第4話 最初の村
馬車が揺れて止まると、シャルが元気よく声を上げた。
「おっ、着いたみたいだね!」
私はその声に顔を上げる。眩しい日差しに目を細めながら、周囲を見渡した。
木漏れ日が地面に模様を描き、風に揺れる草の匂いが鼻をくすぐる。
私たちが到着したのは、小さな村のようだった。
柳の木々が風にそよぎ、のどかな雰囲気が漂っている。
遠くには緑豊かな丘陵が見え、空には白い雲が悠々と流れていた。
「ココがシャロウナハトか」
行商人の一人が呟いた。シャロウナハト。村の名前のようだ。
柳の木がそこかしこに生えているのが印象的で、その枝葉が風に揺れるたびにカサカサと心地よい音を立てている。
馬車から降りると、小川のせせらぎが耳に届いた。
村を縦断するように流れる川は、それほど大きくはないが、澄んだ水をたたえていて美しい。
下流のほうなのか、水の勢いは凪いでいた。
水面に映る青空と白い雲が、まるで鏡のようにも見える。
水面には柳の葉が映り込み、まるで絵画のような景色を作り出していた。
川沿いには、小さな水車がいくつか並んでいるのが見えた。
水車の回転する音が、川のせせらぎと調和して心地よい 曲を奏でている。
(水車か……本で見たことあるけど、実物は初めてだな……)
私が水車を見つめていると、シャルが両手を広げて伸びをした。
その動作に合わせて、パキパキ音が鳴る。馬車にしばらく座っていたから、体が固まっていたんだろうか。
「はぁー! いい天気! いい景色! 前も依頼で来たけど、やっぱいいねぇ! ミュウちゃんもそう思わない?」
彼女の大きな声に、村人たちが興味深そうにこちらを見ている。
人目が気になって、私は少し身を縮めながら頷いた。
そんな中、1人の中年の男性が私たちに近づいてきた。
温和な笑顔を浮かべている。彼の足音が、砂利道でカリカリと音を立てる。
「やあ、旅人の皆さん。シャロウナハトへようこそ」
男性は私たちに軽く会釈をした。おそらく、村の代表者なのだろう。
彼の衣服は質素だが清潔感があり、胸元には村の紋章らしきものが刺繍されている。
「あっ、こんにちは! あたしたち、たまたま行商人の皆と一緒に乗り合わせてもらってる冒険者!
困ったこととかあったら何でも言ってよ! ところでこの村、景色サイコーだね!」
シャルの声が響き渡り、近くにいた小鳥が驚いて飛び立っていく。声がでかい。
「ありがとう。我々の村を気に入ってもらえて嬉しいよ」
男性はシャルのマシンガントークにも動じず柔和な笑みを浮かべた。……強い。
彼の落ち着いた態度が、シャルの勢いを和らげているようだった。
「さあ、どうぞ休んでいってください。行商人の皆さんは、いつもの広場で商売していただいて構いませんよ」
「ありがとネー村長サン! 商品たくさんあるヨー!」
行商人たちは喜んで荷物を降ろし始めた。荷物を下ろす音や、馬車から降りる音が賑やかに響く。
私はというと、まだ馬車の近くで立っていた。馬車の木の匂いと、馬の匂いが鼻をくすぐる。
(気まずい……どのタイミングで移動すればいいのかな。あっ、行商人の人の手伝いとかするべき? でも私体力もないし……)
そんな私の気持ちと狼狽を察したのか、シャルがこちらに近づいてきた。
「ねえミュウちゃん、この村をちょっと探検してみない? きっと面白いものがたくさんあるよ!」
(た、助かった……! うん、行こう)
私は何度か小さく頷いた。
これでコミュ障特有の「次何すればいいんだ」状態がどうにかできる。心臓の鼓動が少し落ち着いてくるのが聞こえた。
それに正直なところ、この村の水車や川のことも気になっている。
探検、という言葉にはちょっと抵抗があるけど。陽キャみたいで。
シャルと私が歩き始めると、優しげな風が頬を撫でていった。
柳の葉がカサカサと音を立てる。その音が、まるで私たちを歓迎しているかのように聞こえる。
道を歩きながら、私は水車をじっくりと観察した。羽根車がゆっくりと回り、水しぶきが細かな虹を作っている。
水車の軋む音と、水が跳ねる音が心地よい。
(いいなぁ……一日中あれ眺めてるだけの仕事とかないかな……)
そんなことを考えていると、シャルが急に立ち止まった。
「ミュウちゃん! あっち行ってみようよ。なんか小屋あるよ!」
シャルが指さす先には、水車小屋が建っていた。
中から機械の動く音と、人々の話し声が聞こえてくる。それと、湿った木の匂い。
シャルが小屋に向かって迷いなく歩き出した。
ひ、人の気配がするし、話してる真っ最中なのによく突撃できるなぁ!
私は少し躊躇しながらも、シャルの後を追う。
小屋の中に入ると、そこは織物工房のようだった。大きな織機が並び、村人たちが忙しそうに働いている。
どうやら、織機は水車の動力を利用しているようだ。織機の動く音と、糸を紡ぐ音が絶え間なく響いている。
「へぇー、水車で織物を作ってるんだ! そんなに川の勢い強くもなかったはずだけど……」
意外……と言うと失礼だけど、シャルの観察眼は鋭い。
たしかに、この村の小さめな川で動かすにはやや大きな機械だ。
おそらく魔法か何かで水力を増幅させているのだろう。
魔法を使い慣れているとだいたいわかるのだ。空気中に漂う微かな魔力の痕跡が見える。
私たちが見学していると、優しい声で年配の女性が話しかけてきた。
「珍しい方たちね。旅の人?」
「うん! さっき到着したんだよ。この織物綺麗ー! どこで売ってるの?」
素直な言葉に、女性は嬉しそうに微笑んだ。彼女の目尻にできた笑い皺が、温和さを感じさせる。
「ありがとう。これはね、私たちの村の象徴の、木と川を象った織物なの。
遠くの街でも人気があるから、さっき来た行商人さんとかに売ってるのよ」
「名産品ってやつだね! あたしも買っていこうかな~」
(綺麗だけど、旅の役には立たないでしょ……)
内心突っ込みながら、シャルが興味津々で女性の話を聞いているのを見る。
私も、皆の目に触れないように織物に近づいてみた。
布は繊細で、柔らかな手触り。水の流れを模したような模様が、美しく織り込まれている。
指で触れると、布地のざらつきと滑らかさが同時に感じられる。
(へぇ……綺麗だな。よくこんなの作れるなぁ。私には絶対ムリだ……)
感心していると、突然、私の腕が掴まれた。心臓が止まる!
「ヘアァ! スッ、さっ、触ってスイマセ……!」
「どしたのミュウちゃん変な声出して。ていうかほとんど初めて聞いた声なんだけど!」
「うふふ、別に触っても問題ないわよ」
「だってさ! 結構見学させてもらったし、もっと見て回ろうよ! きっと他にも面白いものがあるはず!」
心臓が痛いほどバクバクと鳴っている。危なかった……! 商品に勝手に触ったから怒られて川に流されるかと……!
ちょっと喋ったせいでMPがだいたい60くらい減ったし。
ていうか、腕を掴むのは反則でしょ! びっくりするよ!
そんな抗議を込めてシャルを見つめるも、特に何も起こらず。シャルの勢いに押されて外に出ることになった。
柳の葉が風に揺れる道を歩きながら、私は少し考え込んでいた。
足元の砂利の音に混じって、時折小鳥のさえずりが聞こえてくる。
(この村の人たち、みんな優しそうだな……。でも、こんなに平和な村だと冒険者への依頼とかないんじゃないかな……?)
依頼がないということは金がないということだ。クビになった私は所持金が少ない。
うまいこと行商人の人と相乗りできたから移動費は節約できたけど、このままでは減っていく一方だ。
そうなるといずれどこかの街道で物乞いをするはめになるかも……!?
喋りかけられない物乞いって生きていけるのかな。
そんなふうに、日光の下で朽ちていく己の姿を考えていると、シャルの声が耳に響いた。
「あっ! ミュウちゃん、あそこ見て! なんか面白そうなところがあるよ!」
彼女の指さす先には、小さな市場が見えた。
川沿いの屋台に色とりどりの商品を並べている。
屋台からは様々な食べ物の香りが漂い、人々の賑やかな声が聞こえてくる。
「行ってみよう!」
シャルは私の返事も待たずに、マーケットへと歩き出した。
体格差のせいなのか、性格のせいなのか、彼女は歩くのが速い。
おかげで毎回私は小走りで追いかけるはめになる。
市場に近づくにつれ、川の水音の代わりに活気あふれる声が増えはじめた。
そこには新鮮な野菜や川魚、手工芸品などが所狭しと並んでいた。
野菜の瑞々しい香り、魚の生臭い匂い、そして焼き物の香ばしい匂いが入り混じっている。
(へぇ……こんな小さな村でも、こんなに賑やかな市場があるんだ)
私はそっと商品を観察する。
シャルは既に店主たちと楽しそうにおしゃべりを始めていた。
彼女の明るい声と笑い声が、市場の喧噪に混ざっている。
水面に映る柳の木々、のどかな村の風景。そして、この賑やかな市場。
不思議と、心が落ち着くのを感じる。
(あ……なんか、いい匂い。焼き魚の串……?)
魚の口から串を突き刺し焼いたものが何本も並ぶ屋台。その香ばしい匂いに誘われ、そちらに歩いていく。
炭火で焼かれる魚の音と、脂が滴りパチパチと跳ねる音が聞こえてくる。
魚かぁ。
ギルドでは干した魚とかばっかりだったから、こういう丸のままの魚は珍しく感じるな……。
「お~、うまそう! ミュウちゃんも食べたい?」
「ッ!?」
「あはは、びっくりしすぎー!」
び、びっくりした! さっきまで他の人と喋っていたシャルが、気づけば真横に立っていた。
目を白黒させながら息を整えていると、シャルが小銭入れを取り出す。コインがカチャカチャと音を立てている。
「さっきはミュウちゃんも頑張ってくれたし、ここはお姉さんが奢ってあげよう!」
「……?」
いいの? シャルもお金はそんなにないんじゃ……。
そんな気持ちを込めて首を傾げる。伝わるわけはないが……。
「いま、あたしもお金ないんじゃって思ってた?」
「!?」
図星だ。すごい。もしかして精神を読む魔法……!? シャルの目が鋭く光ったように見える!
「大丈夫大丈夫! あたしは結構依頼請けてたし、そこそこは貯金あるよ。はい、どーぞ!」
シャルが焼いた魚の串をこちらに差し出してくれる。
……いい匂いだ。魚の表面がカリッとしていて、脂が垂れそうになっていた。
そういえば朝から何も食べてなかったことを思い出す。お腹が鳴りそうなのを必死に抑える。
それをおずおずと受け取り……シャルを見つめた。魚の温かさが手に伝わってきている。
「……ぁ……」
「ん? どしたミュウちゃん。熱い?」
「あっ……あ、あ……あり……がとう!」
……やだ……私、噛みすぎ!?
でもとりあえず、感謝の言葉は伝えられた! 頑張った! MP100くらい使った! 心臓がバクバクいってる。
「へへー、どういたしまして!」
シャルが乱暴に私の頭を撫でる。力が強い。
髪がぐちゃぐちゃになったのを、シャルが自分で整えてくれた。
彼女の手の温もりが頭に残る。……顔が熱い気がして、彼女から目をそらす。
とりあえず、魚の腹のところをかじる。中までしっかり火が通っていて、肉も熱い。
塩が振ってあるのか、かなりしょっぱかった。舌がピリピリする。
中からは肉汁なのか他の何かなのか、透明な液体がこぼれてくる。それが地面に落ちて土に染みていく。
「んー、おいしーっ!」
「いい食べっぷりだな、剣士の姉ちゃん! そっちの子は妹さんかい?」
「違うよ、この子はあたしの相棒! ねーミュウちゃん!」
「……っ!」
必死に魚を食べつつ、何度か頷く。だが私は、別のことに意識を集中させられていた。
そのー……この串、食べづらくない!?
皮とか鱗とか噛み切りづらいし、頭とか目とか歯が通らないんだけど……どうやって食べるの!?
歯と魚の骨がガリッと当たる音がする!
シャルはあっという間に魚を食べ終え、綺麗な串を店員さんに返した。
私は比較的食べやすい腹のあたりをある程度かじっただけなのに……!
物理職は歯も強いのかな。シャルの顎を観察してしまう。
首元から顎にかけてのラインは綺麗で、スラリとした女性らしさがあった。
……何見てるんだろう、私は。
――そんなふうに魚や煩悩と戦っていると、私の耳に不穏な会話が聞こえてきた。
周囲の喧噪の中から、その声だけが妙に際立って聞こえる。
「そうねぇ……あたしゃ、また、あの化け物が現れるんじゃないかと心配で……」
「そうだね。でも、魚は取りに行かないと……」
緑の衣を着た若者と、赤いバンダナを巻いた年配の女性。
2人の村人が小声で話している。彼らの表情には不安の色が浮かんでいる。
(化け物……?)
「化け物? まさか、この辺りになんかヤバいのがいるの?」
シャルの声が興奮気味に上がる。私は慌てて「シーッ」と口に指を当てた。
喜んじゃだめだよ! 周りの人が振り返って、私たちを見ている気がする。
「あ、ごめんごめん」
シャルはさすがに空気を読んだのか、声のボリュームを落とす。
彼女の声が小さくなると、周りの喧噪が再び耳に入ってくる。
「でも、これって私たちにぴったりの仕事かもね」
が、次の瞬間また声が大きくなった。シャルの目が輝いているのを見て、私は少し不安になる。
たしかに、仕事を探してはいるけどさ……。
(大丈夫かな……。でも、困ってる人がいるんだよね。なら……)
そう考えていると、さっきまで会話をしていた村人2人にシャルが突撃していた。速い!
「ねえねえ! 化け物ってなに? なんか困ってる?
あたし達にできることがあったら、なんでも手伝うよ! お金次第で」
村人は驚いた顔を見せる。そりゃそうだよ。彼らの目が丸くなり、互いに顔を見合わせていた。
「安心して! あたしは冒険者! 実力はあるよ!」
「は、はぁ……それなら、村長さんに話をしてみてちょうだい。この村は、ちょっとした問題を抱えているの……」
シャルは目を輝かせながら頷いた。
冒険の気配を感じたのだろうか。彼女の全身から活力が溢れ出ているように見える。
「オッケー、わかった! もっかい村長さんとこ行ってくるね! 行こうミュウちゃん!」
私はシャルに腕を引かれながら歩いていく。
もう片方の手には6割くらい残っている魚の串を握りつつ。魚はだんだん冷めてきていた。
(やばいかも。魚全然食べ終わらない。かといって捨てるのは失礼すぎだし、村長の前で魚食べたりしてたら……)
『バカモン! 人の話を聞くときに魚を食うな! 不敬! 出ていけ! カス!』
(……こんな具合に怒られて叩き出されるかも……)
そんな不安が入り混じる中、私たちは村の中心部へと向かった。
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