第37話 またお前か!
翌日の朝、私たちは早速調査を開始した。
朝靄がまだ街を包む中、患者がいると聞いた場所へと向かう。
削れた石畳の道を歩きながら、周囲の様子を観察する。
朝露に濡れた葉が陽の光を受けて煌めき、街全体が幻想的な雰囲気に包まれている。
薄紫色の花が咲く木々の間から、かすかに甘い香りが漂ってくる。
遠くでは鳥のさえずりが聞こえ、街が少しずつ目覚めていく音が耳に届く。
しかし、その美しさとは裏腹に、通りには不安げな表情のエルフたちの姿が目立つ。
彼らの足音は重たげで、会話の声も小さい。
時折聞こえる咳込む声が、この街の異常を物語っていた。
「ねえミュウちゃん、あそこかな?」
シャルが指さす先には、小さな木造の家が見える。
巨木の根元に寄り添うように建てられたその家は、まるで森の一部のようだった。
屋根には美しい苔が生え、窓辺には色とりどりの花が咲いている。
その前には心配そうな表情の若いエルフの女性が立っていた。
彼女の長い銀髪が朝風にそよぎ、深緑色のドレスが木々の葉と調和している。
私たちが近づくと、彼女は警戒の色を浮かべる。
その目には疲れと不安が宿っていた。
「おはよう! あたしたち、評議会から依頼されて来たんだ。
患者さんを診させてもらえない?」
シャルの言葉に女性は一瞬躊躇したが、やがて小さく頷いた。
彼女の表情に、わずかな希望の光が宿る。
「どうぞ、中へ」
家の中に入ると、甘い花の香りが鼻をくすぐった。
壁には生きた蔦が這い、その葉の間からかすかな光が漏れている。
天井からは小さな光る果実のようなものがぶら下がっていた。照明代わりだろうか。
床は柔らかな苔で覆われ、足音を吸い込むように静かだ。
案内されたベッドには若いエルフの男性が横たわっていた。
彼の顔は蒼白で、額には冷や汗が浮かんでいる。
時折、体が小刻みに震えるのが見える。
枕元には、未開封の薬草の袋が置かれていた。
私はゆっくりとベッドに近づき、そっと手を置いた。
すると、患者の体から微かな魔力の流れが感じられる。
それは通常のものとは明らかに違う、どこか不穏な気配を帯びていた。
しかも、魔力がどこか一方に流れていっているような……?
その感覚は、まるで誰かに生命力を吸い取られているかのようだった。
「ミュウちゃん、どう?」
シャルの問いかけに、私は首を傾げる。
通常の病気とは明らかに異なる何かを感じるが、その正体がつかめない。
口を開きかけたが、言葉にするのは難しい。MPの消費も気になるので、黙って首を横に振った。
試しに杖を手に取り、状態異常回復魔法を使ってみる。
(状態異常回復魔法……)
青白い光が患者を包み込む。
その光は部屋の中を優しく照らし、一瞬、花々がより鮮やかに輝いたように見えた。
その瞬間、患者の表情が和らいだように見えたが、すぐに元の苦しそうな表情に戻ってしまった。
「うーん……普段はどんな症状なの? いつもこう?」
シャルが付き添いの女性に尋ねる。
彼女の声には、いつもの明るさの中に、真剣さが混じっていた。
「夜になると悪夢にうなされて苦しみ、朝には極度の疲労感を訴えるんです。
日に日に元気がなくなっていって、今はほとんどベッドの上で……」
女性の声は震えていた。その言葉を聞きながら、私は再び患者に触れてみる。
――その瞬間、奇妙な映像が脳裏に浮かんだ。
暗い森、迫り来る影、そして大きな赤い目……。
必死に足を動かしてその怪物から逃げようとする。そんなビジョン……!
「っ!」
思わず手を引っ込める。一拍遅れて、背中から冷たい汗が吹き出した。
まるで自分自身が悪夢を見ているようだった。
部屋の空気が一瞬凍りついたように感じる。
「ミュウちゃん、大丈夫?」
シャルの声に我に返る。彼女の目には心配の色が浮かんでいた。
小さく頷いてから、彼女に目配せをする。シャルはすぐに理解してくれたようだ。
「んー、なるほど。今のところは完全には治せないけど、ちょっとは楽にできそう……って感じかな」
シャルが女性に告げると、彼女の顔に僅かな希望の色が浮かぶ。
その目に宿った光が、部屋の雰囲気をわずかに明るくした。
(中回復魔法、精神回復魔法!)
私は再び魔法を発動させる。
今度は体力の回復と、精神を安定させる効果も加えてみた。
患者の体を包む光が、より温かみを帯びる。
しばらくすると、患者の呼吸が落ち着いてきた。
顔色も幾分か良くなったように見える。彼の眉間のしわが少し緩んだ。
「あ……! ありがとうございます!
彼のこんな穏やかな寝顔を見るのは久しぶりですわ」
感謝を伝えるエルフの女性の声には、安堵と喜びが混じっていた。
その笑顔に、私も少し元気をもらえた気がした。
それから私たちは他の患者も診て回ることにした。
街を歩きながら、至る所で同じような症状の患者を見つける。
全員が全員医者にかかるわけではないようで、皆それぞれの家で自宅療養をしている様子だ。
その度に治療を施すが、完治には至らない。
それでも、少しずつ街の雰囲気が明るくなっていくのを感じた。
日が傾きはじめた頃、私たちは小さな広場に腰を下ろした。
周囲では噴水が静かに水を落とし、その音が心地よく響く。
「なーんか、妙な病気だねえ。ミュウちゃんでも治せないなんて。
そもそも『夢枯れ病』なんて聞いたこともないし」
シャルの真剣な眼差しに、私は頷く。
確かに、通常の病気とは明らかに異なる何かがある。
それは魔法のようでもあり、呪いのようでもある。
「でも、ミュウちゃんの魔法で少しは良くなってるみたい。希望はあるよ!」
シャルの言葉に、小さく微笑む。彼女の明るさが、私の不安を少し和らげてくれる。
しかし、心の中では依然として疑問が渦巻いていた。
この病の根本的な原因は一体何なのか。そして、それをどうすれば解決できるのか。
夕闇が街を包み始める中、私たちは宿へと戻る道を歩き始めた。
光る蛍のような生き物が、木々の間を飛び交う。
しかし、その美しさの中にも、どこか不穏な空気が漂っているように感じられた。
■
宿に戻る途中、私たちはさっきとは別の広場を通りかかった。
夕暮れの柔らかな光が、青々とした草の地面を黄金色に染め、それが徐々に暗くなっていく。
そんな静かな雰囲気の中、突如として思いがけない人物と遭遇した。
「なっ、お前たちは……!?」
聞き覚えのある声に、私たちは足を止めた。
広場の中心にある古びた石柱の傍らに立っていたのは、なんとグラハム――以前所属していたギルドのマスターだった。
彼の姿を見た瞬間、周囲の空気が一瞬凍りついたかのように感じられた。
ノルディアスでの出来事が頭をよぎる……。
「えっ、グラハム!? なんでここにいるの?」
シャルの声が響く。彼女の表情には驚きと、わずかな警戒心が浮かんでいた。
同時に彼女は剣の柄を掴む。その動きは素早く、鞘から少し魔力増幅剣の剣身が覗いた。
グラハムが以前私を連れ去ろうとしたことを覚えているためだろうか。
金属のかすかな音が、緊張感を高める。
グラハムは私たちをじろりと見やると、不敵な笑みを浮かべた。
彼の姿は以前よりも少しやつれていたが、その目つきは相変わらず鋭い。
彼の周りには、かすかに酒の匂いが漂っていた。
「ふん、お前たちこそ何をしている? この国でも厄介者扱いされたのか?」
その言葉に、シャルが眉をひそめる。
が、直後にニヤリと笑みを浮かべ、胸元の勲章を見せた。
金色に輝く勲章と中心の宝石が、夕日の光を反射して煌めく。
「ふっふっふ……あたし達はアランシア王国を代表して来てるの! 見なよ、この勲章を!」
「は……はぁ!? 何なんだそりゃ、何がどうなってそんなことに……!?」
グラハムはあからさまに動揺した。彼の顔が真っ赤になり、額に汗が浮かぶのが見えた。
……ちょっと気分がいいかもしれない。勲章ってこういう効果もあるんだなあ……。
「あんたこそ、ギルドはどうしたの?」
グラハムの表情が一瞬曇った。彼は咳払いをすると、わざとらしく傷んだ金髪をかき上げた。
「はっ! あんな小さなギルド、とうの昔に卒業したさ。今はもっと大きな野望を抱いているのだ」
その言葉とは裏腹に、彼の声には僅かな動揺が感じられた。
どうやら、ギルドの状況は芳しくなかったようだ。
彼の足元では、小さな石ころが不安げに転がっていた。
「へー……潰れたの?」
「潰れたんじゃねぇ! 俺の新たな門出のために潰したんだ」
「新たな門出ぇ? まさか、ここでまた新しいギルドでも作ろうとしてるの?」
シャルは目を細めてグラハムの赤くなった顔を見つめる。
図星のようだ。彼の表情が一瞬凍りついた。
「こ、ここには冒険者ギルドがないらしいからな。開業にはうってつけだ」
言葉に詰まるグラハム。その姿は、かつての威厳ある様子からはかけ離れていた。
彼の声は少し震え、自信なさげに響いている。
でも、ここで冒険者ギルド……?
エルフの人たち、あんまり人間が好きじゃなさそうなんだけど……。
周囲を見回すと、私たちのやり取りを不審そうに見つめるエルフたちの姿が目に入った。
「ふーん、で、ミュウちゃんに何か言うことないの?」
責めるようなシャルの言葉に、グラハムは一瞬私を睨みつけた。
その目には、かつての威厳の欠片も見当たらなかった。
「チッ。言うことなんぞないね。そいつが戻ってさえいれば、今もあのギルドが営業停止になんかならなかったろうにな……」
彼の声が震える。しかし、その怒りは空回りしているようにも見えた。
「営業停止って……完璧に経営ミスってるじゃん。自業自得でしょ」
私は黙ったまま、シャルとともに彼をじっと見つめる。
かつてのギルドマスターの姿はそこになく、ただの迷える中年男性がそこにいた。
「チッ……相変わらず無口なやつだな」
グラハムは大きなため息をつくと、がっくりと肩を落とした。
「まあいい。お前たちとはもう関係ない。俺には俺の道がある。
せいぜい、この国でも厄介者扱いされないよう気をつけるんだな!」
そう言い残すと、グラハムは踵を返して歩き去っていった。彼の足音が、石畳の上でむなしく響く。
「なんだったんだろうね、あれ」
シャルが首を傾げる。私は小さく肩をすくめた。
彼女の髪が風に揺れ、かすかに花の香りがする。
「まあいっか。あんなやつのこと気にしてもしょうがない。さ、宿に戻ろ!」
シャルの明るい声に頷きながら、私たちは歩き出す。
グラハムとの予期せぬ再会は、どこか滑稽なものだった……。
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