に座り、心配そうな表情で私を見つめていた。
彼女の手が私の額に置かれ、その温もりが伝わってくる。
「……」
私は小さく頷く。
喉の渇きを感じると、シャルは急いで水を差し出してくれた。グラスの冷たさが心地よい。
「ゆっくり飲んでね。もう大丈夫だよ」
水を飲み終えると、少し体力が戻ってきた気がする。喉の痛みも和らいだ。
「ここは……?」
かすれた声で尋ねる。部屋の壁には見慣れない絵が飾られている。
「エテルナの病院だよ。夢喰らいを倒した後、ミュウちゃんが気絶しちゃって。あたしが運んできたんだ」
シャルの説明に、私は小さく頷く。
そういえば、遺跡で夢喰らいと戦っていたんだった。
その記憶が、少しずつ鮮明になってくる。
「びょ、病気は……?」
心配そうに尋ねると、シャルの目が輝いた。
「あ、そうそう! ミュウちゃんが夢喰らいを封印したおかげで、街中の人が一気に回復したんだって! すごいよね!」
シャルの笑顔に、私も少し安心する。
窓の外から、街の賑やかな声が聞こえてくる。
「……よかった」
小さな声でそう呟くと、シャルは突然立ち上がった。椅子が軋む音がする。
「あ、そうだ! 評議会の人たちに連絡しないと。ミュウちゃんが目覚めたって」
「……?」
シャルは少し困ったような、苦笑の顔を浮かべた。
その表情に、何かいやな予感がする。
「いやー……あはは。ま、割といつものだよ、聖女さん」
「……!」
シャルの言葉で、私はすばやく確信した。また……! またいつもの聖女認定か……っ!
「ミュウちゃんのこと、みんな『夢癒やしの聖女』って呼んでるんだよ。
ちなみにあたしは『紅蓮の剣士』だって! 炎とか出してないんだけどね、あっはっは!」
シャルは嬉しそうに話す。その表情には、少しばかりの誇らしさも混じっている。彼女の声が部屋中に響く。
「……!」
私は言葉に詰まる。いつものことながら、急に注目を浴びることに強い不安を感じる。
これなら蔑まれてたほうがまだちょっと気が楽かもしれないよぉ……。体が小さく震える。
そんな私の様子を察したのか、シャルは優しく微笑んだ。
彼女の手が、そっと私の手を包む。
「大丈夫だよ、ミュウちゃん。みんなただ感謝したいだけなんだから。怖がることないよ」
シャルの言葉に、少し安心する。しかし、まだ胸の中にモヤモヤとした感情が残る。
そんな時、部屋のドアがノックされた。木の扉を叩く、控えめな音。
「失礼します」
入ってきたのは、エテルナの評議会の一人だった。あの議会で顔を見た気がする。
彼は丁寧に頭を下げると、私たちに向かって話し始めた。
その声は落ち着いていて、どこか威厳を感じさせる。
「お2人のおかげで、我々の街は救われました。心から感謝申し上げます」
「いいっていいって! それに、結構乱暴なやり方しちゃったし」
シャルの明るい声に、私は思わずハッとする。
そ……そうだよ! ちょっと忘れかけてたけど、私たちエルフの禁忌の地に勝手に踏み入って大暴れしてたよね!?
あれって大丈夫なのかな……冷や汗が背中を伝う。
「いえ。おかげで目が覚めました。
伝統を守ることは大切ですが、それに固執するあまり民たちを危険に晒した……評議会でも、大いに反省しています」
お、おお……好意的に受け止めてくれてよかった。
けど少し間違えたら追放だったよ、私たち……!
「評議会では、お2人に正式な感謝の意を表したいと考えております。
よろしければ、後ほど評議会にお越しいただけますでしょうか」
「うん! ミュウちゃんが歩けるようになったらね」
シャルが快諾する。私はただ黙って頷くしかできない。
評議会という言葉に、緊張が走る。
「それと……」
評議員は少し言葉を躊躇う。その表情に、何か不安な予感がする。
「街の人々が、お2人のためにパレードを準備しているんです。
英雄を讃えるためのものなんですが……」
「えっ、すご! ねえミュウちゃん、パレードだって!」
「……!?」
シャルは興奮気味に私の手を握る。その手の力強さに驚く。
しかし、私の頭の中で警報が鳴り響いた。
(パレード? ……パレード!? そ、そんな、無理無理無理……!)
私は必死に首を横に振る。それはもう何度も何往復も振りまくる。
首の筋肉とか頭が痛くなるほど。
「め、めっちゃ嫌がってる! そんなにだめかな?」
(だめどころの騒ぎじゃないよ! そんなの公開処刑と変わらないよ!)
なんであんなに頑張った末に処刑されなければならないのか。
しばらく頭を振っていたらなんかくらくらしてきた……。
頭からシーツを被る。柔らかな布地の中に身を隠す。
「ああっ、ミュウちゃんが隠れちゃった! ミュウちゃん! 出ておいでーっ! ちょ……つ、強い! 火事場の馬鹿力!?」
シャルが私が隠れるシーツを引っ張ろうとするが、私は必死にシーツを掴み続ける。ぐぬぬ……!
「あ、あの……」
「あ、ごめんね。ミュウちゃんはあまり人前に出るのが得意じゃないんだ。やっぱりパレードはナシで!」
シーツの外で、シャルはやんわりと断ってくれていた。
はぁ、よかった……。安堵の息が漏れる。
「わかりました。では、別の形で感謝の意を表させていただきます」
評議員が去った後、部屋に静寂が訪れる。
扉が閉まる音が聞こえる。私はシーツを掴む力を緩めた。
「はぁ、はぁ……」
私は荒い息を整える。胸が激しく上下する。
シーツからちらりと外を覗くと、そこには不敵な笑みを浮かべたシャルの姿があった。
その目が、何かを企んでいるように輝いている。
「ミュ~ウ~ちゃ~ん?」
「……っ?」
すると……シャルがこちらに襲いかかってきた!
シーツをめくられ、脇腹をくすぐられる。……!!
「っ、あっ……! や、やめ……っ、あはっ、ははっ」
思わず笑い声が漏れる。くすぐったさで体が跳ねる。
「病み上がりなのに暴れちゃだめでしょ~! そんな子はこうだぞ!」
(や、病み上がりをくすぐるのはいいの……!?)
私はベッドの中で笑いながら、弱々しく抵抗していた……。
シャルの指が脇腹を這う感触に、くすぐったさと同時に温かさも感じる。
窓の外では、鳥のさえずりが聞こえ、新しい朝の訪れを告げていた。
■
しばらくして、私とシャルは評議会の建物の前に立っていた。
エテルナの中心部に位置するその建物は、相変わらずの巨木だ。
幹の表面には複雑な模様が刻まれ、その年輪が物語るように古代からの歴史を感じさせる。
木の幹に作られた螺旋状の階段を登っていく。
一段一段、足を踏み出すたびに、木の香りが鼻をくすぐる。
風が吹くたび、木々のざわめきが耳に心地よく響く。
「相変わらずすごいねー、この建物!」
シャルの声が、静かな空間に響く。
私も小さく頷く。エルフの建築技術の粋を集めた、まさに自然と一体化した建物だ。
頂上まで辿り着くと、半円状に配置された席にそれぞれの評議員が座っていた。
中心にいるのはエルダー・リーフハート。彼の長い白髪が、夕日に照らされて金色に輝いている。
「ようこそ、英雄たちよ」
彼はいつになく明るい表情で出迎えてくれる。
声には温かみがあり、部屋全体が和やかな雰囲気に包まれる。
他の議員たちの表情は厳かで、しかし温かみのあるものだった。
彼らの目には、感謝と敬意の色が宿っている。
「ミュウ殿、シャル殿」
エルダーが立ち上がる。
彼の声が部屋中に響き渡り、木々がその声に呼応するかのように、かすかに揺れる。
「あなた方の勇気と知恵のおかげで、エテルナは大いなる危機から救われた。我々は心からの感謝を申し上げる。
それと同時に……謝罪を。あなた方の言葉を信じきれず、不十分な協力となってしまったことをお詫びする」
評議員たちが一斉に頭を下げる。
その光景に、私は戸惑いを感じた。頭を下げられるのは苦手だ。
「いやいや、頭なんて下げなくていいって! みんなが無事でよかったよ!」
シャルが明るく返事をする。彼女の声が、緊張した空気を和らげる。
私はただ小さく頷くことしかできなかった。
「あなた方の功績は、永くエテルナの歴史に刻まれることだろう」
エルダーが続ける。彼の声には、深い感謝の念が込められている。
「我々は、あなた方に『エテルナの守護者』の称号を贈りたいと思う」
その言葉に、シャルが目を輝かせる。
「おお! なんかすごそうな称号だね! ねえ、ミュウちゃん!」
私は少し困惑しながらも、再び小さく頷いた。
称号って聖女以外にもあるんだ……。やっぱり慣れない。
胸の中で、複雑な感情が渦巻く。
その後、評議員たちから様々な感謝の言葉を受けた。
中には、夢枯れ病から回復した家族の話を涙ながらに語る者もいた。
その度に、私は胸が温かくなるのを感じた。
誰かの役に立てたという実感が、少しずつ心に染み渡る。
式典が終わり私たちが建物を出ると、そこには大勢の市民が待っていた。
彼らは私たちを見るなり、歓声を上げ始めた。その声が、夕暮れの街に響き渡る。
「聖女様!」
「剣士さん!」
「ありがとうございます! 本当に助かりました……!」
様々な声が飛び交う。シャルは笑顔で手を振っているが、私は常に体が硬直してしまう。
またなんかふらふらしてきたかも……。頭がクラクラする。
そんな中、1人の少女が私に近づいてきた。
彼女は小さな花束を差し出す。花びらが風に揺れ、甘い香りが漂う。
「聖女のお姉さん、ありがとう。おばあちゃんが元気になったの!」
少女の無邪気な笑顔に、私は驚き、思わず顔をほころばせる。
白と黄色の花束を受け取ると、その香りが鼻をくすぐった。
花の感触が、私の手のひらをそっと撫でる。
シャルが私の肩に手を置く。その温もりが、私の緊張をほぐしていく。
「ほら、みんなただ感謝したいだけなんだよ。怖がらなくていいって」
彼女の言葉に、少しずつ緊張がほぐれていく。
周りの人々の笑顔が、少しずつ温かく感じられてくる。
空には夕日が沈みかけていた。オレンジ色に染まる街並みを見ながら、私は過去と現在に思いを馳せる。
……あんな夢を見たせいだろう。風が頬を撫で、懐かしい記憶が蘇る。
それから宿に帰るべくエテルナの中心広場を歩いていると、突然聞き覚えのある声が聞こえた。
「おや、これは偶然だな。ミュウ君、シャル君」
夕暮れ時の空気が少し冷たく、肌を撫でる。
振り向くと、そこにはグラハムが立っていた。
彼の口元には作り笑いが浮かんでいる。その笑顔の下に潜む本心を、私は感じ取ることができた。
ていうか何その「君」付け……。違和感が背筋を走る。
風が吹き、広場の木々がざわめく。
その音が、この場の緊張感を際立たせているようだった。木の葉の香りが鼻をくすぐる。
「グラハム……」
シャルは不満げに彼を睨む。
前回エテルナで会ったときの険悪な雰囲気が、鮮明に蘇る。
空気が重く、息苦しさを感じる。
それから彼女は私の横に立ち、グラハムを警戒するように見つめていた。
彼女の手が、さりげなく剣の柄に触れているのが見えた。
「は……ハッハ、そんなに警戒しなくても。俺はただ、君たちの活躍を祝福しに来ただけだ」
グラハムは両手を広げ、無害を装う。
しかし、その目には計算高い光が宿っていた。
彼の声には、どこか甘ったるさが混じっている。
「聞いたよ。この国の病気をすっかり治したそうじゃないか。
さすがは俺が見込んだ冒険者だ」
彼の言葉に違和感を覚える。私たちを追放したのは彼だろうに……。
「そこでだ。俺の新しいギルドに入ってくれないか?」
グラハムの提案に、私は思わず眉をひそめる。
シャルは黙ったまま、私の判断を待っているようだ。
「俺はエテルナで新しいギルドを立ち上げようとしているんだが、なかなかエルフたちの許可が降りなくてな。
そこでお前たちのような実力者がいれば、きっと評議会も認めてくれるはずだ」
彼の声には、わずかな焦りが混じっている。エテルナでの評判が思わしくないみたいだ。
そこで、エルフたちの評判のいい私たちを抱き込もうとしているようだ。
私はもう一度シャルを見る。だが彼女はこちらを見つめ返すばかりだ。
彼女の目には、信頼の色が宿っている。
「ミュウちゃん、どうする? ミュウちゃんが決めていいよ」
「……!?」
そ、そんな……! どうして急にぃ……。
と思ったが、シャルの表情を見るに、意地悪しているわけではなさそうだ。……はぁ。
深呼吸をすると、木々の香りが心を落ち着かせてくれる。
私は深く息を吸い、ゆっくりと首を横に振った。
「……いやだ」
自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。その声が、広場に静かに響き渡る。
「なっ……!」
グラハムの表情が一瞬歪む。
作り笑いが崩れ、本性が覗く。彼の顔が、夕日に照らされて赤く見える。
「おいおい、考え直せ! 君たちのような力は、組織の中で活かすべきだ。個人では限界がある!」
彼の声が大きくなる。周りの人々が、こちらを振り向き始めた。ざわめきが広がる。
「わ、私は……」
責めるようなグラハムの言葉、何事かと見つめるエルフたちの目に体が痺れる。心臓の鼓動が早くなる。
以前ならここで、諦めて流されていただろう。
だけど今は、もう違う。
私は、以前とは違う自分になりたい……!
「私は……っ、あなたとは組めない……から……!」
私の言葉に、シャルが小さく頷いた。
その仕草に、勇気をもらう。体の震えが少し収まる。
「くっ……」
グラハムの顔が怒りで真っ赤になる。
彼の本性が、完全に現れた。その目は、まるで炎のように燃えている。
「いいか、よく聞け! お前たちが今、評価されているのは、たまたま大きな事件に巻き込まれたからだ。
いつまでもそんな幸運は続かないぞ! いずれ必ず後悔――」
その時、騒ぎを聞きつけて一人の評議員が近づいてきた。彼の足音が、静かな夕暮れの中で響く。
「何か問題でも?」
評議員の声に、グラハムは慌てて表情を取り繕う。冷や汗が彼の額を伝うのが見える。
「い、いえ。何でも……はは」
「エルフの伝統を理解せず、我らの英雄に絡み……どうもあなたは、このエテルナで仕事を任せるに値するとは思えませんな」
「なっ! そ、それは……」
「あなたはこの国から追放します。お引き取りください、ええと……グラムス殿?」
「グラハムだ! 貴様っ……! この田舎者ども! こんな森なんぞこっちから願い下げだ!」
グラハムは私たちに最後の一瞥を送ると、足早に立ち去っていった。
その背中が、夕暮れの影に溶けていく。足音が次第に遠ざかっていく。
彼が逆に追放される日が来るとは……なんだか皮肉だ。
評議員は私たちに向き直った。彼の表情には、申し訳なさが浮かんでいる。
「やれやれ。せっかく人間を見直していたところだったのに」
「あはは……まぁ気を落とさないでよ。人間だって、あんなんばっかじゃないからさ!」
「ええ、存じております剣士殿。あなた方には感謝してもしきれませんので」
シャルと評議員は互いに笑みを交わした。
激しかった心臓の音が鎮まっていく。周りの空気が、少しずつ和やかになっていく。
夕日が沈み、蛍のような光が溢れ出す。
柔らかな光を放つそれを見て、私の脳裏によぎるものがあった。
(マーリン……)
魔導王とは遥か昔に死んだとされる人物。マーリンが教えた魔法が古代の魔法。
辻褄が合う部分と合わない部分がある。
謎が深まるほど、知りたいという思いが強くなる。
(もっと、あなたについて知りたい)
……私は旅の中に、もう一つの目的を見出していた。
夜風が頬を撫で、新たな冒険への期待を感じさせた。
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