第38話 夢喰らい
翌朝。
朝露に濡れた草の香りが、私たちの鼻をくすぐる。
エルミラの郊外に位置する小さな丘を、シャルと私は黙々と登っていく。
周囲には背の高い銀色の木々が立ち並び、その葉が朝日に輝いている。
やはりというか、普通の人間の住処とは植生も大きく違うようだ。
それぞれの木から感じる魔力の質も大きく異なっているようだ。
「さて、ここの療法士さんは何か知ってるのかな? ちょっとでも病気についてなにかわかるといいけどねぇ」
シャルの声には、少し不安が混じっている。
私は小さく肩をすくめるだけだった。
丘の頂上に近づくにつれ、空気が変わっていくのを感じた。
何か神秘的な雰囲気が漂い、風に乗ってかすかな鈴の音が聞こえてくる。
そして、私たちの目の前に一軒の小さな家が現れた。
苔むした石でできた壁、屋根には色とりどりの花が咲いている。
扉の前には、様々な形をした風鈴が吊るされており、それらが風に揺られてメロディーを奏でていた。
「わぁ……なんだかすごい場所。綺麗だね!」
シャルが扉をノックする前に、中から柔らかな声が聞こえた。
「お入りなさい、お待ちしていましたよ」
……私たちが来るのを察知していたのだろうか? 驚きつつ、私は扉を開けた。
中は予想以上に広く、天井まで届きそうな本棚が壁一面を覆っている。
様々な色の小瓶や、見たこともない植物が部屋中に所狭しと並んでいた。
部屋の中央には大きな水晶球が置かれ、その中で青白い光が渦を巻いている。
そして、その奥に一人のエルフの老婆が座っていた。
銀色の長い髪、深いしわの刻まれた顔。
しかし、その目は若々しく、知恵の光を湛えているように見える。
「よくいらっしゃいました、人間の友よ。
私はエラニア、この地の療法士です」
その声は、まるで森そのものが語りかけてくるかのような深みがあった。
これまで出会ったエルフとは少し違う様子の人だ……。
「あの、あたしたち夢枯れ病のことで――」
「わかっています。あなた方の来訪は、風が私に告げてくれました」
話そうとするシャルを手で制し、エラニアはゆっくりと立ち上がった。本棚から古びた巻物を取り出す。
「夢枯れ病……それは単なる病気ではありません。古の呪い、忘れられた約束の顕現なのです」
彼女の言葉に、部屋の空気が揺れる。もしかして、解決の糸口だろうか? 少し期待してしまう。
「古の呪いって?」
シャルが身を乗り出す。
エラニアは巻物を広げ、そこに描かれた不気味な影の絵を指さした。
赤い目と鉤爪を持つ、霧のような魔物だ。
「かつて、我々エルフと自然界との間に結ばれた契約がありました。
しかし、時が経つにつれ、その約束は忘れられ……そして今、『夢喰らい』が目覚めようとしています」
「夢喰らい?」
シャルが首を傾げる。私も聞いたことのない名前に、思わず眉をひそめた。
「そう、夢や希望、生命力そのものを食らう存在です。
古の時代、我々の先祖は自然との契約によって力を増し、それを封印しました。
しかし今、その封印が緩みつつある」
エラニアの表情が暗くなる。
「なんで封印が緩んでるの?」
「我々エルフが、自然との調和や古来の信仰を軽んじ始めたからです。
よき隣人であったはずの人間を軽視し、他種族との関わりを嫌う……そういう集合的な精神力の弱まりが、封印を解きつつあるのです」
「は……はぁ」
私は黙って聞いていたが、シャルは少し意外そうな、半信半疑といった様子でそう漏らした。
気持ちはわかる。エルフが精神的に尖ってきたから封印が解けた、と言われても眉唾だ。
どちらかというと、今のエルフを戒める寓話のように聞こえてしまう。
「じゃあ、どうすればいいの?
エルフの人たちを啓蒙しようっていっても、あたし達じゃ難しいだろうしさ」
シャルの言葉を、エラニアが静かに受け止め頷く。
「答えは、夢喰らいの封じられた古の遺跡の中にあります。しかし……」
彼女は一瞬躊躇し、深いため息をついた。
「その遺跡に入ることは、我々エルフにとって厳しい禁忌とされています」
シャルが驚いた表情を見せる。呆れも半分混じっているようだ。
「ええ? でも、そこに封印があるんだったら、もう一度入ったりして確かめなきゃいけないんじゃないの?」
「そうです。しかし、その禁忌を破ることは許されません。
遺跡に入ることができるのは、決められたエルフ。それも1年に一度だけ。それが我々の掟なのです」
部屋に重い沈黙が落ちた。窓の外では風が木々を揺らし、かすかに葉擦れの音が聞こえる。
私たちは顔を見合わせる。シャルはいかにも面倒そうに頭を掻いていた。
これから先、どうすればいいのか。答えはあるのに、それに触れることができない。
伝統って面倒だなあ……。
■
エラニアとの話を終えた私たちは、重い足取りで評議会へと向かった。
再び国の中心部に到着すると、巨大な樹木の根元に建てられた荘厳な建物が目に入る。
その周りには、緊張した面持ちのエルフたちが行き交っていた。
「ミュウちゃん、疲れてない? 平気?」
シャルが私の顔を覗き込む。私は小さく頷いた。そう、意外と平気なのだ……。
ここ最近の冒険でだんだん持久力がついてきたのかもしれない。
もちろん、鍛えてはないからシャルみたいに戦うのは絶対ムリだけど……。
「オッケー。じゃ、行こっか!」
私は躊躇いながらも、彼女の後を追った。心臓が早鐘を打ち、手のひらに汗が滲む。
評議会の広間に入ると、半円形に並んだ席に様々な装いのエルフたちが座っていた。
中央には、先日会ったエルダー・リーフハートの姿があった。
「人間の英雄たちよ、何か進展があったのか?」
エルダーの声が響く。シャルが一歩前に出て、はっきりとした口調で話し始めた。
「うん。エラニアさんから重要な情報をもらってきたよ。
夢枯れ病の原因は『夢喰らい』とかいう魔物で、その封印が解かれつつあるんだって」
評議会の面々がざわめく。不安そうな表情や、懐疑的な目つきが入り混じる。
「夢喰らいだって……? 聞いたことがないぞ」
「古の伝承に登場する魔物だ。実在すると……?」
「そして!」
ざわつく評議会の言葉を遮り、シャルは続けた。
「その封印を確認するには、古代の遺跡に行く必要があるんだって。
だからあたしたちに、その遺跡への立ち入りを許可してくれない?」
一瞬の静寂の後、広間は騒然となった。エルフたちが眉を釣り上げる。
「とんでもない!」
「人間に我々の聖地を荒らされてたまるか!」
「そもそも、人間の言うことを信じられるのか?」
怒号が飛び交う中、私は体が小さくなるのを感じた。
シャルの隣に立っているだけでも辛くなり、後ろに下がりたい衝動に駆られる。
しかし、そんな中シャルは毅然とした態度を崩さない。
エルダーが手を挙げ、静粛を求めた。
「静かに。彼女たちの話を最後まで聞こう」
「ありがとう。あたしたちは遺跡を荒らすつもりはないよ。
ただ、病気の原因を突き止めて、この国を救いたいんだ」
評議会の中で、意見が分かれ始めた。
私たちを信用する者、警戒する者、完全に拒絶する者。
エルダーは黙って全ての意見に耳を傾けていた。
議論は延々と続き、私の不安は増すばかり。
人間である私たちが、エルフの聖地に立ち入ることを許可してもらえるのだろうか。
この状況で発言する勇気なんて出るはずもない。
やがて、エルダーが立ち上がった。広間が静まり返る。
「英雄たちよ、あなた方の献身に感謝する。しかし、遺跡への立ち入りは許可できない」
その言葉に、私の心は沈んだ。シャルの表情が曇るのが見える。
「我々の伝統と掟を守ることも、この国を守ることの一つなのだ。どうか理解してほしい」
「でも――」
エルダーの言葉に、評議会のメンバーたちが頷く。
シャルは口を開きかけたが、私は彼女の袖を引いた。これ以上の抵抗は逆効果だと感じたのだ。
「……そうだね。一旦下がろうか」
私たちは重い足取りで評議会を後にした。外に出ると、シャルが突然立ち止まった。
「ねえ、ミュウちゃん。やっぱあたし、遺跡に行くよ!」
私は驚いて彼女を見つめた。
評議会の決定を無視するなんて危険じゃないかな……!? どんな目に遭うかわからないよ!?
「だって、このままじゃ病気は広がるばかりでしょ? あたしたちにできることをしなきゃ」
シャルの言葉に、私は迷いを感じた。確かに彼女の言うことはもっともだ。
でも、エルフたちの信頼を裏切ることになる。
それに、アランシアでは似たようなやり方でなんとかなった……けど、今回もうまく行くとは限らない。
あのときは偶然ルーク――というかルシアン王の助けが得られた。だけど今回は……。
「ミュウちゃんはどうする? 一緒に来てくれる?」
(ええええ……)
シャルの問いかけに、私は深く考え込んだ。心の中で葛藤が渦巻く。でも。でもぉ~……。
(……シャルについていくしかない。だって、シャルは私の……)
ゆっくりと、私は頷いた。シャルの顔に安堵の表情が広がる。
「よし、決まりだね! 準備して、夜に出発しよう」
シャルの声には興奮が混じっていた。私は不安を感じながらも、彼女についていく決意を固めた。
これから何が起こるのか、想像もつかない。
でも、シャルと一緒なら……なんとかなる、ような気がする。
そう思いながら、私たちは静かに宿へと戻っていく。
夕暮れの街並みが、私たちの決意と不安を優しく包み込んでいった。
■
夜の帳が降りた頃、私たちは宿をこっそりと抜け出した。
月明かりに照らされたエルミラの街並みは、昼間とは違う幻想的な雰囲気を醸し出している。
木々の葉が銀色に輝き、月の柔らかな光が道を照らす。
「よし、行こう」
シャルが小声で言った。私たちは影に紛れるようにして街を抜け、森の中へと入っていく。
足元の枯れ葉を踏む音が、静寂の中で妙に大きく響く。
時折、夜行性の生き物の鳴き声が聞こえ、私は思わず身を縮める。
「ミュウちゃん、大丈夫?」
シャルが心配そうに振り返る。私は小さく頷いたが、正直しんどい。
禁忌を破ることへの恐れ、未知の危険への不安、そして捕まるかもしれないという緊張感。
それらが入り混じって、胸の中でぐるぐると渦を巻いている。
しばらく歩くと、木々の間から巨大な石造りの建造物が姿を現した。古代の遺跡だ。
月明かりに照らされたその姿は、威圧的でありながら、どこか悲しげにも見える。
「あれが遺跡か……すごいでっかいねぇ」
近づくにつれ、遺跡の詳細が見えてきた。
苔むした石壁、風化した彫刻、そして不気味な形をした入り口。
その門には、見たこともない文字が刻まれている。
「なんて書いてあるんだろう? ミュウちゃん、読める?」
シャルが首を傾げる。
当然、私も分からない。だが、その文字を見ているだけでなぜか背筋が寒くなる気がした。
私は恐る恐る入り口をくぐった。
内部は予想以上に広く、天井が見えないほどの高さがある。
壁には精巧な壁画が描かれており、エルフたちと何かの魔物が戦う様子が描かれていた。
「この魔物、さっきエラニアさんが見せてくれた絵と似てない?」
たしかに、赤い目と鉤爪を持つ霧のような姿は、間違いなくあの書物に書かれた「夢喰らい」と同じものだろう。
私たちは慎重に前進した。
足音が廊下に響き、それが不気味な反響を生む。
時折、どこからともなく冷たい風が吹き抜け、私は思わず身震いした。
そんな中、突然、シャルが立ち止まった。
「聞こえる?」
シャルの呟きに、私は耳を澄ませる。
かすかに、どこかで水の滴る音がする。そして、その奥に……何かの呟きのような音が。
私たちは音の方向へ進んだ。廊下を曲がると、そこには大きな広間があった。
中央には巨大な石碑が立っており、その周りには奇妙な模様が床に描かれている。
「……封印だ」
私は思わず呟く。それは中にある石碑を封じる結界だ。だけど、それがボロボロに綻んでいるのが見えた。
――その瞬間、石碑から赤い光が漏れ出した。
私たちは驚いて後ずさる。
光はみるみる強くなり、やがて人型の姿を形作り始める。
「来たな……人間ども」
低く、しかし澄んだ声が響く。
姿を現したのは、壁画で見た通りの姿。
赤い目、鉤爪、そして霧のような体。
「おまえたちの夢……すべて頂く。悪夢の中で眠るがいい……」
夢喰らいが近づいてくる。
私はとっさに状態異常回復魔法を唱えようとしたが、体が動かない。
意識が朦朧とし始める。
「ミュウちゃん! やば……い……」
シャルの声が遠くなっていく。私の目の前が暗くなり、意識が遠のいていく。
最後に見たのは、シャルが倒れ込む姿だった。
そして、私は深い眠りに落ちていった。
周りの世界が霧に包まれ、現実感が薄れていく。
遺跡の冷たい床に横たわったまま、私は夢の世界へと引きずり込まれていった……。
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