第40話 封印
黒い霧が部屋中に広がり、視界が悪くなる。
私とシャルは背中合わせのまま、周囲を警戒する。
「ミュウちゃん、大丈夫?」
シャルの声に小さく頷く。
彼女の背中から伝わる体温が、私に勇気を与えてくれる。
突然、霧の中から巨大な人型の手と爪が現れ、シャルに向かって襲いかかった。
「くっ!」
シャルは素早く剣を構え、爪を受け止める。
金属と爪がぶつかる鋭い音が響く。
「どりゃあぁっ!」
シャルは力強く剣を振るい、爪を弾き返す。
しかし、その瞬間別の爪が彼女の背後――つまり私の正面から迫っていた。
「……!」
「危ない!」
シャルの警告に、私は杖を構えて身を縮める。しかし防御としては不十分だ。
代わりにシャルが再び剣を構えて振るい、私を守ってくれる。だが今度は受けきれず、爪が彼女の肩を掠め、赤い血が滴る。
「こいつ厄介だなあ! どこからでも攻撃が飛んでくるの!?」
シャルの忌々しげな呟きに、私は急いで杖を構える。
(小回復魔法)
杖から放たれた青白い光がシャルの傷を包み込み、瞬く間に傷が塞がっていく。
「ありがと、ミュウちゃん! でも、なんとかしなきゃね!」
シャルの声に力強さが戻る。
彼女は再び剣を構え、見えない霧の中にいる夢喰らいに向かって突進する。
「はぁああっ!」
剣が黒い霧を切り裂く。
一瞬、その剣の軌道に沿って霧が晴れたように見えた。だが――
「くくく……そんな攻撃は効かんぞ」
夢喰らいの不気味な声が、部屋中に響き渡る。
霧のような体はすぐに元の形に戻ってしまう。剣による攻撃だけではダメージを与えられなさそうだ。
「なっ!?」
シャルの驚きの声が聞こえる。
霧が再び膨らみ、無数の触手のようなものがシャルに襲いかかった。
「うわっ!」
シャルは必死に剣を振るうが、次々と襲いかかる触手をすべて防ぎきれない。
その先端には鈍く光る棘のようなものがあった。それが彼女の体に、いくつもの傷を作る。
「シャル!」
「くっそー、しょうもない嫌がらせ攻撃を~!」
私は急いで回復魔法を発動しようとする。だがシャルは私を手で制した。
「ミュウちゃん、大丈夫! これくらい、なんてことない!」
シャルはそう言うが、その声には疲労が滲んでいる。
彼女の呼吸が乱れ、汗が額を伝う。たしかにダメージ自体は大したことはなくとも、細かな傷は彼女の集中を妨げ、攻撃の精細を欠かせていた。
(このままじゃ……!)
焦りが胸に広がる。
しかし、私にできることは回復魔法を使うことだけ。
直接攻撃する術を持たない私は、ただシャルを支えることしかできない。
「くくく……もがけばもがくほど、お前たちの魂は美味くなる」
夢喰らいの声が、さらに大きくなる。
黒い霧が、私たちを取り囲むように渦巻いていく。
「ふーん、どうかな? あたしがいつまでもただ剣を振ってるだけだと思わないでよね!」
シャルは再び剣を構え、夢喰らいに向かって突進する。
その刃が青白く光る。アレは……!
「魔力増幅剣、発動!」
シャルの剣が振り抜かれ、青白い波動が放たれる。
その波動が刃となり、辺りの霧を切り裂いていく。
「ぐおおおっ!」
夢喰らいの悲鳴が響く。
黒い霧が、一瞬全体的に薄くなったように見えた。
(今のが効いた……?)
一筋の希望が見えた瞬間、夢喰らいの体たる霧が再び部屋中に膨らみ始める。
「よくも……よくも!」
怒りに満ちた声と共に、さらに多くの触手が襲いかかる。
「うわっ!」
シャルの悲鳴が聞こえる。
彼女の体が、触手に絡め取られ持ち上がる。
剣から放たれる光がその触手を切り刻み、シャルが抜け出した。
「無駄だ無駄だ! 私は夢喰らい……エルフたちですら封印しかできなかった魔物だぞ!
たった2人の人間ごときに何ができるものか!」
それでも、触手はすぐに再生してシャルを襲う。
私は必死に継続回復魔法を維持してシャルの傷を次々に回復させ続ける。
しかし、傷が増えるスピードが、回復のスピードを上回りつつあった。
(なんとかならないの……!? いつまでも、シャルだけを戦わせるのは――!)
焦りと不安で、頭が真っ白になる。
――そんな中、ふと遺跡の壁に目がいった。
そこには、古い文字で何かが刻まれている。おそらくエルフによる封印の文様かなにかだろう。
それを見て突然、ある考えが頭に浮かぶ。
(封印。封印を……回復できたら……?)
遺跡の壁に刻まれた古い文字と、床に描かれたくすんだ魔法陣。
それらがかつての強力な封印の痕跡だということに気づいた瞬間、私の中に新たな希望が芽生えた。
「くくく……何を企んでいる?」
夢喰らいの声が響く。その調子に、わずかな不安が混じっている。
私は杖を握り締め、石碑に近づく。
近くで見ると、石碑の表面には複雑な文様が刻まれている。
それらの文様はかつては魔力で輝いていたのだろう。今は、ほとんど光を失っていた。
(これを、回復すれば……!)
私は目を閉じ、精神を集中させる。
通常の回復魔法とは違う、もっと深いところにある魔力を呼び起こす。
「はぁああっ!」
シャルの雄叫びが聞こえる。
彼女は夢喰らいの注意を引き付けるように、激しく攻撃を仕掛けている。
剣が輝き、魔力による攻撃が夢喰らいの霧を少しずつ削っていく。
「この……人間風情が!」
夢喰らいの怒号が響く。黒い霧が渦を巻き、シャルに襲いかかる。
その隙に、私は石碑に手を当てる。
冷たい石の感触。そして、かすかに残る古の魔力。
(大回復魔法……!)
私の手から青白い光が溢れ出す。
その光が、石碑の表面を這うように広がっていく。
すると、石碑に刻まれた文様がかすかに光り始めた。
「な、なにっ!?」
夢喰らいが驚きの声を上げる。
黒い霧が石碑に少し吸い込まれ、少し薄くなったように見えた。
「ミュウちゃん、効いてる! そのまま続けて!」
シャルの声に励まされ、私はさらに魔力を注ぎ込む。
額から汗が滴り落ちる。体力が急速に奪われていくのを感じる。
しかし、ここで止めるわけにはいかない。
石碑の光が強くなるにつれ、床に描かれた魔法陣も輝き始める。
くすんでいた線が修復され、青白い光を放ち始めた。
「ぐおおおっ……やめろ! やめるんだ!」
夢喰らいの悲鳴が響く。
黒い霧が魔法陣から逃げるように移動しながらも、吸い寄せられて中央に集まっていく。
「逃がさないよ!」
シャルが叫び、剣を振るう。
増幅された魔力が、光の塊となって夢喰らいの体を切り裂く。
「ギャアアアッ!」
夢喰らいの悲鳴。黒い霧がさらに縮こまり、石碑へと吸われていく。
私は必死に魔力を注ぎ続ける。
体中の力が、すべて右手を通して石碑に流れ込んでいくようだ。
魔法陣の光がさらに強くなる。
その光が、螺旋を描くように夢喰らいに向かって伸びていく。
「やめろ! 私を封印などさせんぞ!」
夢喰らいの声が、恐怖に震えている。
黒い霧が、必死に逃げようとするが、魔法陣の光に捕らえられてしまう。
「シャル! トドメを……!」
私の叫びに、シャルが頷く。
彼女は剣に残った魔力をすべて注ぎ込む。
「ぶっちぎれろぉ!!」
シャルの剣がまばゆい光を放つ。
その光が、彼女の剣戟と同時に弧を描いて夢喰らいに襲いかかる。
「ア……ギャアアアアアッ!」
悲鳴と共に、夢喰らいの体が大きく2つに裂ける。
黒い霧が、魔法陣の中心へと吸い込まれていく。
石碑の光が最大限に達し、魔法陣全体が眩いばかりの光を放つ。
そして――
パァン!
大きな光の爆発と共に、夢喰らいの姿が完全に消え去った。
部屋に、静寂が訪れる。
私は、力尽きたように床に崩れ落ちた。全身から力が抜け、視界がぼやける。
「ミュウちゃん!」
シャルが駆け寄って私の体を支えてくれる。
彼女の顔が、徐々にはっきりと見えてくる。
「大丈夫? しっかり!」
シャルの声に、小さく頷く。
体は疲れ切っているが、確かな達成感が胸に広がる。
私たちは夢喰らいを封印することに成功したのだ。
石碑と魔法陣は、かすかな光を放ったまま静かに佇んでいる。
ボロボロだった封印の魔法陣も、今やすっかり修復されている。
それは封印が正しく機能していることの証だった。
「いよっしゃ! 封印できた……これでエルフの病気も治るかな?」
シャルの声に、安堵の色が混じる。私も、小さく口角を上げた。
夢喰らいの脅威は去り、エテルナの人々は安全になったはずだ。
そう思うと、今までの疲れが一気に押し寄せてくる。
私は、ゆっくりと目を閉じた。
シャルの腕の中で、安らかな眠りに落ちていく。
「お疲れ様、ミュウちゃん。……助けてくれて、ありがとね」
……そういえば、夢喰らいは人を眠らせて悪夢を見せる。
シャルも何かの悪夢を見ていたのだろうか……? その詳細を尋ねる前に、眠気に限界が訪れた……。
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